J1第20節、サンフレッチェ広島対ジュビロ磐田をみる。
2連敗中のジュビロは川口と前田を先発からはずしてきた。
7月6日から関塚監督が指揮をとるようになり、
攻守にわたって変化がみえはじめてはいるものの、
まだ勝利というかたちでは、おもうような結果があわれていない。
ジュビロはずっとよくまもり、とくに佐藤寿人に仕事をさせない。
攻撃では山田を中心に、なんどもいいところまで形をつくれている。
しかし、先制したのはサンフレッチェで、
前半43分に一瞬のスキをついて佐藤がこぼれ球をおしこんだ。
後半6にジュビロは前田をいれてくる。
前田はいつものように攻守にわたって献身的なうごきをみせる。
不調だから点がとれないのか、
点がとれないから不調といわれてしまうのか。
今季の得点はまだ4点にとどまっており、
このすくなさがジュビロの低迷に直結している状況だ。
解説は早野宏史さんで、状況のアナウンサーと息のあったところをみせる。
ミキッチが例によってとにかく右サイドからの攻撃を
愚直にくりかえしていると、
早野 「ミキッチは2人こようが3人こようが
自分の仕事はこれだって、みきっていますね」
アナ 「ミキッチだから」
早野 「そうですね」
ほんとうに、ミキッチのせめあがりは、
わかっていてもとめられないみたいで、
たびたび右サイドが起点となってシュートまでもっていく。
しんじるものは、まよいがないぶんジュビロも手をやいていた。
後半26分に、ジュビロは金園がヘディングをきめ同点においついたものの、
32分にサンフレッチェのファン=ソッコにミドルシュートをきめられて
かちこしをゆるしてしまう。
早野 「ファン=ソッコも、あソッコしかなかったですね」
というのがだじゃれにきこえないほど、
コースがないところからのスーパーゴールだ。
そのあとはジュビロの猛攻をしのぎきって試合終了。
今季まだ連敗がないという安定したサンフレッチェの成績は、
きょうの試合みたいなたくみな試合はこびにもあらわれている。
一方のジュビロはこれで3連敗。
わるくない試合なのに勝点をのばせない。
他会場の結果も明闇をわけるものがおおかった。
グランパスはレッズを相手に2−0と完勝する。
調子を完全にとりもどし、これで5連勝。
アルディージャはセレッソと対戦し0−3といいところがなかった。
連続無敗記録を更新し、いちじは首位にたったのに、
一転してかてなくなり5連敗とくるしんでいる。
この試合、東アジア杯でうりだしたセレッソの柿谷は
東アジア杯とおなじような形のシュートをおちついてきめ、
2点1アシストと活躍した。
トリニータはひきわけにもちこみ連敗を5でとめた。
どの試合会場も開始時の気温が30℃をこえており、
あつさ対策がなやましいコンディションだった。
こきざみに中断期間がはいり、そのあとは
あつさのなか連戦がつづいたりと、
選手たちにはリズムがつくりにくい過酷な時期となっている。
2013年08月11日
2013年08月10日
圧倒的にゴージャスで、一流のエンタメ『恋する輪廻』
『恋する輪廻』(2007年・インド・ファラー=カーン監督)
たのしみにしていたボリウッドの話題作。
2時間50分という上映時間がぜんぜんながくかんじられない。
圧倒的にゴージャスで、とにかくおもしろかった。
これがポリウッド作品の一般論なできとしたらおそるべき水準だ。
もしまよっておられるひとがいたら、
ぜひみられることをおすすめする。
インド映画はストーリーよりおどりだ、なんていう評価を
よく耳にするけど、
この作品は輪廻をストーリーにうまくとりくみ、
ラストもひとひねりがきいていた。
予想外の展開から、最高のハッピーエンドとなる。
前世と、それから30年後の後世という設定が効果的にいかされており、
あとの時代では30年分すこし世の中がゆたかになり、
英語がやたらとふえていたのがリアルだった。
輪廻なんていうと、いちおう仏教徒ながら
わたしはあまり本気でかんがえたことがないが、
ヒンドゥー教では大切な根本的な思想ときいたことがある。
それだけに輪廻をとりあつかった映画はおおいそうで、
この『恋する輪廻』の完成度のたかさは、
そうした蓄積がいきているせいだろうか。
インド映画らしく、なにかというとみんながおどりだす。
どれもよくできたおどりで、音楽も印象的だ。
映画がおわってしばらくは、独特なリズムが耳からはなれない。
よくできたラストを用意し、気もちよくおわってくれたので、
エンディングでは、みんなでおどる「Dhoom Taana」をもういちどみたかった。
主役のオームを演じるシャー=ルク=カーンさんは、
あんまりインド的な顔だちではなく、わたしにはなじみやすかった。
しがない脇役をえんじても、後世でスーパースターになったときも、
あこがれるシャンティに一生懸命つくそうとする姿にいやみがない。
そしてそのシャンティの完璧な美貌。
この世にあんなひかりかがやくひとがいるなんて。
オームがシャンティに夢中になるのも、彼女のほほえみをみると納得できる。
完璧なうつくしさの、ひとつの到達点であり、完成品におもえた。
シャンティの魅力がなければ、この作品はリアリティをうしない、
なりたたなかっただろう。
どうでもいいような女優にオームが恋するのでは、
みていてぜんぜん説得力がないから。
役者さんたちはとにかくよくおどる。
げんきいっぱいにからだをうごかして、
いかにもたのしそうだ。
老いも若きも、みんなまあよくあんなにからだがうごくものだ。
のりがよく、洗練されたふりつけなので、みていてあきない。
おもわずこちらまでからだをうごかしたくなってくる。
これは日本には絶対にない文化だときめつけていたら、
ちょうどこの日のニュースで高知市でおこなわれる
「よさこいまつり」がとりあげられていた。
いろんなおどりをアレンジしてチームとしてのできをきそう。
そのおどりが、『恋する輪廻』でのダンスを連想させた。
ふるいものをまもるだけではなく、
あたらしいうごきをとりいれて、
平気で姿をかえていく自由さが両者には共通している。
インドのおどり文化と、日本のおまつり文化は
似たようなそだち方をしたのかもしれない。
あるいは、ただ単に、だれでもああやってからだをうごかして
よろこびやかなしみを表現したいという
欲求をもっているというだけのはなしなのだろうか。
などということを、ああだこうだいうよりも、
あーおもしろかった、という感想でじゅうぶんな作品だ。
ふかみがないという意味ではなく、
一流のエンタテインメントにしあがっているからだ。
みおわったあと気もちが開放され、
あっけにとられながらたのしい気分でかえることができた。
インドのひとだけでなく、
どこの国のひとがみてもたのしめるほど、完成度がたかい。
インド映画がこんなにおもしろいのなら、
ハリウッド作品ばかりをありがたがる必要はぜんぜんない。
たのしみにしていたボリウッドの話題作。
2時間50分という上映時間がぜんぜんながくかんじられない。
圧倒的にゴージャスで、とにかくおもしろかった。
これがポリウッド作品の一般論なできとしたらおそるべき水準だ。
もしまよっておられるひとがいたら、
ぜひみられることをおすすめする。
インド映画はストーリーよりおどりだ、なんていう評価を
よく耳にするけど、
この作品は輪廻をストーリーにうまくとりくみ、
ラストもひとひねりがきいていた。
予想外の展開から、最高のハッピーエンドとなる。
前世と、それから30年後の後世という設定が効果的にいかされており、
あとの時代では30年分すこし世の中がゆたかになり、
英語がやたらとふえていたのがリアルだった。
輪廻なんていうと、いちおう仏教徒ながら
わたしはあまり本気でかんがえたことがないが、
ヒンドゥー教では大切な根本的な思想ときいたことがある。
それだけに輪廻をとりあつかった映画はおおいそうで、
この『恋する輪廻』の完成度のたかさは、
そうした蓄積がいきているせいだろうか。
インド映画らしく、なにかというとみんながおどりだす。
どれもよくできたおどりで、音楽も印象的だ。
映画がおわってしばらくは、独特なリズムが耳からはなれない。
よくできたラストを用意し、気もちよくおわってくれたので、
エンディングでは、みんなでおどる「Dhoom Taana」をもういちどみたかった。
主役のオームを演じるシャー=ルク=カーンさんは、
あんまりインド的な顔だちではなく、わたしにはなじみやすかった。
しがない脇役をえんじても、後世でスーパースターになったときも、
あこがれるシャンティに一生懸命つくそうとする姿にいやみがない。
そしてそのシャンティの完璧な美貌。
この世にあんなひかりかがやくひとがいるなんて。
オームがシャンティに夢中になるのも、彼女のほほえみをみると納得できる。
完璧なうつくしさの、ひとつの到達点であり、完成品におもえた。
シャンティの魅力がなければ、この作品はリアリティをうしない、
なりたたなかっただろう。
どうでもいいような女優にオームが恋するのでは、
みていてぜんぜん説得力がないから。
役者さんたちはとにかくよくおどる。
げんきいっぱいにからだをうごかして、
いかにもたのしそうだ。
老いも若きも、みんなまあよくあんなにからだがうごくものだ。
のりがよく、洗練されたふりつけなので、みていてあきない。
おもわずこちらまでからだをうごかしたくなってくる。
これは日本には絶対にない文化だときめつけていたら、
ちょうどこの日のニュースで高知市でおこなわれる
「よさこいまつり」がとりあげられていた。
いろんなおどりをアレンジしてチームとしてのできをきそう。
そのおどりが、『恋する輪廻』でのダンスを連想させた。
ふるいものをまもるだけではなく、
あたらしいうごきをとりいれて、
平気で姿をかえていく自由さが両者には共通している。
インドのおどり文化と、日本のおまつり文化は
似たようなそだち方をしたのかもしれない。
あるいは、ただ単に、だれでもああやってからだをうごかして
よろこびやかなしみを表現したいという
欲求をもっているというだけのはなしなのだろうか。
などということを、ああだこうだいうよりも、
あーおもしろかった、という感想でじゅうぶんな作品だ。
ふかみがないという意味ではなく、
一流のエンタテインメントにしあがっているからだ。
みおわったあと気もちが開放され、
あっけにとられながらたのしい気分でかえることができた。
インドのひとだけでなく、
どこの国のひとがみてもたのしめるほど、完成度がたかい。
インド映画がこんなにおもしろいのなら、
ハリウッド作品ばかりをありがたがる必要はぜんぜんない。
2013年08月09日
おおくの男性が旅行についての似たような妄想をいだいていることについて
しりあいの治療院でマッサージをしてもらってるとき、
運動としての自転車のはなしになった。
このかたがつかっているのは、
ロードレーサーなどの競技タイプではなく、
おりたたみ式のミニサイクルだ。
できるだけ自転車で移動するようにしておられ、
それがそのひとの唯一の運動でもあった。
すこしまえに、それまでつかっていた自転車がこわれたので、
つぎにかう自転車として、もっとかるくて
電車やバスのなかにもってはいれるようなものをさがしているという。
そういうつかい方をして、気ままに旅行できたら、といわれた。
電車で移動し、いいかんじの町があれば自転車をくみたてて、
町のなかをみてまわる。
できれば火(ガスコンロ)があればたのしいし、
さらにいえばテントもつんだほうが自由さがます、と
だんだんはなしがエスカレートしてきた。
とうぜん寝袋ももっていく。
そうなったら立派な自転車キャンピングだし、
野宿ともいえる旅行スタイルだ。
そのひとは、それまでとくにアウトドアに関心があったわけではなく、
実現する可能性はうすそうだけど、
気ままな旅行を頭のなかで追求すると
そんなスタイルになるというのがおもしろいとおもった。
わたしも似たようなことをずっと頭においていじくりまわしている。
きっと、おおくの男性が漠然とではあれ、
こうした行為を夢にえがいているのだ。
そのあまりのワンパターンな発想がおかしかった。
男がえがいている夢は、あんがいだれもが似たようなものかもしれない。
そして、頭にえがいているだけでは
実現しそうにないのもなんとなく予想できる。
ミニコミ誌『野宿野郎』の編集者であり、
わたしがすきなかとうちあきさんのはなしをする。
わたしたちは夏は蚊がいてたいへんとか、
冬のさむさはかんべんしてほしいとかいって、
野宿の機会をぐずぐずとのがしているのとちがい、
かとうさんは週に1回は野宿をするというし、
野宿に関心のあるひとによびかけての
集団野宿もよく企画されている。
かとうさんは「いつかできるようになれば」なんていわずに
どんどん実行していくひとであり、
夏のあつさも、イライラさせられる蚊の襲来にもたじろかない。
そうやってないものは工夫し、しょうがないことは我慢して、
なんとかつぎの日の朝をむかえたときの充実感がたまらないのだそうだ。
わたしは旅行用の自転車ももっているし、
かさばらない寝袋とリュック、
それに長期旅行にそなえてキンドルペーパーホワイトまで手にいれた。
でも、かんじんなのは装備ではなく旅行をしたいというあつい気もちだ。
マッサージをうけて気もちよくなりながら、
わたしたちがえがいている旅行へのイメージが、
男に特徴的な妄想でしかないことをおもった。
運動としての自転車のはなしになった。
このかたがつかっているのは、
ロードレーサーなどの競技タイプではなく、
おりたたみ式のミニサイクルだ。
できるだけ自転車で移動するようにしておられ、
それがそのひとの唯一の運動でもあった。
すこしまえに、それまでつかっていた自転車がこわれたので、
つぎにかう自転車として、もっとかるくて
電車やバスのなかにもってはいれるようなものをさがしているという。
そういうつかい方をして、気ままに旅行できたら、といわれた。
電車で移動し、いいかんじの町があれば自転車をくみたてて、
町のなかをみてまわる。
できれば火(ガスコンロ)があればたのしいし、
さらにいえばテントもつんだほうが自由さがます、と
だんだんはなしがエスカレートしてきた。
とうぜん寝袋ももっていく。
そうなったら立派な自転車キャンピングだし、
野宿ともいえる旅行スタイルだ。
そのひとは、それまでとくにアウトドアに関心があったわけではなく、
実現する可能性はうすそうだけど、
気ままな旅行を頭のなかで追求すると
そんなスタイルになるというのがおもしろいとおもった。
わたしも似たようなことをずっと頭においていじくりまわしている。
きっと、おおくの男性が漠然とではあれ、
こうした行為を夢にえがいているのだ。
そのあまりのワンパターンな発想がおかしかった。
男がえがいている夢は、あんがいだれもが似たようなものかもしれない。
そして、頭にえがいているだけでは
実現しそうにないのもなんとなく予想できる。
ミニコミ誌『野宿野郎』の編集者であり、
わたしがすきなかとうちあきさんのはなしをする。
わたしたちは夏は蚊がいてたいへんとか、
冬のさむさはかんべんしてほしいとかいって、
野宿の機会をぐずぐずとのがしているのとちがい、
かとうさんは週に1回は野宿をするというし、
野宿に関心のあるひとによびかけての
集団野宿もよく企画されている。
かとうさんは「いつかできるようになれば」なんていわずに
どんどん実行していくひとであり、
夏のあつさも、イライラさせられる蚊の襲来にもたじろかない。
そうやってないものは工夫し、しょうがないことは我慢して、
なんとかつぎの日の朝をむかえたときの充実感がたまらないのだそうだ。
わたしは旅行用の自転車ももっているし、
かさばらない寝袋とリュック、
それに長期旅行にそなえてキンドルペーパーホワイトまで手にいれた。
でも、かんじんなのは装備ではなく旅行をしたいというあつい気もちだ。
マッサージをうけて気もちよくなりながら、
わたしたちがえがいている旅行へのイメージが、
男に特徴的な妄想でしかないことをおもった。
2013年08月08日
夏やすみをやりすごすためのごほうびは
夏やすみがはじまってから、
朝ごはんをたべるとすぐ職場へむかい、
仕事をおえて家にかえっても
ほとんど自由になる時間がなくなった。
はたらくだけのために生きているような気がして、
あと◯日、と9月がくるのをまちながらの味けない毎日だ。
