2013年07月31日

『ロードムービー』(辻村深月) トシとワタルはなぜ家出をしなければならなかったか

『ロードムービー』(辻村深月・講談社文庫)

小学校5年生のトシとワタルは2人で家出の旅にでる。
理由ははじめあかされない。
よみすすめるうちに、クラスのリーダー格、アカリに
ワタルがきらわれており、
そのアキラとなかよくするトシも、
クラスのいじめにまきこまれていることがわかってくる。
だんだんと自分のたちばがあやうくなっていく過程が、
学級委員長と生徒会長という2つの選挙をつうじてえがかれる。
学級委員長選までは、まさか自分が
そんなにクラスで相手にされていないなんておもいもしない。
それが、得票はトシ自身とワタルがいれた2票だけで、
あとはぜんぶアカリにとられてしまった。

「自分のクラスにこんないじめめいた
嫌がらせが存在するということに対する驚きもだけど、
その標的が他ならぬトシだということに対する驚きも
多分に含まれている」

2人はある理由からどうしても家出をしなければならなかった。
家出は生徒会長選のあとにおこなわれており、
選挙の結果はあきらかにされていない。
家出さきからトシは家に電話をかける。
目的は1千万円を要求することだ。

「払わないと、あんたの子どもはずっと家に帰ってこない。
安全の保障はでいないよ」

最後にアッとおどろく結末がかくされているが、
おどろきがあるだけで、とくに必要な設定ではない。
ラストまでひっぱってご苦労様だけど、
「やられた」という爽快感よりも
そんなことをしてまで意表をつきたいか、
とちょっと興ざめがした。
トシはトシでよかったとわたしはおもう。

「ロードムービー」というジャンルがわたしはすきで、
そのなかでも家出がからんでくるとますます身につまされる。
切実に打開策をねり、自分のちからでなんとかやっていこうとした場合、
子どもだと、どうしても家出という形になってしまうのだろう。
小学生には小学生なりの、そして中学生にはまたそれなりの家出があり、
トシとワタルは小学生のリアリティのなかで
よくたたかったといえる。

『ロードムービー』はこの表題作のほか
4編がおさめられており、どれもそれぞれよませる。
『トーキョー語り』では、中学校でのいじめがでてきて、
それまでクラスで地味な存在だった遠山さんという女の子が
かっこよく解決にのりだしてくる。
百人一首でクラスのボスを
圧倒的にまかしたときのすてゼリフがきまっていた。

「こういう遊びの時にはねー。
『自分が本当に気に入ってる歌を一つか二つ取って、
あとは黙ってスルーしておくべきよ。
中途半端な丸暗記じゃなくて、本当に好きなら』」

ここからは別の本についてのやつあたりとなる。

「新潮文庫の100冊」にえらばれた本をなんにちかまえによみはじめた。
新潮社の企画というよりも、ラジオの番組で書店につとめるひとが
おもしろそうに紹介していたのが記憶にのこった。
その作家はこれまでも話題作をいくつもかいているし
(まだよんだことがないけど)、
そんなにおもしろいというなら、とたのしみによみはじめると・・・
いつまでたってもはなしにひきこまれない。
そのうちおもしろくなるだろう、と我慢してページをめくるが、
84ページまできたところでとうとうなげだしてしまった。
これをおもしろいとおもってかく作家と、
それをおもしろいとおもってよむ読者は、
わたしには縁のない世界のひとだ。
男性作家・女性作家という区別はしたくないけれど、
ますます男はだめだなーといいたくなる一冊。
そんな本を「100冊」にえらぶなんて
新潮社にはどんな意図があったのだろう。
わたしはこの本の失敗によって、
当分は(かなりながい期間になるだろう)この作者の本に
手をださないだろう。
「100冊」をえらぶ出版社は、
ながきにわたるつよい影響をしっかりと自覚し、
本当にすぐれた本を100冊おしえていただきたい。
とりあえずわかい読者をふやしそうだから、という
その場しのぎの選択はあまりにもキケンだ。
くちなおしに角田光代の未読本をひっぱりだした。

posted by カルピス at 23:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする