高校にかよっているむすこが「はき気がする」といって
先週末から学校にいったりいかなかったりしている。
今朝は配偶者が車で学校へおくったようだ。
何週間かまえにもはき気をうったえてやすんだことがあり、
体調がよくないのもたしかなようで、
家での食事もあまり量をたべなくなっている。
ただ、体調ばかりではなく、原因はよくわからないが、
学校にいきにくくなってもいるようにみえる。
こういうときに父親はどういう態度をとるべきだろう。
以前の職場で、ある保護者の方と
父親の存在意義みたいなことをはなしたときに、
「自分はたいしたことをしてやれないが、
いざというときにちからになってやれる存在でいたい」といわれた。
「いざというとき」とは、不登校やひきこもりになったときに、
精神的な支柱となりたい、という意味だったとおもう。
わたしも意識としてはまったくおなじことをかんがえており、
世の父親が共通してもっている役割像についておもしろいとおもった。
その方はわたしとちがい社会的にもりっぱな仕事をされておられ、
大人とはこういうひとのことをいうのだ、みたいな人格者だ。
そういう方でも「いざというとき」の存在として
自分をとられておられるとは。
むすこが学校にいかなくなれば、
もちろんその理由をしりたいとはおもうものの、
基本的にはしょうがないこととしてとうけとめるだろう。
ずっと家にこもられて、TVゲームに熱中されてもこまるので、
あまり家のいごこちをよくしないようにして、しばらくようすをみる。
いっしょに旅行へいくしかないか、
なんていって、外国へつれだすかもしれない。
ゲストハウスにとまり、ディープな滞在ができれば
なにがしかのインパクトをあたえるのではないか。
自分の旅行への欲とからめてかんがえるのが
わたしの調子のいいところで、
旅行につれだす役は、父親でないほうがいいとおもいつつ、
できれば自分もいっしょにまわりたい。
世界のひろさをわかいうちに体験するのも大切な勉強だ。
わたしには、それぐらいのことしかできないと
ずっとまえから「覚悟」していた。
いよいよその出番がきたのだろうか。
すこしまえから「パソコンがほしい」とむすこがいっており、
パソコンがほしいくらい欲望があるのなら、
そうたいして精神的なおちこみは心配しなくてもいいかもしれない。
「パソコンがほしい」といわれ、
すぐにかってやるなんておもしろくないので、
パソコンをかったらどんなことをしてくれるか
プレゼンテーションをするようにつたえている。
彼はすでにスマホをもっており、ネットにいつでもつながっているし、
パソコンはわたしがつかっているiMacを
べつのアカウントではいれるようにしてある。
パソコンがどうしても必要な状況ではないわけで、
それなのになぜまたパソコンなのか。
説得力のあるプレゼンと、パソコンの購入にともなって
我が家にむすこがどういう貢献をしてくれるのかをしりたいとおもう。
ひごろ父親らしいことはなにもしないでおいて、
とかきながら、それでは「父親らしいこと」とはなんだろう、ともおもう。
いまさらしつけや道徳についてはなしをするわけにはいかないし、
いっしょに体力づくりにはげむのもへんだ。
自分がどういう生きかたをしているのかをみせるしか
わたしにできることはない。
テキトーでしょぼいわたしのスタイルを
どう判断するかはむすこしだいだ。
これからげんきをとりもどして
学校にいけるようになるだろうか。
なにかもっとつまづきがでるのだろうか。
いざとなったら、カオサンのゲストハウスくらいにはつれていこう。