そうなると、のんびりすごせたときにはやらなかったくせに、
夏の100冊を全部よみたいとか、
ぶあつい古典にとりくむとか(こういうとき頭にうかぶのは、
いつもトーマス=マンの『魔の山』だ)、
外国語の勉強をはじめるとか、
のんびり映画館のシートにすわる、なんてことがしたくなってくる。
いそがしくなると、
時間があるときにはやらなかったことをしたくなるという、
あまのじゃくな心理になりやすいのではないだろうか。
こんなときこそすこしはやおきして、
朝のうちにそれらのことをたのしめばいいのに、
そういうことはかえたくないのだから
ただのわがままでしかない。
勤務時間がながくなったといっても、
社会人はふつうこの時間帯で生活しているわけで、
それを「はたらくだけのために生きている」なんて自己憐憫がすぎる。
とはいえ、いまさら自分がなまけものであることを
反省したふりをしてもしょうがないので、
いかにたのしくあと3週間をのりきるかを工夫したほうがいい。
まずごほうびを設定する。
まえむきな気もちでのこりの3週間を仕事にとりくんだら、
◯◯を自分にプレゼントするときめる。
春やすみがおわったときにキンドルペーパーホワイトをかったし、
そのまえのごほうびはMacAIRの11インチだった。
物質的にはもうそんなにほしいものがないので、
いちばんわたしが意欲をかきたてられるごほうびはというと、
12月にモロッコでおこなわれるクラブWカップということになる。
いそがしい時期である冬やすみに
なんにちもやすむわけにいかないのなら、
サッカーをからめないただの旅行、ということになるだろうか。
外国ばかりをねらうのではなく、
まだいったことのないところ、たとえば石垣島でもいい。
とにかくいったん日常をはなれて気分をかえたいところだ。
よくかんがてみると、旅行はてっとりばやいたのしみではあるけれど、
リセットするにはなにも旅行という形をとる必要はない。
なんにちかやすみをとって、
夏の100冊のうちの10冊にいどむ、とか、
なんども挫折している『魔の山』をよみおえるのも
いそがしい時期にはなかなかできないとりくみだ。
有給休暇を計画的につかい、日ごろできない活動にあてるのは
有益な体験となるはずだし、そうした経験が仕事にもいきてくるだろう。
ごほうびが具体的になると、あそ3週間のいそがしいシーズンも
ありがたいかきいれどきにおもえてくる。
仕事を、あるいは生活をおもしろくするのは自分の工夫しだいだ。
わたしが大切にするのは「自由」と「あそび」で、
それをごほうびに設定すれば、
もうしばらくははたらけるかもしれない。
朝ごはんをたべるとすぐ職場へむかい、
仕事をおえて家にかえっても
ほとんど自由になる時間がなくなった。
はたらくだけのために生きているような気がして、
あと◯日、と9月がくるのをまちながらの味けない毎日だ。
そうなると、のんびりすごせたときにはやらなかったくせに、
夏の100冊を全部よみたいとか、
ぶあつい古典にとりくむとか(こういうとき頭にうかぶのは、
いつもトーマス=マンの『魔の山』だ)、
外国語の勉強をはじめるとか、
のんびり映画館のシートにすわる、なんてことがしたくなってくる。
いそがしくなると、
時間があるときにはやらなかったことをしたくなるという、
あまのじゃくな心理になりやすいのではないだろうか。
こんなときこそすこしはやおきして、
朝のうちにそれらのことをたのしめばいいのに、
そういうことはかえたくないのだから
ただのわがままでしかない。
勤務時間がながくなったといっても、
社会人はふつうこの時間帯で生活しているわけで、
それを「はたらくだけのために生きている」なんて自己憐憫がすぎる。
とはいえ、いまさら自分がなまけものであることを
反省したふりをしてもしょうがないので、
いかにたのしくあと3週間をのりきるかを工夫したほうがいい。
まずごほうびを設定する。
まえむきな気もちでのこりの3週間を仕事にとりくんだら、
◯◯を自分にプレゼントするときめる。
春やすみがおわったときにキンドルペーパーホワイトをかったし、
そのまえのごほうびはMacAIRの11インチだった。
物質的にはもうそんなにほしいものがないので、
いちばんわたしが意欲をかきたてられるごほうびはというと、
12月にモロッコでおこなわれるクラブWカップということになる。
いそがしい時期である冬やすみに
なんにちもやすむわけにいかないのなら、
サッカーをからめないただの旅行、ということになるだろうか。
外国ばかりをねらうのではなく、
まだいったことのないところ、たとえば石垣島でもいい。
とにかくいったん日常をはなれて気分をかえたいところだ。
よくかんがてみると、旅行はてっとりばやいたのしみではあるけれど、
リセットするにはなにも旅行という形をとる必要はない。
なんにちかやすみをとって、
夏の100冊のうちの10冊にいどむ、とか、
なんども挫折している『魔の山』をよみおえるのも
いそがしい時期にはなかなかできないとりくみだ。
有給休暇を計画的につかい、日ごろできない活動にあてるのは
有益な体験となるはずだし、そうした経験が仕事にもいきてくるだろう。
ごほうびが具体的になると、あそ3週間のいそがしいシーズンも
ありがたいかきいれどきにおもえてくる。
仕事を、あるいは生活をおもしろくするのは自分の工夫しだいだ。
わたしが大切にするのは「自由」と「あそび」で、
それをごほうびに設定すれば、
もうしばらくははたらけるかもしれない。
2013年08月07日
「ゆがみリセット」の番組に失望しつつ、片腕だけしかふれないランナーをどう矯正するか
録画しておいた「ゆがみリセット」についての番組をみる。
おおくのひとが自分のからだはゆがんでいるという自覚をもっており、
そしてそれはただしい。
ただ、番組によると骨がゆがんでいるわけではなく、
インナーマッスルのバランスがくずれているためということだ。
そのことが原因でひざがいたくなったり冷え性がきつかったりという
症状があらわれるという。
わたしもからだがゆがんでいることについて、つよい自信がある。
姿勢のわるさをよく指摘されるし、
全身をかがみにうつすと、左右対称でないことがすぐにわかる。
ランニングをすると、ひだりうでをふることができず、
片手はダランとぶらさげて、みぎうでだけをふるという
へんなフォームになってしまう。
この番組をみることで、劇的になにかが改善されるのではないかと
かなり期待していた。
しかし、残念ながら内容はたいしたことなく、
参考になる技を会得するまでにはいたらなかった。
けっきょくはインナーマッスルをととのえなさい、ということであり、
そんなのはいまさらいわれなくてもわかっている。
ナレーションがさかんに
「◯◯ということです」と、一般的にいわれていることを
紹介するかたちをとっているのも迫力にかける。
なにか画期的なテクニックをあみだして、
それを自信をもっていいきった表現で視聴者にうったえてほしい。
どこかできいたことがあるようなはなしを
スタジオにもってきただけなので、
そんなのを大発見みたいにいわれると違和感がある。
針小棒大とはこのことか、とおもった。
録画なのではやおくりができるが、そうでなかったら
かなりイライラさせられただろう。
筋肉のバランスのくずれを
簡単にみわける方法というのをためしてみたら、
わたしはその動作がふつうにできた。
ランニングのときうでをふれないのは、
なにかほかに原因があるのかもしれない。
先日のレースではしっているとき、
自転車にのりながらランナーの前後をいったりきたりして
サポートしているひとが
「うでは大丈夫ですか」とわたしにきいてこられた。
ほとんどの時間、ひだりうでをダランとぶらさげたままはしっていたため、
なにかうでにトラブルをかかえてのことかと心配されたのだ。
「ケガをされたのですか?」とかさねてたずねられる。
大丈夫です、からだがゆがんでるせいだとおもいます、
とこたえ、できるだけ両腕をふってはしり、
その方を安心させようとした。
このように、だれがどうみても、わたしのフォームはへんなのだ。
ときどきわたしとおなじように
片腕だけをぶらさげてはしっているひとをみかけることがある。
同士としてエールをおくりながら、
おなじ症状になやむひとがすくなからずいることを確認することになる。
ゆがみやバランスのわるさが原因でないとしたら
なにがわるくてうでをふれないのだろう。
何年かまえに、はじめてストレッチポールの体験コースに参加したとき、
その直後は気もちよく両腕をふってはしることができた。
なにかが劇的に矯正されたのだ。
ただ、それがながくはつづかず、
その日だけのことでおわってしまった。
それ以降は、いくらストレッチポールをしても
まえのようにはうでをふれない。
こんなことをながながとかくのは、
なにかほんのちょっとしたことをきっかけにして、
わたしのはしりが劇的によくなりはしないかと期待しているからだ。
肩甲骨か、わきばらの筋肉のかたさか、
もしかしたら骨盤のゆがみか、
なにが原因かわからないけれど、
ちょっとした修正でまったく別の世界がひらかれることを
ずいぶんまえからまちのぞんでいる。
「期待」とか「まつ」というのがよくないのだろう。
もっと積極的にいろんなことをためしてみて、
片腕「だけ」ランニングの原因をつかめれば、
おなじ症状になやまされているランナーにとっても
朗報となるだろう。
らくをして最大限の結果をだしたいのなら、
満足にうごいてくれない片腕をどうにかするしかない。
番組への失望は、ひとにたよらず自分でなんとかしろ、
というメッセージなのかもしれない。
内容はたいしたことなかったけど、
この番組はスイッチをいれる役をはたしてくれた。
おおくのひとが自分のからだはゆがんでいるという自覚をもっており、
そしてそれはただしい。
ただ、番組によると骨がゆがんでいるわけではなく、
インナーマッスルのバランスがくずれているためということだ。
そのことが原因でひざがいたくなったり冷え性がきつかったりという
症状があらわれるという。
わたしもからだがゆがんでいることについて、つよい自信がある。
姿勢のわるさをよく指摘されるし、
全身をかがみにうつすと、左右対称でないことがすぐにわかる。
ランニングをすると、ひだりうでをふることができず、
片手はダランとぶらさげて、みぎうでだけをふるという
へんなフォームになってしまう。
この番組をみることで、劇的になにかが改善されるのではないかと
かなり期待していた。
しかし、残念ながら内容はたいしたことなく、
参考になる技を会得するまでにはいたらなかった。
けっきょくはインナーマッスルをととのえなさい、ということであり、
そんなのはいまさらいわれなくてもわかっている。
ナレーションがさかんに
「◯◯ということです」と、一般的にいわれていることを
紹介するかたちをとっているのも迫力にかける。
なにか画期的なテクニックをあみだして、
それを自信をもっていいきった表現で視聴者にうったえてほしい。
どこかできいたことがあるようなはなしを
スタジオにもってきただけなので、
そんなのを大発見みたいにいわれると違和感がある。
針小棒大とはこのことか、とおもった。
録画なのではやおくりができるが、そうでなかったら
かなりイライラさせられただろう。
筋肉のバランスのくずれを
簡単にみわける方法というのをためしてみたら、
わたしはその動作がふつうにできた。
ランニングのときうでをふれないのは、
なにかほかに原因があるのかもしれない。
先日のレースではしっているとき、
自転車にのりながらランナーの前後をいったりきたりして
サポートしているひとが
「うでは大丈夫ですか」とわたしにきいてこられた。
ほとんどの時間、ひだりうでをダランとぶらさげたままはしっていたため、
なにかうでにトラブルをかかえてのことかと心配されたのだ。
「ケガをされたのですか?」とかさねてたずねられる。
大丈夫です、からだがゆがんでるせいだとおもいます、
とこたえ、できるだけ両腕をふってはしり、
その方を安心させようとした。
このように、だれがどうみても、わたしのフォームはへんなのだ。
ときどきわたしとおなじように
片腕だけをぶらさげてはしっているひとをみかけることがある。
同士としてエールをおくりながら、
おなじ症状になやむひとがすくなからずいることを確認することになる。
ゆがみやバランスのわるさが原因でないとしたら
なにがわるくてうでをふれないのだろう。
何年かまえに、はじめてストレッチポールの体験コースに参加したとき、
その直後は気もちよく両腕をふってはしることができた。
なにかが劇的に矯正されたのだ。
ただ、それがながくはつづかず、
その日だけのことでおわってしまった。
それ以降は、いくらストレッチポールをしても
まえのようにはうでをふれない。
こんなことをながながとかくのは、
なにかほんのちょっとしたことをきっかけにして、
わたしのはしりが劇的によくなりはしないかと期待しているからだ。
肩甲骨か、わきばらの筋肉のかたさか、
もしかしたら骨盤のゆがみか、
なにが原因かわからないけれど、
ちょっとした修正でまったく別の世界がひらかれることを
ずいぶんまえからまちのぞんでいる。
「期待」とか「まつ」というのがよくないのだろう。
もっと積極的にいろんなことをためしてみて、
片腕「だけ」ランニングの原因をつかめれば、
おなじ症状になやまされているランナーにとっても
朗報となるだろう。
らくをして最大限の結果をだしたいのなら、
満足にうごいてくれない片腕をどうにかするしかない。
番組への失望は、ひとにたよらず自分でなんとかしろ、
というメッセージなのかもしれない。
内容はたいしたことなかったけど、
この番組はスイッチをいれる役をはたしてくれた。
2013年08月06日
「みどりの月」(角田光代)の、マリコその後みたいな「かかとのしたの空」
「みどりの月」(角田光代)にでていたマリコのその後をしりたいと、
先日のブログにかいた。
マリコとは、自分ではかたづけやそうじをしようとせずに
「やりたいひとがやればいい」
といいはなつようなたまらない女性だ。
「みどりの月」ではまわりの人間もまきこんでいき、
ぐちゃぐちゃな生活をおくっていた。
この小説では、外国で歌をうたう仕事をする、
といいだしたところではなしがおわる。
身のまわりのこともできないひとが、
口さきだけ調子のいいことをいって
外国のしらない町でどうすごすのだろうか。
あんがい外国のひとはそうしたいいかげんさに寛容で、
マリコはすんなりうけいれられるかもしれない。
文学的なふかさではなく、
そういうタイプの人間のいきつく先をしりたいとおもった。
作品集『みどりの月』には、2つの中編がおさめられており、
はじめの作品「みどりの月」をよんだ感想をブログをかいた。
あとになって、もうひとつの作品「かかとのしたの空」が、
よみようによっては「みどりの月」
その後のものがたりといえることに気づいた。
「私」とキヨハルはタイのサムイ島で日本人の女性とであう。
女はふたりが島をはなれる日にいっしょについてきて、
それ以降、おいていこうとしても、
いつのまにかまたふたりのまえにあらわれる。
じゅうぶんなお金をもっていないようで、
「私」とキヨハルがとまるホテルにははいらずに、
バスターミナルでねとまりしている。
歌をうたう仕事をしていたこと、
かたひざをたててたばこをすうこと、
なによりもひとのはなしをきかず、
自分の都合のいいはなしばかりするずうずうしさが
マリコをおもわせる。
「私たちだってついてこられたら迷惑なの」と「私」がいっても、
「ついてくるとか言われてもねー、
私べつについてってるわけじゃないしねー。
偶然方向が一緒だからしかたないと思うんだけどなあ」(中略)
「じゃああなたはどこにいくの、それ教えてよ」
「なんであんたに行き先を教えなきゃなんないのよ」
とふてぶてしい。
女は悪魔からにげているのだという。
個人的なおもいいれのある地名がでてきてなつかしかった。
ハジャイ・スンガイ=コーロク・コタ=バル・クアラ=トレンガヌ。
かってわたしが旅行した場所とずいぶんかさなっている。
けっして観光にむかない土地ではないはずなのに、
小説に登場する町は没個性的で、
どこへいってもなにもかわらない気がしてくる。
観光旅行やわかもののバックパック旅行とはちがい、
「私」とキヨハルの旅行には新鮮なときめきというものがない。
マリコをおもわせる女にも、
いわゆる旅行のよろこびはかんじられない。
3人とも、日本にかえってもしょうがないから、
ただ惰性で移動をつづけているだけのようにみえる。
「旅行」としてとらえると、3人のしていることに魅力はない。
タイやマレーシアという土地柄が、
3人の逃避行をより安易なものにし、
たどりつく先のないことをいっそうきわだたせる。
3人はいったいなにをしているのか。
娼婦街にかようようになったキヨハルをおいて、
「私」はひとりでインドネシアの島にわたる。
そこの市場で、いちどはわかれたマリコ似の女に、
またであってしまった。
「女がなぜここにいるのかという疑問より先に、
自分が本当にこの女の姿を捜してしたことに気づいた」
「私」は、キヨハルやマリコ似の女を、
さがしながらにげている。(p242)
マリコ似の女性は、外国ではそうスイスイすごせなかったみたいだ。
だからといってこの女性が
つまらないおもいばかりしているわけではない。
やりたいことはひとがどうおもおうとやってしまうので、
日本から外国へと場所がかわっても、
マリコにとって本質的な変化はなかった。
お金がすくなくなった分、日本にいたときよりも
すこしはたいへんかも、といった程度の変化だ。
いっぽう、「みどりの月」にでていたキタザワとサトシについては
なにもふれられていない。
べつの小説なのだから当然とはいえ、
マリコほどのつよさのなかった2人には、
ここまでついてくることができなかった、
と都合よくわたしは解釈している。
男たちのうすっぺらさより、
女たちの生きていこうとするちからが
つよいにきまっている。
先日のブログにかいた。
マリコとは、自分ではかたづけやそうじをしようとせずに
「やりたいひとがやればいい」
といいはなつようなたまらない女性だ。
「みどりの月」ではまわりの人間もまきこんでいき、
ぐちゃぐちゃな生活をおくっていた。
この小説では、外国で歌をうたう仕事をする、
といいだしたところではなしがおわる。
身のまわりのこともできないひとが、
口さきだけ調子のいいことをいって
外国のしらない町でどうすごすのだろうか。
あんがい外国のひとはそうしたいいかげんさに寛容で、
マリコはすんなりうけいれられるかもしれない。
文学的なふかさではなく、
そういうタイプの人間のいきつく先をしりたいとおもった。
作品集『みどりの月』には、2つの中編がおさめられており、
はじめの作品「みどりの月」をよんだ感想をブログをかいた。
あとになって、もうひとつの作品「かかとのしたの空」が、
よみようによっては「みどりの月」
その後のものがたりといえることに気づいた。
「私」とキヨハルはタイのサムイ島で日本人の女性とであう。
女はふたりが島をはなれる日にいっしょについてきて、
それ以降、おいていこうとしても、
いつのまにかまたふたりのまえにあらわれる。
じゅうぶんなお金をもっていないようで、
「私」とキヨハルがとまるホテルにははいらずに、
バスターミナルでねとまりしている。
歌をうたう仕事をしていたこと、
かたひざをたててたばこをすうこと、
なによりもひとのはなしをきかず、
自分の都合のいいはなしばかりするずうずうしさが
マリコをおもわせる。
「私たちだってついてこられたら迷惑なの」と「私」がいっても、
「ついてくるとか言われてもねー、
私べつについてってるわけじゃないしねー。
偶然方向が一緒だからしかたないと思うんだけどなあ」(中略)
「じゃああなたはどこにいくの、それ教えてよ」
「なんであんたに行き先を教えなきゃなんないのよ」
とふてぶてしい。
女は悪魔からにげているのだという。
個人的なおもいいれのある地名がでてきてなつかしかった。
ハジャイ・スンガイ=コーロク・コタ=バル・クアラ=トレンガヌ。
かってわたしが旅行した場所とずいぶんかさなっている。
けっして観光にむかない土地ではないはずなのに、
小説に登場する町は没個性的で、
どこへいってもなにもかわらない気がしてくる。
観光旅行やわかもののバックパック旅行とはちがい、
「私」とキヨハルの旅行には新鮮なときめきというものがない。
マリコをおもわせる女にも、
いわゆる旅行のよろこびはかんじられない。
3人とも、日本にかえってもしょうがないから、
ただ惰性で移動をつづけているだけのようにみえる。
「旅行」としてとらえると、3人のしていることに魅力はない。
タイやマレーシアという土地柄が、
3人の逃避行をより安易なものにし、
たどりつく先のないことをいっそうきわだたせる。
3人はいったいなにをしているのか。
娼婦街にかようようになったキヨハルをおいて、
「私」はひとりでインドネシアの島にわたる。
そこの市場で、いちどはわかれたマリコ似の女に、
またであってしまった。
「女がなぜここにいるのかという疑問より先に、
自分が本当にこの女の姿を捜してしたことに気づいた」
「私」は、キヨハルやマリコ似の女を、
さがしながらにげている。(p242)
マリコ似の女性は、外国ではそうスイスイすごせなかったみたいだ。
だからといってこの女性が
つまらないおもいばかりしているわけではない。
やりたいことはひとがどうおもおうとやってしまうので、
日本から外国へと場所がかわっても、
マリコにとって本質的な変化はなかった。
お金がすくなくなった分、日本にいたときよりも
すこしはたいへんかも、といった程度の変化だ。
いっぽう、「みどりの月」にでていたキタザワとサトシについては
なにもふれられていない。
べつの小説なのだから当然とはいえ、
マリコほどのつよさのなかった2人には、
ここまでついてくることができなかった、
と都合よくわたしは解釈している。
男たちのうすっぺらさより、
女たちの生きていこうとするちからが
つよいにきまっている。
2013年08月05日
30年以上つづくなじみのお好み焼き屋さんへ
水郷祭のかえり、配偶者といっしょに、
ときどきでかけるお好み焼き屋さんによった。
わたしが大学生のときにも深夜によくお世話になっていたので、
すくなくとも、もう30年以上つづいている店だ。
わたしといっしょか、すこしうえくらいの女性が、
いつもひとりで淡々とお店をきりもりしている。
もうずいぶんまえに、お腹がおおきくなっているときも、
やっぱり彼女はかわらないようすではたらいていた。
メニューはお好み焼きとヤキソバだけだ。
通路をはさんで4つずつ、4人がけのテーブルがおかれている。
注文をきくと鉄板に火をつけ、
あたたまったころをみはからってテーブルにあらわれる。
あいそがないともいえる乱暴な手つきで
具をボールのなかでざっとかきまわし鉄板にうつす。
片面がやけ、そろそろひっくりかえさないと、というころになると、
ちゃんとまたテーブルにやってきて、2つのコテでうらがえす。
バラバラにならないように気をくばるわけではなく、
テキトーにひっくりかえしてるようなのに、
お好み焼きはけっしてぐちゃぐちゃにはならない。
やきかけのおこのみやきは、
絶妙なやわらかさをたもった状態でうらがえされ、
それをコテでてきとうによせて形をととのえると
お好み焼きらしい姿になっている。
そしてまた、しばらく時間をおき、
わすれられたんじゃないか、というころに女主人がやってきて、
最終的にひっくりかえして、ジャジャジャっとソースと青のりをちらす。
鉄板の火をとめ、人数分の皿とコテをテーブルおき、
「よかったらマヨネーズをつかってね」といって席をはなれる。
どんなに店がこんでいても、
注文をきき、鉄板に具をのせ、適切なときにひっくりかえし、
ということを彼女は着実にくりかえすだけだ。
このお好み焼きがなぜおいしいのかよくわからない。
ネギがはいっているわけでもないし、
トロロいもがたくさん、というわけでもない。
あんまりかきまぜないのはひとつのコツみたいだ。
キャベツがおいしいのはたしかだけど、
特別なかくし味がなにかきかせてあるわけではない(とおもう)。
その生地が、なんであんなにやわらかいけどバラバラにならずに
まとまっていくのかが、いつも不思議でならない。
不思議なのでほかのテーブルのようすもついうかがってしまう。
はじめてこの店にきたらしいお客が
女主人のいっけん乱暴なつくり方におどろき、
しかしたべはじめると納得したようすをみせるのがおもしろい。
お好み焼きもヤキソバも、
つくる側がかいがいしく手間をかける料理ではない。
えらそうにいわせてもらえば、鉄板に仕事をさせるのであり、
手をくわえるよりも「まつ」ことが仕事みたいな料理だ。
この店が、女主人ひとりでやっていけるのも、
じょうずに鉄板に仕事をさせているからであり、
女主人が配慮しなければならないのは、
どれくらいの時間でひっくりかえすかを
8つのテーブルについて適切に把握することだ。
ひとつのテーブルで鉄板に具をのせ、
別のテーブルでひっくりかえし、
もうひとつあいたテーブルにある鉄板で
ヤキソバをつくりはじめ、と
お客がまたなくてもいいように
時間を絶妙に調節しているのがうかがえる。
それをバタバタやられると、
お客としてはおちつけないが、
この女主人のペースがかわることはなく、
いそがしそうなそぶりをまったくみせない。
ゆうべみたいに花火かえりの客でいっぱいの日でも、
具をのせ・ひっくりかえし、というのをくりかえし、
そのあい間にテーブルのソースを補充したり、
ヤカンをもってあるき、あいたコップに水をつぎたしていく。
おどろくべきことに、
彼女は30年まえから、すでにこの黄金の三角運動を獲得しており、
当時からいまとおなじ淡々とした態度で
絶妙なお好み焼きをやいていた。
夕方から営業をはじめ、深夜までやっている店なので、
どんなにおそい時間にいっても
なんねんかの空白のあとにおとずれても、
彼女の店とお好み焼きはかわらずにわたしをうけいれてくれる。
音楽はまかないにラジオがかかっているだけで、
きのうは井上陽水の『夢の中へ』がかかっていた。
30年間おなじ店でお好み焼きをやきつづける人生。
彼女はなんらかの理由でそれをえらび、
自分の仕事としてこれまでつづけてきた。
わたしがときどき彼女の店にいきたくなるのは、
いつもかわらないでいてくれる店を
たしかめたいという意味あいがつよい。
わたしの学生のころをしり、
結婚し子どもができ、その子がもう親とはでかけなくなっても、
この店はかわらずにおなじ場所にたち、
女主人がわたしをむかえてくれる。
常連というわけではなく、したしくはなしたこともないけれど、
自分がすむ町にこの店があるのは
わたしにとって大切なことのひとつだ。
ときどきでかけるお好み焼き屋さんによった。
わたしが大学生のときにも深夜によくお世話になっていたので、
すくなくとも、もう30年以上つづいている店だ。
わたしといっしょか、すこしうえくらいの女性が、
いつもひとりで淡々とお店をきりもりしている。
もうずいