やらなければならない仕事をずっとほったらかしていて、
いよいよ腰をあげなければ間にあわなくなる。
なにがじゃまをして、むかう気になれなかったのかわからない。
机にフォルダーをだしていながらとりかかれなかった。
無意識ながら、なにか理由があるのだろう。
どうやったら腰をあげられるか。
こういうときに、毎日やっている日課があるととりかかりやすい。
わたしの場合は家で床そうじの担当になっているので、
毎日棒ぞうきんをかけ、チリをあつめる。
ネコがいるせいで、冗談みたいにほこりがたまるので、
毎日やらないわけにいかないのだ。
床そうじは、そんなにハードルはたかくないけれど、
ほんとうは、できればやらずにすませたい。
でも、とりくまなければならない仕事にくらべれば、
まだそっちのほうがとりかかりやすいので、
仕事よりもそうじににげる、というかんじでそうじをはじめる。
そのうちに脳がめざめてきて、
なんとなく仕事にむかう気もちになっている。
たかすぎず、ひくすぎずのハードル、というのがミソなのだろう。
車はキーをひねればエンジンがかかる。
しかし、人間のからだはそうかんたんにはうごきだしてくれない。
キーをひねるまえの準備があったほうがうまくいきやすい。
むかしのディーゼルエンジンには、
グロープラグというのがついていた。
このプラグでまえもってピストン内をあたためて、
点火しやすい状態をつくるためだ。
グロープラグをひねったまま何秒かたもち、
そのあとでイグニッションキーをひねるというやり方だった。
人間はつくえにむかったからといって、
とくにひとりの場合は、すぐに仕事にとりかかれるわけではない。
ついだらだらとネットをチェックしたりする。
そんなときに、なにがしかの日課を「儀式」としてすませ、
脳をめざめさせてから本来やるべき仕事にむかうと
意外とスムーズにすすみやすい。
その儀式がグロープラグみたいだとおもった。
日課となっているおなじみの活動をすることで、
脳を仕事仕様にもっていく。
日課をもつことで、スタートをきりやすくなり、
生活にリズムができる。
ピピにくる子どもたちのスケジュールに、
自立課題をとりいれているのは、
「できた」という自信をもってもらうためだけではなく、
こうした活動をもっていたほうが生活しやすいからだ。
毎日おなじことをくりかえす日課は、
たいくつでかっこわるいことではなく、
もういちだんたかいハードルにむかうための
助走としての役割もはたしている。