2013年04月10日

キンドルペーパーホワイトがとどく

キンドルペーパーホワイトがとどく。
さっそくもっている唯一の電子書籍『ほぼ日HACKS』を
よんでみる。
キンドルをパソコンにつなぐと
デスクトップに「キンドル」があらわれるので、
そのフォルダーに『ほぼ日HACKS』をいれたら
よめるようになる。
このへんはすごくあつかいやすい。

つぎに、青空文庫で夏目漱石の『こころ』をダウンロードしてみた。
ほんの数秒でよみこまれ、
トップページに『こころ』があらわれる。
e-inkによる表示もよみやすく、
あきがこないかんじだ。
倉下さんがかいておられた

「紙の本の代用品として捉えてしまうと、
その姿を見誤ってしまうかもしれません。
電子書籍は新しい『本』の形なのです」

という指摘に共感する。
電子書籍の本質は「紙の本のかわり」ではなく、
「あたらしい読書の形」の
可能性をかんじさせてくれることにある。
キンドルで本をよみ、
それをクリップしたりエバーノートにおくったりすることで
なにがかわるのだろうか。

紙の本のほうが一覧性にすぐれているとか、
バッテリー残量に気をつかわなくてもいいとかは、
紙の本の優位な点ではあるけれど、
だからといって電子書籍のよさが
きえてしまうわけではない。
いまのキンドルは、タイプライターしかなかった社会に
ワープロがあわられたくらいのインパクトがある。
これからさらに電子書籍とのつきあいかたがかわるには、
なにがひきがねになるだろうか。
その鍵はクラウドにありそうだ。

きのうラジオをきいていたら、
音楽のうりあげで日本が世界一になったことをとりあげていた。
アメリカは、いまや音楽はダウンロードするものになっており、
CDはほとんど流通していないのだそうだ。
日本人は、物質としてのCDをもっていないと
安心できない傾向があるのだろうか。
ここらへんは、日本で電子書籍がひろまらないのと
関係があるような気がする。
本はデーターとしてではなく、
ものとして所有したいという価値観だ。
アメリカでのアマゾンのように、
価格に圧倒的な差があればまだしも、
いまの日本のようにほとんどかわりない値段なら
紙の本のほうがいい、ということになりそうだ。

紙の本よりも、電子書籍での読書が便利だったり、
クラウドによってちがうつかい方ができるようになれば
いっきに利用がすすむだろう。
ただ、そうなったときでも紙の本がなくなるわけではなく、
両者の併存がこのさきずっとつづきそうだ。
つかい方がちがうのだから、
どちらかひとつにきめる必要はなく、
そのひとがすきなスタイルをえらんでいくことになる。
わたしもキンドルをつかいながら、
自分にあった電子書籍とのつきあい方をさがしてみたい。

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2013年04月09日

かんちがいもたのしいなんちゃってログハウス生活

お世話になっている事業所におねがいして、
ログハウスをつかわせてもらう。
れっきとした仕事としてかりたのだけど、
ほかのスタッフにもうしわけないような
たのしい時間をすごせた。

ログハウスというと、わたしがおもいうかべるのは
『大草原の小さな家』で「父さん」が
エドワードおじさんとふたりでたてた丸木小屋だ。
ログハウスは、もともとこういうふうに
なにもないなかで家をたてなければならなかった
開拓者たちが、いちじしのぎにつくった家であり、
おしゃれとか、ロマンチックな生活とかはぜんぜん関係がない。

今回わたしがかりたログハウスは、
ふとい材木をつかった本格的なもので、
いちじしのぎというより、
ペンション風のかっこいいつくりだ。
このまえはげしい雨がふった日でも、
ログハウスのなかはまったくしずかななままだった
(ひどい雨もりの箇所があるけど)。
まさかこんなすてきなところで
すごせるときがくるとはおもわなかった。

ログハウスだから、もちろん電気・ガス・水道はつかえない。
というのはウソで、
ちゃんと電気がつうじているし、
ガスはカセットコンロがおいてある。
水はほんとうにかよってないので、
ポリタンクにいれてもちこむけど、
ちゃんとトイレもお風呂もある(さむくてつかう気にはなれない)。

台所には紅茶とインスタントコーヒーがおいてあるので、
お湯をわかして紅茶をいれる。
カセットコンロだから
家とおなじようなものなのに、
なんだかアウトドアをしてるような
ワイルドな気分だ。
コップをあらったり、トイレの水をながしたりは、
もってきたポリタンクの水をつかう。
こういう不便さも、ログハウスでは調味料みたいなもので、
なにをやってもそのひとてまがたのしい。

部屋のなかはまださむいので、
おいてあるファンヒーターをつける。
スイッチをいれたらほんの10秒ほどで点火する。
このどこがアウトドアだ、ってかんじだけど、
ふとい材木がむきだしになったほんもののログハウスでは、
なにをやっても絵になることがわかった。
ストーブがあればあったでログハウスだし、
カセットコンロでお湯をわかしても
さすがにログハウスなのだ。
かんたんにかんちがいさせてくれる
ふところのふかさがログハウスの真骨頂ともいえる。

ログハウスでアウトドアに目ざめたわたしは、
「野宿野郎」のかとうちあきさんがすすめていた
カセットコンロ用のボンベをつかった
ガスコンロがほしくなった。
それがあったからといって、
外でお茶をいれるくらいしかいまのところつかい道はなく、
そもそもお茶くらい自販機やコンビニでいくらでもかえる。
それでも携帯用のコンロをつかって
火あそびしながらお茶をいれたくなるのが
ログハウスのおそろしいアウトドア伝染力だ。
リュックからとりだした小型のコンロで
すみやかにお湯をわかす自分を想像する。
これに塩鮭とたまごやきのはいったお弁当があれば、
わたしのなんちゃってログハウス生活は完成だ。
仕事をしながら(仕事もしないで)目をとじて
ログハウスの魅力にひたる。

posted by カルピス at 22:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月08日

『哀愁の町に霧が降るのだ』店がやすみならカツ丼をつくる手がある

椎名誠の『哀愁の町に霧が降るのだ』のなかに、
やすくておいしいカツ丼の店「とんちゃん」がでてくる。
中年の夫婦がやっている店で、
当時としてもやすい90円(おおもりで110円)で
実力も味ももうしぶんのない
ただしいカツ丼をたべさせてくれる店だ。

あるとき、カツ丼のおおもりをたのしみに開店の11時まで我慢し、
腹をすかしてフラフラになりながら
4人の仲間で店にかけこむと、
予想してなかったことに閉店の日だった。
こういうときのショックはよくわかる。
頭もからだもカツ丼だけをうけいれる状態になっていて、
いかにおいしいカレーやハンバーグでも代役をはたさない。
別の店でカツ丼をたべるという案もだめだ。
「とんちゃん」でなければ
だれも納得できないまでおいつめられている。

逆上し、いらつきはじめた3人にたいし、
仲間のひとりが自分たちでかつ丼をつくるという
アイデアをおもいつく。
カツさえあれば、カツ丼をつくるのは
そんなにむつかしいことではない。
ほかの3人もその提案のただしさをすぐに理解し、
自分たちでのカツ丼つくりに作戦を変更したのだ。

こういうのを「ピンチはチャンス」というのだろうか。
たのしみにしていた店がやってないときに、
もうだめだ、とやけくそになるのではなく、
他の店での別メニューで気をまぎらすのでもなく、
自分たちでつくるという手があると、
まったく発想をかえたときに道がひらけてくる。

でもじつは、そうはいっても、
たとえばビールが最高においしい条件をつくっておいて、
ビールがなかった、ということになると、
いくら「ピンチはチャンス」といっても
解決はむつかしそうだ。
ピールのかわりがつとまるのはビールしかない。
こういう絶体絶命のピンチに、
サンデル教授だったらどういう解決策を用意するのだろう。

この『哀愁の町に霧が降るのだ』という本は、
克美荘という、ふるくてくらいアパートでの
共同生活をえがいた作品で、
わかく、貧乏で、無名だった
椎名誠とその仲間たちの
どこにもいき場がないトホホな生活が
めちゃくちゃなよりみちをしながら
延々とかかれている。
これから自分たちがなにものになるのか
だれもわかっていない。
でも、どこにもたどりつけないようでいて、
本のおわりではそれなりにみんな次の段階にすすむわけで、
こういうバカバカしくて無駄にみえる時間をすごせることが
わかものの特権だったのだと、おじさんになったわたしはおもう。

posted by カルピス at 23:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月07日

「まちがって」いそうだけど、キンドルの読書術について、紙の本をもとめる

よみはじめた『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』
になじめなかったので、
まえからよもうとおもっていた
角田光代の『空中庭園』にとりかかることにする。
創作上のターニングポイントとなった作品と、
著者がかたっていたので気になっていた本だ。

で、『空中庭園』をとりだそうとすると、
なんまいかの付箋がすでにはってある。
ん?となって付箋のある箇所をよんでみると、
ぼんやりと記憶がよみがえってきた。
たしかにこれはすでによんでいる本だ。
そのとなりにも、タイトルにみおぼえがないのに、
やはり付箋がはってある本があり、
その『薄闇シルエット』をめくってみると、
おなじようにもうよみおえている本だった。
ねるまえに酒をのみながらよんでいたので、
そのときはたのしんでいても、
あまり記憶にのこらなかったらしい。
本の内容について、ブログにかいてないところをみると、
「よんだ」という手ごたえがあまりなかったのかもしれない。

とはいえ付箋をはるぐらいだから、
よんでいるときはそれなりに感心していたはずで、
それなのに記憶がすっかりぬけているとは、
いったいわたしの読書はなんなのだと
自分のことながらあきれてしまった。
いくらわたしの読書は消費的と
ひらきなおっているとはいえ、
つい2,3ヶ月まえによんだ本さえおぼえていないのは度がすぎる。

といいながら、きょうは4冊の本をアマゾンで注文した。

『常識を疑うことから始めよう』
『スウェーデン式アイデア・ブック』
『Amazon Kindle クリエイティブ読書術』
『ストレスフリーで効率アップ!
EVERNOTEを便利に使う48の技』

いずれも「シゴタノ!」に紹介されていたもので、
わたしが仕事術関係の本にもとめる情報は

・なんとかあたらしいアイデアをえたい、
・できるだけなめらかに情報をあつかいたい、

という2点についてのものがおおくなっている。
意欲だけは評価したいところだ。

それにしても、キンドルで本をよもうという人間が、
キンドルでの読書術について
紙の本をもとめるのはなんだか本末転倒のような気もする。
メールが普及しだしたころは、メールをおくっておいて、
「つきましたか?」と確認の電話をいれる
慎重なアナログ人間が多発したことをおもいだした。
紙の本をめくりつつキンドルの設定にとりかかる姿は
かなり「まちがって」いそうだ。
ほんとうは、そのまえにまともな記憶力を優先すべきみたいだけど、
そっちに目をむけるとかなしいことばかりになりそうなので、
『空中庭園』の件は「なかったこと」にする。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月06日

前田初ゴールの相手は浦和レッズ

Jリーグ第5節、浦和レッズ対ジュビロ磐田。

注目の前田が初ゴールをきめる。
「前田今シーズン初ゴールの相手は浦和レッズ」
とすぐにアナウンサーが反応する。
前田が初ゴールをあげた相手チームは
昨シーズンまで6年連続で降格するという
有名な都市伝説があり、
これまでゴールのなかった前田が、
どこを相手に初ゴールをいれるのか注目されていた。
しかし、今シーズンいいスタートをきった
レッズの降格はさすがになさそうで、
この伝説はついに効力をうしないそうだ。
本人も気になっていたそうで、
こういうプレッシャーからははやく開放させてあげたい。

試合はレッズがずっとせめつづけた。
ジュビロのシュートは前半が2(そのうちの1本が前田)、
後半が0に対し、レッズは後半だけでも15本のシュートをはなった。
ジュビロはよくまもったけど、
さすがに足がとまってきて、
ロスタイムにはいったところを
原口が相手チームのパスをカットして
キーパーと1対1になり、おちついて逆転ゴールをきめた。
原口は、それまでも積極的にゴールをねらっており、
それがさいごに実をむすんだ形だ。

それだけせめつづけても、
後半32分に森脇の同点ゴールがうまれるまでは、
なかなか点につながらなかったわけで、
なかでもこの試合までゴールのない興梠は
さかんにボールにからんでいくが、
どうしても得点にむすびつかない。
前半に自分がもらったPKも、
川口のファインセーブでとめられている。
興梠が、顔じゅうをつかった独特のニガわらいで
残念がる場面がなんどもアップになった。
これだけシュートをうちながら
5節までゴールをあげられないのはつらいだろう。
鹿島のときにも、はしりまわるわりにはチャンスをものにできず
くやしがる顔が印象にのこっている。
はやく結果をだして、おちついてプレーできるようになってほしい。

その他の試合では、
清水・新潟・甲府が初勝利をあげている。
川崎・湘南・磐田・大分はまだ未勝利のままで、
まだ5節とはいえ気になるところだ。

posted by カルピス at 22:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月05日

春やすみをおえたごほうびに、キンドルペーパーホワイトを注文する

春やすみのいそがしい2週間がおわる。
2週間だけなので、なんとか頭とからだをだましながら
きりぬけることができた。
できるけど、ダメージをうけたからだをもとにもどすには、
かなりの時間がかかる年齢にたっしている。
老体にムチをうてば、そのあとで
それ相応のていねいなケアが必要になる。

とにかくからだがうごかなければならないので、
効果的な方法としては、目のまえにごちそうをチラつかせることになる。
今回は、ニンジンとして電子書籍末端の
「キンドルペーパーホワイト」をぶらさげた。
7980円と、以前より値段がこなれてきたし、
先日よんだ『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』にかかれていた

「電子書籍を紙の本の代替品として捉えてしまうと、
その姿を見誤ってしまいかもしれません。
電子書籍は、新しい『本』の形なのです」(倉下忠憲)

にひかれたのがおおきい。
本のかわりとしての電子書籍ではなく、
べつのつかい方をしることで、
本とのつきあい方の可能性をひろげたくなった。
以前は長期海外旅行くらいしか、
電子書籍の必要性を予想できなかったけど、
それはまさしく「紙の本の代用品」としての電子書籍であり、
電子書籍の本質がそこにはないとなれば、
いったいどう読書がひろがるのか、ぜひためしてみたい。

いろいろな末端があるなかで、
かうならe-inkにしよとまえからおもっていた。
できるだけバッテリーがながもちすることと、
目がつかれないためにはe-inkがもっともてきしている。
iPadやパソコンで本をよむ気にはなれない。
かるくてそこそこ画面がひろいペーパーホワイトは、
わたしがのぞんでいた機能をすべてみたしている。

本のかわりとしてではなく、
あたらしいたのしみ方にどれだけであえるか。
2週間でヘロヘロになった体調のリハビリをかねて、
ペーパーホワイトとのつきあいに期待している。

posted by カルピス at 23:06 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月04日

丸ボウズのスペアータイヤからなにをまなぶか

春やすみもあとのこすは1日となった。
長期休暇と、4月からの新年度がかさなる春やすみは、
放課後等デイサービス事業所にとって
いちねんでいちばんうごきのはげしい2週間だ。
どんなかたちではじまるだろうかと、
おそるおそる春やすみ初日の3月25日をむかえ、
そしてなんとかあといちにちという4月4日になった。
この期間、わたしがなにをイメージしていたかというと、
『ルパン三世カリオストロの城』の製作現場だ。

宮崎駿氏は、この作品の監督を打診されたとき、
東映動画でもいっしょだった大塚康生氏を
作画監督にまねく条件でひきうけた。
完璧をめざす宮崎さんのはげしい演出は有名だが、
その宮崎さんの目をぬすんで
なにかともちばをはなれる大塚さんの、
あまりあてにならない仕事ぶりもよくしられている。
わたしは春やすみちゅう、
とくににげまわっていたわけではないが、
客観的にはだれの仕事ぶりにちかいかといわれたら、
大塚さんの名をあげざるをえない。
大塚さんが島根県津和野町出身ということとは関係なく、
たいへんな仕事から本能的に距離をおきたがる
大塚氏の心境がわたしにはよくわかる。
そんな大塚氏の尽力と、
もちろん宮崎氏のねばりづよい演出が実をむすび、
『カリオストロの城』は前作のルパンとはまったくちがう、
おしゃれでスマートな作品にしあがった。
興行的にはふるわなかったものの作品への評価はたかく、
再放送のたびにたかい視聴率をあげている。

『カリオストロの城』といえばおもいだされるのが、
冒頭でFIAT500のパンクを修理するシーンだ。
ボンネットからスペアータイヤをとりだした次元が

「なんだこのスペアー、丸坊主だよ」

といいながら、めんどくさそうにタイヤを交換する。
ルパンはFIATの屋根にこしかけて
「平和だねー」なんてうそぶいてるだけだ。
スペアータイヤがちゃんとしてるかどうかなんて、
この2人にとってはどうでもいい些細なこと、
というのを、みる側にそれとなくつたえている。
プロのどろぼーは、もうすこしマメで
すこしの失敗もおかさないような
はりつめた神経のもちぬしかとおもってたのに、
こんなテキトーさでもつとまるのかと、わたしはうれしかった。
スペアータイヤくらいちゃんとしたものを整備しておけ!
というひとたちより、
いちおう用意はしてあるけど、
ツルツルでほとんど役にたたない、というコンビのほうが
いっしょに仕事をしても気があいそうだ。

あるひとにとって、なにが影響をおよぼすのかは計算できない。
わたしは丸ボウズのスペアータイヤから、
肩のちからをぬいて仕事をすることをまなんだ。
あるいは、大塚氏から、
宮崎氏のそばにいてさえ仕事からのがれたがる
あそび中心の姿勢をくみとることとなった。
きっと、そうすることでした
自分のもちあじをいかせないと、はやばやとさとったのだろう。
ひとは、そのひとのもつ器の範囲内で仕事にむかうしかない。

posted by カルピス at 23:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 児童デイサービス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月03日

『トリップ』角田光代ならではの トホホな人生

『トリップ』(角田光代・光文社文庫)

角田光代の連作短編集。
連作といっても、それぞれの登場人物が
微妙にかさなっているだけで、
まえのはなしにでてきた人物が、
つぎのはなしで、かならずしも
よりふかくかたられるというわけではない。
そのかすかなかさなりが、かえって
わたしたちの生活がいかににかよっているか、
どれだけしょうもないものであるか、
でありながら生きているのもわるくないかも、
とおもわせるのが角田光代のうまいところだ。
ひどいはなしばかりよんでいるような気がするのに、
いやなかんじがしない。
だれの人生もにたりよったりでたいしたことないんだから、
おれがこんなふうにパッとしないのみしょうがないか、とおもえてくる。
小市民なりのしあわせ・2流の人間ゆえのひらきなおりとでもいおうか。

LSDの幻覚症状で、いつもぼーっとしている女性。
「自由で新しい関係」と、うまくまるめこまれて
ヒモ状態でくらしている男性。
いっしょにくらしているのに
夫との会話も、意思疎通もなく、
ただコロッケ屋の「嫁」として
店番をするだけの40歳の女性。
ふとってて、みにくくて、
35歳になってもだれも相手にしてくれず、
ハンガーのようにやせた男とおみあいをするしかない女性。
不倫のつもりが、相手の女性から子どもができたと結婚をせまられ、
あたらしくかりる家をさがしつづけるハメにおちいった男性。

それぞれうんざりする状況なのに、
それがたいしたことではなくて、
どうでもいいようにおもえてくる。
角田光代のことばえらびとリズムは絶妙で、
うまいなーと、なんどもひとりごちる。
ねる前によむことがおおく、ついよふかししてしまった。

「ねえ、そのままでいると、本当にやばいわよ?
戸越なり子はそう言った。短大のときのクラスメイトだ。(中略)
その日から数ヶ月、眠る前に戸越なり子を呪った。
男にふられろ。仕事でこけろ。友達にきらわれろ。
路頭に迷え。拒食症になれ。
しあわせという言葉から、一生遠ざかっていろ。
一日たりとも忘れずに、毎晩」

平凡なひとたちのくらしをかいていながら、
スラスラとおもしろくよませる。
角田光代のうまさ・どぎつさが遺憾なくはっきされている傑作だ。

12歳の少年が、男にだまされてうなだれている母親をまえにしておもう。

「唐突にぼくは理解した。
算数のややこしい計算式がぱっととけるみたいに。
この人におかあさんという役割は似合っていないのだ(中略)。
ぼくは突然、畳にぺたりと横座りした女の人を、
思いきり抱きしめてあげたくなる。
抱きしめて、そういうことってあるよと言ってあげたかった。
似合わないのにそこにいなくちゃいけないことって、あるよ。
ぼくだってそうだよ。
ぼくに十二歳という年齢はあってないよ。
小学校にいるぼくは場違いのきわみなんだ。
そういうことってあるよね」

おおくのひとが、にあわない場所にいる。
そういうことって、あるよね。

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2013年04月02日

『解錠師』少年の復活がすくい

『解錠師』(スティーヴ=ハミルトン・ハヤカワ文庫)

評判になっている本なので、どれどれ、というかんじでよんでみた。
たしかにおもしろいけど、こんなにながくする必要があったのだろうか。
とちゅうがなかだるみしていて、
前半のもりあがりをけしているようにかんじた。

2つの時間軸でものがたりが交互にかたられていく。
登場人物がかさなっているし、
2つの時間軸がだんだんちかづいてくるので、
とちゅうで混乱してしまった。
さいごまでよむと、こういうすすめ方をする必要があったことがわかる。
でも、わたしには複雑すぎて、ついていくのが大変だった。
集中力をきらさずに、いっきによむのが
この本をたのしむコツかもしれない。

鍵をあけるテクニックを身につけた少年のものがたりだ。
鍵が複雑になればなるほど、
どれだけそれがデリケートな行為かの、リアリティがすごい。

「まちがいない。ディスクは三枚だ。
反対にまわして、
すべてのディスクを0の位置に合わせる。
そして接触域にもどしていく。
ここからがむずかしい。
不可能に近く、不可能である部分だ」

「不可能に近」いことを少年の指先は可能にする。
ふるい鍵をあけられるようになった少年が、
だんだんとむつかしい鍵にも挑戦し、
まわりにある鍵ならぜんぶあけられるようになったころ、
事件にまきこまれる。
少年はある事件がきっかけとなり、
ことばをはなせなくなった。
ことばがはなせないからこそ、
彼は鍵に意識を集中し、コミュニケーションがとれるようになったのだろう。
しかし、金庫やぶりの名人で、
ことばがはなせないとなると、
少年のちからをかりたがるものはおおい。
はじめは同級生、つぎに無責任な大人、
そしてさいごは犯罪組織が少年の人生を
めちゃくちゃにしていった。
本書は、きずつけられた少年が、
自分の人生をとりもどしていくものがたりだ。
少年はあまりにもとおまわりをしいられてきた。
それでも、しだいに唯一の理解者である女性とこころをかよわせる。
もしそれがなければ、ずいぶんつらい562ページだけど、
とにかくさいごにはたちあがることができた。
それがすくいだ。

posted by カルピス at 23:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月01日

『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』(倉下忠憲)

『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』(倉下忠憲・C&R研究所)

倉下さんの本なので、とにかく注文する。
どうやって本をよんでいったらいいのかという、
読書法についての本だった。
どんな本をよんだらいいのかわからないなんて、
しんじられないけど、
ほんとうにそういうひとがいるのだ。
この本は、そうした読書の初心者から、
たくさん本をよんでいるものの、
あまり成果をあげられないひとにむけてかかれている。
よみたい本はわかるけど、
読書によって成果はあげられていないので、
わたしもまたこの本の対象者だ。

読書ノートのつくり方、それをエバーノートにとりこむやり方など、
ソーシャル時代という、いまでこそいかせる読書術だけでなく、
クラウドや電子書籍がなくても
参考になる技術がていねいに指南されている。

わたしが共感したのは、
線をひきながらよむ、というのと、
よみおえてから、もういちどよむ、ことだ。
線をひくのは本をよごすような気がするもので、
B4のえんぴつでザザッと線をひくことが
はじめはなかなかできなかった。
これができるようになったときは、たしかに
読書がひと皮むけた気がした。
再読は、よみおえた安心感からか、
あんがい実践しにくい技術だ。
でも、やってみると、線をひいたところにもういちど目をやることで、
本の内容がほんとうにお腹におちるのがわかる。

どちらの方法も、梅棹忠夫さんが『知的生産の技術』のなかで
紹介されている。
梅棹さんが線をひく場所は、
作者が主張したいところではなく、
その箇所に触発されて、自分がなにをひらめいたかをしるすためで、
これこそが本をよむ醍醐味だろう。
気にいったところや、その本にとって大切な箇所にいくら線をいれても
自分の思考を発展させるちからとはならない。

「本当の読書は読了後に始まる、
あるいは、読書家の道は再読から始まる、
といってもいいかもしれません」

「たくさんの本を読んでいくのは、
情報を多様化し、知識に立体感を与えるためだけでなく、
人生のパートナー本と出会える確率を
上げるためでもあります」

と再読の大切さを倉下さんは指摘している。
本でも映画でも、2回目からほんとうのおもしろさに気づく。
2回・3回とよみかえしたい本をたくさんもっているのは、
たしかに貴重な財産だ。

わたしにはピンとこない技術もあった。
倉下さんは、「新しい読書の可能性」として、
ソーシャルリーディングをあげている。
これは、ソーシャルメディアをつかって
複数の視点をえる読書ということで、
わたしはまったく魅力も興味もかんじなかった。
ソーシャルメディアがあるからといって、
なにも読書にまでもってこなくても、とおもう。
もっとも、ブログに本のことをかくのも
ソーシャルリーディングのひとつということなので、
ソーシャルリーディングの定義しだいだろうか。
読書は個人的ないとなみ、と
あまりきめつけないほうがいいかもしれない。

さまざまな技術についておしえてくれる
こういう本をよむと、
わたしの読書はみごとに消費としてしか
機能していないことをしらされる。
たとえ本書のような実用書であったとしても、
わたしにとっての読書は、
興味をもってよむことができたか・できなかったかが重要であって、
そこにかかれている技術を実践にうつして
成果をあげる気はほとんどない。
「あーおもしろかった」がわたしの読書のすべてだ。
それでいて仕事術などの実用書がすきなのだから、
いったいなにがやりたいのか自分でもわからなくなる。

本書ではほとんどふれられてなかった
電子書籍とリーダーにも興味がある。
春のいそがしい時期をくぐりぬけたごほうびとして、
キンドル・ペーパーホワイトをかう予定だ。
本をよむのはいまのところ紙の本でじゅうぶんなのに、
それでも電子書籍リーダーがほしくなるのは
健全な好奇心か、たんなる物欲か。
おもしろければいいのだ。

posted by カルピス at 23:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする