2013年03月09日

中国の大気汚染と人間のぼんのうについて

中国の大気汚染が日本にも影響をおよぼすようになった。
まったくこまったことだけど、
中国だけを非難したらいいというと、
どうもそれだけではおさまらない問題のようだ。

宮崎駿さんがいぜん環境問題や、
飢餓・病気・老い・死からのがれたいという
人間のぼんのうについてはなしておられた。
『ナウシカ』が映画になったときだから、
もう25年もまえのはなしだ。

「日本がいまのようになるために、
世界中から資源をかきあつめ、
石油もたくさん輸入し、
日本の国じゅうが公害だらけになった。
中国や韓国など、おおくの国々は
これからおなじ道をたどろうとしており、
どんな結末をむかえるかはだいたい想像できる。
しかし、日本やほかの先進国は
それをやめさせるわけにはいかない」

というような内容だ。
日本にすむ1億人がいまの生活水準にたどりつくために、
地球にどれだけ負担をかけたか。
日本の10倍の人口をもつ中国が、
おなじような発展をのぞめば
どんな結果をまねくかはあきらかだ。
でも、中国のひとだって自動車にのりたいし、
家には冷蔵庫と洗濯機があったほうが便利だし、
先進国みたいに肉を毎日たべたいとおもうだろう。

中国の環境問題は以前から指摘されていたし、
大気汚染もいまにはじまったことではなく、
おおかれすくなかれ、いまのような状況になるのはわかったことだった。
それを承知で世界中の自動車会社が
中国を優良な市場とかんがえ
いけいけドンドンでセールスしてきたのではなかったか。
中国の環境政策を非難すればいいはなしではない。

人口がどんどんふえ、ひとりひとりが
おおくのエネルギーを消費すれば、
地球環境はわるくなるいっぽうだ。
また、飢餓・病気・老い・死からだれもがのがれたい。
その本能を追求すると、あらゆる病気をなおし、
だれもがながいきする社会が到来する。
しかし、それで人間はしあわせになれるだろうか。

「日本で全員が半分だけ貧乏になろうと、もし決められたら、
日本の国土は確実によみがえるでしょう。
それから、七十歳まで生きるのをやめよう。
五十で死のうと決める。
乱暴な言い方をすると、
病気も運命として甘受しようという考え方さえある(中略)
どうして体を健康にしてむりやり八十歳まで
生きなきゃいけないのか、
なぜ人が死ぬのをくいとめなきゃいけないのか、
というところに突き当たってしまうんじゃないか(中略)
ちゃんと自然にサイクルがあるように、
人間も一定の寿命を受け入れよう、
それは、老衰で眠るがごとくに寝るだけじゃなく、
癌やコレラで死んだりするかもしれないけど、
それも自然のサイクルなんだという
考え方を受け入れられるかどうかという問題になると
僕はおもってるんです」

と宮崎さんはある対談ではなしている。
こうしたかんがえ方は、
なかなか共感を得にくいかもしれない。
しかし、宮崎さんのいわれたこのことばは
わたしの人生観におおきな影響をあたえた。
死を宣告されたらジタバタ悪あがきもするだろう。
それでも野生動物のように
自然の一部としての死をうけいれて、
淡々とした最期でありたい。

posted by カルピス at 23:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする