2013年05月16日

英語をつかわないスピッツの曲づくりを評価する

スピッツの『チェリー』をきいていて、
ふと、この曲はカタカナをつかってないことに気づいた。
歌詞をしらべてみると、「ズル」ということばはあるが、
これはなんらかの意図によりカタカナにしたわけで、
とくにいじらなければ「ずる」でよかったところだ。
もっているベストアルバムについて、ほかの曲もみてみると、

・君が思い出になる前に 0
・空も飛べるはず (ナイフ・ゴミ)
・青い車 (シャツ)
・スパイダー (ピアノ・スパイダー・ブラウス)
・ロビンソン (レコード・エピソード・ルララ)
・涙がキラリ (コウモリ・カギ・キラリ・バレないように)
・チェリー (ズル)
・渚 プライド (ギリギリ)
・スカーレット (コーヒー)
・夢じゃない (リズム・ブランコ)
・運命の人 (バス・コンビニ・アイニージュー・ユートピア)
・冷たい頬 (シャワー・シロツメクサ・ストーリー)
・楓 (トゲ・タマシイ・ガラス)

というように、ほんのわずかしかカタカナがみられない。
そして、それらのほとんどは
日本語といっていい言葉だ(「ナイフ」「シャツ」等)。
『ロビンソン』の「ルララ」はスピッツ語であり
とくに外国語ではない。
さきほどあげた「ズル」のように、
日本語をあえてカタカナであらわすことがときどきある
(「カギ」「タマシイ」)。
『君が思い出になる前に』は、
カタカナさえ歌詞にみあたらないからみごとなものだ。
まえにのべたように、『チェリー』は「ズル」だけだ
(じゃあ「チェリー」とはなにか、なんてつっこまないように)。

まちがいない。スピッツは確信犯として、
外国語をつかわない方針でうたをつくっている。
唯一の外国語である『運命の人』の「アイニージュー」も、
「I Need You」ではなく「アイニージュー」だから、
なにかふかい意味がかくされているのかもしれない。
「アイニージュー」があまりにも人口に膾炙しているため、
スッピツのメンバーは日本語だとかんちがいしていたと
強弁することもできる。

ふるい曲だけではない。
きょうたまたまラジオのリクエストでかかった
『僕はきっと旅に出る』も、じっくりきいていると
みごとに日本語だけをえらんだ歌詞だった。
日本語だからきいてわかるかというと、
ところどころ理解できない歌詞があるのはご愛嬌だ。
とにかく、外国語をつかわないというスピッツの方針はすばらしく、
わたしはあつく支持することにした。

わたしは、外国語を勉強するのはすきだけど、
英語が世界共通語みたいにあつかわれたり、
歌詞に英語がバラバラとちりばめられた曲をきくと
おだやかでなくなる。
なにがかなしくて、日本語のうたに英語をまぜるのだ。
言語帝国主義に反抗するため、
ローマ字はヘボン式ではなく訓令式をつかうし、
(Yoshida Jun ではなく Yosida Zyun)、
日常会話のなかではできるだけ外来語をつかわない。
スプーンではなくサジで、コーンスープはとうもろこし汁。
ご飯のことをライスなんて絶対にいわない。

歌詞に英語をちりばめる心理が理解できないわたしにとって、
スピッツの曲づくりはとても新鮮だ。

posted by カルピス at 09:17 | Comment(4) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする