2013年03月29日

「後悔さきにたたず」はほんとうか

「後悔さきにたたず」ということわざがきらいだ。
「後悔さきにたたず」といって
後悔しているひとにたいして
それみたことかとしたり顔をするひとが
(じっさいに面とむかっていわれたことはないけど)きらいだ。
また、よく耳にすることで、
やらずに後悔するよりも、
やって後悔したほいうがいい、
というのがあって、
なんだかもっともらしいけど、
もっともらしいだけになんだかひっかかる。
どんなタイプの後悔でもかまわないから、どんどん後悔したら、
というのがわたしの立場だ。

「してしまったことは、
あとになってくやんでも
取り返しがつかない」

「すんでいることを後から後悔しても
取り返しがつかないので、
事前に十分注意しなさいという教え」

大切な意味をもつことわざかもしれないが、
後悔しないよりも、したほうがおもしろい人生なのではないか。
あーでもない、こーでもないと
まようのが人生の醍醐味ともいえ、
そうして判断したことをくやむことがあってもいい。
それを、「さきにたたず」なんて、
たかいことろからえらそうにいってほしくない。

わたしはあるときから
あまり後悔しなくなったことに気づいた。
「後悔さきにたたず」と
したり顔でいいはなつひとを
よろこばせたくないのかもしれない。
そうはいってもささいなことで、たとえば
自分が注文した料理より、
ひとのお皿がよくみえるとか、
おかわりをしようか我慢しようかまよったとき、
ついたべすぎてくるしむとか、
そういう「後悔」はしょっちゅうあるけど、
それは生活における調味料みたいなもので、
まちがったからといってたいした実害はない。
もっと深刻な場面での重大な選択において
わたしはこれまで後悔したことがない。
正直にいえば、◯◯したらよかった、というのが
ないことはないけど、すこし時間がたつと
それもまた自分らしいまちがった選択だったと
うけいれており、後悔はしていない。
後悔だらけの人生だから、
いちいち深刻な顔をして
後悔なんかしてられないのかもしれない。

後悔しないように慎重に準備しすぎて
一歩をふみだせないよりも、
おろかなまちがいをするかもしれないけれど、
どんどん後悔しそうなことをすればいいとおもう。
そうやってうごいてみて、
いくらでも後悔したらいいのだ。
死ぬまぎわに◯◯すればよかった、
なんて後悔するのがわたしはすごくおそろしい。
そうならないためにも、
後悔するにちがいないようなおろかなことでも
やりたいことをいまのうちできるだけやっておきたい。

posted by カルピス at 22:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする