平川克美さんの『小商いのすすめ』(ミシマ社)をよんでいたら
「わたしは、いったい、
帽子屋なんていう商売が
どうして成り立つのか
長いこと疑問でした」
とかいてある。
わたしも、まったくおなじことを不思議におもっていた。
すこしまえの商店街には、
帽子屋とか傘屋とか婦人服店とか、どうかんがえても
そんなにお客さんがきそうにない店が
のきをつらねていた。
おおきなショッピングセンターへ
お客がながれるだろうに、
これらの店のひとは、どうやって生活しているのだろう。
わたしは、なにか補助金制度みたいなものがあって、
生活に必要なお金のいくらかが
町や帽子店組合からお金がもらえるのかとおもっていた。
もちろんそんな制度はなく、
こうしたお店はどんどん商売をやめていったので、
商店街はシャッター街になっていった。
でも、30年代当時は、それで商売がなりたっていたわけで、
『小商いのすすめ』には、昭和30年代における帽子が
社会のなかでどんな存在だったかについてふれられている。
紳士のたしなみとして、帽子なしの大人など
かんがえられなかった、というのが当時の風俗だったようだ。
帽子だけでなく、傘屋さんとか、婦人服店とか、時計屋さんとか、
そんなにしょっちゅうお客さんが
くるわけないようなお店がなりたっていたのは、
ひとびとが必要とするものがそんなに多様ではなく、
かぎられた商品をあつかっていれば商売になったからだろうか。
商店街にいっていたお客さんは、
ショッピングセンターやホームセンターにながれたわけだけど、
それらの店だっていつまでも盤石かというと、ぜんぜんそうではない。
いまみたいにネット販売があたりまえになってくると、
家電のチェーン店が価格競争でくるしむみたいに、
大型店がかならずしも有利なわけではない時代となった。
やり方によっては、個人商店のもつ個性が
またいかされるようになる。
商店街の活性化についてよく耳にするようになったけど、
それはきっとたくさんのお客さんがきてくれるお店を
めざしているのだろう。
商売繁盛でおおいそがしの店よりも、
いちにちに2〜3人のお客さんがおとずれる程度が
わたしにはむいていそうで、
そうやってくらせた時代がうらやましい。
30年代の帽子屋さんは、どんな商売をしていたのだろう。