よみはじめた『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』
になじめなかったので、
まえからよもうとおもっていた
角田光代の『空中庭園』にとりかかることにする。
創作上のターニングポイントとなった作品と、
著者がかたっていたので気になっていた本だ。
で、『空中庭園』をとりだそうとすると、
なんまいかの付箋がすでにはってある。
ん?となって付箋のある箇所をよんでみると、
ぼんやりと記憶がよみがえってきた。
たしかにこれはすでによんでいる本だ。
そのとなりにも、タイトルにみおぼえがないのに、
やはり付箋がはってある本があり、
その『薄闇シルエット』をめくってみると、
おなじようにもうよみおえている本だった。
ねるまえに酒をのみながらよんでいたので、
そのときはたのしんでいても、
あまり記憶にのこらなかったらしい。
本の内容について、ブログにかいてないところをみると、
「よんだ」という手ごたえがあまりなかったのかもしれない。
とはいえ付箋をはるぐらいだから、
よんでいるときはそれなりに感心していたはずで、
それなのに記憶がすっかりぬけているとは、
いったいわたしの読書はなんなのだと
自分のことながらあきれてしまった。
いくらわたしの読書は消費的と
ひらきなおっているとはいえ、
つい2,3ヶ月まえによんだ本さえおぼえていないのは度がすぎる。
といいながら、きょうは4冊の本をアマゾンで注文した。
『常識を疑うことから始めよう』
『スウェーデン式アイデア・ブック』
『Amazon Kindle クリエイティブ読書術』
『ストレスフリーで効率アップ!
EVERNOTEを便利に使う48の技』
いずれも「シゴタノ!」に紹介されていたもので、
わたしが仕事術関係の本にもとめる情報は
・なんとかあたらしいアイデアをえたい、
・できるだけなめらかに情報をあつかいたい、
という2点についてのものがおおくなっている。
意欲だけは評価したいところだ。
それにしても、キンドルで本をよもうという人間が、
キンドルでの読書術について
紙の本をもとめるのはなんだか本末転倒のような気もする。
メールが普及しだしたころは、メールをおくっておいて、
「つきましたか?」と確認の電話をいれる
慎重なアナログ人間が多発したことをおもいだした。
紙の本をめくりつつキンドルの設定にとりかかる姿は
かなり「まちがって」いそうだ。
ほんとうは、そのまえにまともな記憶力を優先すべきみたいだけど、
そっちに目をむけるとかなしいことばかりになりそうなので、
『空中庭園』の件は「なかったこと」にする。