しずちゃんがシェムリアップにある日本語学校で、
何日か授業にかかわる番組をみた。
しゃべりなれた日本語といえども、
わかりやすく説明するのは簡単なことではない。
なかなか子どもたちにすっきりとつたえられなくて、
しずちゃんはなやみながら授業にとりくんでいた。
そして、最終日にはしずちゃんが60分の授業を
ひとりでうけもつことになる。
しずちゃんはすごろくをとりいれることをおもいつく。
おおきな線路みたいなマス目を教室いっぱいにかき、
羽子板やけん玉のうようなむかしながらのおもちゃを
それぞれのマス目におく。
サイコロで3がでたらたとえば羽子板のマス目にすすみ、
そこにおいてある羽子板でからだをうごかして
あそびながら数のかぞえかたになじんでいく。
ほかのマスではシャボン玉をふいて、でてきた玉をかぞえる。
ボクシングのスパーリングでも数をかぞえられる。
子どもたちはたのしみながら自然に数を口にしはじめた。
発達障害児の子どもたちに
わたしたちは自立課題としょうして
色や数字のマッチングやかたはめなどの
課題にとりくんでもらう。
自立課題の成果に確信をもち、
系統だてて子どもたちにしめしているかというと
ぜんぜんそのレベルにはなく、
いまはまだ手さぐり、というとかっこいいけど
なんとなくひとのうけいりをしてるだけのような
うさんくささが頭からはなれない。
こんなことをとりいれれば、いちおうかっこがつくという
「なんちゃって支援」でしかない気がする。
アジアにある観光地の町で、
むりをしてメニューにスパゲティやピザをのせているようなかんじ。
おおくの先進的な事業所がとりくんでいるからといって、
わたしたちもおなじものをしなければらないわけではない。
しずちゃんのすごろくのように、
あそびながらいつのまにかできるようになるほうがわたしはすきだ。
ピピにくる方に自立課題の説明をしながらも、
どこか自分のことばではない不自然さをかんじていたので、
すごろくをとりいれたしずちゃんの授業は説得力があった。
もっともらしいことがやりたくてはじめた事業所ではなく、
できることなら自分たちならではの支援のほうが
たのしいにきまっている。
子どもたちのちからをたかめるためには、
どんなしめし方をしたらいいのかについて、
参考になる番組だった。