ラジオで「子ども電話相談室」をきいていたら、
セミの幼虫はなにをたべているの?、という質問があった。
質問にこたえるなかで回答者の先生は、
「幼虫は土のなかで一生懸命に木の根っこをさがします」
というふうな説明をされていた。
この「一生懸命」に違和感があった。
こういうときの幼虫のうごきを
「一生懸命」という表現でくくっていいのか。
いっぽうで、一生懸命でないとはいいきれない、ともおもう。
一生懸命とはなにか。
わたしはミジンコがうごくようすをみても、
一生懸命まえにすすもうとしている、とはいわない。
これが、ライオンのお母さんがなんどかの失敗をくりかえしながら
獲物をねらい、子どもたちにたべさせようとするのをみたら、
「一生懸命」といいたくなるような気がする。
「一生懸命」には知性が必要なのか。
一生懸命は、情緒にうったえようとしていることばではないか。
生物が生きのびようとして、本能的にからだをうごかすようすを、
人間からみたときに、自分の理解の範囲におさまれば「一生懸命」となる。
ミジンコがすすもうとするのも、ライオンが獲物をかるのも、
どちらも彼らが生きるためにしていることであり、
優劣はないはずなのに、人間の生活様式にちかければ
わたしたちはそこに「けなげさ」をかんじとる、
という説明ではどうだろうか。
セミの幼虫に「一生懸命」さをみた先生は、
昆虫への特殊な愛がそういわせたのであり、
あまり一般的な表現ではない、といえる。
一生懸命ねむる、とか、
一生懸命にセックスをする、とはふつういわないので、
生理的欲求、とくに生々しい欲望とむすびつく場合は
「一生懸命」となじみにくい。
論理的に思考をくみたてることを、
一生懸命かんがえて、とはいわないので、
頭をつかい、戦略的に要求をとおそうとするときにも
につかわしくない。
小学生は「一生懸命」かんがえるけど、
大学の先生が「一生懸命」かんがえるのはなにかへんだから。
一生懸命は、上から目線の、偏見にみちたことばだ。
さきほどあげた、情緒にうったえる、という意味からは、
子ども・動物・不治の病、という
いわゆる「なかせる」題材は、
一生懸命と相性がよさそうだ。
一生懸命ということばをつかいたくなるときには、
論理的に説明しようとするのではなく、
情緒的に、ムードでまるめこもうとする場合がおおいのかもしれない。
「一生懸命」は、かなり用心してつかったほうがいい。
番組での、セミの幼虫についての説明はまださきがあり、
先生は、「土のなかにはモグラなんかもいて、もうたいへんなんです」
ともいわれた。
モグラにたべられてはたしかに「たいへん」だけど、
セミの幼虫は「たいへん」とおもって
モグラからにげようとしてはいないだろう。
「たいへん」とはなにか。
セミの一生には、かんがえさせられることがたくさんある。
2013年08月31日
2013年08月30日
島根県の認知度アップと、鷹の爪の功績について
きのうの朝日新聞島根版で、
島根県の観光認知度がたかまっているとつたえている。
首都圏の住民を対象に「行きたい都道府県」をたずねたところ、
10人に1人が上位5位に島根県をあげたそうだ。
「過去1年で島根に関する情報や広告を見聞きした割合」は
51.2%と、前回の調査(2004年)の26%から
おおはばにふえている。
「観光振興課は『出雲大社の平成の大遷宮の
効果がおおきいのではないか』」
とみているそうだ。
この記事は、なぜ鷹の爪について
ひとこともふれないのだろう。
だれがどうみても、
しまねスーパー大使の吉田くんならびに
鷹の爪団の功績にきまっているのに。
吉田くんが「しまねスーバー大使」に就任して以来、
「47都道府県中、もっともどこにあるのか分からない県」
の知名度を、
たった5年でここまでたかめたのだから、
いい仕事をしたというべきか、
やりすぎたというべきか。
やりすぎ、というのはことばのアヤではない。
知名度のひくさを自虐的に自慢できなくなるからで、
今回の調査のように、「行きたい都道府県」の
上位に名前があがるのはいたしかゆしだろう
(それはそれで、またべつのネタにするのだろうけど)。
島根県をじっさいにおとずれたひとも
前年比で169万人(6.2%)もふえたというから
鷹の爪効果は絶大というしかない。
もうひとつ、鷹の爪の先見性をしめすデーターがある。
このごろ「3Dプリンター」というのがやたら耳にはいるようになり、
いったいなんのことかとおもっていたら、
「コンピューターに設計データを入力すれば、
3次元(3D)立体物がつくれる機械」
というから、
これはまさにレオナルド博士がときどきつくる
「怪人製造マシン」のことだった。
博士は、たとえば机と生きた男性から「怪人タンス男」を
簡単につくりだしてしまう。
みかけはゴテゴテしてるものの、
その機能は「3Dプリンター」の進歩形にまちがいない。
もうなんねんもまえから、あって当然の機械として
鷹の爪は「3Dプリンター」を映像としてみせていたという事実に
わたしたちはもっとおどろくべきだろう。
いまはまだ「島根といえば出雲大社」かもしれないけど、
もうじきそれが鷹の爪だったり吉田くんとなっていくにちがいない。
「県観光 首都圏で人気」という朝日新聞の記事は、
鷹の爪をあえて無視したことで
かえって鷹の爪の存在感をしめすことになった。
新作の『鷹の爪GO』の公開とともに、
次回の調査が鷹の爪をどう評価するのかたのしみにしている。
島根県の観光認知度がたかまっているとつたえている。
首都圏の住民を対象に「行きたい都道府県」をたずねたところ、
10人に1人が上位5位に島根県をあげたそうだ。
「過去1年で島根に関する情報や広告を見聞きした割合」は
51.2%と、前回の調査(2004年)の26%から
おおはばにふえている。
「観光振興課は『出雲大社の平成の大遷宮の
効果がおおきいのではないか』」
とみているそうだ。
この記事は、なぜ鷹の爪について
ひとこともふれないのだろう。
だれがどうみても、
しまねスーパー大使の吉田くんならびに
鷹の爪団の功績にきまっているのに。
吉田くんが「しまねスーバー大使」に就任して以来、
「47都道府県中、もっともどこにあるのか分からない県」
の知名度を、
たった5年でここまでたかめたのだから、
いい仕事をしたというべきか、
やりすぎたというべきか。
やりすぎ、というのはことばのアヤではない。
知名度のひくさを自虐的に自慢できなくなるからで、
今回の調査のように、「行きたい都道府県」の
上位に名前があがるのはいたしかゆしだろう
(それはそれで、またべつのネタにするのだろうけど)。
島根県をじっさいにおとずれたひとも
前年比で169万人(6.2%)もふえたというから
鷹の爪効果は絶大というしかない。
もうひとつ、鷹の爪の先見性をしめすデーターがある。
このごろ「3Dプリンター」というのがやたら耳にはいるようになり、
いったいなんのことかとおもっていたら、
「コンピューターに設計データを入力すれば、
3次元(3D)立体物がつくれる機械」
というから、
これはまさにレオナルド博士がときどきつくる
「怪人製造マシン」のことだった。
博士は、たとえば机と生きた男性から「怪人タンス男」を
簡単につくりだしてしまう。
みかけはゴテゴテしてるものの、
その機能は「3Dプリンター」の進歩形にまちがいない。
もうなんねんもまえから、あって当然の機械として
鷹の爪は「3Dプリンター」を映像としてみせていたという事実に
わたしたちはもっとおどろくべきだろう。
いまはまだ「島根といえば出雲大社」かもしれないけど、
もうじきそれが鷹の爪だったり吉田くんとなっていくにちがいない。
「県観光 首都圏で人気」という朝日新聞の記事は、
鷹の爪をあえて無視したことで
かえって鷹の爪の存在感をしめすことになった。
新作の『鷹の爪GO』の公開とともに、
次回の調査が鷹の爪をどう評価するのかたのしみにしている。
2013年08月29日
アルディージャの連敗がとまらない 成績よりも大切にしたこと
すこしまえのブログに、大宮アルディージャの
ベルデニック前監督が交代させられたことをかいた。
今回はそのつづき。
きのうの川崎フロンターレ戦でアルディージャは1-2とまけ、
連敗が8にのびる。
クラブワースト記録だという。
次節が好調な横浜F・マリノス(現在首位)というくみあわせは、
アルディージャにとって不運としかいいようがない。
これまでにつみあげてきた勝ち点36がへることはないので、
例年おなじみの残留あらそいをもりあげることは
さすがになさそうだ。
しかし、いちど方向性をうしなったクラブが、
負のサイクルにおちいってなかなかたちなおれないのは、
これまでにもおおくの例がある。
8連敗中のチーム状況が、このさきどんな形で収束するかは
まだだれもわからない。
ベルデニック氏は、昨シーズンの6月にアルディージャの監督に就任し、
下位に低迷するチームを降格圏からすくい、
今シーズンにはいっても好調を維持して
J1の連続無敗記録を21までのばした。
そして首位にもたっていたチームをひっぱってきたこの監督を
クラブは解任したのだ。
8月24日づけの朝日新聞によると、
「7月中旬の連敗が始まる前に解任の方向性は固まった。
首位にいて表向きの解任理由を探しあぐねたところでの5連敗、4位転落」
というからおだやかではない。
首位にたちながら交代させられるというのは、
クラブ側はそれだけのリスクをおかしても
このままベルデニック体制をつづけるよりまし、
と判断したことになる。
残留あらそいの常連であったチームからすると、
まったくもってわるくない成績をおさめていたのに、
それよりも将来をみすえて、一体感のあるチームを
クラブ側はもとめたのだから、現実は複雑だ。
つよいチームをつくりながら
選手やコーチを掌握できなかった監督がわるいのか、
それなりの成績をあげた監督をおいだした選手たちがわるいのか。
たしかに信頼関係のない監督のもとで
ワードワークをする気にはならないだろう。
とはいえ、そういう監督をひっぱってきたのだから
いまの状況がおこるのは、わかりきったことだった、といえる。
アルディージャというクラブにとって、残留あらそいよりも、
一体感のないチーム状態のほうがもっと問題だったわけだ。
長期的なクラブのありかたをみすえたとき、
今シーズンをいい成績でおえるよりも、
いまのうちベルデニック体制をたちきったほうが
クラブのため、というのだから
ベルデニック前監督とクラブとの関係は地におちていた。
このままベルデニック監督にチームをまかせて
優勝あらそいにくわわるよりも、
完全に一体感をなくしてしまうまえに
監督交代はやむなし、という判断をしたのだ。
一体感が不可欠な条件ということは、
アルディージャだけでなく、おおくのクラブに共通するだろう。
かつことはもちろん大切だけど、
しかしかてばいいというものでもなかったわけだ。
アルディージャは成績よりもチームの和を重視したクラブとして
Jリーグの歴史に名をのこすかもしれない。
あるいは、チームの和こそJリーグがいちばん重視し、
日本サッカーの中核となる精神なのかもしれない。
ベルデニック前監督が交代させられたことをかいた。
今回はそのつづき。
きのうの川崎フロンターレ戦でアルディージャは1-2とまけ、
連敗が8にのびる。
クラブワースト記録だという。
次節が好調な横浜F・マリノス(現在首位)というくみあわせは、
アルディージャにとって不運としかいいようがない。
これまでにつみあげてきた勝ち点36がへることはないので、
例年おなじみの残留あらそいをもりあげることは
さすがになさそうだ。
しかし、いちど方向性をうしなったクラブが、
負のサイクルにおちいってなかなかたちなおれないのは、
これまでにもおおくの例がある。
8連敗中のチーム状況が、このさきどんな形で収束するかは
まだだれもわからない。
ベルデニック氏は、昨シーズンの6月にアルディージャの監督に就任し、
下位に低迷するチームを降格圏からすくい、
今シーズンにはいっても好調を維持して
J1の連続無敗記録を21までのばした。
そして首位にもたっていたチームをひっぱってきたこの監督を
クラブは解任したのだ。
8月24日づけの朝日新聞によると、
「7月中旬の連敗が始まる前に解任の方向性は固まった。
首位にいて表向きの解任理由を探しあぐねたところでの5連敗、4位転落」
というからおだやかではない。
首位にたちながら交代させられるというのは、
クラブ側はそれだけのリスクをおかしても
このままベルデニック体制をつづけるよりまし、
と判断したことになる。
残留あらそいの常連であったチームからすると、
まったくもってわるくない成績をおさめていたのに、
それよりも将来をみすえて、一体感のあるチームを
クラブ側はもとめたのだから、現実は複雑だ。
つよいチームをつくりながら
選手やコーチを掌握できなかった監督がわるいのか、
それなりの成績をあげた監督をおいだした選手たちがわるいのか。
たしかに信頼関係のない監督のもとで
ワードワークをする気にはならないだろう。
とはいえ、そういう監督をひっぱってきたのだから
いまの状況がおこるのは、わかりきったことだった、といえる。
アルディージャというクラブにとって、残留あらそいよりも、
一体感のないチーム状態のほうがもっと問題だったわけだ。
長期的なクラブのありかたをみすえたとき、
今シーズンをいい成績でおえるよりも、
いまのうちベルデニック体制をたちきったほうが
クラブのため、というのだから
ベルデニック前監督とクラブとの関係は地におちていた。
このままベルデニック監督にチームをまかせて
優勝あらそいにくわわるよりも、
完全に一体感をなくしてしまうまえに
監督交代はやむなし、という判断をしたのだ。
一体感が不可欠な条件ということは、
アルディージャだけでなく、おおくのクラブに共通するだろう。
かつことはもちろん大切だけど、
しかしかてばいいというものでもなかったわけだ。
アルディージャは成績よりもチームの和を重視したクラブとして
Jリーグの歴史に名をのこすかもしれない。
あるいは、チームの和こそJリーグがいちばん重視し、
日本サッカーの中核となる精神なのかもしれない。
2013年08月28日
風防で零戦の型をみぬく『腰ぬけ愛国談義』の宮崎さん
『腰ぬけ愛国談義』(半藤一利・宮崎駿 文春ジブリ文庫)
宮崎駿さんと半藤一利さんによる対談を本にしたものだ。
対談は、半藤さんが『風立ちぬ』をみるまえと
みてからの2回にわけ7時間かけておこなわれたという。
『風立ちぬ』の公開は7月20日だから、
半藤氏が本の「おわりに」で指摘されているように、
8月10日に出版されたこの本は、
ものすごいスピードでつくられたことになる。
対談は、おふたりが共通してすきな
夏目漱石のはなしではじまり、
日露戦争やその当時の日本の軍隊、
そして零戦を設計した堀越二郎など、
日本史をおさらいするみたいに、
おおくのことがかたられている。
とにかく、兵器に関する宮崎さんの知識がすごい。
時速何キロというスピードを、暗算でノットになおしてしまう。
宮崎「そうすると、10ノット弱。すごいスピードですね」
半藤「宮崎さんこそすごい。ノット換算がすぐにできるとは」
半藤氏が『太平洋戦争 日本航空戦記』という雑誌をつくったとき、
零戦は風防のところだけかかれていたのに、
本がでたとたん抗議が殺到したのだという。
その風防は52型のもので、真珠湾には
零戦の52型はいってない、というのだ。
そのはなしに宮崎さんは
「確かにそうですね。真珠湾に行ったのは21型でした。
でも風防はおなじはずだと思いますが」
とすぐに自分のかんがえをのべている。
2回目の対談のときに、半藤氏がその雑誌をもってきて宮崎さんにみせている。
半藤「どうです?連中が言ったように、
やっぱり52型ですか、これ?」
宮崎「あ、これは違いますね。・・・52型でもないです。
この風防はアメリカ軍機のカーブです」
絵にかかれた風防をみただけで、「あ、これは違いますね」
なんてすぐさまこたえられるひとがどれだけいるだろう。
それだけ兵器についての関心がつよいのに、
「じつはいま(2013年8月31日まで)
所沢の「所沢航空発祥記念館」にアメリカ人所有の零戦が展示されています。
所沢市が『おまえ、零戦好きだろう。見に来い』と言うんです。
『見に来たらコクピットに座らせてやるぞ』などと甘言を弄しましてね(笑)。
だけど、ぼくは行かないんです。
北米インディアンの斧、トマホークを集めた白人主催の展覧会に、
インディアンが見に行くか、と言いたい」
すきなことになら、身もこころもうりわたすのではなく、
こうやってゆずれないところをもつ宮崎さんがすてきだ。
半藤氏は、映画にほんの瞬間でてきた戦艦をみて、
それが長門だとみぬいている。
長門の煙突は特徴があり、しかもそれがあいつぐ改装で
2本のうちの1本がまげられたりはずされたりしているという。
「映画にでてきた『長門』の煙突は
ちゃんと二本で一本は曲がっていた。
ですから時代考証もバッチリでした」
と半藤さんがほめると、
宮崎さんもちゃんとそのことをしっていた。
「いや、そこらへんはだれも気づいてくれないのではないかと
思ったりもしましたが(笑)」
といからすごい会話だ。
この本の題名「腰ぬけ愛国談義」は、
半藤「いずれにしても日本が、この先、
世界史の主役に立つことはないんですよ。
宮崎「ないですね。ないと思います」
半藤「また、そんな気を起こしちゃならんのです。
日本は脇役でいいんです。小国主義でいいんです。(中略)
宮崎「ぼくは情けないほが、勇ましくないほうがいいと思いますよ」
というかんがえ方からつけられている。
だからといって日本がほろびてしまうわけではなく、
ただみんながいまよりも貧乏になるだけのはなしだ。
「ぼくなんかもよく『この国はどうなるでしょうか』
と聞かれるんですよ。
若い人たちはやたら『不安だ、不安だ』と言うんですが、
ぼくは『健康で働く気があれば大丈夫。それしかないだろう』
と言い返しています」(宮崎)
たべるものがなくなれば、農業をすればいい。
いまとおなじ生活ではなくなるだろうが、
へんにいさましいことをいって
戦争になるよりずっとましだ。
この本でいちばん印象にのこるのは、
「ひとがどうつくられるのか」、ということについて
宮崎さんがかたったことばだ。
半藤氏は14歳のときに東京大空襲を体験している。
「ほんとに地獄のような惨憺たる景色を見てしまった。
でも半藤さんの東京大空襲はそれだけではありませんでした。
命からがら避難した中川で、小舟の上から落ちて、
溺れ死ぬ寸前に別の船に乗っていた人に助け上げられた。(中略)
そして、その翌朝に、見ず知らずの人が
半藤少年に靴を一足渡してくれたんですよね」(宮崎)
「あんな、想像もできないほどの酷い状況でも、
舟の上に助け上げてくれた人がいた。
通りがかりの少年に靴をくれた人がいた。
ぼく、そのことが、半藤さんをつくっているんだと思います」(宮崎)
体験についての宮崎さんのこうしたとらえかたが、
宮崎さんのかんがえ方の基礎となり、それが作品にあらわれている。
だからわたしは宮崎さんの作品がすきなのだろう。
宮崎駿さんと半藤一利さんによる対談を本にしたものだ。
対談は、半藤さんが『風立ちぬ』をみるまえと
みてからの2回にわけ7時間かけておこなわれたという。
『風立ちぬ』の公開は7月20日だから、
半藤氏が本の「おわりに」で指摘されているように、
8月10日に出版されたこの本は、
ものすごいスピードでつくられたことになる。
対談は、おふたりが共通してすきな
夏目漱石のはなしではじまり、
日露戦争やその当時の日本の軍隊、
そして零戦を設計した堀越二郎など、
日本史をおさらいするみたいに、
おおくのことがかたられている。
とにかく、兵器に関する宮崎さんの知識がすごい。
時速何キロというスピードを、暗算でノットになおしてしまう。
宮崎「そうすると、10ノット弱。すごいスピードですね」
半藤「宮崎さんこそすごい。ノット換算がすぐにできるとは」
半藤氏が『太平洋戦争 日本航空戦記』という雑誌をつくったとき、
零戦は風防のところだけかかれていたのに、
本がでたとたん抗議が殺到したのだという。
その風防は52型のもので、真珠湾には
零戦の52型はいってない、というのだ。
そのはなしに宮崎さんは
「確かにそうですね。真珠湾に行ったのは21型でした。
でも風防はおなじはずだと思いますが」
とすぐに自分のかんがえをのべている。
2回目の対談のときに、半藤氏がその雑誌をもってきて宮崎さんにみせている。
半藤「どうです?連中が言ったように、
やっぱり52型ですか、これ?」
宮崎「あ、これは違いますね。・・・52型でもないです。
この風防はアメリカ軍機のカーブです」
絵にかかれた風防をみただけで、「あ、これは違いますね」
なんてすぐさまこたえられるひとがどれだけいるだろう。
それだけ兵器についての関心がつよいのに、
「じつはいま(2013年8月31日まで)
所沢の「所沢航空発祥記念館」にアメリカ人所有の零戦が展示されています。
所沢市が『おまえ、零戦好きだろう。見に来い』と言うんです。
『見に来たらコクピットに座らせてやるぞ』などと甘言を弄しましてね(笑)。
だけど、ぼくは行かないんです。
北米インディアンの斧、トマホークを集めた白人主催の展覧会に、
インディアンが見に行くか、と言いたい」
すきなことになら、身もこころもうりわたすのではなく、
こうやってゆずれないところをもつ宮崎さんがすてきだ。
半藤氏は、映画にほんの瞬間でてきた戦艦をみて、
それが長門だとみぬいている。
長門の煙突は特徴があり、しかもそれがあいつぐ改装で
2本のうちの1本がまげられたりはずされたりしているという。
「映画にでてきた『長門』の煙突は
ちゃんと二本で一本は曲がっていた。
ですから時代考証もバッチリでした」
と半藤さんがほめると、
宮崎さんもちゃんとそのことをしっていた。
「いや、そこらへんはだれも気づいてくれないのではないかと
思ったりもしましたが(笑)」
といからすごい会話だ。
この本の題名「腰ぬけ愛国談義」は、
半藤「いずれにしても日本が、この先、
世界史の主役に立つことはないんですよ。
宮崎「ないですね。ないと思います」
半藤「また、そんな気を起こしちゃならんのです。
日本は脇役でいいんです。小国主義でいいんです。(中略)
宮崎「ぼくは情けないほが、勇ましくないほうがいいと思いますよ」
というかんがえ方からつけられている。
だからといって日本がほろびてしまうわけではなく、
ただみんながいまよりも貧乏になるだけのはなしだ。
「ぼくなんかもよく『この国はどうなるでしょうか』
と聞かれるんですよ。
若い人たちはやたら『不安だ、不安だ』と言うんですが、
ぼくは『健康で働く気があれば大丈夫。それしかないだろう』
と言い返しています」(宮崎)
たべるものがなくなれば、農業をすればいい。
いまとおなじ生活ではなくなるだろうが、
へんにいさましいことをいって
戦争になるよりずっとましだ。
この本でいちばん印象にのこるのは、
「ひとがどうつくられるのか」、ということについて
宮崎さんがかたったことばだ。
半藤氏は14歳のときに東京大空襲を体験している。
「ほんとに地獄のような惨憺たる景色を見てしまった。
でも半藤さんの東京大空襲はそれだけではありませんでした。
命からがら避難した中川で、小舟の上から落ちて、
溺れ死ぬ寸前に別の船に乗っていた人に助け上げられた。(中略)
そして、その翌朝に、見ず知らずの人が
半藤少年に靴を一足渡してくれたんですよね」(宮崎)
「あんな、想像もできないほどの酷い状況でも、
舟の上に助け上げてくれた人がいた。
通りがかりの少年に靴をくれた人がいた。
ぼく、そのことが、半藤さんをつくっているんだと思います」(宮崎)
体験についての宮崎さんのこうしたとらえかたが、
宮崎さんのかんがえ方の基礎となり、それが作品にあらわれている。
だからわたしは宮崎さんの作品がすきなのだろう。
2013年08月27日
『プロフェッショナル 仕事の流儀』宮崎駿特集
『プロフェッショナル 仕事の流儀』で宮崎駿さんを特集していた。
『風立ちぬ』の制作にとりくむ宮崎さんを
1000日かけて取材したものだ。
これまでの作品とはちがい、戦争をとりあげること、
兵器をつくった人間が主人公であることを、
どうまわりに説明し、自分を納得させるかで
宮崎さんはくるしんでいる。
きびしい要求をつきつけ、スタッフを恫喝し、
自分をもふるいたたせるのはいつものこととはいえ、
『風立ちぬ』の時代背景と、堀越二郎という実在した人物をえがくことが
さいごまで宮崎さんをなやませる。
作品で関東大震災をえがくのは、ちょうど製作中におきた
東日本大震災とおなじ惨状をあつかうことであり、
スタッフのなかにはつよい拒否反応をしめすひとがでてくる。
震災で冷静さをうしないがちなスタッフをしかりつけながら、
宮崎さんは自分でも気もちの整理がうまくできない。
大切な場面であるという位置づけを徹底させ、
おおくの群衆がうごめくシーンでは、
わずか4秒に1年3ヶ月という膨大な時間がかけられている。
ジブリの作品がつくられるたびに、
この番組のような特集がいつもくまれる。
しかしこれだけ宮崎さんがおもてにでてきたのは
『もののけ姫』以来ではないか。
宮崎さんは作品の方向性に確信をもてなくて、
制作にとりかかってからもいらだちをみせる。
こういう作品をつくる意味があるのか、
という根本のところで宮崎さんはなやみつづける。
宮崎さんのお父さんは戦時中、軍需工場の責任者であり、
空襲でにげまどう人々をみた記憶と、
戦争によって金もうけをした父親という、ふたつの記憶が
宮崎さんの思考に影響をあたえてきた。
そうしたおさないころの体験がありながら、
宮崎さんの兵器ずきは有名で、
飛行機だけでなく、あらゆる時代のすべての兵器についてくわしい。
いっぽうで反戦主義者でもあり、
番組でいう「戦闘機への愛着と戦争への憎悪」という矛盾を
宮崎さんはかかえている。
『風立ちぬ』という作品をつくるには、
その矛盾に自分でも納得できる論理でこたえる必要があった。
「こんな作品をつくっても、
(たいくつした)子どもが通路をはしるだろうな」
という宮崎さんのひとりごとは、
これまでの作品のようには
子どもたちにうけいれられないであろう、という
宮崎さんのおそれが率直にあらわれている。
宮崎さんにとって、たいくつした子どもたちが通路をはしるのは
最大の屈辱だ。
なぜなら作品は子どもたちにむけてつくられたものだから。
しかしこの作品はどう位置づけるのか。
「だから客なんかはいらなくていいかというと、
ちょっとまってくださいという、
臆病な自分もちゃんといる」
というのも「世界の宮崎駿」ではなく、
人間らしくていいことばだ。
「やってることの意味なんかわかんないの、つくってるときには」
宮崎さんは「精一杯生き」ることに
この作品をつくる意味をもたせようとする。
「日々をどれだけ濃密に生きようとしているか」
零戦のことは番組でほとんどかたられない。
戦闘シーンや兵器そのものをえがくことが目的にならないよう
宮崎さんは以前から配慮してきた。
映画のなかでも「かっこいい零戦」としては登場しない。
宮崎さんが絵コンテをかくときには、
3Bのえんぴつでかるく紙をなでる。
顔だったり背景だったりに
ちょこちょこっと手をいれるだけにみえるのに、
線がはいったそばから、絵がいきいきとしてくる。
宮崎さんは演出家であるとともに、すぐれたアニメーターなのだ。
堀越二郎が想像でデザインした飛行機の
なんといううつくしい曲線。
宮崎さんは「めんどくさい」をくちぐせのようにくりかえす。
ほんとうにめんどくさがりやのひとは、
めんどくさいことはしないので
こういうセリフをはかない。
ちゃんとやろうとすると大変なことを
宮崎さんはよくしっているからこそ
「めんどくさい」を連発するのだ。
「めんどくさい」といいつづけながら
めんどくさいことからにげずにとりくむ。
そうやってこれまで映画だけでも11作品をつくってきた。
72歳とはいえ、宮崎さんはまだこれからも仕事をつづけるだろう。
作品にその時代の空気を反映させてきた宮崎さんは、
げんきをなくしていくといわれるこれからの日本について、
どんなメッセージを作品にこめるのか。
宮崎さんが作品をつくりつづけてくれるのは、
むかしもいまも、わたしにとってとてもありがたいことだ。
『風立ちぬ』の制作にとりくむ宮崎さんを
1000日かけて取材したものだ。
これまでの作品とはちがい、戦争をとりあげること、
兵器をつくった人間が主人公であることを、
どうまわりに説明し、自分を納得させるかで
宮崎さんはくるしんでいる。
きびしい要求をつきつけ、スタッフを恫喝し、
自分をもふるいたたせるのはいつものこととはいえ、
『風立ちぬ』の時代背景と、堀越二郎という実在した人物をえがくことが
さいごまで宮崎さんをなやませる。
作品で関東大震災をえがくのは、ちょうど製作中におきた
東日本大震災とおなじ惨状をあつかうことであり、
スタッフのなかにはつよい拒否反応をしめすひとがでてくる。
震災で冷静さをうしないがちなスタッフをしかりつけながら、
宮崎さんは自分でも気もちの整理がうまくできない。
大切な場面であるという位置づけを徹底させ、
おおくの群衆がうごめくシーンでは、
わずか4秒に1年3ヶ月という膨大な時間がかけられている。
ジブリの作品がつくられるたびに、
この番組のような特集がいつもくまれる。
しかしこれだけ宮崎さんがおもてにでてきたのは
『もののけ姫』以来ではないか。
宮崎さんは作品の方向性に確信をもてなくて、
制作にとりかかってからもいらだちをみせる。
こういう作品をつくる意味があるのか、
という根本のところで宮崎さんはなやみつづける。
宮崎さんのお父さんは戦時中、軍需工場の責任者であり、
空襲でにげまどう人々をみた記憶と、
戦争によって金もうけをした父親という、ふたつの記憶が
宮崎さんの思考に影響をあたえてきた。
そうしたおさないころの体験がありながら、
宮崎さんの兵器ずきは有名で、
飛行機だけでなく、あらゆる時代のすべての兵器についてくわしい。
いっぽうで反戦主義者でもあり、
番組でいう「戦闘機への愛着と戦争への憎悪」という矛盾を
宮崎さんはかかえている。
『風立ちぬ』という作品をつくるには、
その矛盾に自分でも納得できる論理でこたえる必要があった。
「こんな作品をつくっても、
(たいくつした)子どもが通路をはしるだろうな」
という宮崎さんのひとりごとは、
これまでの作品のようには
子どもたちにうけいれられないであろう、という
宮崎さんのおそれが率直にあらわれている。
宮崎さんにとって、たいくつした子どもたちが通路をはしるのは
最大の屈辱だ。
なぜなら作品は子どもたちにむけてつくられたものだから。
しかしこの作品はどう位置づけるのか。
「だから客なんかはいらなくていいかというと、
ちょっとまってくださいという、
臆病な自分もちゃんといる」
というのも「世界の宮崎駿」ではなく、
人間らしくていいことばだ。
「やってることの意味なんかわかんないの、つくってるときには」
宮崎さんは「精一杯生き」ることに
この作品をつくる意味をもたせようとする。
「日々をどれだけ濃密に生きようとしているか」
零戦のことは番組でほとんどかたられない。
戦闘シーンや兵器そのものをえがくことが目的にならないよう
宮崎さんは以前から配慮してきた。
映画のなかでも「かっこいい零戦」としては登場しない。
宮崎さんが絵コンテをかくときには、
3Bのえんぴつでかるく紙をなでる。
顔だったり背景だったりに
ちょこちょこっと手をいれるだけにみえるのに、
線がはいったそばから、絵がいきいきとしてくる。
宮崎さんは演出家であるとともに、すぐれたアニメーターなのだ。
堀越二郎が想像でデザインした飛行機の
なんといううつくしい曲線。
宮崎さんは「めんどくさい」をくちぐせのようにくりかえす。
ほんとうにめんどくさがりやのひとは、
めんどくさいことはしないので
こういうセリフをはかない。
ちゃんとやろうとすると大変なことを
宮崎さんはよくしっているからこそ
「めんどくさい」を連発するのだ。
「めんどくさい」といいつづけながら
めんどくさいことからにげずにとりくむ。
そうやってこれまで映画だけでも11作品をつくってきた。
72歳とはいえ、宮崎さんはまだこれからも仕事をつづけるだろう。
作品にその時代の空気を反映させてきた宮崎さんは、
げんきをなくしていくといわれるこれからの日本について、
どんなメッセージを作品にこめるのか。
宮崎さんが作品をつくりつづけてくれるのは、
むかしもいまも、わたしにとってとてもありがたいことだ。
2013年08月26日
神さまのアレンジ
職場から2人の子(中学生と高校生)をつれてプールにでかける。
土日にふった雨のせいで、きょうは30℃前後の気温しかなく、
水につかっていてもあまり「ホッとひといき」感がない。
どことなく秋の気配さえかんじられる。
30分ほどでプールからあがり、ジャグジーであたたまった。
しばらくして更衣室にむかおうとすると、
それまで幼児用のプールであそんでいた
小学生の男の子グループもかえろうとする。
まるでうちあわせたかのような、ドンピシャのタイミングで
彼らはわれわれのちょっとさきをゆき、
さきにシャワーと更衣室を占領されてしまった。
それまでながい時間あそんでいたくせに、
なんでわれわれがかえるのにあわせたみたいに
彼らもプールからあがったのか。
あまりにも間がわるく、だれかが調整したとしかおもえないタイミングだ。
何時何分にプールからあがろう、と
綿密なリハーサルをしたとしても、こううまくはいかない。
似たようなことがまえにもあった。
そのときもやはりプールにでかけたときのことで、
わたしたちがきがえているところに
数人の親子づれがドヤドヤとはいってきて
わたしたちのむかいのロッカーをつかいはじめる。
たまたまわたしのつれがプールかばんをイスからおとしたら、
きがえおわった親子づれが、そのかばんもいっしょに自分たちのロッカーへいれ、
またドヤドヤと更衣室からでていきプールにむかった。
まちがってかばんをいれたことに、そのときはだれも気づいていない。
自分のプールかばんがみえなくなったわたしのつれは、
障害の特性から すごく混乱してしまい、
プールをたのしむどころではなくなった。
どこをさがしてもみつからないので、
もしかして、と親子づれのロッカーをしらべてもらうと、
たしかにそこからプールかばんがでてきた。
そのときも絶妙というか、ありえないほど最悪のタイミングだったのだ。
もうすこし時間がずれていたらプールかばんがまぎれることはなかったのに、
みごとなタイミングで親子づれがあらわれた。
なぜ、こういうことがおこるのだろう。
逆のこともたまにはある。
ありえないタイミングでなにもかもがうまくまわり、
きれいにはなしがまとまっていく。
いくつかのぜんぜん別なうごきが、なぜかうまくかみあい、
だれかがおぜんだてしてくれたとしかおもえないような、奇跡的なできごと。
みみっちい例ばかりでもうしわけないが、
わたしはこういうときに神さまの存在をおもう。
あまりにも不思議なちからをかんじ、神さまの名はしらないけれど、
なにかの神さまがアレンジしたとしかおもえない。
河合隼雄さんの本で、こうした「アレンジ」のことをよんだことがある。
シャワーをさきにあびられてしまった、みたいな
どうでもいいようなはなしではなく、
あるひとがなにかの対象にむかい全力をかたむけたときは、
説明できないような不思議なちからがはたらいて
最終的にはものごとがうまくおさまることがおおいという。
たかだかおなじタイミングでプールをでたぐらいで
「アレンジ」などというのもどうかとおもうが、
でもやはりきょうのできごとには神さまのアレンジを
かんじずにはおれなかった。
職場にもどろうと、とめてあった車のドアをあける。
ムアーとするなんともいえない熱風を予想していたら、
車のなかはそれほどあつくなっていなかった。
もう秋なのだ。
おもいがけず秋になったことと きょうのアレンジとは、
なにか関係があるような気がする。
だからこそ、あんなおかしなことがおきたのだ。
土日にふった雨のせいで、きょうは30℃前後の気温しかなく、
水につかっていてもあまり「ホッとひといき」感がない。
どことなく秋の気配さえかんじられる。
30分ほどでプールからあがり、ジャグジーであたたまった。
しばらくして更衣室にむかおうとすると、
それまで幼児用のプールであそんでいた
小学生の男の子グループもかえろうとする。
まるでうちあわせたかのような、ドンピシャのタイミングで
彼らはわれわれのちょっとさきをゆき、
さきにシャワーと更衣室を占領されてしまった。
それまでながい時間あそんでいたくせに、
なんでわれわれがかえるのにあわせたみたいに
彼らもプールからあがったのか。
あまりにも間がわるく、だれかが調整したとしかおもえないタイミングだ。
何時何分にプールからあがろう、と
綿密なリハーサルをしたとしても、こううまくはいかない。
似たようなことがまえにもあった。
そのときもやはりプールにでかけたときのことで、
わたしたちがきがえているところに
数人の親子づれがドヤドヤとはいってきて
わたしたちのむかいのロッカーをつかいはじめる。
たまたまわたしのつれがプールかばんをイスからおとしたら、
きがえおわった親子づれが、そのかばんもいっしょに自分たちのロッカーへいれ、
またドヤドヤと更衣室からでていきプールにむかった。
まちがってかばんをいれたことに、そのときはだれも気づいていない。
自分のプールかばんがみえなくなったわたしのつれは、
障害の特性から すごく混乱してしまい、
プールをたのしむどころではなくなった。
どこをさがしてもみつからないので、
もしかして、と親子づれのロッカーをしらべてもらうと、
たしかにそこからプールかばんがでてきた。
そのときも絶妙というか、ありえないほど最悪のタイミングだったのだ。
もうすこし時間がずれていたらプールかばんがまぎれることはなかったのに、
みごとなタイミングで親子づれがあらわれた。
なぜ、こういうことがおこるのだろう。
逆のこともたまにはある。
ありえないタイミングでなにもかもがうまくまわり、
きれいにはなしがまとまっていく。
いくつかのぜんぜん別なうごきが、なぜかうまくかみあい、
だれかがおぜんだてしてくれたとしかおもえないような、奇跡的なできごと。
みみっちい例ばかりでもうしわけないが、
わたしはこういうときに神さまの存在をおもう。
あまりにも不思議なちからをかんじ、神さまの名はしらないけれど、
なにかの神さまがアレンジしたとしかおもえない。
河合隼雄さんの本で、こうした「アレンジ」のことをよんだことがある。
シャワーをさきにあびられてしまった、みたいな
どうでもいいようなはなしではなく、
あるひとがなにかの対象にむかい全力をかたむけたときは、
説明できないような不思議なちからがはたらいて
最終的にはものごとがうまくおさまることがおおいという。
たかだかおなじタイミングでプールをでたぐらいで
「アレンジ」などというのもどうかとおもうが、
でもやはりきょうのできごとには神さまのアレンジを
かんじずにはおれなかった。
職場にもどろうと、とめてあった車のドアをあける。
ムアーとするなんともいえない熱風を予想していたら、
車のなかはそれほどあつくなっていなかった。
もう秋なのだ。
おもいがけず秋になったことと きょうのアレンジとは、
なにか関係があるような気がする。
だからこそ、あんなおかしなことがおきたのだ。
2013年08月25日
『異文化夫婦』(中島義道)私小説版中島家の異文化対立
『異文化夫婦』(中島義道・角川文庫)
家族を愛せない川島氏から、妻とむすこがはなれていく。
川島氏の妻は、川島氏から無条件の愛をもとめ、
しかし川島氏は妻にたいして常に論理的であり、
理由のない愛をむけることはできない。
むすこは川島氏ににくしみをむけるようになり、
もはや修復が不可能な関係になっている。
これらの状況は、中島義道氏の著作のおおくに紹介されている。
川島氏はあきらかに中島氏で、
中島家の夫婦間、親子間の対立が、
そのままこの本にえがかれている。
家族間に生まれるどうしようもない感情のいきちがいを、
私小説というかたちで延々とほりさげる。
「自分の弱さを武器に彼を支配しようとする態度が、
肌にこびりつく痰のように汚らわしい。
と同時に、妻に優しくしてやれない自分に対しても、
寒々としたものを感じる。
それをよく知っていながら、優しさを要求する妻が惨めであり、
それがそのまま自分の感染して恐ろしく居心地が悪い」
ふたりが相手にもとめる要求は、一致することなくからまわりするだけで、
お互いがこころから納得できる折衷案はみつけられない。
「『私を愛して』と言えないから『息子を愛してくれ』と言う。(中略)
憎悪の燃える眼で『そんな形だけのことでは純真な十四歳の少年の心には通じない、
そんなことさえわからないあなたは最低だ、絶望的だ!』と叫び続ける。
このすべては、『あなたに甘えたい、でもできない!』
という彼女の苛立ちを語っている」
「それにしても、博司(むすこ)はなんと正確に
母親の気持ちを察知してその期待通りに動いていくことであろう。
自分が父親を許さなければ許さないほど、
父親に辛く当たれば当たるほど、母親は苦しむ。
しかし同時に、彼は母親の眼に喜びが灯るのを見るのだ。
『ひろ、そんなにパパが嫌いなの?』と
確認する母親の言葉のうちに、明るさが広がるのを聞き取るのだ」
なんと不毛な関係だろうと、はためにはみえるが、
中島氏と妻との関係は、こわれそうになるギリギリのところでとどまっている。
ふたりとも、できればわかれずにこのまま夫婦でありたいとおもっている。
しかし、息子は14歳という年齢でもあり、
みじかい期間に父親との関係が改善されるみこみはなさそうだ。
おたがいにもうすこし相手のことをおもいやれば、
などという対処でなんとかなるような
そんななまやさしい関係ではない。
これは異文化の対立問題なのだ。
この本は、はじめ『ウィーン家族』という題名で出版されており、
文庫本にするにあたり『異文化家族』にあらためられている。
文化とは、それぞれの民族がもつ価値観の総体であり、
ちがう文化をもつものどうしが、
相手の価値観を全面的にみとめることはない。
異文化は、まじりあいはしても、統合されることはなく、
中島家の夫婦も、おたがいが相手の主張を
こころからみとめあうことはないだろう。
異文化どうしが相手の価値観をみとめあることはありえないので、
どちらがただしいか、という問題ではない。
むすこは、母親の価値観をうけつぎ
父親をにくむようになった。
これからながい年月をかけて形ばかりの妥協点をみつけていくか、
完全に無視しあうより方法はないだろう。
むすこからにくまれるなんて、
父親としては非常につらい状況だが、
中島氏が自分の文化(価値感)を尊重しようとするかぎり、
むすこに表面的なあゆみよりはできない。
それが異文化同士が対立すつときの厳格なきまりだ。
この小説は、家族のなかに異文化問題が発生した場合、
決着をつけるのは絶望的に困難、
というより不可能なことをあきらかにしている。
「性格の不一致」などという、ぼんやりしたなれあいではなく、
異文化どうしのきびしい対立だ。
国と国とのつきあいでは、決定的に関係がこわれてしまわないために
すぐれた外交が必要となる。
家族での「異文化」問題はどう処理されるべきなのだろう。
わたしは、「異文化」ととらえた時点で、
すでに解決をあきらめているようにおもう。
中島氏とその妻のように、対立しつつも最後の一線をこえないようにするか、
むすことの関係のように、没干渉とするしかない。
家族を愛せない川島氏から、妻とむすこがはなれていく。
川島氏の妻は、川島氏から無条件の愛をもとめ、
しかし川島氏は妻にたいして常に論理的であり、
理由のない愛をむけることはできない。
むすこは川島氏ににくしみをむけるようになり、
もはや修復が不可能な関係になっている。
これらの状況は、中島義道氏の著作のおおくに紹介されている。
川島氏はあきらかに中島氏で、
中島家の夫婦間、親子間の対立が、
そのままこの本にえがかれている。
家族間に生まれるどうしようもない感情のいきちがいを、
私小説というかたちで延々とほりさげる。
「自分の弱さを武器に彼を支配しようとする態度が、
肌にこびりつく痰のように汚らわしい。
と同時に、妻に優しくしてやれない自分に対しても、
寒々としたものを感じる。
それをよく知っていながら、優しさを要求する妻が惨めであり、
それがそのまま自分の感染して恐ろしく居心地が悪い」
ふたりが相手にもとめる要求は、一致することなくからまわりするだけで、
お互いがこころから納得できる折衷案はみつけられない。
「『私を愛して』と言えないから『息子を愛してくれ』と言う。(中略)
憎悪の燃える眼で『そんな形だけのことでは純真な十四歳の少年の心には通じない、
そんなことさえわからないあなたは最低だ、絶望的だ!』と叫び続ける。
このすべては、『あなたに甘えたい、でもできない!』
という彼女の苛立ちを語っている」
「それにしても、博司(むすこ)はなんと正確に
母親の気持ちを察知してその期待通りに動いていくことであろう。
自分が父親を許さなければ許さないほど、
父親に辛く当たれば当たるほど、母親は苦しむ。
しかし同時に、彼は母親の眼に喜びが灯るのを見るのだ。
『ひろ、そんなにパパが嫌いなの?』と
確認する母親の言葉のうちに、明るさが広がるのを聞き取るのだ」
なんと不毛な関係だろうと、はためにはみえるが、
中島氏と妻との関係は、こわれそうになるギリギリのところでとどまっている。
ふたりとも、できればわかれずにこのまま夫婦でありたいとおもっている。
しかし、息子は14歳という年齢でもあり、
みじかい期間に父親との関係が改善されるみこみはなさそうだ。
おたがいにもうすこし相手のことをおもいやれば、
などという対処でなんとかなるような
そんななまやさしい関係ではない。
これは異文化の対立問題なのだ。
この本は、はじめ『ウィーン家族』という題名で出版されており、
文庫本にするにあたり『異文化家族』にあらためられている。
文化とは、それぞれの民族がもつ価値観の総体であり、
ちがう文化をもつものどうしが、
相手の価値観を全面的にみとめることはない。
異文化は、まじりあいはしても、統合されることはなく、
中島家の夫婦も、おたがいが相手の主張を
こころからみとめあうことはないだろう。
異文化どうしが相手の価値観をみとめあることはありえないので、
どちらがただしいか、という問題ではない。
むすこは、母親の価値観をうけつぎ
父親をにくむようになった。
これからながい年月をかけて形ばかりの妥協点をみつけていくか、
完全に無視しあうより方法はないだろう。
むすこからにくまれるなんて、
父親としては非常につらい状況だが、
中島氏が自分の文化(価値感)を尊重しようとするかぎり、
むすこに表面的なあゆみよりはできない。
それが異文化同士が対立すつときの厳格なきまりだ。
この小説は、家族のなかに異文化問題が発生した場合、
決着をつけるのは絶望的に困難、
というより不可能なことをあきらかにしている。
「性格の不一致」などという、ぼんやりしたなれあいではなく、
異文化どうしのきびしい対立だ。
国と国とのつきあいでは、決定的に関係がこわれてしまわないために
すぐれた外交が必要となる。
家族での「異文化」問題はどう処理されるべきなのだろう。
わたしは、「異文化」ととらえた時点で、
すでに解決をあきらめているようにおもう。
中島氏とその妻のように、対立しつつも最後の一線をこえないようにするか、
むすことの関係のように、没干渉とするしかない。
2013年08月24日
『村上朝日堂』における「あたり猫とスカ猫」について
『村上朝日堂』をよみかえしていたら、
「あたり猫とスカ猫」というはなしがのっていた。
「こういうことを言うと怒る人がいるかもしれないけど
猫には『あたり』と『スカ』の二種類がある」
と、身もフタもないことがかいてある。
村上さんによると、あたりネコにめぐりあう確率は
「だいたい三・五匹から四匹につき一匹」ということだ。
この本がかかれたときの村上さんはまだ30代で、
内容にそれほど気をつかう必要はなかったのだろう。
もしも、ノーベル文学賞がどうのこうのいわれる
いまの村上さんがこんなことをかいたら、
さすがに問題になりそうだ。
でも、「スカ猫」というのはたしかにいる。
わたしの家のネコがちょうど「あたり猫とスカ猫」なので
とてもよくわかる。
「スカ」のほうのチャコは、いつもあわれげな声をあげて
脈絡なくごはんをねだってくる。
いつも追加するわけにいかないので無視すると、
あてつけでフスマをバリバリいわせて爪をといだりする。
ちょっとすきまがあると外にでないわけにはいかず、
でも外にでるとすぐ家にもどりたくなって
窓のそとからいれてくれとさわぐ。
ひとがうごけば、自分にごはんをくれるのではないかと
すぐにおきあがってうしろをついてあるく。
部屋にはいっても絶対に戸をしめない。
たべてばかりいるので、8キロと、
ネコというよりタヌキの体重になってしまった。
「スカ猫」という分類をしらなかったわたしは
ああ、こいつは頭がわるいんだ、と
ついいじわるな態度でつらくあたってきた。
ネコにいるんだから人間もきっと・・・とはかんがえないほうがいい。
3.5から4人にひとり、つまり、4人のうち3人ちかくはスカということで、
二流人間を自称するわたしは、絶対スカにわけられる側だ。
わたしがネコだったら、さぞかしつらいおもいをしたことだろう。
「いちいち『あたり猫』みたいなまねがやってられるか」、
とやさぐれていたにきまっている。
わたしの数すくない資質として
「ネコとなかよくできる」をかぞえているけど、
スカの側からしたら、ただのいじわるなオヤジにすぎず、
ひとりよがりなレベルでしかないのかもしれない。
資質というのは、なかなか本人にはわかりにくいものだ。
「スカ猫」についてだけでなく、本全体が気楽にかいてありとてもおもしろい。
有名になるまえの朝日堂として、おすすめの一冊だ。
「あたり猫とスカ猫」というはなしがのっていた。
「こういうことを言うと怒る人がいるかもしれないけど
猫には『あたり』と『スカ』の二種類がある」
と、身もフタもないことがかいてある。
村上さんによると、あたりネコにめぐりあう確率は
「だいたい三・五匹から四匹につき一匹」ということだ。
この本がかかれたときの村上さんはまだ30代で、
内容にそれほど気をつかう必要はなかったのだろう。
もしも、ノーベル文学賞がどうのこうのいわれる
いまの村上さんがこんなことをかいたら、
さすがに問題になりそうだ。
でも、「スカ猫」というのはたしかにいる。
わたしの家のネコがちょうど「あたり猫とスカ猫」なので
とてもよくわかる。
「スカ」のほうのチャコは、いつもあわれげな声をあげて
脈絡なくごはんをねだってくる。
いつも追加するわけにいかないので無視すると、
あてつけでフスマをバリバリいわせて爪をといだりする。
ちょっとすきまがあると外にでないわけにはいかず、
でも外にでるとすぐ家にもどりたくなって
窓のそとからいれてくれとさわぐ。
ひとがうごけば、自分にごはんをくれるのではないかと
すぐにおきあがってうしろをついてあるく。
部屋にはいっても絶対に戸をしめない。
たべてばかりいるので、8キロと、
ネコというよりタヌキの体重になってしまった。
「スカ猫」という分類をしらなかったわたしは
ああ、こいつは頭がわるいんだ、と
ついいじわるな態度でつらくあたってきた。
ネコにいるんだから人間もきっと・・・とはかんがえないほうがいい。
3.5から4人にひとり、つまり、4人のうち3人ちかくはスカということで、
二流人間を自称するわたしは、絶対スカにわけられる側だ。
わたしがネコだったら、さぞかしつらいおもいをしたことだろう。
「いちいち『あたり猫』みたいなまねがやってられるか」、
とやさぐれていたにきまっている。
わたしの数すくない資質として
「ネコとなかよくできる」をかぞえているけど、
スカの側からしたら、ただのいじわるなオヤジにすぎず、
ひとりよがりなレベルでしかないのかもしれない。
資質というのは、なかなか本人にはわかりにくいものだ。
「スカ猫」についてだけでなく、本全体が気楽にかいてありとてもおもしろい。
有名になるまえの朝日堂として、おすすめの一冊だ。
2013年08月23日
わたしは、吉田くんよりも総統に似ていることに気づいた
「ビットワールド」ではときどき鷹の爪スペシャルをやっており、
これまで放映した作品をまとめてみることができる。
もうみた内容なのだからスルーすればいいのに、
せっかく録画したのだからとまたみなおすことになる。
苗字がおなじだからと、わたしは自己紹介のときよく
鷹の爪の戦闘主任である吉田くんの名をかたっているけど、
この作品をみているうちに、
わたしは吉田くんというより総統キャラなのに気づいた。
それだけえらい、といっているのではなく、
総統みたいに役にたたない存在、という意味であり、
より正確にかけば、総統によく似た役割だけど
求心力はないただのひと、がただしい。
吉田くんはああみえて判断するスピードがものすごくはやく、
ためらうということがない。
相手への発言もまんなかのストレートであり、
ああでもない、こうでもないと
モンモンとかんがえこんでしまうわたしとはまるでちがう。
吉田くんの名をかたるのは、一種の「あこがれ」であり、
あんなふうになれたらいいな、という心理がつねにはたらいている。
いっぽう、総統の小泉鈍一郎氏は、
世のなかの総統はきっとこういうマントをきてるんだろう的な、
それっぽい服装をしているけど、
とくになにかの専門知識があるわけではなく、
かといって総統らしく全体を俯瞰する能力に
すぐれているわけでもない。
吉田くんやレオナルド博士がひきおこす事件に
なさけない声でリアクションをしめすだけだ。
「わー」とか「なんじゃねそれは!」とかいうだけ。
そこが決定的に自分の本性をいいあてられた気がしてきた。
ながいあいだひとつの業界で仕事をしながら、
中途半端な知識しか身についておらず、
ひとことでいって「つかえない」わたし。
わたしが総統キャラだと自負するのは、
なんとなくそれっぽい顔をして職場にいると、
知識や能力とは関係なくまわりがそれなりにあつかってくれるからで、
ようするに年齢がいちばんうえ、
ということが評価されているにすぎない。
中身よりも雰囲気が大切なのだ。
総統の名誉のために客観的な事実を指摘しておくと、
総統は、このひとがいるという存在感だけで、
鷹の爪団の活動がつづいているのだから、
象徴としてのじゅうぶんな役割をはたしているといえる。
総統とは、つまりそういうものなのだ。
ひとつひとつの事案について、
いちいち適切な判断をくだすのが総統の仕事なのではなく、
組織の象徴としていつもそこにいることが
唯一、そして最大の役割である。
そういう意味では、わたしは総統キャラを名のる資格さえないが、
・中身がないこと
・リアクションだけ
・事実よりも雰囲気がだいじ
という3点において
わたしは吉田くんより総統似を自覚したほうがいいと気づいた。
55歳という小泉鈍一郎氏と同年代の男性が「鷹の爪」をみたら、
総統のトホホなやくわりに
ものすごく共感させられるのではないか。
中高年男性のおおくは総統のように中身がなく、
でありながら総統のように組織のシンボルでありたいとねがっている。
「カワイイ」と世界中から評価のたかいアニメキャラよりも、
あらゆる意味において総統は日本人男性であり、
総統的な心理を理解することがいまや日本研究にかかせなくなった。
これまで放映した作品をまとめてみることができる。
もうみた内容なのだからスルーすればいいのに、
せっかく録画したのだからとまたみなおすことになる。
苗字がおなじだからと、わたしは自己紹介のときよく
鷹の爪の戦闘主任である吉田くんの名をかたっているけど、
この作品をみているうちに、
わたしは吉田くんというより総統キャラなのに気づいた。
それだけえらい、といっているのではなく、
総統みたいに役にたたない存在、という意味であり、
より正確にかけば、総統によく似た役割だけど
求心力はないただのひと、がただしい。
吉田くんはああみえて判断するスピードがものすごくはやく、
ためらうということがない。
相手への発言もまんなかのストレートであり、
ああでもない、こうでもないと
モンモンとかんがえこんでしまうわたしとはまるでちがう。
吉田くんの名をかたるのは、一種の「あこがれ」であり、
あんなふうになれたらいいな、という心理がつねにはたらいている。
いっぽう、総統の小泉鈍一郎氏は、
世のなかの総統はきっとこういうマントをきてるんだろう的な、
それっぽい服装をしているけど、
とくになにかの専門知識があるわけではなく、
かといって総統らしく全体を俯瞰する能力に
すぐれているわけでもない。
吉田くんやレオナルド博士がひきおこす事件に
なさけない声でリアクションをしめすだけだ。
「わー」とか「なんじゃねそれは!」とかいうだけ。
そこが決定的に自分の本性をいいあてられた気がしてきた。
ながいあいだひとつの業界で仕事をしながら、
中途半端な知識しか身についておらず、
ひとことでいって「つかえない」わたし。
わたしが総統キャラだと自負するのは、
なんとなくそれっぽい顔をして職場にいると、
知識や能力とは関係なくまわりがそれなりにあつかってくれるからで、
ようするに年齢がいちばんうえ、
ということが評価されているにすぎない。
中身よりも雰囲気が大切なのだ。
総統の名誉のために客観的な事実を指摘しておくと、
総統は、このひとがいるという存在感だけで、
鷹の爪団の活動がつづいているのだから、
象徴としてのじゅうぶんな役割をはたしているといえる。
総統とは、つまりそういうものなのだ。
ひとつひとつの事案について、
いちいち適切な判断をくだすのが総統の仕事なのではなく、
組織の象徴としていつもそこにいることが
唯一、そして最大の役割である。
そういう意味では、わたしは総統キャラを名のる資格さえないが、
・中身がないこと
・リアクションだけ
・事実よりも雰囲気がだいじ
という3点において
わたしは吉田くんより総統似を自覚したほうがいいと気づいた。
55歳という小泉鈍一郎氏と同年代の男性が「鷹の爪」をみたら、
総統のトホホなやくわりに
ものすごく共感させられるのではないか。
中高年男性のおおくは総統のように中身がなく、
でありながら総統のように組織のシンボルでありたいとねがっている。
「カワイイ」と世界中から評価のたかいアニメキャラよりも、
あらゆる意味において総統は日本人男性であり、
総統的な心理を理解することがいまや日本研究にかかせなくなった。
2013年08月22日
「プロメテウスの罠」でとりあげられているサファリパークのような土地
朝日新聞に連載されている「プロメテウスの罠」に
福島第一原発ちかくのたちいり禁止区域で
イノシシなどの野生動物がふえているとつたえている。
ひとがはいらないので、無人の地域が
「野生の王国」となってしまい、
ふえたイノシシが耕作地へもあらわれるようになったのだそうだ。
ひとがはいりこまなくなると
たった2年でそんなにも動物たちの生態がかわるものなのか。
ひとのこわさをしらない動物は
ひとがちかよってもにげないので、
まるでサファリパークみたいだともかいてある。
人間さえいなければ、動物たちにとって地球は楽園なのだ。
まえに宮崎駿さんが
ひとつの山を1000年間たちいり禁止にして、
どんな森ができていくかをみてみたい、
というふうなことをかいておられた。
ひとが手をいれないと、森はさびれていく、と
よくいわれているけど、
そんな人間の都合にたった自然観ではなく、
もし1000年というながい期間
人間の影響を排除すれば、極相林となって
原始時代の自然がよみがえるのではないか、という期待からだ。
それをよんだときには木のことばかりかんがえていたけれど、
その森でくらす動物たちについてしりたくなった。
1000年ひとがはいらなければ、
その地域の動物たちはどんな生態系をとるのだろう。
「プロメテウスの罠」の記事をよんで、
放射能というおもいがけないかたちながら
まったく人間の影響をうけない環境が生まれたことをしった。
このたちいり禁止区域は、このさきどうなっていくのか。
人間がめちゃくちゃにした環境で、
たかい放射線をあびながら動植物は生きている。
こういうときには「けなげ」ということばしかおもいつかない。
放射線の影響がでないことをねがいながら、
人間がはいりこまなければ
どんな環境ができあがるかをしりたくなった。
福島第一原発ちかくのたちいり禁止区域で
イノシシなどの野生動物がふえているとつたえている。
ひとがはいらないので、無人の地域が
「野生の王国」となってしまい、
ふえたイノシシが耕作地へもあらわれるようになったのだそうだ。
ひとがはいりこまなくなると
たった2年でそんなにも動物たちの生態がかわるものなのか。
ひとのこわさをしらない動物は
ひとがちかよってもにげないので、
まるでサファリパークみたいだともかいてある。
人間さえいなければ、動物たちにとって地球は楽園なのだ。
まえに宮崎駿さんが
ひとつの山を1000年間たちいり禁止にして、
どんな森ができていくかをみてみたい、
というふうなことをかいておられた。
ひとが手をいれないと、森はさびれていく、と
よくいわれているけど、
そんな人間の都合にたった自然観ではなく、
もし1000年というながい期間
人間の影響を排除すれば、極相林となって
原始時代の自然がよみがえるのではないか、という期待からだ。
それをよんだときには木のことばかりかんがえていたけれど、
その森でくらす動物たちについてしりたくなった。
1000年ひとがはいらなければ、
その地域の動物たちはどんな生態系をとるのだろう。
「プロメテウスの罠」の記事をよんで、
放射能というおもいがけないかたちながら
まったく人間の影響をうけない環境が生まれたことをしった。
このたちいり禁止区域は、このさきどうなっていくのか。
人間がめちゃくちゃにした環境で、
たかい放射線をあびながら動植物は生きている。
こういうときには「けなげ」ということばしかおもいつかない。
放射線の影響がでないことをねがいながら、
人間がはいりこまなければ
どんな環境ができあがるかをしりたくなった。
2013年08月21日
『里山資本主義』(藻谷浩介 NHK広島取材班)けっきょく晴耕雨読でいいみたい
『里山資本主義』(藻谷浩介 NHK広島取材班・角川oneテーマ21)
「『里山資本主義』とは、
お金の循環がすべてを決するという前提で構築された
『マネー資本主義』の経済システムの横に、
お金に依存しないサブシステムも再構築しておこうというものだ」(p138)
お金にたよらないで生きるには、
できるだけお金をつかわない生活をする必要がある。
中国地方の過疎の町でおきているあたらしいうごきを紹介し、
いままでいちばんダメな地域とおもって(おもわされて)きた自分たちの町が、
発想をかえると、世界の最先端をはしっていた、というおもしろさ。
広島県の庄原市にすむ和田さんと、その仲間たちが開発した
「エコストーブ」は、木の枝を数本あつめるだけで
おいしいご飯がたけるという。
『ぼくはお金を使わずに生きることにした』のマーク=ボイルも
おなじようなストーブをつかっていた。
燃料の木の枝が、そこらじゅうにおちているのだから、
たしかにそれをつかわない手はない。
わたしがわかいころ農業の研修をうけていたときは、
仲間たちが交代でご飯をつくり、マキでお風呂をわかしていた。
わたしみたいな新参者は、ちゃんとしたマキでないと
なかなか火をつけることができなかったけど、
もうながいことそこでくらしている女性は、
わざわざきちんとしたマキを準備しなくても、
仕事のかえりに道ばたにおちている木をもってかえって
それでお風呂をわかしていた。
その自由さがすごくかっこよかった。
『里山資本主義』をよむと、けっきょく晴耕雨読でいいのか、
とわりきれてきた。
ぜんぶ農的くらしにかえるのはたいへんだけど、
「できるだけ」とか「できることは」といった
部分的なとりくみならハードルがひくい。
ましてや、それを田舎でやるのは、
以前のくらしをとりいれるだけなので、
なおさら簡単だろう。
ただ、はやくしないと人的・物的資源がとぎれてしまい、
手おくれになるおそれがある。
わたしがもっているわずかな資質のなかで、
もしかしたら畑仕事がすきで、
マキでお風呂をわかしたがるようなこのみが
これから生きていくうえで、いちばんやくにたつかもしれない。
お金よりもモノが、たとえばドラム缶にいっぱいの灯油があるとか、
納屋にマキがたくさんつんであるといった状況がすきなので、
冬の準備としてマキづくりに精をだすだろうし、
ケチなのでガス代をはらうよりも
エコストーブでご飯をつくることが苦にならないとおもう。
お腹をへらさないためには、お米やイモをつくりたくなるだろうし、
安心してくらせるためにある程度の備蓄をこころがけるだろう。
わたしはけしてはたらきものではないが、
こうした目的のためにからだをうごかすことに抵抗はない。
これはすぐれた資質といっていいだろう。
この本をよんでいると、これからやることがたくさんありそうで
ワクワクしてきた。
年金をあてにしようとするスケベ心があると、
そこにつけこまれて自由さを手ばなしてしまう。
朝から晩まできちんとはたらくサラリーマンとしては適応できなくても、
お金をなるべくつかわない晴耕雨読の生活なら
勤勉な生活者としてみとめてもらえそうな気がする。
配偶者の実家では、いまでもマキがきれないように
納屋のうらにつみあげてある。
義理の父はもう82歳と高齢なので、
マキにする木の場所や、マキのつくり方など
はやいうちにおそわっておかないと技術がとぎれてしまう。
なんだか、いつまでも会社員でいるよりも、
はやいとこ里山資本主義の実践をはじめたくなってきた。
まなじりをけっしての「挑戦」ではなく、
ま、ちょっとテキトーに、という
かるいノリでもできそうだから。
あたらしい生き方へと、背中をおしてくれるものの、
「NHK広島取材班」の文体はいささか鼻についた。
「毎日ウキウキと小型のバンに乗り込む」P192
「(野菜づくりの)まったくの初心者も多い。
その分、感動も大きい。
実がなったと大騒ぎ、という光景が
あちこちで見られるようになった」P195
「熊原さんの挑戦は、まだまだ続く」P216
この手の本は、いつもいつもこういった文体でかかれている。
調子よすぎて、よんでいてはずかしくなってきた。
いいことばかりがあるわけないのに、
まるで桃源郷がここにあった、みたいに、
おおげさにおどろいてみせる。
内容はいいのだから、自分たちのことばで、
おちついてかけばいいのに。
「『里山資本主義』とは、
お金の循環がすべてを決するという前提で構築された
『マネー資本主義』の経済システムの横に、
お金に依存しないサブシステムも再構築しておこうというものだ」(p138)
お金にたよらないで生きるには、
できるだけお金をつかわない生活をする必要がある。
中国地方の過疎の町でおきているあたらしいうごきを紹介し、
いままでいちばんダメな地域とおもって(おもわされて)きた自分たちの町が、
発想をかえると、世界の最先端をはしっていた、というおもしろさ。
広島県の庄原市にすむ和田さんと、その仲間たちが開発した
「エコストーブ」は、木の枝を数本あつめるだけで
おいしいご飯がたけるという。
『ぼくはお金を使わずに生きることにした』のマーク=ボイルも
おなじようなストーブをつかっていた。
燃料の木の枝が、そこらじゅうにおちているのだから、
たしかにそれをつかわない手はない。
わたしがわかいころ農業の研修をうけていたときは、
仲間たちが交代でご飯をつくり、マキでお風呂をわかしていた。
わたしみたいな新参者は、ちゃんとしたマキでないと
なかなか火をつけることができなかったけど、
もうながいことそこでくらしている女性は、
わざわざきちんとしたマキを準備しなくても、
仕事のかえりに道ばたにおちている木をもってかえって
それでお風呂をわかしていた。
その自由さがすごくかっこよかった。
『里山資本主義』をよむと、けっきょく晴耕雨読でいいのか、
とわりきれてきた。
ぜんぶ農的くらしにかえるのはたいへんだけど、
「できるだけ」とか「できることは」といった
部分的なとりくみならハードルがひくい。
ましてや、それを田舎でやるのは、
以前のくらしをとりいれるだけなので、
なおさら簡単だろう。
ただ、はやくしないと人的・物的資源がとぎれてしまい、
手おくれになるおそれがある。
わたしがもっているわずかな資質のなかで、
もしかしたら畑仕事がすきで、
マキでお風呂をわかしたがるようなこのみが
これから生きていくうえで、いちばんやくにたつかもしれない。
お金よりもモノが、たとえばドラム缶にいっぱいの灯油があるとか、
納屋にマキがたくさんつんであるといった状況がすきなので、
冬の準備としてマキづくりに精をだすだろうし、
ケチなのでガス代をはらうよりも
エコストーブでご飯をつくることが苦にならないとおもう。
お腹をへらさないためには、お米やイモをつくりたくなるだろうし、
安心してくらせるためにある程度の備蓄をこころがけるだろう。
わたしはけしてはたらきものではないが、
こうした目的のためにからだをうごかすことに抵抗はない。
これはすぐれた資質といっていいだろう。
この本をよんでいると、これからやることがたくさんありそうで
ワクワクしてきた。
年金をあてにしようとするスケベ心があると、
そこにつけこまれて自由さを手ばなしてしまう。
朝から晩まできちんとはたらくサラリーマンとしては適応できなくても、
お金をなるべくつかわない晴耕雨読の生活なら
勤勉な生活者としてみとめてもらえそうな気がする。
配偶者の実家では、いまでもマキがきれないように
納屋のうらにつみあげてある。
義理の父はもう82歳と高齢なので、
マキにする木の場所や、マキのつくり方など
はやいうちにおそわっておかないと技術がとぎれてしまう。
なんだか、いつまでも会社員でいるよりも、
はやいとこ里山資本主義の実践をはじめたくなってきた。
まなじりをけっしての「挑戦」ではなく、
ま、ちょっとテキトーに、という
かるいノリでもできそうだから。
あたらしい生き方へと、背中をおしてくれるものの、
「NHK広島取材班」の文体はいささか鼻についた。
「毎日ウキウキと小型のバンに乗り込む」P192
「(野菜づくりの)まったくの初心者も多い。
その分、感動も大きい。
実がなったと大騒ぎ、という光景が
あちこちで見られるようになった」P195
「熊原さんの挑戦は、まだまだ続く」P216
この手の本は、いつもいつもこういった文体でかかれている。
調子よすぎて、よんでいてはずかしくなってきた。
いいことばかりがあるわけないのに、
まるで桃源郷がここにあった、みたいに、
おおげさにおどろいてみせる。
内容はいいのだから、自分たちのことばで、
おちついてかけばいいのに。
2013年08月20日
日本農政の失敗と、箱の底のほうからくさっていくミカンの関係
温暖化でリンゴがあまくなったということが
新聞にのっていた。
スイカやメロンじゃあるまいし、
あまさがますことと、おいしくなることとは、
リンゴにはあんまり関係ないはずだ。
紅玉のようにすっぱさをうりものにする品種もある。
温暖化があたえるさまざまな影響が、
こんなところにもおよんでいるのが意外でしょう?
というニュアンスに、つい反発したくなった。
リンゴというといつもおもいだすのが
大学の授業での「リンゴがおいしくなかった」はなしだ。
農学部にぞくしていたわたしは、ある講義で
「日本の農政はリンゴをさかんに奨励しましたが、失敗でした」
というはなしをきいた。
なぜだろう?と、つづく説明をまっていたら、
なんと「リンゴがおいしくなかったからです」ということだ。
なにかよほど複雑な事情があったのだろうと
まじめにきいていたのに、カックンとなってしまった。
でもこれは、きっとまじめなはなしなのだ。
えらい役人が頭をしぼって(しぼったんだろうな)
つくりあげた政策でも、
けっきょくのところかってもらえなければどうしようもない。
でも、その理由は「おいしくなかったから」だけではないだろう。
日本人の食生活とのかねあいとか、
アップルパイをたべないから、とか
皮をむくのがめんどくさかったから、とか
いろいろな理由があろうだろうに、
それをただ「おいしくなかったから」と
いいきってしまう教授のとらえ方におどろかされた。
それぞれの作物にはそれぞれのおいしさがあるはずで、
リンゴだけが「おいしくない」わけではない。
そんな政策ではうまくいかなくて当然だし、
その程度の認識でリンゴを奨励したというのも無責任なはなしだ。
最近よんだ本に、日本農政はミカンでも失敗したとかかれている。
ミカンを奨励したにもかかわらず、需要はあまりのびず、
それにオレンジやグレープフルーツの輸入自由化がおいうちをかける。
政府のいうことをしんじてミカン栽培をはじめた農家はたまったものではない。
しかし、農政の失敗の歴史をみると、
そんなことをうのみにしてミカンをつくるほうがどうかしてるのだろう。
ミカンでおもいだすのが、
中学生のときの社会科のテストだ。
「和歌山県のミカン栽培の問題点をあげなさい」
という問題で、
答案をかえすとき、おもしろい答案例を先生がよみあげる。
そのひとつが「箱の底のほうからくさってくる」というものだった。
たしかに箱の底のほうからくさってくるのは問題だけど、
当然のことながらそれは和歌山県のミカンだけにかぎられた現象ではない。
きいたときはみんな爆笑したけど、
よくかんがえると含蓄のあるはなしではないか。
正解は、和歌山県のミカンはふるい木がおおく、
これからさきの発展がむつかしい、というものだった。
教科書にのっていたかもしれないし、
授業でもおさえられたのだろう。
でも、じっさいにミカンをつくったことのないわたしたちが、
もしかりにそんな正解をかいたとしても
それは和歌山県のミカンについてただしく理解したからではない。
ふかくミカンとかかわることなにし、
そうした設題をするほうがどうかしてるし、
「木がふるく」なんてもっともらしくかくほうも
もしいたとしたら、そうとういやな生徒だ。
「箱の底のほうからくさってくる」という回答のほうが、
ずっと味わいぶかい。
なにしろ「箱の底のほうからくさってくる」のだから
絶対にまちがいではないのだ。
ビミョーにずれていて、トホホ感にあふれている点も
たかく評価したい。
もうずいぶんまえのはなしだ。
あれから和歌山県の方々は、
どういう対応をとられたのだろうか。
政策に左右されず、いいミカンをつくっていてほしいとおもう。
ひょっとすると、箱の底のほうからくさらないミカンが
すでに開発されたかもしれない。
新聞にのっていた。
スイカやメロンじゃあるまいし、
あまさがますことと、おいしくなることとは、
リンゴにはあんまり関係ないはずだ。
紅玉のようにすっぱさをうりものにする品種もある。
温暖化があたえるさまざまな影響が、
こんなところにもおよんでいるのが意外でしょう?
というニュアンスに、つい反発したくなった。
リンゴというといつもおもいだすのが
大学の授業での「リンゴがおいしくなかった」はなしだ。
農学部にぞくしていたわたしは、ある講義で
「日本の農政はリンゴをさかんに奨励しましたが、失敗でした」
というはなしをきいた。
なぜだろう?と、つづく説明をまっていたら、
なんと「リンゴがおいしくなかったからです」ということだ。
なにかよほど複雑な事情があったのだろうと
まじめにきいていたのに、カックンとなってしまった。
でもこれは、きっとまじめなはなしなのだ。
えらい役人が頭をしぼって(しぼったんだろうな)
つくりあげた政策でも、
けっきょくのところかってもらえなければどうしようもない。
でも、その理由は「おいしくなかったから」だけではないだろう。
日本人の食生活とのかねあいとか、
アップルパイをたべないから、とか
皮をむくのがめんどくさかったから、とか
いろいろな理由があろうだろうに、
それをただ「おいしくなかったから」と
いいきってしまう教授のとらえ方におどろかされた。
それぞれの作物にはそれぞれのおいしさがあるはずで、
リンゴだけが「おいしくない」わけではない。
そんな政策ではうまくいかなくて当然だし、
その程度の認識でリンゴを奨励したというのも無責任なはなしだ。
最近よんだ本に、日本農政はミカンでも失敗したとかかれている。
ミカンを奨励したにもかかわらず、需要はあまりのびず、
それにオレンジやグレープフルーツの輸入自由化がおいうちをかける。
政府のいうことをしんじてミカン栽培をはじめた農家はたまったものではない。
しかし、農政の失敗の歴史をみると、
そんなことをうのみにしてミカンをつくるほうがどうかしてるのだろう。
ミカンでおもいだすのが、
中学生のときの社会科のテストだ。
「和歌山県のミカン栽培の問題点をあげなさい」
という問題で、
答案をかえすとき、おもしろい答案例を先生がよみあげる。
そのひとつが「箱の底のほうからくさってくる」というものだった。
たしかに箱の底のほうからくさってくるのは問題だけど、
当然のことながらそれは和歌山県のミカンだけにかぎられた現象ではない。
きいたときはみんな爆笑したけど、
よくかんがえると含蓄のあるはなしではないか。
正解は、和歌山県のミカンはふるい木がおおく、
これからさきの発展がむつかしい、というものだった。
教科書にのっていたかもしれないし、
授業でもおさえられたのだろう。
でも、じっさいにミカンをつくったことのないわたしたちが、
もしかりにそんな正解をかいたとしても
それは和歌山県のミカンについてただしく理解したからではない。
ふかくミカンとかかわることなにし、
そうした設題をするほうがどうかしてるし、
「木がふるく」なんてもっともらしくかくほうも
もしいたとしたら、そうとういやな生徒だ。
「箱の底のほうからくさってくる」という回答のほうが、
ずっと味わいぶかい。
なにしろ「箱の底のほうからくさってくる」のだから
絶対にまちがいではないのだ。
ビミョーにずれていて、トホホ感にあふれている点も
たかく評価したい。
もうずいぶんまえのはなしだ。
あれから和歌山県の方々は、
どういう対応をとられたのだろうか。
政策に左右されず、いいミカンをつくっていてほしいとおもう。
ひょっとすると、箱の底のほうからくさらないミカンが
すでに開発されたかもしれない。
2013年08月19日
『タモリ論』(樋口毅宏) タモリと「いいとも!」とBIG3と
『タモリ論』(樋口毅宏・新潮新書)
樋口毅宏氏の『さらば雑司ケ谷』に
本筋とは関係ないはなしを延々とつづける場面がある。
タランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』を意識したのだそうだ。
映画の冒頭、これから銀行をおそおうとする6人の男たちが、
レストランで朝食後のコーヒーをのんでいる。
くつろいだ雰囲気でこれからの仕事とはまったく関係のない、
たとえばマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」がどうのこうのと
「まじめ」にはなしこんでいる。
『バルプフィクション』でもそうだった。
2人のギャングが、仕事にむかうとちゅう
フランスのマクドナルドについて世間話をしている。
フランスではマクドナルドで酒をだすんだ、とか
ビッグマックをフランス語でどういうかしってるか?とか
緊張感などすこしもかんじさせず、
どうでもいいことを真剣に論じている。
このカジュアルさがかっこよかった。
『さらば雑司ケ谷』では、それがタモリのはなしだった。
小沢健二が最高のミュージシャンであるという理由に、
タモリの発言を引用する。
その場面のはなしが本筋とは関係ないのが
『レザボア・ドッグス』といっしょで、
それがすごくおかしい。
もっとも、このしかけにはおおくのひとがひっかかったようで、
「このエピソードが以上にウケたようでして、
書評では決まってこの箇所を取り上げて頂きました」(樋口)
ということだから、わたしもまんまと樋口毅宏氏の
おもわくどおりに反応してしまったわけだ。
このときの「タモリ」がきっかけで、
「タモリについて一冊書きませんか」
と依頼されたのが本書である。
樋口氏は、
「笑いについてするものは賢者だが、
笑いについて語るものは馬鹿だ」
というおもいから、
これまでお笑いについてかかなかった。
しかし、
「タモリについて語るということは、
同時にこの時代のお笑いについて語ることであり、
それはすなわち、ビートたけし、明石家さんまを含めた、
いわゆる『お笑いBIG3』についても
避けてはとおれないことを意味します」
わけで、どうしてもお笑いにふれないわけにいかない。
また、
「タモリへの積年の思いを
洗いざらい吐露したいという気持ちがあ」り、
今回、タモリとお笑いへの思いを一冊にまとめるために、
よろこんで馬鹿になる覚悟をきめたのだそうだ。
こういう本をかくくらいだから
樋口氏はタモリ、そして「いいとも!」についてかなりくわしく、
いろいろなおもいでにふれたのが
第二章「わが追憶の『笑っていいとも!』だ。
伝説となっている「いいとも!」の事件を紹介し、
そのなかでタモリがどういうリアクションをとったかにふれている。
とはいえ脱線しまくってばかりで、
こんなこともあった、あんなこともあった、と
いろんな事件がそのときのゲストとともにかたられる。
このとらえどころのなさこそ「いいとも!」の真骨頂であり、
タモリの醍醐味である、と樋口氏はとらえている。
いつもいつも、おなじことが延々と30年つづいており、
「たとえ数年ぶりだとしても、まるっきり変わらず、
いつもの軽ーい感じ」。
それこそが「いいとも!」のすごさなのだ。
第三章はたけし、四章はさんまについてだ。
たけしとさんまのそれぞれの芸風をおさえたうえで、
タモリとたけし、タモリとさんまの関係が分析している。
「たけしと『いいとも!』は無関係ではありません。
たけしは『いいとも!』に背を向けることによって、
自分の生きるべき道を突き進んでいったのです。
タモリが『いいとも!』をやることによって
たけしは北野武になったのです」
さんまについて。
「僕は序章で、タモリを絶望大王と書きましたが、
本当は違うのです。
さんまこそが『リアル絶望大王』なのです。(中略)
タモリが赤塚不二夫の弔辞を吹聴することがないのと同様、
さんまも不幸で人の涙を搾り取ることを良しとしません
なぜか?それが彼らの美学だから。
お涙頂戴ほどこの世で簡単な、
そして低俗なやり口はないと知っているから。(中略)
さんまの一生は、死で縁取られてきた人生かもしれない。
それでもさんまは、きょうも人を笑わせます。(中略)
さんまは、この世で人をわらわせることほど
素晴らしい職業はないと思っているし、
自分が生まれた理由も、疑ったことがないから。
さんまがいちばん笑わせたい人は、自分自身なのではないでしょうか」
第六章は
「フジテレビの落日、『いいとも!』の終焉」だ。
30年つづいてきた「いいとも!」が
このさきどうなっていくかについて、
樋口氏は「終わりの始まり」をかんじている。
「いいとも!」の視聴率は平均6%にとどいてないし
フジテレビがつくる番組のひどさから「凋落の兆し」をみる。
そうなっても、なぜタモリは「いいとも!」をつづけるのだろう。
「おわりに」は、樋口氏がどれだけタモリを愛しているのか、
よくあらわれている。
そして、すごくかなしい。
「小説家になるずっと前から、僕は夢想していました。
『テレフォンショッキング』のゲストに出て、タモリを襲うのです。
そして彼を、『いいとも!』から自由にしてあげるのです。
だけど、そんなことができるわけがない。
だから僕は、タモリを葬る代わりにこの本を書きました。
僕とタモリと『笑っていいとも!』。
そして、BIG3に通底する悲しみを。
タモリが、思い出になる前に」
どんなかたちでXデーをむかえるにしても、
タモリが30年もわらわせてくれたことを
わたしは絶対にわすれない。
樋口毅宏氏の『さらば雑司ケ谷』に
本筋とは関係ないはなしを延々とつづける場面がある。
タランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』を意識したのだそうだ。
映画の冒頭、これから銀行をおそおうとする6人の男たちが、
レストランで朝食後のコーヒーをのんでいる。
くつろいだ雰囲気でこれからの仕事とはまったく関係のない、
たとえばマドンナの「ライク・ア・ヴァージン」がどうのこうのと
「まじめ」にはなしこんでいる。
『バルプフィクション』でもそうだった。
2人のギャングが、仕事にむかうとちゅう
フランスのマクドナルドについて世間話をしている。
フランスではマクドナルドで酒をだすんだ、とか
ビッグマックをフランス語でどういうかしってるか?とか
緊張感などすこしもかんじさせず、
どうでもいいことを真剣に論じている。
このカジュアルさがかっこよかった。
『さらば雑司ケ谷』では、それがタモリのはなしだった。
小沢健二が最高のミュージシャンであるという理由に、
タモリの発言を引用する。
その場面のはなしが本筋とは関係ないのが
『レザボア・ドッグス』といっしょで、
それがすごくおかしい。
もっとも、このしかけにはおおくのひとがひっかかったようで、
「このエピソードが以上にウケたようでして、
書評では決まってこの箇所を取り上げて頂きました」(樋口)
ということだから、わたしもまんまと樋口毅宏氏の
おもわくどおりに反応してしまったわけだ。
このときの「タモリ」がきっかけで、
「タモリについて一冊書きませんか」
と依頼されたのが本書である。
樋口氏は、
「笑いについてするものは賢者だが、
笑いについて語るものは馬鹿だ」
というおもいから、
これまでお笑いについてかかなかった。
しかし、
「タモリについて語るということは、
同時にこの時代のお笑いについて語ることであり、
それはすなわち、ビートたけし、明石家さんまを含めた、
いわゆる『お笑いBIG3』についても
避けてはとおれないことを意味します」
わけで、どうしてもお笑いにふれないわけにいかない。
また、
「タモリへの積年の思いを
洗いざらい吐露したいという気持ちがあ」り、
今回、タモリとお笑いへの思いを一冊にまとめるために、
よろこんで馬鹿になる覚悟をきめたのだそうだ。
こういう本をかくくらいだから
樋口氏はタモリ、そして「いいとも!」についてかなりくわしく、
いろいろなおもいでにふれたのが
第二章「わが追憶の『笑っていいとも!』だ。
伝説となっている「いいとも!」の事件を紹介し、
そのなかでタモリがどういうリアクションをとったかにふれている。
とはいえ脱線しまくってばかりで、
こんなこともあった、あんなこともあった、と
いろんな事件がそのときのゲストとともにかたられる。
このとらえどころのなさこそ「いいとも!」の真骨頂であり、
タモリの醍醐味である、と樋口氏はとらえている。
いつもいつも、おなじことが延々と30年つづいており、
「たとえ数年ぶりだとしても、まるっきり変わらず、
いつもの軽ーい感じ」。
それこそが「いいとも!」のすごさなのだ。
第三章はたけし、四章はさんまについてだ。
たけしとさんまのそれぞれの芸風をおさえたうえで、
タモリとたけし、タモリとさんまの関係が分析している。
「たけしと『いいとも!』は無関係ではありません。
たけしは『いいとも!』に背を向けることによって、
自分の生きるべき道を突き進んでいったのです。
タモリが『いいとも!』をやることによって
たけしは北野武になったのです」
さんまについて。
「僕は序章で、タモリを絶望大王と書きましたが、
本当は違うのです。
さんまこそが『リアル絶望大王』なのです。(中略)
タモリが赤塚不二夫の弔辞を吹聴することがないのと同様、
さんまも不幸で人の涙を搾り取ることを良しとしません
なぜか?それが彼らの美学だから。
お涙頂戴ほどこの世で簡単な、
そして低俗なやり口はないと知っているから。(中略)
さんまの一生は、死で縁取られてきた人生かもしれない。
それでもさんまは、きょうも人を笑わせます。(中略)
さんまは、この世で人をわらわせることほど
素晴らしい職業はないと思っているし、
自分が生まれた理由も、疑ったことがないから。
さんまがいちばん笑わせたい人は、自分自身なのではないでしょうか」
第六章は
「フジテレビの落日、『いいとも!』の終焉」だ。
30年つづいてきた「いいとも!」が
このさきどうなっていくかについて、
樋口氏は「終わりの始まり」をかんじている。
「いいとも!」の視聴率は平均6%にとどいてないし
フジテレビがつくる番組のひどさから「凋落の兆し」をみる。
そうなっても、なぜタモリは「いいとも!」をつづけるのだろう。
「おわりに」は、樋口氏がどれだけタモリを愛しているのか、
よくあらわれている。
そして、すごくかなしい。
「小説家になるずっと前から、僕は夢想していました。
『テレフォンショッキング』のゲストに出て、タモリを襲うのです。
そして彼を、『いいとも!』から自由にしてあげるのです。
だけど、そんなことができるわけがない。
だから僕は、タモリを葬る代わりにこの本を書きました。
僕とタモリと『笑っていいとも!』。
そして、BIG3に通底する悲しみを。
タモリが、思い出になる前に」
どんなかたちでXデーをむかえるにしても、
タモリが30年もわらわせてくれたことを
わたしは絶対にわすれない。
2013年08月18日
『風に吹かれて』(鈴木敏夫 聞き手:渋谷陽一)「アニメの神様の代弁者」としての鈴木敏夫
『風に吹かれて』(鈴木敏夫 聞き手:渋谷陽一・中央公論新社)
ジブリのプロデューサー、鈴木敏夫さんに、
『Cut』の渋谷陽一さんがインタビューする。
ジブリの作品をとおしてだけではなく、
鈴木敏夫はどうつくられてきたかを
おいたちからふりかえる。
渋谷さんはすぐれたきき手であり、
これまでよんだインタビューは
どれもたくみに相手の本質をひきだしている。
本書でも、鈴木さんのはなしたいことをきくだけでなく、
ときには誘導尋問のようにたたみかけて、
本人の無意識をおもてにひっぱりだし、
それがジブリの作品づくりにどうからんできたかをあきらかにしている。
渋谷さんは、鈴木敏夫さんを「アニメの神様の代弁者」
ととらえている。
鈴木さんは宮崎さん・高畑さんのおおくの作品にかかわり、
ほかにもジブリの若手監督をデビューさせてきた。
宮崎・高畑という2人の天才に映画をつくらせるに、
鈴木さんはさまざまな手をうって完成にむかわせている。
それは、鈴木さん個人がどうこうではなく、
アニメの神様が鈴木さんにさせたことであり、
だからこそだれも鈴木さんの意向にはそむけなかった、
というのが渋谷説だ。
「鈴木さんは、高畑勲、宮崎駿と出会ったことによって、
自分とも出会ったわけですよね」(渋谷)
ふたりとであうことで、鈴木敏夫は鈴木敏夫となった。
高畑勲さんの作品がいつもかならず、
どうしてもおくれるはなしがおもしろかった。
そもそも高畑さんは1作目の『太陽の王子ホルスの大冒険』をつくるとき、
1年というところを3年かけてしまい、
東映動画をめちゃくちゃにしたひとだ。
作品の質はたかかったが、お客のいりはものすごくわるかった。
『火垂るの墓』だってけっきょく公開日までに完成させることができず、
未完のまま上映されている。
今回『かぐや姫』をつくるにあたり、
鈴木敏夫さんは用心して9年も用意している。
それでもまだできあがらない
(ほんらいは『風立ちぬ』と同時に、夏に公開する予定だった)。
「九年前にね、西村義明っていうジブリの若手、
この男をね、まあどうなるかと思いつつ担当にして。
高畑さんと徹底的に付き合わせようと。
当時彼がね、二十六だったわけですよ。
現在三十五歳(笑)」(鈴木)
高畑さんはいったいどういう時間感覚のなかで
生きているひとなのか。
前作の『となりの山田くん』から14年たち、
9年かけてもまだ次作ができあがらない。
ドッグイヤーとかいって、寿命にあわせたサイクルを表現するけど、
高畑さんは人間ではなく、寿命が300年の妖怪タヌキなのかもしれない。
監督としてなぜ上映に間にあわせようとしないのかは
わたしの感覚ではとても理解できない。
そんなひとがいる、というおどろき。
そういうひとに映画をつくらせるのは、
鈴木さんでないとできない仕事だ。
ジブリをつくるときのはなしもおもしろかった。
どこに会社をつくろうかと、
鈴木さん・高畑さん、それにトップクラフト
(『ナウシカ』をつくったスタジオ)の
原さんという3人で不動産屋をまわっている。
わたしはまえにいた職場、そしていま仕事をしている
「ピピ」をはじめたときのことをおもいだす。
会社をつくるというのは、
けっきょくそうやって場所さがしからはじまるのだ。
そしてだんだんとひとがふえ、しがらみができ、
ぐちゃぐちゃといろんなことをかかえていくことになる。
それが仕事をする、ということなのだろう。
いまのジブリは鈴木さんがいないとまわらないことばかりで、
そのたいへんさを鈴木さんは
「めちゃくちゃおもしろい」とたのしんでいる。
そもそもジブリをたちあげたのは、
宮崎駿さんの映画をつくれるよう環境をととのえるためだ。
1作ごとにスタッフをあつめ、できあがったら解散、
というのをくりかえすのではなく、
作品をつくりつづけるために
会社としてスタッフを常時雇用するやり方をえらんだ。
「宮崎駿に映画を撮らせるためには、
スタジオを維持しなければいけない。
ということは、新しい才能(監督)を生んでいかなければいけない
(監督が宮崎さんだけでは、会社として作品をつくりつづられないから)。
ところが、宮崎駿という人は困った人で、
その才能を壊してしまうんですよ」
「そこで鈴木さんは、これをコントロールしなければいけない」(渋谷)
これまでジブリはなんにんものあたらしい監督に
作品をつくらせようとして、
そのたびに宮崎さんが強力なプレッシャーをくわえ
これをこわしてしまう。
そこで鈴木さんは唯一宮崎さんの介入にどうじないであろう
宮崎吾郎さん(宮崎さんのむすこ)をかつぎだしたし、
『アリエッティ』のときは監督の麻呂さんを
宮崎さんの目のとどかないところへ隔離して
つよすぎるプレッシャーからまもった。
宮崎さんにしても高畑さんにしても、
映画監督としては天才でありながら、
そろいもそろって一筋縄ではいかないひとばかりだ。
「人間的立派さを求めてもしょうがない。
面白いものつくるんだから」(鈴木)
鈴木さんは宮崎さん・高畑さんとであうことで
鈴木敏夫となったけれど、
宮崎さん・高畑さんもまた、
鈴木さんとであわなければ
映画をつくりつづけることはできなかった。
3人がであえた奇跡と、
この3人と同時代に生きることができたしあわせに感謝しよう。
ジブリのプロデューサー、鈴木敏夫さんに、
『Cut』の渋谷陽一さんがインタビューする。
ジブリの作品をとおしてだけではなく、
鈴木敏夫はどうつくられてきたかを
おいたちからふりかえる。
渋谷さんはすぐれたきき手であり、
これまでよんだインタビューは
どれもたくみに相手の本質をひきだしている。
本書でも、鈴木さんのはなしたいことをきくだけでなく、
ときには誘導尋問のようにたたみかけて、
本人の無意識をおもてにひっぱりだし、
それがジブリの作品づくりにどうからんできたかをあきらかにしている。
渋谷さんは、鈴木敏夫さんを「アニメの神様の代弁者」
ととらえている。
鈴木さんは宮崎さん・高畑さんのおおくの作品にかかわり、
ほかにもジブリの若手監督をデビューさせてきた。
宮崎・高畑という2人の天才に映画をつくらせるに、
鈴木さんはさまざまな手をうって完成にむかわせている。
それは、鈴木さん個人がどうこうではなく、
アニメの神様が鈴木さんにさせたことであり、
だからこそだれも鈴木さんの意向にはそむけなかった、
というのが渋谷説だ。
「鈴木さんは、高畑勲、宮崎駿と出会ったことによって、
自分とも出会ったわけですよね」(渋谷)
ふたりとであうことで、鈴木敏夫は鈴木敏夫となった。
高畑勲さんの作品がいつもかならず、
どうしてもおくれるはなしがおもしろかった。
そもそも高畑さんは1作目の『太陽の王子ホルスの大冒険』をつくるとき、
1年というところを3年かけてしまい、
東映動画をめちゃくちゃにしたひとだ。
作品の質はたかかったが、お客のいりはものすごくわるかった。
『火垂るの墓』だってけっきょく公開日までに完成させることができず、
未完のまま上映されている。
今回『かぐや姫』をつくるにあたり、
鈴木敏夫さんは用心して9年も用意している。
それでもまだできあがらない
(ほんらいは『風立ちぬ』と同時に、夏に公開する予定だった)。
「九年前にね、西村義明っていうジブリの若手、
この男をね、まあどうなるかと思いつつ担当にして。
高畑さんと徹底的に付き合わせようと。
当時彼がね、二十六だったわけですよ。
現在三十五歳(笑)」(鈴木)
高畑さんはいったいどういう時間感覚のなかで
生きているひとなのか。
前作の『となりの山田くん』から14年たち、
9年かけてもまだ次作ができあがらない。
ドッグイヤーとかいって、寿命にあわせたサイクルを表現するけど、
高畑さんは人間ではなく、寿命が300年の妖怪タヌキなのかもしれない。
監督としてなぜ上映に間にあわせようとしないのかは
わたしの感覚ではとても理解できない。
そんなひとがいる、というおどろき。
そういうひとに映画をつくらせるのは、
鈴木さんでないとできない仕事だ。
ジブリをつくるときのはなしもおもしろかった。
どこに会社をつくろうかと、
鈴木さん・高畑さん、それにトップクラフト
(『ナウシカ』をつくったスタジオ)の
原さんという3人で不動産屋をまわっている。
わたしはまえにいた職場、そしていま仕事をしている
「ピピ」をはじめたときのことをおもいだす。
会社をつくるというのは、
けっきょくそうやって場所さがしからはじまるのだ。
そしてだんだんとひとがふえ、しがらみができ、
ぐちゃぐちゃといろんなことをかかえていくことになる。
それが仕事をする、ということなのだろう。
いまのジブリは鈴木さんがいないとまわらないことばかりで、
そのたいへんさを鈴木さんは
「めちゃくちゃおもしろい」とたのしんでいる。
そもそもジブリをたちあげたのは、
宮崎駿さんの映画をつくれるよう環境をととのえるためだ。
1作ごとにスタッフをあつめ、できあがったら解散、
というのをくりかえすのではなく、
作品をつくりつづけるために
会社としてスタッフを常時雇用するやり方をえらんだ。
「宮崎駿に映画を撮らせるためには、
スタジオを維持しなければいけない。
ということは、新しい才能(監督)を生んでいかなければいけない
(監督が宮崎さんだけでは、会社として作品をつくりつづられないから)。
ところが、宮崎駿という人は困った人で、
その才能を壊してしまうんですよ」
「そこで鈴木さんは、これをコントロールしなければいけない」(渋谷)
これまでジブリはなんにんものあたらしい監督に
作品をつくらせようとして、
そのたびに宮崎さんが強力なプレッシャーをくわえ
これをこわしてしまう。
そこで鈴木さんは唯一宮崎さんの介入にどうじないであろう
宮崎吾郎さん(宮崎さんのむすこ)をかつぎだしたし、
『アリエッティ』のときは監督の麻呂さんを
宮崎さんの目のとどかないところへ隔離して
つよすぎるプレッシャーからまもった。
宮崎さんにしても高畑さんにしても、
映画監督としては天才でありながら、
そろいもそろって一筋縄ではいかないひとばかりだ。
「人間的立派さを求めてもしょうがない。
面白いものつくるんだから」(鈴木)
鈴木さんは宮崎さん・高畑さんとであうことで
鈴木敏夫となったけれど、
宮崎さん・高畑さんもまた、
鈴木さんとであわなければ
映画をつくりつづけることはできなかった。
3人がであえた奇跡と、
この3人と同時代に生きることができたしあわせに感謝しよう。
2013年08月17日
まさかのベルデニック監督の更迭にはおどろく
大宮アルディージャのベルデニック監督の更迭にはおどろかされた。
コンフェデ杯によるリーグ中断後からおかしくなり、
現在5連敗とくるしんでいるのはしっていた。
交代は、「チーム内の一体感がたもてなくなりつつある」
(鈴木茂代表取締役社長)とし、
以前から監督の方針に不満をもつ選手たちとの確執があったともつたえられている。
しかし、それにしても現在4位という成績をおさめているチームが
監督を交代させるのにはおどろいた。
さくシーズンとちゅうから監督に就任し、
万年残留あらそいのチームにまけない体質をふきこみ、
今シーズンにはいっても
そのままいきおいを維持してJ1連続無敗記録を更新した。
一時期は首位にもたち、いまなお4位という
まったくもってわるくない成績なのに。
シーズン当初の「まけない」アルディージャはほんとうにつよかった。
テレビの解説でも、さくシーズンに導入した
ベルデニック監督の戦術が選手たちに浸透し、
堅守速攻というまよいのないプレーが結果をだしつつある、と
さかににベルデニック監督の手腕をもちあげていた。
その監督が、まさか更迭されるとは。
16日にはベルデニック前監督とのおわかれ会がひらかれ、
50人ほどのサポーターがあつまったという。
たった50人。
しつこいようだが、J1連続無敗記録を更新し、
一時期は首位にもたったのが、
つい先日のこととはとてもしんじられない。
突然の解任のはずなのに、
なんだかあらかじめきまっていたすじがきのように
淡々とながれがすすむ。
突然でありながら自然な結末ととらえられているのが
ベルデニック前監督のさみしさとくやしさをおもう。
おおくの監督がこうして現場をさっていったとはいえ、
本人がいちばんしんじられないうごきだったのではないか。
ひねくれたみかたをすれば、
これでまた残留あらそいのレースに
アルディージャがくわわる可能性がうまれたともいえる。
秋がふかまったころ、なんだかんだいって
アルディージャはいつも定位置にいますなー、
ということになれば、それはそれでおもしろいけど。
コンフェデ杯によるリーグ中断後からおかしくなり、
現在5連敗とくるしんでいるのはしっていた。
交代は、「チーム内の一体感がたもてなくなりつつある」
(鈴木茂代表取締役社長)とし、
以前から監督の方針に不満をもつ選手たちとの確執があったともつたえられている。
しかし、それにしても現在4位という成績をおさめているチームが
監督を交代させるのにはおどろいた。
さくシーズンとちゅうから監督に就任し、
万年残留あらそいのチームにまけない体質をふきこみ、
今シーズンにはいっても
そのままいきおいを維持してJ1連続無敗記録を更新した。
一時期は首位にもたち、いまなお4位という
まったくもってわるくない成績なのに。
シーズン当初の「まけない」アルディージャはほんとうにつよかった。
テレビの解説でも、さくシーズンに導入した
ベルデニック監督の戦術が選手たちに浸透し、
堅守速攻というまよいのないプレーが結果をだしつつある、と
さかににベルデニック監督の手腕をもちあげていた。
その監督が、まさか更迭されるとは。
16日にはベルデニック前監督とのおわかれ会がひらかれ、
50人ほどのサポーターがあつまったという。
たった50人。
しつこいようだが、J1連続無敗記録を更新し、
一時期は首位にもたったのが、
つい先日のこととはとてもしんじられない。
突然の解任のはずなのに、
なんだかあらかじめきまっていたすじがきのように
淡々とながれがすすむ。
突然でありながら自然な結末ととらえられているのが
ベルデニック前監督のさみしさとくやしさをおもう。
おおくの監督がこうして現場をさっていったとはいえ、
本人がいちばんしんじられないうごきだったのではないか。
ひねくれたみかたをすれば、
これでまた残留あらそいのレースに
アルディージャがくわわる可能性がうまれたともいえる。
秋がふかまったころ、なんだかんだいって
アルディージャはいつも定位置にいますなー、
ということになれば、それはそれでおもしろいけど。
2013年08月16日
初盆で配偶者の実家へ まさかのネットカフェにもでかける
義理の母の初盆で、配偶者の実家へ。
ぶじお寺さんのお経がおわり、お墓にまいると、もうすることがない。
高校野球をやってるけど、まったく興味がないし、
ほかの番組だってわたしにとっては似たようなものだ。
それがおとといのはなし。
きのうは、まるいちにちをどうすごすかという課題にむきあった。
午前はまだすずしさがのこり、もってきていた本をよめたけど、
午後からはあつさでなにもする気になれない
(エアコンが2台あるけど、その2台で
5部屋40帖をひやさなければならず、ほとんど意味がない)。
ろうかにつんである古新聞もぜんぶ目をとおした。
予定どおり、ちかくの町にあるブックオフ風の古本屋兼レンタルビデオ店に
でかけることにする。
そこで本をさがしたあと、喫茶店で本をよむつもりだった。
古本屋のいり口にはってある、ネットカフェのポスターが目にはいった。
105円の本を3冊えらんだあと、
店員さんにそのネットカフェの場所をきいて
そこで2時間ほどすごすことにする。
せっかくあまりしらない町にきてるのだから、
一か八かで喫茶店をさがすほうがおもしろいだろうに、
つい安直な選択をしてしまった。
配偶者の実家でゆっくりして、親戚とおしゃべりをするいい機会なのに、
たいていなにか理由をつくっては家をあけてしまう。
なにもしないでゴロゴロをつづけるのは、
わたしにはあまりにもたいくつなのだ。
親戚づきあいをめんどくさがるわかい世代のはなしをきくと、
自分のすきなことばかりやっていてはダメだろう、
なんてえらそうなことをいいたくなるのに、
まさか自分がネットカフェににげこんでしまうとは。
ネットカフェはたてもの全体がうすぐらくてタバコくさく、
イスもリクライニングがすぎてくつろげない。
ただ、へんな音楽がかかっておらず、しずかなのはありがたかった。
なんとかおちつける姿勢をつくり、ブログをかいてアップする。
マッサージ機の部屋もえらべたので、
さいごに15分ほどもんでもらった。
けっきょくわたしにとって自由が、
そして日常生活がいかに大切か、
ということなのだろう。
いつもとおなじような食事をし、
おなじようなリズムでくらすことが
いまのわたしにはなによりもありがたい。
お盆と正月は、自分のおもいどおりにうごくわけにいかないので、
いつもこの時期がすぎるとホッとすることになる。
あまりにも自分をだいじにしすぎており、
そういう人間がわたしはきらいなのに、
やっていることはまさしく自分勝手な若造でしかない。
2時間をすすしい場所ですごし、
おもいがけずサイトのチェックもできて
自分がやりたかったことをしたはずなのに
なんとなくうしろめたさをかかえて配偶者の実家へもどる。
夕食までの1時間は、罪ほろぼしのつもりで
親戚とのおしゃべりにはげんだ、というのはもちろんウソで、
えんがわにすわってよみのこしの本をひらく。
まったくの日曜だった。
ぶじお寺さんのお経がおわり、お墓にまいると、もうすることがない。
高校野球をやってるけど、まったく興味がないし、
ほかの番組だってわたしにとっては似たようなものだ。
それがおとといのはなし。
きのうは、まるいちにちをどうすごすかという課題にむきあった。
午前はまだすずしさがのこり、もってきていた本をよめたけど、
午後からはあつさでなにもする気になれない
(エアコンが2台あるけど、その2台で
5部屋40帖をひやさなければならず、ほとんど意味がない)。
ろうかにつんである古新聞もぜんぶ目をとおした。
予定どおり、ちかくの町にあるブックオフ風の古本屋兼レンタルビデオ店に
でかけることにする。
そこで本をさがしたあと、喫茶店で本をよむつもりだった。
古本屋のいり口にはってある、ネットカフェのポスターが目にはいった。
105円の本を3冊えらんだあと、
店員さんにそのネットカフェの場所をきいて
そこで2時間ほどすごすことにする。
せっかくあまりしらない町にきてるのだから、
一か八かで喫茶店をさがすほうがおもしろいだろうに、
つい安直な選択をしてしまった。
配偶者の実家でゆっくりして、親戚とおしゃべりをするいい機会なのに、
たいていなにか理由をつくっては家をあけてしまう。
なにもしないでゴロゴロをつづけるのは、
わたしにはあまりにもたいくつなのだ。
親戚づきあいをめんどくさがるわかい世代のはなしをきくと、
自分のすきなことばかりやっていてはダメだろう、
なんてえらそうなことをいいたくなるのに、
まさか自分がネットカフェににげこんでしまうとは。
ネットカフェはたてもの全体がうすぐらくてタバコくさく、
イスもリクライニングがすぎてくつろげない。
ただ、へんな音楽がかかっておらず、しずかなのはありがたかった。
なんとかおちつける姿勢をつくり、ブログをかいてアップする。
マッサージ機の部屋もえらべたので、
さいごに15分ほどもんでもらった。
けっきょくわたしにとって自由が、
そして日常生活がいかに大切か、
ということなのだろう。
いつもとおなじような食事をし、
おなじようなリズムでくらすことが
いまのわたしにはなによりもありがたい。
お盆と正月は、自分のおもいどおりにうごくわけにいかないので、
いつもこの時期がすぎるとホッとすることになる。
あまりにも自分をだいじにしすぎており、
そういう人間がわたしはきらいなのに、
やっていることはまさしく自分勝手な若造でしかない。
2時間をすすしい場所ですごし、
おもいがけずサイトのチェックもできて
自分がやりたかったことをしたはずなのに
なんとなくうしろめたさをかかえて配偶者の実家へもどる。
夕食までの1時間は、罪ほろぼしのつもりで
親戚とのおしゃべりにはげんだ、というのはもちろんウソで、
えんがわにすわってよみのこしの本をひらく。
まったくの日曜だった。
2013年08月15日
国際親善試合 日本対ウルグアイ これからザッケローニ監督がうってくる手がたのしみ
国際親善試合 日本対ウルグアイ
前回W杯4位のウルグアイ。
今回の予選では、南米で5位(4位までが本大会に出場)
とくるしんでいるそうだ。
入場してきた選手をみると、フォルランとスアレスがいる。
この試合のためにわざわざ日本にきてくれたことをよろこぶ。
カバーニがいないのは残念だが、
いなくてよかった、とは、あとからおもったことだ。
心配していた試合のはいりかた。
このごろの日本は、試合開始そうそうに失点してしまい、
相手に主導権をにぎられることがおおい。
さいわいこの試合は(相手のミスにもたすけられ)
バタバタしないでよくまもっている。
とはいえ前半12分にスアレスがぬけだして
キーパーと1対1になる場面があった。
さいわい川島のファインセーブで失点をまぬがれる。
27分には一瞬のスキをついてスアレスがゴールまえにはいりこむ。
吉田マヤがつききれなかったかたちだ。
フォルランがラストパスをうけ、簡単に先制をゆるしてしまった。
その数分後にはセットプレーからフォルランにまたゴールをきめられる。
それ以降は日本にいいところがなく、みていて点がはいる気がしない。
ウルグアイは、日本にボールをもたせても、
ときどきつかむチャンスをぜんぶいかして枠内にシュートをはなつ。
こまかいパスまわしというより、
ちからずくでゴリゴリおしてくる。
ウルグアイの選手たちは余裕の笑顔をうかべてのプレーだ。
本気モードではないのがつたわってくる。
後半5分には、吉田のクリアーしようとしたボールが(つなごうとしたのか?)
スアレスにわたりフリーでシュートをはなたれる。3点目。
4点目は川島がつりだされ、ゴールがあいたところに
相手がおりかえしてヘディングをきめる。
練習試合をしてるようにかんたんにくずされ、確実にきめられる。
けっきょく2−4という完敗におわった。
ウルグアイのつよさが印象にのこる。
吉田マヤは後半11分に伊野波にかえられた。
ひきつった表情でピッチをあとにする。
このところの不安定なプレーで、監督の信頼をうしなっただろうか。
先発した柿谷は、なんどか「らしい」プレーがあったものの、
ウルグアイのかたいまもりにはばまれてきめきれない。
後半19分には豊田と交代するが、
豊田にもなかなかボールがあつまらない。
豊田へのパスがぜんぶ相手によまれていた。
コンフェデといい、この試合といい、
つよい相手とやったときの日本は
試合はこびのつたなさが目についてしまう。
ひいている相手に不用意に攻撃をしかけ、
カウンターをくう。
ボールポゼッションがたかくても、
ただまわさせられているだけで、
決定的なチャンスはつくれない。
攻撃については、この試合でも
ウルグアイをくずしての得点ができており、
まずまず機能しているといえるだろう。
問題は相手のカウンターにあったときの対応で、
いくら「スキをつくらないこと」と
気もちの面を強調しても、失点がへったわけではない。
ザッケローニ監督は、パスをまわし、点をとるサッカーをめざすといっており、
いまからひいてまもる戦術にかえることはないだろう。
となれば、ひとをかえてみることになる。
吉田マヤがつかえないとなると、
日本はセンターバックにだれをもってくるだろう。
たかさよりもスピードを重視したセンターバックにするのか、
いよいよトゥーリオ待望論がもりあがるのか。
森重と今野とのコンビはまだためされておらず、
つぎの試合でザッケローニ監督は
この2人をつかってくるのではないか。
でないと、もうあとがないから。
いくら相手よりおおくの点をとるサッカーをめざす、とはいっても、
かんたんに4失点するようではなかなかかてない。
もちろん、コンフェデで対戦したブラジル・メキシコ・イタリア、
そして今回のウルグアイはいずれも格上であり、
日本がそうたやすくかてる相手ではない。
だからこそ意味のあったマッチメイクだったわけで、
この4試合から得たデーターを、
W杯本番にどういかしていくかがとわれる。
いい経験をした。
このままではつうじないことがよくわかった。
これからザッケローニ監督がうってくる手がたのしみだ。
前回W杯4位のウルグアイ。
今回の予選では、南米で5位(4位までが本大会に出場)
とくるしんでいるそうだ。
入場してきた選手をみると、フォルランとスアレスがいる。
この試合のためにわざわざ日本にきてくれたことをよろこぶ。
カバーニがいないのは残念だが、
いなくてよかった、とは、あとからおもったことだ。
心配していた試合のはいりかた。
このごろの日本は、試合開始そうそうに失点してしまい、
相手に主導権をにぎられることがおおい。
さいわいこの試合は(相手のミスにもたすけられ)
バタバタしないでよくまもっている。
とはいえ前半12分にスアレスがぬけだして
キーパーと1対1になる場面があった。
さいわい川島のファインセーブで失点をまぬがれる。
27分には一瞬のスキをついてスアレスがゴールまえにはいりこむ。
吉田マヤがつききれなかったかたちだ。
フォルランがラストパスをうけ、簡単に先制をゆるしてしまった。
その数分後にはセットプレーからフォルランにまたゴールをきめられる。
それ以降は日本にいいところがなく、みていて点がはいる気がしない。
ウルグアイは、日本にボールをもたせても、
ときどきつかむチャンスをぜんぶいかして枠内にシュートをはなつ。
こまかいパスまわしというより、
ちからずくでゴリゴリおしてくる。
ウルグアイの選手たちは余裕の笑顔をうかべてのプレーだ。
本気モードではないのがつたわってくる。
後半5分には、吉田のクリアーしようとしたボールが(つなごうとしたのか?)
スアレスにわたりフリーでシュートをはなたれる。3点目。
4点目は川島がつりだされ、ゴールがあいたところに
相手がおりかえしてヘディングをきめる。
練習試合をしてるようにかんたんにくずされ、確実にきめられる。
けっきょく2−4という完敗におわった。
ウルグアイのつよさが印象にのこる。
吉田マヤは後半11分に伊野波にかえられた。
ひきつった表情でピッチをあとにする。
このところの不安定なプレーで、監督の信頼をうしなっただろうか。
先発した柿谷は、なんどか「らしい」プレーがあったものの、
ウルグアイのかたいまもりにはばまれてきめきれない。
後半19分には豊田と交代するが、
豊田にもなかなかボールがあつまらない。
豊田へのパスがぜんぶ相手によまれていた。
コンフェデといい、この試合といい、
つよい相手とやったときの日本は
試合はこびのつたなさが目についてしまう。
ひいている相手に不用意に攻撃をしかけ、
カウンターをくう。
ボールポゼッションがたかくても、
ただまわさせられているだけで、
決定的なチャンスはつくれない。
攻撃については、この試合でも
ウルグアイをくずしての得点ができており、
まずまず機能しているといえるだろう。
問題は相手のカウンターにあったときの対応で、
いくら「スキをつくらないこと」と
気もちの面を強調しても、失点がへったわけではない。
ザッケローニ監督は、パスをまわし、点をとるサッカーをめざすといっており、
いまからひいてまもる戦術にかえることはないだろう。
となれば、ひとをかえてみることになる。
吉田マヤがつかえないとなると、
日本はセンターバックにだれをもってくるだろう。
たかさよりもスピードを重視したセンターバックにするのか、
いよいよトゥーリオ待望論がもりあがるのか。
森重と今野とのコンビはまだためされておらず、
つぎの試合でザッケローニ監督は
この2人をつかってくるのではないか。
でないと、もうあとがないから。
いくら相手よりおおくの点をとるサッカーをめざす、とはいっても、
かんたんに4失点するようではなかなかかてない。
もちろん、コンフェデで対戦したブラジル・メキシコ・イタリア、
そして今回のウルグアイはいずれも格上であり、
日本がそうたやすくかてる相手ではない。
だからこそ意味のあったマッチメイクだったわけで、
この4試合から得たデーターを、
W杯本番にどういかしていくかがとわれる。
いい経験をした。
このままではつうじないことがよくわかった。
これからザッケローニ監督がうってくる手がたのしみだ。
2013年08月14日
『文藝別冊いしいひさいち 仁義なきお笑い』わたしがだいすきな いしいひさいちの世界
『文藝別冊いしいひさいち 仁義なきお笑い』(河出書房新社)
いきつけの本屋さんに、文藝別冊のコーナーがつくられていた。
超有名人にまじっていしいひさいち氏の別冊がおいてある。
きょねんの6月に出版されていたのに、かいそびれていたものだ。
わたしの家は以前から朝日新聞を購読しており、
『ののちゃん』と『地球防衛家のヒトビト』(しりあがり寿)を
毎朝たのしんでいる。
この2作の連載は、新聞の歴史において
どう客観的にみても最強であり、
いかにも朝日新聞らしい説教くささにあふれた
フジ三太郎の時代にくらべ、
どれだけ新聞をひらくたのしみがましたことか。
いちど、3ヶ月のあいだ、
いしい氏が病気療養のため休載した時期があり、
いしい氏のまんがのない朝が、どれだけ味けないものか身にしみた。
「でっちあげインタビュー」にあるとおり、
いしひひさいち氏は
「まんが家としてよりも取材に応じないことの方で有名」
なのだそうで、
そのいしい氏を対象によくこんな別冊がつくられたものだ。
記者 「アイデアにこまったということはありましたか?」
いしい「ほかにすることもないので常にストックしていて
こまるということはありませんでした」
記者 「もう辞めたいと思ったことは?」
いしい「そのストックで描くとたいてい駄作で
辞めたいと思いました」
「でっちあげ」と称しながら、
ほんとうにおこなわれたインタビューっぽいし、
ほかにも「仕事場&アイデアノート大公開」の企画など
資料的な価値もたかい。
わたしが大学生のころ、「タブチくん」や「バイトくん」に
どれだけわらったかをおもいだした。
特別寄稿マンガとして、とり・みき氏が
「ロカちゃん」をよせている。
ロカちゃんとは、ファド歌手をめざす高3の女の子で
ののちゃんにときどきでてくる。
とり・みき氏は「なんと彼女には首や関節がある!!サ骨もある」
と重大な指摘をしており、わたしはいしい氏のかくキャラクターに
首や関節がないことにはじめて気づいた。
とり・みき氏は、ほかにも藤原先生を例にあげ、
ふつう男性マンガ家がみのがしてしまう
リアル(すぎる)な髪の処理や線のつかい方にふれ、
アイデアだけでなく絵のたくみさにおいても
いしい氏の実力についておしえてくれる。
そういえば、いしい氏のかく似顔絵、たとえば「シノヅカ」などは、
失敗したふくわらいみたいに
目と鼻がテキトーに配置されている。
それがどうみても「シノヅカ」なのは
よほどたくみに線をとらえているのだろう。
ロカちゃんは、残念ながら
「朝日新聞のコアな読者には
たいへん評判がわるかった連載内連載、
いわゆる吉川ロカシリーズは
3月24日付朝刊の漫画をもって終了しました」
ということだ。
朝日新聞の、いかにもあたまのかたそうな読者を相手に
どの線がギリギリの許容範囲かを
さぐりながらの連載になるのだろう。
もっとも、わたしもひとのことをいえず、
「ののちゃん」をみても
そのおもしろさが理解できないことがまれにある。
むすこにきいてもだめなことがおおいので、
年代というよりはほかのなにかが
わたしの家族にはかけているみたいだ。
別の特別寄稿では西原理恵子氏が、
「はるか昔、30年も40年も前のころ
日本中の漫画家になりたい女の子が
みんなベルバラを描いていたころーーー。
私は地底人を写し描きしていた」
と告白している。
「ホッペと口のとこのバカ線が
とってもむつかしくて」ということだ。
西原氏はかねてよりいしい氏のタッチをパクっていたそうで
「四コマの起承転結のハズし方やら
キャラの憎らしかわいいのとか
ねっもうマネしまくりのそっくりさんでしょ ホラホラ」
「私もパクってんだよ。
誰か気づけよ」
気づかなかった。
いしい氏が、どれだけおおくの漫画家に
4コママンガの真髄をつたえたか、はかりしれない。
そして「ののちゃん」世界のひとびとによるトホホな思想は、
大上段にかまえた社説や特集よりも
はるかにつよい影響を読者にあたえてきた。
そうでなければ地球はもっとはやく地底人に征服され、
防衛家のヒトビトのたすけが必要だったはずだ。
いきつけの本屋さんに、文藝別冊のコーナーがつくられていた。
超有名人にまじっていしいひさいち氏の別冊がおいてある。
きょねんの6月に出版されていたのに、かいそびれていたものだ。
わたしの家は以前から朝日新聞を購読しており、
『ののちゃん』と『地球防衛家のヒトビト』(しりあがり寿)を
毎朝たのしんでいる。
この2作の連載は、新聞の歴史において
どう客観的にみても最強であり、
いかにも朝日新聞らしい説教くささにあふれた
フジ三太郎の時代にくらべ、
どれだけ新聞をひらくたのしみがましたことか。
いちど、3ヶ月のあいだ、
いしい氏が病気療養のため休載した時期があり、
いしい氏のまんがのない朝が、どれだけ味けないものか身にしみた。
「でっちあげインタビュー」にあるとおり、
いしひひさいち氏は
「まんが家としてよりも取材に応じないことの方で有名」
なのだそうで、
そのいしい氏を対象によくこんな別冊がつくられたものだ。
記者 「アイデアにこまったということはありましたか?」
いしい「ほかにすることもないので常にストックしていて
こまるということはありませんでした」
記者 「もう辞めたいと思ったことは?」
いしい「そのストックで描くとたいてい駄作で
辞めたいと思いました」
「でっちあげ」と称しながら、
ほんとうにおこなわれたインタビューっぽいし、
ほかにも「仕事場&アイデアノート大公開」の企画など
資料的な価値もたかい。
わたしが大学生のころ、「タブチくん」や「バイトくん」に
どれだけわらったかをおもいだした。
特別寄稿マンガとして、とり・みき氏が
「ロカちゃん」をよせている。
ロカちゃんとは、ファド歌手をめざす高3の女の子で
ののちゃんにときどきでてくる。
とり・みき氏は「なんと彼女には首や関節がある!!サ骨もある」
と重大な指摘をしており、わたしはいしい氏のかくキャラクターに
首や関節がないことにはじめて気づいた。
とり・みき氏は、ほかにも藤原先生を例にあげ、
ふつう男性マンガ家がみのがしてしまう
リアル(すぎる)な髪の処理や線のつかい方にふれ、
アイデアだけでなく絵のたくみさにおいても
いしい氏の実力についておしえてくれる。
そういえば、いしい氏のかく似顔絵、たとえば「シノヅカ」などは、
失敗したふくわらいみたいに
目と鼻がテキトーに配置されている。
それがどうみても「シノヅカ」なのは
よほどたくみに線をとらえているのだろう。
ロカちゃんは、残念ながら
「朝日新聞のコアな読者には
たいへん評判がわるかった連載内連載、
いわゆる吉川ロカシリーズは
3月24日付朝刊の漫画をもって終了しました」
ということだ。
朝日新聞の、いかにもあたまのかたそうな読者を相手に
どの線がギリギリの許容範囲かを
さぐりながらの連載になるのだろう。
もっとも、わたしもひとのことをいえず、
「ののちゃん」をみても
そのおもしろさが理解できないことがまれにある。
むすこにきいてもだめなことがおおいので、
年代というよりはほかのなにかが
わたしの家族にはかけているみたいだ。
別の特別寄稿では西原理恵子氏が、
「はるか昔、30年も40年も前のころ
日本中の漫画家になりたい女の子が
みんなベルバラを描いていたころーーー。
私は地底人を写し描きしていた」
と告白している。
「ホッペと口のとこのバカ線が
とってもむつかしくて」ということだ。
西原氏はかねてよりいしい氏のタッチをパクっていたそうで
「四コマの起承転結のハズし方やら
キャラの憎らしかわいいのとか
ねっもうマネしまくりのそっくりさんでしょ ホラホラ」
「私もパクってんだよ。
誰か気づけよ」
気づかなかった。
いしい氏が、どれだけおおくの漫画家に
4コママンガの真髄をつたえたか、はかりしれない。
そして「ののちゃん」世界のひとびとによるトホホな思想は、
大上段にかまえた社説や特集よりも
はるかにつよい影響を読者にあたえてきた。
そうでなければ地球はもっとはやく地底人に征服され、
防衛家のヒトビトのたすけが必要だったはずだ。
2013年08月13日
『ドーバーばばぁ』(中島久枝)生きるために挑戦した女性たち
『ドーバーばばぁ』(中島久枝・新潮文庫)
54歳から67歳という、6人の女性からなる「チーム織姫」が
ドーバー海峡をリレーで横断した記録。
著者の中島さんは映画監督で、
この挑戦を「ドーバーばばぁ 織姫たちの挑戦」という映画にしており、
この本はそれを書籍化したものだ。
わたしは以前、日本人ではじめてドーバー海峡横断を成功させた
大貫暎子さんの本『ドーバー海峡およいじゃった』をよんだことがある。
ドーバー海峡は、夏でも水温が16℃前後とものすごくつめたい。
34キロの距離よりも、このつめたさと、
潮のながれのきつさがおおきな関門となっている。
大貫さんは成功させた当時(1982年)大学生で、
高校生までつづけていた水泳はインターハイにもうすこし、
というたかいレベルの一流泳者だった。
「チーム織姫」のメンバーは、トライアスロンの選手だったり
熱心な市民スイマーだったりではあるけれど、
40歳から水泳をはじめたようなひとが主流のチームだ。
そんなメンバーでも、その気になれば
こんなすばらしい挑戦ができるというすぐれた記録となった。
『ドーバーばばぁ』をよんでかんじるのは、
「チーム織姫」に参加したメンバーたちの真剣さだ。
中高年の女性6名というということから、
和気あいあいの仲よしチームをイメージしたけれど、
そんなあまいものではなく、実態は大学の体育会系運動部にちかい。
どのメンバーも家族や職場から条件をかちとっての参加であり、
ドーバーへの挑戦にかけるおもいは切実だ。
わたしからすると、あまりにもあそびごころのない「チーム織姫」の挑戦は
きゅうくつにおもえてくる。
しかし、彼女たちは人生をかけ、真剣にとりくんでいるのであり、
そういう意味ではオリンピック入賞をねらう
シンクロの代表チームみたいなものといえる。
きびしさとつよさをメンバーどうしが要求しあってチーム力をたかめる。
ドーバーをめざすにあたり、信頼関係が万全でなければ
チームとして機能しない。
おたがいに不信感をかかえていては、
ギリギリの状況においこまれたときに破綻してしまうだろう。
あるメンバーが、自分の判断だけで脊椎の手術をきめ、
実施したことから違和感がうまれたことがあり、
けっきょくこのひとは(ほかのケガも影響したにせよ)
参加をみおくる判断をした。
リーダーの大河原さんは
「手術をして、自分なりにリハビリがんばって、
自分のチャレンジをがんばれるかもしれないけど、
じゃあこちらの残った五人のチャレンジはどうなるの?」(中略)
私たちを自身も家族を犠牲にして、いろんなことを犠牲にして、
それでも夢を持ってやってるわけだから、そのあたり、
心にちょっとギシギシっとしたものが生まれちゃったんですよ」
と、自分たちがかんじた不信感をはっきりと相手につたえている。
そこまでしないと成功にたどりつけないきびしさがドーバーにはある。
ドーバー海峡横断は、チームでいどむとしても
たかいハードルをいくつもクリアーしなければならない。
夏のかぎられた時期しか挑戦することができず、
気象条件やほかの参加者とのかねあいがうまくいかないと、
スタートすらできないで挑戦がおわることもある。
あるレベル以上の泳力がなければ、
潮のながれにおしもどされてすすむことができない。
時間をかければ成功するというものではなく、
スピードで潮をのりきるちからがもとめられる。
といって、いくら泳力があっても
水先案内人としてのパイロットと伴走船にもめぐまれなければ完泳できなし、
年齢的にも「あとがない」ひともいる。
運もまた、どうしても必要な条件としてあげなければならない。
水温16℃がどれだけつめたいかというと、
ふつう競泳がおこなわれるプールは25℃前後で、
この水温だとゆっくりおよいでいてはさむさがつのってくる。
それよりも10℃水温がひくいと、
ふつうの意味では水泳ができる環境ではなく、
低体温症をまねきかねない危険なコンディションだ。
さむさにからだがいうことをきかなくなると、
いくら気もちがあってもおよぎつづけるのは不可能となる。
わたしが競泳をしていたころ、
5月の連休あけからそとのプールでおよぐのが一般的で、
そのときの水温はたいてい20℃をきっていた。
いい天気がつづいたあとで20℃をうわまわると、
「さすがに20℃をこえるとちがうもんだ」、と
ひどく感心したことをおぼえている。
やせっぽちのわたしは、シーズンはじめのつめたい水が
ほんとうに苦手だった。
まともな思考はできなくなるし、水からあがってもしばらくは
からだがうごかない。
からだがかたまってしまい、靴下をはくことさえできなくなる。
こうしたつらさに6人の女性が挑戦しようときめたのは、
それぞれの事情があるにせよ
ひとまとめにしていうと、「挑戦することが生きること」だったからだ。
ドーバー海峡横断をやらずに、ただ生きるのではなんの人生か、
というひとたちだったからこそ、この挑戦が計画・実行され、
みごとに成功させることができた。
ドーバーをおよぎきったからといって、
とうぜんのことながら、なにかが確実にかわるわけではない。
それでも自分でこの挑戦をきめ、練習にとりくみ
夢を実現させた「チーム織姫」の健闘をたかく評価する。
余談ながら、メンバーのなんにんかは
ドーバーへの挑戦を家族(おおくは配偶者)から
「承諾」してもらうのに苦労している。
自分がきめたことを自分の責任においてやるのに、
なんで配偶者がああだこうだいうのだろう。
著者はメンバーの家族にあまりにもページをさきすぎている。
家族がどう反応したかよりも、
じっさいにおよぐ彼女たちのかんがえを
もっとしりたいとおもった。
54歳から67歳という、6人の女性からなる「チーム織姫」が
ドーバー海峡をリレーで横断した記録。
著者の中島さんは映画監督で、
この挑戦を「ドーバーばばぁ 織姫たちの挑戦」という映画にしており、
この本はそれを書籍化したものだ。
わたしは以前、日本人ではじめてドーバー海峡横断を成功させた
大貫暎子さんの本『ドーバー海峡およいじゃった』をよんだことがある。
ドーバー海峡は、夏でも水温が16℃前後とものすごくつめたい。
34キロの距離よりも、このつめたさと、
潮のながれのきつさがおおきな関門となっている。
大貫さんは成功させた当時(1982年)大学生で、
高校生までつづけていた水泳はインターハイにもうすこし、
というたかいレベルの一流泳者だった。
「チーム織姫」のメンバーは、トライアスロンの選手だったり
熱心な市民スイマーだったりではあるけれど、
40歳から水泳をはじめたようなひとが主流のチームだ。
そんなメンバーでも、その気になれば
こんなすばらしい挑戦ができるというすぐれた記録となった。
『ドーバーばばぁ』をよんでかんじるのは、
「チーム織姫」に参加したメンバーたちの真剣さだ。
中高年の女性6名というということから、
和気あいあいの仲よしチームをイメージしたけれど、
そんなあまいものではなく、実態は大学の体育会系運動部にちかい。
どのメンバーも家族や職場から条件をかちとっての参加であり、
ドーバーへの挑戦にかけるおもいは切実だ。
わたしからすると、あまりにもあそびごころのない「チーム織姫」の挑戦は
きゅうくつにおもえてくる。
しかし、彼女たちは人生をかけ、真剣にとりくんでいるのであり、
そういう意味ではオリンピック入賞をねらう
シンクロの代表チームみたいなものといえる。
きびしさとつよさをメンバーどうしが要求しあってチーム力をたかめる。
ドーバーをめざすにあたり、信頼関係が万全でなければ
チームとして機能しない。
おたがいに不信感をかかえていては、
ギリギリの状況においこまれたときに破綻してしまうだろう。
あるメンバーが、自分の判断だけで脊椎の手術をきめ、
実施したことから違和感がうまれたことがあり、
けっきょくこのひとは(ほかのケガも影響したにせよ)
参加をみおくる判断をした。
リーダーの大河原さんは
「手術をして、自分なりにリハビリがんばって、
自分のチャレンジをがんばれるかもしれないけど、
じゃあこちらの残った五人のチャレンジはどうなるの?」(中略)
私たちを自身も家族を犠牲にして、いろんなことを犠牲にして、
それでも夢を持ってやってるわけだから、そのあたり、
心にちょっとギシギシっとしたものが生まれちゃったんですよ」
と、自分たちがかんじた不信感をはっきりと相手につたえている。
そこまでしないと成功にたどりつけないきびしさがドーバーにはある。
ドーバー海峡横断は、チームでいどむとしても
たかいハードルをいくつもクリアーしなければならない。
夏のかぎられた時期しか挑戦することができず、
気象条件やほかの参加者とのかねあいがうまくいかないと、
スタートすらできないで挑戦がおわることもある。
あるレベル以上の泳力がなければ、
潮のながれにおしもどされてすすむことができない。
時間をかければ成功するというものではなく、
スピードで潮をのりきるちからがもとめられる。
といって、いくら泳力があっても
水先案内人としてのパイロットと伴走船にもめぐまれなければ完泳できなし、
年齢的にも「あとがない」ひともいる。
運もまた、どうしても必要な条件としてあげなければならない。
水温16℃がどれだけつめたいかというと、
ふつう競泳がおこなわれるプールは25℃前後で、
この水温だとゆっくりおよいでいてはさむさがつのってくる。
それよりも10℃水温がひくいと、
ふつうの意味では水泳ができる環境ではなく、
低体温症をまねきかねない危険なコンディションだ。
さむさにからだがいうことをきかなくなると、
いくら気もちがあってもおよぎつづけるのは不可能となる。
わたしが競泳をしていたころ、
5月の連休あけからそとのプールでおよぐのが一般的で、
そのときの水温はたいてい20℃をきっていた。
いい天気がつづいたあとで20℃をうわまわると、
「さすがに20℃をこえるとちがうもんだ」、と
ひどく感心したことをおぼえている。
やせっぽちのわたしは、シーズンはじめのつめたい水が
ほんとうに苦手だった。
まともな思考はできなくなるし、水からあがってもしばらくは
からだがうごかない。
からだがかたまってしまい、靴下をはくことさえできなくなる。
こうしたつらさに6人の女性が挑戦しようときめたのは、
それぞれの事情があるにせよ
ひとまとめにしていうと、「挑戦することが生きること」だったからだ。
ドーバー海峡横断をやらずに、ただ生きるのではなんの人生か、
というひとたちだったからこそ、この挑戦が計画・実行され、
みごとに成功させることができた。
ドーバーをおよぎきったからといって、
とうぜんのことながら、なにかが確実にかわるわけではない。
それでも自分でこの挑戦をきめ、練習にとりくみ
夢を実現させた「チーム織姫」の健闘をたかく評価する。
余談ながら、メンバーのなんにんかは
ドーバーへの挑戦を家族(おおくは配偶者)から
「承諾」してもらうのに苦労している。
自分がきめたことを自分の責任においてやるのに、
なんで配偶者がああだこうだいうのだろう。
著者はメンバーの家族にあまりにもページをさきすぎている。
家族がどう反応したかよりも、
じっさいにおよぐ彼女たちのかんがえを
もっとしりたいとおもった。
2013年08月12日
ブックスキャンした本を、ペーパーホワイトでどうやってよむか
ブックスキャンから「書籍のPDF変換完了のお知らせ」がとどいた。
5月に25冊分を依頼し、8月10日におくったら、
たった1日でスキャンされたのだ。
さっそくキンドルペーパーホワイトでよんでみる。
まず、ブックスキャンの「マイ本棚」に保存されているPDFを
ダウンロードして自分のパソコンにとりこむ。
そこからアマゾンの「My Kindle」に
「Send To Kindle」というソフトでおくるのだけど、
ファイルが50Mをこえるとうけつけられない、
と表示され、さっそくこまってしまった。
これは、ダウンロードするまえにブックスキャンのサービスである
「チューニングラボ」を利用することで解決した。
このチューニングラボとは、PDF書類をみやすいように
末端にあわせて最適化するもので、
このサービスに依頼するとたしかに文字がくっきりするし、
ファイルのサイズが2/3くらいちいさくなる。
わたしがブックスキャンにおくったのは、
おおくても400ページの本なので、
チューニングラボをとおすことで
どれも50M以下におさまってくれた。
もうひとつめんどくさいのは、
PDF書類が「0101-201302509302235020130811102105555.pdf」
とかのファイル名であわらわれており、どのファイルがどの本なのかが
ダウンロードしないとわからないことだ。
プレミア会員だと、はじめから本の名前をファイルにつけてくれるけど、
一般会員の場合はオプションのサービスをつかうと
1冊50円がべつにかかってしまう。
ダウンロードしたあとで、1冊ずつファイル名を本の名前になおした。
とにかくそうやって「My Kindle」におくれば、
あとは自動的にそれぞれの末端に配信されるわけだけど、
ペーパーホワイトでよもうとすると、
残念ながら文字がちいさすぎて実用にならないことがわかった。
ペーパーホワイトでPDF書類をあつかうときには、
ページごとに文字のサイズをおおきくしなければならないし、
画面にあったおおきさにはなかなかならないので、
スクロールしながらよむことになる。
1ページごとにそれをくりかえす気にはさすがになれない。
iPadだときれいに表示されるし、iPadミニでもたぶん大丈夫だ。
わたしが電子書籍をよむのに最適だとかんがえた
6インチ画面のペーパーホワイトは、
スキャンした本をよむのにてきさないのだろうか。
わたしが依頼した2500円分22冊
(1冊100円が基本料金で、350ページ以上の本は
さらに100円かかるので、2500円では22冊になった)は
村上春樹の本を中心に、再読したい本ばかりをえらんだ。
何回でもたのしめる本がペーパーホワイトにはいっていれば、
ながい旅行にでても
まず活字にうえることはないだろうとかんがえたのだ。
長期旅行にそなえた電子書籍化のこころみは、
6インチというちいさくてe-ink方式をとる
ペーパーホワイトの存在が前提だった。
なにかいい方法がないかしらべてみよう。
もしだめなら、8インチのペーパーホワイトが発売されるのを
まつしかないのか。
5月に25冊分を依頼し、8月10日におくったら、
たった1日でスキャンされたのだ。
さっそくキンドルペーパーホワイトでよんでみる。
まず、ブックスキャンの「マイ本棚」に保存されているPDFを
ダウンロードして自分のパソコンにとりこむ。
そこからアマゾンの「My Kindle」に
「Send To Kindle」というソフトでおくるのだけど、
ファイルが50Mをこえるとうけつけられない、
と表示され、さっそくこまってしまった。
これは、ダウンロードするまえにブックスキャンのサービスである
「チューニングラボ」を利用することで解決した。
このチューニングラボとは、PDF書類をみやすいように
末端にあわせて最適化するもので、
このサービスに依頼するとたしかに文字がくっきりするし、
ファイルのサイズが2/3くらいちいさくなる。
わたしがブックスキャンにおくったのは、
おおくても400ページの本なので、
チューニングラボをとおすことで
どれも50M以下におさまってくれた。
もうひとつめんどくさいのは、
PDF書類が「0101-201302509302235020130811102105555.pdf」
とかのファイル名であわらわれており、どのファイルがどの本なのかが
ダウンロードしないとわからないことだ。
プレミア会員だと、はじめから本の名前をファイルにつけてくれるけど、
一般会員の場合はオプションのサービスをつかうと
1冊50円がべつにかかってしまう。
ダウンロードしたあとで、1冊ずつファイル名を本の名前になおした。
とにかくそうやって「My Kindle」におくれば、
あとは自動的にそれぞれの末端に配信されるわけだけど、
ペーパーホワイトでよもうとすると、
残念ながら文字がちいさすぎて実用にならないことがわかった。
ペーパーホワイトでPDF書類をあつかうときには、
ページごとに文字のサイズをおおきくしなければならないし、
画面にあったおおきさにはなかなかならないので、
スクロールしながらよむことになる。
1ページごとにそれをくりかえす気にはさすがになれない。
iPadだときれいに表示されるし、iPadミニでもたぶん大丈夫だ。
わたしが電子書籍をよむのに最適だとかんがえた
6インチ画面のペーパーホワイトは、
スキャンした本をよむのにてきさないのだろうか。
わたしが依頼した2500円分22冊
(1冊100円が基本料金で、350ページ以上の本は
さらに100円かかるので、2500円では22冊になった)は
村上春樹の本を中心に、再読したい本ばかりをえらんだ。
何回でもたのしめる本がペーパーホワイトにはいっていれば、
ながい旅行にでても
まず活字にうえることはないだろうとかんがえたのだ。
長期旅行にそなえた電子書籍化のこころみは、
6インチというちいさくてe-ink方式をとる
ペーパーホワイトの存在が前提だった。
なにかいい方法がないかしらべてみよう。
もしだめなら、8インチのペーパーホワイトが発売されるのを
まつしかないのか。