2013年06月25日

グロープラグみたいな日課の役割

やらなければならない仕事をずっとほったらかしていて、
いよいよ腰をあげなければ間にあわなくなる。
なにがじゃまをして、むかう気になれなかったのかわからない。
机にフォルダーをだしていながらとりかかれなかった。
無意識ながら、なにか理由があるのだろう。

どうやったら腰をあげられるか。
こういうときに、毎日やっている日課があるととりかかりやすい。
わたしの場合は家で床そうじの担当になっているので、
毎日棒ぞうきんをかけ、チリをあつめる。
ネコがいるせいで、冗談みたいにほこりがたまるので、
毎日やらないわけにいかないのだ。

床そうじは、そんなにハードルはたかくないけれど、
ほんとうは、できればやらずにすませたい。
でも、とりくまなければならない仕事にくらべれば、
まだそっちのほうがとりかかりやすいので、
仕事よりもそうじににげる、というかんじでそうじをはじめる。
そのうちに脳がめざめてきて、
なんとなく仕事にむかう気もちになっている。
たかすぎず、ひくすぎずのハードル、というのがミソなのだろう。

車はキーをひねればエンジンがかかる。
しかし、人間のからだはそうかんたんにはうごきだしてくれない。
キーをひねるまえの準備があったほうがうまくいきやすい。
むかしのディーゼルエンジンには、
グロープラグというのがついていた。
このプラグでまえもってピストン内をあたためて、
点火しやすい状態をつくるためだ。
グロープラグをひねったまま何秒かたもち、
そのあとでイグニッションキーをひねるというやり方だった。

人間はつくえにむかったからといって、
とくにひとりの場合は、すぐに仕事にとりかかれるわけではない。
ついだらだらとネットをチェックしたりする。
そんなときに、なにがしかの日課を「儀式」としてすませ、
脳をめざめさせてから本来やるべき仕事にむかうと
意外とスムーズにすすみやすい。
その儀式がグロープラグみたいだとおもった。
日課となっているおなじみの活動をすることで、
脳を仕事仕様にもっていく。

日課をもつことで、スタートをきりやすくなり、
生活にリズムができる。
ピピにくる子どもたちのスケジュールに、
自立課題をとりいれているのは、
「できた」という自信をもってもらうためだけではなく、
こうした活動をもっていたほうが生活しやすいからだ。
毎日おなじことをくりかえす日課は、
たいくつでかっこわるいことではなく、
もういちだんたかいハードルにむかうための
助走としての役割もはたしている。

posted by カルピス at 19:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする