椎名誠の『哀愁の町に霧が降るのだ』のなかに、
やすくておいしいカツ丼の店「とんちゃん」がでてくる。
中年の夫婦がやっている店で、
当時としてもやすい90円(おおもりで110円)で
実力も味ももうしぶんのない
ただしいカツ丼をたべさせてくれる店だ。
あるとき、カツ丼のおおもりをたのしみに開店の11時まで我慢し、
腹をすかしてフラフラになりながら
4人の仲間で店にかけこむと、
予想してなかったことに閉店の日だった。
こういうときのショックはよくわかる。
頭もからだもカツ丼だけをうけいれる状態になっていて、
いかにおいしいカレーやハンバーグでも代役をはたさない。
別の店でカツ丼をたべるという案もだめだ。
「とんちゃん」でなければ
だれも納得できないまでおいつめられている。
逆上し、いらつきはじめた3人にたいし、
仲間のひとりが自分たちでかつ丼をつくるという
アイデアをおもいつく。
カツさえあれば、カツ丼をつくるのは
そんなにむつかしいことではない。
ほかの3人もその提案のただしさをすぐに理解し、
自分たちでのカツ丼つくりに作戦を変更したのだ。
こういうのを「ピンチはチャンス」というのだろうか。
たのしみにしていた店がやってないときに、
もうだめだ、とやけくそになるのではなく、
他の店での別メニューで気をまぎらすのでもなく、
自分たちでつくるという手があると、
まったく発想をかえたときに道がひらけてくる。
でもじつは、そうはいっても、
たとえばビールが最高においしい条件をつくっておいて、
ビールがなかった、ということになると、
いくら「ピンチはチャンス」といっても
解決はむつかしそうだ。
ピールのかわりがつとまるのはビールしかない。
こういう絶体絶命のピンチに、
サンデル教授だったらどういう解決策を用意するのだろう。
この『哀愁の町に霧が降るのだ』という本は、
克美荘という、ふるくてくらいアパートでの
共同生活をえがいた作品で、
わかく、貧乏で、無名だった
椎名誠とその仲間たちの
どこにもいき場がないトホホな生活が
めちゃくちゃなよりみちをしながら
延々とかかれている。
これから自分たちがなにものになるのか
だれもわかっていない。
でも、どこにもたどりつけないようでいて、
本のおわりではそれなりにみんな次の段階にすすむわけで、
こういうバカバカしくて無駄にみえる時間をすごせることが
わかものの特権だったのだと、おじさんになったわたしはおもう。