新聞のきりぬきを整理していたら、
「森羅万象みんなストレス因」という記事が目についた。
おもしろそうだとおもうからきりぬいたわけだけど、
内容はすっかりわすれていた。
あらためてよんでみると、ずいぶん興味ぶかいことがかかれている。
記事は、朝日新聞・東京・社会部長である山中季広氏によるものだ。
ストレスを簡単にはかれる装置をかりてきて、
ご自分の日常生活におけるストレスをはかってみると、
いちばんたかい数値をだしたのが
「上司とのやや骨の折れる折衝」だったという。
工事の騒音や退屈な会議よりもたかかったというから、
まったく、仕事ほどストレスなものはない。
記事は、つづいて鹿児島市の内科医である納光弘さんを紹介している。
ご自身が通風になられたことをきっかけに、
なにが尿酸値をあげるのかを納さんは徹底的にしらべられた。
通風というと、プリン体のおおいビールやたまごがわるものにされるけれど、
納さんが自分のからだをつかっての実験によると、
ストレスもそれらにおとらず影響をあたえていたという。
いわゆるストレスだけでなく、
「あすはゴルフ」というわくわく感でさえ
ストレスとなって尿酸値をあげたということだ。
からだにいいとおもわれてきたものもストレスであり、
わるいとおもわれてきたものが、
ストレスよりもまし、ということは、
たとえばタバコもおいしくすえばストレスではないし、
ジョギングや散歩もかえってストレスとなる場合もでてくる。
まったくストレスがないのもまたよくない、
というかんがえ方をよくきくけどほんとうだろうか。
たしかに喜怒哀楽のすべてがストレスとなると
つきあい方がむつかしいけれど、
それはそれでひとつのスタイルでもある。
「適度なストレス」なんてありはしないのだから、
ストレスを徹底的にさけて
なやみもすべてとおざけて生きるのは
人種や性格によってすでに実践しているひともいるはずだ。
「ストレスの威力を知った納医師は、
翌年秋、入院を堺に生き方を変えた。
仕事で無理はしない。無理に断酒もしない。
毎朝、静かに絵筆を動かすようになった」
と記事はむすばれている。
わたしはいま職場でつくるたよりの編集にとりくんでおり、
巻頭をかざる記事があがってこないので、
この1週間あしぶみ状態がつづいている。
なんど催促しても担当者はあやまるばかりで
原稿はできあがらないようだ。
わたしとしては、なんとかはやいことしあげたいけれど、
ちょっと距離をおいてかんがえると、
たかだか発行部数が70部ほどのささやかなたよりであり、
血まなこにとりくむほどのものではないともいえる。
あがってこない原稿のことをかんがえても、
わたしにはどうしようもないことであり、
そんなことをなやみにかかえていては
自分からストレスをもとめるようなものだ。
『ポニョ』をつくるときに、
ラストシーンのあつかいに宮崎さんがいきづまってしまい、
なんにちも作画がすすまないときがあった。
プロデューサーの鈴木さんは、宮崎さんをつつくのではなく、
ただまつことで宮崎さんのアイデアがかたまるのをまっていたという。
もし映画のしあがりがおくれたら、
シャレにならない損害がでるかもしれず、
まつほうとしてはそうとうくるしい時間だったとおもう。
そんなことにくらべれば、
わたしたちのたよりなんてふけばとぶようなものであり、
発行日にこだわってイライラするのは
どうかんがえてもばかげている。
わたしはもう原稿をまつのをあきらめ、
ほかの記事にかえて発行しようときめた。
そうやって、自分がすきなように、たのしいように、
内容をいじれる程度のたよりなのだし、
もともとは原稿をあげないほうがわるいのだから
かなりひどいことをやってもとがめられないだろう。
そうおもうと、こんどはテキトーなたよりづくりがたのしみになってきた。
◯◯でありたい、が、しだいに
◯◯でなければならない、とかわってくると、
そうならないときにイライラがつのってくる。
まわりの環境や、ひとのすることに影響をうけていては、
どうしてもストレスの餌食となりがちだ。
わたしもまた納さんをみならうことにする。
よろこびもかなしみもほどほどに。
とにかく無理をせずにこころをたいらに生きる。
たいそうな目標はたてないし、休肝日なんてつくらない。
そんなことしてたのしいか、ときかれたら、
そうです、すごくたのしい、と
にっこりこたえられるようになろう。