2013年05月15日

「正解」さがし対策には「間違う力」

すこしまえの『ほぼ日』にこんなことがのっていた。
なんだか、たくさんの人の、とても多くの時間が、
「正解」を探すことに費やされているように
思えてなりません。
いや、遠慮なく言えば、
「正解」探しばかりで人生終っちゃう人ばかりじゃない?(中略)
レストランでメニューを見ている
‥‥どれを注文するのが正解だろうか?
どう生きたいのか問われてしまった
‥‥どう生きたいのが正解だろうか?
こんなことばっかりのような気がするんです。
「正解」じゃないことを選ぶと、損? 悪? 迷惑?
「正解」病ってのが、いまの時代病のような気がする。
(『今日のダーリン』)

ほんとうに。
なんで「正解」ばかりさがしてしまうのだろう。
いちどきりの人生で、どう自分らしく生きるかが大切だと
だれもがわかっているはずなのに、
やっていることは「正解」さがしだ。

高野秀行さんの『間違う力』にも
おなじようなことがかいてある。
この本の趣旨は「間違ったほうがたのしい」というもので、
わたしはこの本がだいすきなのに、
やっていることは常識的な範囲をこえられない。
「正解」をおいもとめてばかりではつまらないとおもいながら、
自分もまたまちがいなく「正解」がだいすきな側だ。

高野さんの行動パターンを、10ヶ条のなかからいくつか紹介すると
・他人のやらないことは無意味でもやる
・長期スパンで物事を考えない
・過ぎたるは及ばざるよりずっといい
・楽をするためには努力を惜しまない

世の中なんだかんだいってもやったものがちだ。
理屈をいくらこね、論理武装しても
じっさいに行動にうつすひとにはかなわない。
「ちゃんとしてなくてもいい。気軽でもいい。
てきとうでもいい。でも今、はじめる」(高野)

高野さんのかんがえ方の根本にあるのは
「どっちがおもしろいか」であり、
そのことをつきつめてかんがえると、
「まちがったほうがおもしろい」になる。
正体のわからないことに手をだすから、
どうしてもまちがってしまうのだ。
自分がおもしろいとおもったことは、
なんでもやればいいわけであり、
それがただしいか・ただしくないかはまったく関係ない。

ちいさいころからのしつけや教育が
「正解」をもとめることを大切にしているので、
「正解」からの自由はなかなかむつかしそうだ。
高野さんの10ヶ条を座右の銘に、
「間違う力」をやしないたい。

posted by カルピス at 12:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする