『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』(高橋秀実・新潮社)
ものすごくよわいチームが、
甲子園にいくためにはどうしたらいいか。
よわいチームでも、彼らなりの野球をすることで、
うまくいくとうちかつことができる。
ただ、それにはかなり特殊な戦術、というか
かんがえ方のもとに練習や試合をする必要があった。
この本は、開成高校野球部が、
彼らのスタイルでかつために、
どんな野球をめざすようになったのかについての
興味ぶかいルポルタージュだ。
よんでいるうちに、はたしてこれは野球についての本なのか、という
根源的な疑問がうかんできて、
最高にたのしい読書となった。
はじめに開成高校について説明しておくと、
毎年200人ちかくが東京大学に合格するという
ものすごい進学校だ。
東京大学に進学することを目的に、
明治4年に創立された学校であり、
いまもその伝統がうけつがれている。
そこから予想されるのは、テストや勉強づけの
ギスギスした学校生活だけど、
学校自体が受験体制を敷いているわけではないそうだ。
「東大に進学した卒業生たちにたずねてみたところ、
彼らもそれほど勉強していた様子でもない」
という。
これぐらいできる生徒があつまる学校だと、
猛勉強したから東大に合格する、というのではなく、
「なんとなく勉強ができて」
という雰囲気が校風となっているようだ。
そんな開成高校に硬式野球部があり、
平成17年の東東京大会でベスト16までかちすすんでいる。
最後にやぶれた国士舘高校が優勝したので、
もうすこしのところで甲子園、
というところまでいったともいえる。
ただ、開成高校の野球は
ふつうわたしたちがイメージする高校野球とは
ずいぶんちがったかんがえ方による「野球」がおこなわれている。
ものすごくヘタだからだ。
「ゴロが来ると、そのまま股の間を抜けていく。
その後ろで球拾いをしている選手の股まで抜けていき、
球は壁でようやく止まる。
フライが上がると選手は球の軌跡をじっと見つめて構え、
球が十分に近づいてから、
驚いたように慌ててジャンプして後逸したりする。
目測を誤っているというより、球を避けているかのよう」
しかし、開成の青木監督にいわせると、
むしろ開成の野球が普通なのだという。
甲子園にでるようなチームが異常すぎるのだ。
彼らはちいさなころから野球ばかりやってきて、
専用のグランドで毎日のように練習している。
「ある意味、異常な世界なんです。
都内の大抵の高校はウチと同じ。
ウチのほうが普通ともいえるんです。
常連校レベルのチーム同士が対戦するのであれば、
『チーム一丸となる』『一生懸命やる』『気合を入れる』
などという精神面での指導も有効かもしれませんが、
これぐらい力の差があると、
精神面などではとてもカバーできません」
「普通の高校が異常な世界で勝つには、
普通のセオリーではダメ」と
青木監督はいう。
ここでいう普通のセオリーとは、
たとえば1番に足のはやい選手、
2番にバントのできる選手、という打順であり、
こうした確実に1点をとりにいくというセオリーを
開成高校はとらない。
なぜなら
「1点取っても、その裏の攻撃で10点とられてしまうから(中略)
ですから『10点取られる』という前提で
一気に15点取る打順を考えなければいけないんです」。
もうひとつ、開成高校は守備を重視していない。
なぜなら
「すごく練習して上手くなっても
エラーすることはあります。
逆に、下手でも地道に処理できることもある。
1試合で各ポジションの選手が処理する打球は大体3〜8個。
そのうち猛烈な守備練習の成果が生かされるような
難しい打球は1つあるかないかです。
我々はそのために少ない練習時間を割くわけにはいかないんです」
「10点取られる」という前提があるので、
多少のエラーでは動揺しないのだそうだ。
この超合理的な判断が開成野球の真髄である。
生徒もまた彼らなりの、ヘタが野球をするのに必要なかんがえ方をおさえている。
「大事なのは、反省しないってことだと思うんです」
藤田くんが真剣な面持ちで言った。
ー反省しない?
「反省してもしなくても、
僕たちは下手だからエラーは出るんです。
反省したりエラーしちゃいけないなんて思うと、
かえってエラーする(中略)」
「勉強と違って、野球の試合は真面目である必要はないと思うんです(中略)
一生懸命やろうとすると、それだけ緊張しちゃうんで、
むしろ不真面目がいいんじゃないでしょうか」
もちろん開成野球にはサインプレーもない。
「『バントしろと指示をしたって、そもそもバントできないですからね。
それに、サインを見るというのは一種の習慣でして、
ウチの選手たちは見る習慣がないから、
出しても見落とすんですよ』とのこと。
指示を出しても意味がないということだが、
いずれにしても大量得点にサインは要らないのである」
打席では小細工しないでつねにフルスイングだ。
ものすごいからぶりをつづけていると、
相手のピッチャーはいったい開成チームが
なにをねらっているのかわからずに、
びびってくるのだという。
開成よりもましとはいえ、相手だってそんなにしっかりした技術をもっているわけではないので、
なにかのひょうしに開成がチャンスをつくると
バタバタっとエラーがつづいたりする。
わたしも島根県予選の2回戦を球場でみたことがある。
ほんのちょっとしたことからガタガタっとくずれるのは、
高校野球によくあることだ。
そうした場面は甲子園でもみかけるけど、
地方大会レベルではそれに輪をかけて
しんじられないようなプレーがみられる。
開成高校がねらっているのはこのくずれであり、
そうしたドサクサにまぎれて15点とれば
かつ可能性がうまれる、というのが開成高校のセオリーである。
わたしはサッカーばかりに関心があり、
プロ野球にしろ高校野球にしろ、
野球というのをかなりみくだしてきた。
精神論がはばをきかせており、
土日や盆・正月まで長時間の練習にとりくむのが
あたりまえの世界なんてとてもなじめない。
でも、開成高校の野球はまるで『がんばれベアーズ』みたいだ。
こんな野球なら、わたしもやってみたいとおもう。
選手としてではなく、監督としてもおもしろそうだ。
10点とらえても15点とればいい野球が、
地区予選ではむしろ一般的というのがすてきだ。
本書は開成野球の紹介からはじまり、
翌年におこなわれた夏の大会予選までという、9章からなっている。
はじめの章は圧倒的におもしろいけれど、
よむほうもなれてくるので、だんだん多少のことではおどろかなくなる。
野球を意識して、むりして9章までひっぱる必要はなかったようにおもう。
結果からいってしまえば、
取材の年も、けっきょく開成高校は甲子園にでられなかった。
でも、いつか、なにかのひょうしに
開成高校が東東京の代表になる可能性も、なくはない。
これはこれで、彼らなりのセオリーにもとづいた
ひとつの立派な野球であることが
ひろくしられる日がくることをねがう。