2013年01月12日

フェイスブックとのつきあい方がわからなくなった

先日の新聞に、インドネシアではフェイスブックがさかんで、
友だちが何百人のひとがめずらしくない、という記事がのっていた。
さみしがりやの国民性が反映しているのかも、
という分析がされている。

フェイスブックがどうつかわれているかは、
年代や職業、それに国民性によって
おおきなちがいがありそうだ。
ちょっとまえまでは、日本とブラジルだけ
利用率がひくいといわれていたのに、
いまではブラジルが世界第2位(1位はアメリカ)になっている。
なぜきゅうに利用されるようになったのかはしらないが、
ブラジルの例からは、なにかがひきがねとなって、
状況が一気にかわる可能性があることがわかる。
日本でもずいぶんひろまってきて、
いまは900万人が利用者しているという。
わかいひとたちにとって、
フェイスブックはすでになくてはならないツールなのだろう。

わたしは1年ほどまえにフェイスブックをはじめた。
しばらくは友だちがゼロの状況がつづき、
フェイスブックがどういうものなのか、ぜんぜんわからなかった。
数ヶ月たって、やっと数人とのやりとりがはじまる。
やりとりといっても、わたしの場合は
毎日かいているブログを、そのままフェイスブックにながしこむだけだ。
それでも友だちが5〜6人のころは
フェイスブックのおもしろさが
なんとなくわかってきた気がして、
毎日ひらいてみるのがたのしかった。

しかし、ある勉強会に参加したとき、
グループでの利用がメンバー内でおこなわれたため、
友だちがいっぺんにふえた(といってもまだ19人)。
とくにしたしくないひととも「友だち」になり、
ニュースフィードにはいろんなかきこみでにぎやかだ。
それについて何十人ものひとが「いいね!」といっており、
コメントもたくさんついている。
こうなってくると、あまり積極的な姿勢で生きていないわたしは
かく気がまったくうせてしまった。
もともと「いま◯◯をしています」みたいなことは
かいたことがない。
ブログをながしこむのもやめた。
みじかいメッセージがとびかっているなかに、
かたぐるしくてながったらしいブログは
いかにも場ちがいだ。
いまではときどき「いいね!」をおすぐらいの、
なんちゃってユーザーでしかない。

「みんなたのしそーだなー」と
もりあがるメッセージのやりとりから
完全にとりのこされている状況だ。
自意識過剰なだけで、かるい気もちでかきこめばいいのだろうけど、
それが簡単にできるようならこんなことはかかない。
仕事に関係する「友だち」とはべつに、
気楽にかきこめるようなグループがあれば
参加しやすいかもしれない。
でも、それではなんだかフェイスブックのよさをけしてるような気もするし。

フェイスブックでももてあましているくらいだから、
ツイッターにはぜんぜん関心がない。
やらなければおもしろさはわからないだろうけど、
ためしてみる気にもならない。
わたしには、ブログでおもったことを
すきなようにかくのがむいているみたいだ。

フェイスブックがある状況というのは、
だれにとってもまだはじまったばかりだ。
どんなつきあい方がそのひとにとってたのしいかは、
これからまだかわっていくのだろう。
いじけてないで、わたしにあったつかい方をさがしてみよう。

posted by カルピス at 22:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする