2013年07月04日

浜田には、石見神楽があります

研修会に参加したとき、
浜田からこられている方に神楽のはなしをきいた。
島根は神楽がさかんなところで、地域によっていくつかのながれがある。
出雲地方にも、ヤマタノオロチがでてくる神楽があり、
いろいろなもよおしで上演されているのをみたことがある。
ゆったりしたおどりがくりかえされて、
それらのうごきがなにを意味しているのかわたしにはわかりにくく、
たいくつな伝統芸能という印象がつよい。

浜田の神楽、つまり石見神楽は、
しかし出雲のものとはずいぶんちがうようだ。
石見神楽は8ビートのテンポで、
はやいリズムにのってどんどんはなしがすすんでいくという。
観光用ではなく、完全に地元のひとたちがたのしむためのおどりで、
浜田だけでもいくつもの社中があるそうだ。
結婚式にはかならず神楽がよばれるとか、
ディナーショーでの神楽とか、夜にやる夜神楽とか、
神楽が生活に完全に根づいていることがうかがえる。
町内ごとに特色のある社中があるそうで、
人気のある社中にはわかい女の子の「おっかけ」もいて、
チケットがすぐにうりきれることもあるという。
きいていて、まるでバリ島のチャゲダンスだとおもった。
チャゲダンスは、観光客むけという面もあるとはいえ、
地元のひとたちが自分たちの生活にかかせないおどりとして位置づけている。

石見神楽は外国でも名がしられており、
ハワイやオーストラリアの公演にもよばれたことがあるそうだ。
神楽をはじめて目にした方から
熱狂的な感想をつたえられるという。
いろいろなイベントをみなれたひとがおどろくのだから、
世界のひとがみとめるほんものの迫力があるのだろう。
あまりパッとした観光名所がなく、
地味なイメージのつよかった浜田だったけど、
そんな神楽こそものすごい観光資源なのではないか。
パワースポットとか、なんとか広場とか、
とってつけたような「観光名所」ではなく、
すんでいるひとがすきでたまらないという神楽のほうが
よっぽど世界にうったえるちからをもっていそうだ。
地方色がつよまると、だんだんと国際性をもつという
いい例かもしれない。
後継者がおらず、ただ保存するだけで精一杯なのではなく、
地元のひとが自分たちのおどりをすきでたまらず、
子どものころから日常的にふれているという
生きた文化であることがすごくかっこいい。
つたえられたおどりをそのままえんじるのではなく、
あたらしいながれもとりいれて、
どんどん神楽がかわっていくという。

神楽だけではなく、
浜田はサーフィンとしても有名な場所なのだそうだ。
県外からもたくさんのサーファーがやってきており、
浜田にすみながらサーフィンをやってないというと、
しんじられないという目でみられました、とはなされる。

浜田って、あんまり観光ではしられてないですね、
なんて失礼なことをいってしまったが、
松江のほうがよほどマンネリ化した観光資源に
しがみついているみたいだ。
観光地をめざしたわけではないのに、
すきなことをやってたらまわりがみとめてくれた、というのが
インターネットによるあたらしい世界システムのはなしをきいているみたいで、
浜田における石見神楽の存在がとても現代的なものにおもえた。

posted by カルピス at 18:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする