朝ご飯まえのジョギングをはじめたとき、
10時くらいにふとんをしいてもぐりこむと
配偶者から苦情がでた。
そんなに自分のすきかってな時間にふとんをしかれては、
わたしのすごせる場所がない、という。
それはそうだろう。でも、こっちにも
トレーニングのスケジュールがあり、
つぎの日ははやくおきてはしっておきたかった。
「じゃあ、したでねる」と
ふとんをもってわたしは1階の部屋にうつった。
もともとそこはむすこが小学生のときにつかっていた部屋で、
いまはタンスと本棚があるだけだ。
こうして、けんかわかれしたわけではなく、
円満に夫婦別室ということになった。
寝室をどうあつかうかは、
それぞれの夫婦でビミョーな問題になっているのではないか。
睡眠は個人のものであり、
ひとりでねたほうが睡眠の質はたかい。
しかし、結婚し、おなじ家ですむようになったときに、
同時に寝室もおなじにする夫婦が一般的ではないだろうか。
そして、いったん2人の寝室にしてしまうと、
なかなかとちゅうでかえにくい性質の習慣となる。
どちらかにそれ相応の問題があったのなら、
そうきりだされてもしかたがないのだろうが、
あらためて「べつの部屋でねる」ことを提案するのは
それなりのすっきりした理由が必要だ。
ときどきイビキを指摘されるぐらいの
問題のすくない夫であるわたしは、
カゼをひいたときくらいしか
別の部屋でねることがなかった。
年になんどか配偶者が実家にとまるときは、
まくらもとにスタンドをもってきて、
よみたい本とお酒をならべ、
ひとときの独身をたのしんでいた。
ジョギングを理由に、わたしは公然とひとりでねる部屋を確保でき、
いまでは毎晩ねるまえの本とお酒が儀式となった。
さむさが本格的になってからは、
はやおきしてのジョギングをしていないけど、
別の部屋でねるスタイルはたもったままだ。
配偶者もひとりのほうがテレビやDVDを
自分のすきな時間にみることができて快適になったのではないか。
部屋をわけてから、とくにふたりの雰囲気がわるくなったわけではなくて、
ただねる部屋がわかれただけであり、
「夫婦別寝室」が成功だったことをあらわしている。
わかくても、ジョギングをしてなくても、
ねる部屋は別々のほうが快適だ。
年おいていく夫婦は、こうしてだんだんと
ハウスシェアという形態にちかづいていくのだろうか。