2年まえのいまごろは仕事をやめた直後で、
失業保険の手つづきをしながら家でぶらぶらしていた。
いったい毎日なにをしていたんだろうと、
当時の日記をよみかえしてみた。
事務の仕事だけはうけおいの形でつづけており、
ときどきまえの職場に顔をだしながら、
ほぼ毎日のトレーニングと、コパアメリカを中心にしたサッカー、
映画もときどきと、すごく充実したようすが
しるされている。
基本的にいそがしそうな毎日だ。
仕事をやめたとき、どこにも所属していないこころもとなさと、
これからどうするのかという「あせり」がわいてきて、
おちつかない精神状態になるといわれている。
わたしの場合は、まえの職場と完全にきれていたわけではないので、
さみしい気もちにはならなかったし、
配偶者が常勤職員としてはたらいているので、
いざとなったら扶養してもらうというにげ道があった。
そんなのがあるからいつまでもハンパなことしかできないのだろう。
でも、そういう人生でもいい、というひらきなおりがわたしにはあった。
2年前の日記をよみかえしてみると、
われながらよく運動をし、よくあそんでいる。
主夫でもあるから夕ごはんも毎日つくっている。
こんな毎日がつづいたら、という
うらやましくなるような生活を、
わたしは2年前にさきどりしてすごしていたのだ。
そして、それはたしかに「しあわせ」な生活だったようにおもう。
日記をよみかえさないかぎり、なにをしていたのか
いまではほとんどおぼえていない。
なにか柱になるものがないと、
どこまでもダラダラしてしまい、リズムがつくりにくいので、
あえて毎日の運動をとりいていたような気もする。
とにかくこれはわたしが理想とする生活だ。
8月の下旬には、被災地へのボランティアにでかけたし、
9月にはアンコール遺跡群とベトナムへの旅行にいっている。
そんな生活をおよそ1年間おくったときに、
いまの仕事(放課後等デイサービス)を
いっしょにはじめないかと声をかけられた。
完全な失業者としての期間は、
だから1年しかつづかなかったことになる。
あのまま主夫をしていたら、いまごろどうなっていただろう。
なにか仕事をはじめたくなっていたのか、
ズルズルと居心地のよさにひたってぬけだせなくなっていたのか
興味ぶかいところだ。
なんだかんだいいながら、そうした生活を手ばなしてしまったのだから、
あたらしいうごきをはじめたい気になっていたのだろう。
村上春樹の小説なら第2章にさしかかり、
いつのまにか事件にまきこまれていくところだけど、
わたしの平凡な人生にはそんなおおきな変化はおとずれない。
人生というのは、かわりそうでいて、
あんがいかわらないもので、
かえようとする意思がなければ「ながい休暇」でおわってしまう。
まっているだけであたらしい展開がはじまるのは
本や映画のはなしくらいだろう。
それでもいい、とわたしはおもってるけど。