ゆうべむすこの友だちから電話がかかってきた。
きょうの入試にどうやっていくかの確認だったようだ。
そのあとしばらくしてから配偶者がむすこにたいし、
つよい口調でしかっているのがきこえてきた。
内容がよくわからないのに
へたに介入しないほうがいいだろうと、
そのままほっておく。
推測するに、むすこは友だちといくという案
(または友だちのおうちの方がおくっていってくれるという提案)を了解し、
いっぽう配偶者は配偶者でむすこのことをいろいろ心配するなかで、
けさはできれば入試会場までおくろうと、
彼女なりのこころづもりがあったのではないだろうか。
試験の前日につよくしかるなんて、
むすこの気もちをかんがえると
さけたほうがいいにきまっている。
ただ、配偶者はきっとすごくむすこのことをあんじたうえで
おもわず激怒したのだろう。
こういうとき、妻の不満は
だいたいにおいて夫の無理解にあることがおおい。
父親のくせに、わたしがむすこの入試をぜんぜん心配しないので、
配偶者にしてみると、じぶんひとりが
むすこの身をあんじている心境だったのではないだろうか。
よくできた夫だったら、もうすこしはやい段階で
配偶者へのケアがあったのだろうが、
残念ながら我が家においてはなんのサポートもされなかった。
間がわるいことに、ピピの調子がわるくなったので(いいわけ)
わたしの意識はよけいに
そっちばかりにむかったようにみえたのだろう(事実)。
きょうの試験をむすこはつつがなくおえただろうか。
夕べ地雷をふんだのが影響しなかったらいいけど。
レッズサポーターの杉江さん(「本の雑誌社」)が、
「ほんとうの修羅場はグランドなんかにない、
家庭にあるのだ」
と喝破している。
いい言葉だなー、とはんば他人ごとのように感心する。
家にかえってからむすこに「できた?」ときくと、
「うん、まあ」という。
さらに「かけた?」とたずねると
ほんとに(ある程度は)答案をうめられたみたいだ。
ふつうだったら、かなり自信がなければ
「うん、まあ」とはいわないけれど、
むすこの場合はまじりっけなしの
「うん、まあ」かもしれないので、安心はできない。
配偶者に「試験場までおくったの?」ときくと
「うん」といい、そのあとわたしがなにもいわないと
むこうから「なんで?」ときいてきた。
そのいい方が、「あ、このひとは夫がどうこうはぜんぜん意識にない!」、
ということがわかる「なんで?」だったので、
安心するというか、さみしいというか。
うまく合格していたら、
やきにくをたべにいくぐらいは提案しよう
(ピピの快気いわいもかねて)。