2013年05月18日

原作のほうをつよくすすめる『探偵はBARにいる』

テレビでやっていた『探偵はBARにいる』(2011年・橋本一監督)をみる。
いや、みはじめたのだが、あまりにもつまらないので、
15分ほどでやめてしまった。
大泉洋が「俺」で松田龍平が高田という配役で、
ふたりともわたしが原作からイメージしていた人物と
かけはなれている。
最後までみていないので、作品全体の感想はかけないし、
基本的にブログには肯定的なかんがえをのせたいとおもっている。
しかし、とてもおわりまでみつづける気にはなれなかったし、
これからもまずなさそうなので、
映画化された作品をくさすのではなく、
原作のよさをかいてみたい。

原作者の東直己氏は、
「ススキノ探偵シリーズ」である『半端者』のあとがきに
映画作品の『探偵はBARにいる』をみたことがきっかけで
この作品をかいた、とあかしている。
映画をみた影響で、シリーズのスタート地点となる
「俺」の学生時代をかきたくなるというのは、
キャラクターのひととなりを、
はっきりおさえておきたかったのだろうか。
『半端者』にでてくる「俺」は、
わかさゆえのおろかさをもちつつも、
大泉洋がえんじる「俺」のおもかげはまったくない
(もちろん『探偵はBARにいる』のなかにもないけど)。

このあとがきのなかで東氏は、
映画『ロング・グッドバイ』を例にあげ、
原作と映画についてかたっている。
東氏のかんがえを整理してみると、

・映画『探偵はBARにいる』のできについてひとこともかいていない
・「小説と映画は全く別のもの」とかんがえる
・映画の『ロング・グッドバイ』はマーロウファンに評判がわるいが、
 しかし傑作である。
・おなじチャンドラーの作品である『さらば愛しき女よ』は
 「時代背景を丁寧に描き、プロットもほぼ原作通りであっても、
 映画としては『ロング・グッドバイ』に遠く及ばない」
・「ミステリを原作にして作られた映画には、
 傑作は意外に少ない。
 (『ロング・グッドバイ』は「原作と拮抗するか
  場合によっては原作を乗り越えている」稀な作品である)

こうしてチャンドラーの作品を例にあげることにより、
直接の評価はさしひかえながら、
そしてミステリの映画化はむつかしいとみとめながら、
『探偵はBARにいる』についての
残念なおもいがにじみでている。
原作者としては「小説と映画は全く別のもの」
というほかにないのだろう。
原作のファンのわたしにとっては、
旧作のルパンと新ルパンくらい、そのちがいはおおきい。

「ススキノ探偵シリーズ」は、
ハードボイルド特有のへらず口
(ワイズクラックというのだそうだ)に特徴がある。
日本人がやると、自然な会話になりにくいのかもしれない。
あたりはずれがなく、どの本も
気のきいたセリフがあちこちにちりばめられていて、
小市民のわたしがハードボイルドの世界にここちよくひたれる。

仲間でないひとにせっするとき、
「俺」はすごくていねいにはなす。
のみ屋のマスターやタクシーの運転手にたいして、
「○○をおねがいします」
というのが基本的な「俺」の態度だ。
これは『半端者』のころから『旧友は春に帰る』まで
かわることがない。
「俺」が世間とのあいだにとる距離感であり、
主人公のひととなりをかたるときに
重要な要素となっている。

映画作品のほうは『探偵はBARにいる2』が公開されているから
1作目はわるくない興行成績だったのだろう。
この作品については、原作をよまないことが、
映画作品をたのしむコツなのかもしれない。
映画がおもしろいとおもったひとには、
ぜひ原作のほうもよんでいただきたい。

posted by カルピス at 16:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする