2013年05月17日

『ル・アーヴルの靴みがき』凛として生きるル・アーヴルの人々

『ル・アーヴルの靴みがき』(2011年フランス・アキ=カウリスマキ監督)

いい映画だった。
ただしずかに生きているようにみえる靴みがきのマルセル。
貧乏でも、人生をあきらめたりぐちったりはしない。
ホームレスあつかいをされ、
靴みがきの仕事をさげすまされても、
ちゃんとはたらいてくらしていることをほこりにおもっている。
自分が靴みがきをつづけていることについて、

「靴みがきと羊かいが、人々に最も近い職業であり、
主の山上の垂訓に従えるのは我々だけだ」

とマルセルが妻のアルレッティにかたる。
このことばにすがって生きているのか。
それとも、ほんとうにそうしんじているのか。

靴みがきで日銭をかせいでいるマルセルが、
不法入国してきた少年イドリッサを当然のようにうけいれる。
マルセルの友だちたちも、
マルセルをしんじているからマルセルのたのみを
すこしのためらいもなくききいれる。
そのひぐらしで、お金がないのに
マルセルは少年の世話をやき、
とおくの町に、彼の家族の居場所をたずねる。
妻のアルレッティは体調をくずし入院する。
マルセルはアルレッティがいないとどうにもならないのに、
おちこんだところはみせず、
それまでどおりのくらしをつづける。
マルセルは、かんたんにはひとをたよらない。
ほんとうにこまったときは、だれもがマルセルに協力する。

印象にのこるのは、アルレッティが用意した夕食を
マルセルがひとりでたべる場面だ。
アルレッティはからだが食事をうけつけなくなっている。
夕食はいかにも質素で、
マルセルはパンでお皿をきれいにぬぐい、
メインディッシュをおわらせる。
食事のおわりには、ちいさなチーズのかけら(とパン)がでてくる。
とくに会話がはずむわけではない。
はたらいたお金で妻をやしない、
食事をとることのできる生活を
マルセルは大切におもっている。
まっとうな食事とは、メインディッシュがあり、
最後にはチーズをたべるものなのだという
ささやかなきまりごとをまもるところに
マルセルとアルレッティの人生観がみえる。

マルセルは、ただ状況をうけいれるだけのひとではない。
役人にむかって自分はイドリッサの祖父の弟だといい、
「ご冗談でしょ」(黒人のイドリッサのおじが
白人のマルセルということはありえないので)
と相手にされないと
「わたしがアルビノなんです」なんて
めちゃくちゃなでまかせもいってしまう。
自分はジャーナリストで、人種差別をするなら、と役人をおどし、
どんなことをしてでもイドリッサをたすけようとする。
映画はマルセルとその友人たちの生活を淡々とえがきながら、
時間はどんどんすぎていく。
マルセルは、イドリッサをロンドンまでの船にのせることができるか。
病気のアルレッティはどうなってしまうのか。

凛として生きるとは、
この作品にでてきたようなひとたちをいうのだろう。
マルセルもアルレッティも、
パン屋のおかみさんも、バーの女主人も、
雑貨屋の主人も、密航してきた少年イドリッサも
ベトナムからきたチャングも、モネ警部も、みんなよかった。
もちろん犬のライカも。
こんなひとたちのなかでくらしたいとおおもう。
img_04.png
これくらいハッピーエンドをねがった作品はない。
さいわい、きれいに「予想」をうらぎられ、
最高のラストとなった。
みおわってしばらくいい気分にひたる。
おとぎばなし、ということばをひさしぶりにおもいだした。

カルバドスで乾杯したくなった。
ル・アーヴルの港町をおもいださせてくれるだろうか。

posted by カルピス at 09:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする