2013年04月01日

『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』(倉下忠憲)

『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』(倉下忠憲・C&R研究所)

倉下さんの本なので、とにかく注文する。
どうやって本をよんでいったらいいのかという、
読書法についての本だった。
どんな本をよんだらいいのかわからないなんて、
しんじられないけど、
ほんとうにそういうひとがいるのだ。
この本は、そうした読書の初心者から、
たくさん本をよんでいるものの、
あまり成果をあげられないひとにむけてかかれている。
よみたい本はわかるけど、
読書によって成果はあげられていないので、
わたしもまたこの本の対象者だ。

読書ノートのつくり方、それをエバーノートにとりこむやり方など、
ソーシャル時代という、いまでこそいかせる読書術だけでなく、
クラウドや電子書籍がなくても
参考になる技術がていねいに指南されている。

わたしが共感したのは、
線をひきながらよむ、というのと、
よみおえてから、もういちどよむ、ことだ。
線をひくのは本をよごすような気がするもので、
B4のえんぴつでザザッと線をひくことが
はじめはなかなかできなかった。
これができるようになったときは、たしかに
読書がひと皮むけた気がした。
再読は、よみおえた安心感からか、
あんがい実践しにくい技術だ。
でも、やってみると、線をひいたところにもういちど目をやることで、
本の内容がほんとうにお腹におちるのがわかる。

どちらの方法も、梅棹忠夫さんが『知的生産の技術』のなかで
紹介されている。
梅棹さんが線をひく場所は、
作者が主張したいところではなく、
その箇所に触発されて、自分がなにをひらめいたかをしるすためで、
これこそが本をよむ醍醐味だろう。
気にいったところや、その本にとって大切な箇所にいくら線をいれても
自分の思考を発展させるちからとはならない。

「本当の読書は読了後に始まる、
あるいは、読書家の道は再読から始まる、
といってもいいかもしれません」

「たくさんの本を読んでいくのは、
情報を多様化し、知識に立体感を与えるためだけでなく、
人生のパートナー本と出会える確率を
上げるためでもあります」

と再読の大切さを倉下さんは指摘している。
本でも映画でも、2回目からほんとうのおもしろさに気づく。
2回・3回とよみかえしたい本をたくさんもっているのは、
たしかに貴重な財産だ。

わたしにはピンとこない技術もあった。
倉下さんは、「新しい読書の可能性」として、
ソーシャルリーディングをあげている。
これは、ソーシャルメディアをつかって
複数の視点をえる読書ということで、
わたしはまったく魅力も興味もかんじなかった。
ソーシャルメディアがあるからといって、
なにも読書にまでもってこなくても、とおもう。
もっとも、ブログに本のことをかくのも
ソーシャルリーディングのひとつということなので、
ソーシャルリーディングの定義しだいだろうか。
読書は個人的ないとなみ、と
あまりきめつけないほうがいいかもしれない。

さまざまな技術についておしえてくれる
こういう本をよむと、
わたしの読書はみごとに消費としてしか
機能していないことをしらされる。
たとえ本書のような実用書であったとしても、
わたしにとっての読書は、
興味をもってよむことができたか・できなかったかが重要であって、
そこにかかれている技術を実践にうつして
成果をあげる気はほとんどない。
「あーおもしろかった」がわたしの読書のすべてだ。
それでいて仕事術などの実用書がすきなのだから、
いったいなにがやりたいのか自分でもわからなくなる。

本書ではほとんどふれられてなかった
電子書籍とリーダーにも興味がある。
春のいそがしい時期をくぐりぬけたごほうびとして、
キンドル・ペーパーホワイトをかう予定だ。
本をよむのはいまのところ紙の本でじゅうぶんなのに、
それでも電子書籍リーダーがほしくなるのは
健全な好奇心か、たんなる物欲か。
おもしろければいいのだ。

posted by カルピス at 23:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする