2013年05月24日

『夜をゆく飛行機』かわらなさそうで決定的にかわっていく家族。でもほんとうは結局かわらない

『夜をゆく飛行機』(角田光代・中公文庫)

ふるくからの商店街で酒屋をいとなむ両親と、
4姉妹のものがたり。
毎日おなじようなことをくりかえし、
変化なんかなさそうな生活なのに、
すこしずつなにかがかわっており、
もうあとにはもどれないことにだれもが気づく。
でも、生活にゴールはないので、
形をかえながらもいつまでもつづいていく。
その「かわらなさ」と、かわらなさそうで
ある地点でじつは決定的にかわってしまっているのを
角田さんはかくのがとてもうまい。

4女の理々子は2階の縁側にあるベンチにすわり
ひとりでよく空をながめる。
生まれなかった弟のぴょん吉とはなしをかわす。

急死したおばのミハルちゃんと、
流産で生まれなかった弟のぴょん吉が、
ものがたりにしょっちゅう顔をだす。
ふたりは死後と現世の「中間みたいな場所」にいて、
理々子は「私は去年まで、そんな場所に、
実際にいたのかもしれない」とおもう。
「なんとなくなつかしくなって戻ろうとしても、
けれどもう、戻れない」

長女の有子は高校のとき「的場のヤロー」とかけおちするし、
三女の寿子は家族のことをそのまま小説にかいてしまうし、
次女の素子は自分のことばっかりかんがえているし、
理々子はいつまでも夢みる少女だ。
基本的にみんなおもったことをすきかってにやっている。
おたがいにわがままなことをいいはなっているけど、
そのやすっぽさ、気らくさが家族のよさにおもえてくる。
「的場のヤロー」にさえも愛着をかんじるようになる。

角田さんはこの作品をたのしんでかいたのだとおもう。
高校生で、やがて受験に失敗し、予備校生になり、
バイトさきの男をすきになり、でも相手にされず、
さいごのページでも縁側のベンチで空をみている理々子がすごくかわいい。

近所にすむ大学生の松本健が理々子にプレゼントをもってくる。

松本健はちいさな堤を差しだした。
黄色いリボンがかけられている。
松本健を見ると、照れくさそうに笑い、
「合格祝い」という。
「どこの大学か教えてくれなかったけど、
きっと受かってるだろうと思って、買っといたんだ」
「落ちた」松本健の手のなかにある堤を見おろして私は言った。
「えっ?」
「全部落ちた」
「えっ」
松本健は私と紙包みのあいだであわただしく視線を動かし、
「卒業祝い!」と素っ頓狂な大声で言った。
「卒業祝い、って言おうと思ってたんだった」
耳が赤くなっている。
「落第決定。留年すんの」すこし愉快な気持ちになって
私はそう言ってみた。
「えっ」松本健は絶句する。
髪のあいだからのぞく耳はさらに赤くなる。
「ごめん、嘘」ふきだしてしまう。
なんだか松本健が救世主に思えた。

文学賞にまつわるはなしもおもしろい。
受賞をめぐる作家の心理や関係者のうごきなど、
この世界に身をおく角田さんには
どうにでも料理できるなれしたしんだ世界なのだろう。

「このような小説が受賞作品となるのは大変残念なことだ。
目新しさがなく、魅力にも乏しい。
『私』から見える、安っぽく奥行きのない世界を
だらだらと書いてあるだけ。
私の目線をたどりその狭苦しい世界を描き出すことを私小説だと
勘違いしているのではないか。
私にはただただ退屈な、小学生の作文である。
あるいはそれ以下である」

いかにもありそうな批評であるとともに、
角田さんがおもしろがって
わるぐちをつらねたようでもあるし、
谷島家のいとなみそのものともいえる。
そして、家族とは、生活とは、
ほんらいそういう「安っぽく奥行きのない世界」を
だらだらとつづけることかもしれない。

もっともらしいことはいくらでもいえそうな本だけど、
「あーおもしろかった」でじゅうぶだともいえる。
角田さんがつくりだすものがたりの魅力が
とてもよくあらわれている作品だ。
表紙には、縁側のベンチにすわり、
空をながめている理々子がえがかれている。
作品の世界をかんじさせるすてきな表紙だ。
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posted by カルピス at 11:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 角田光代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする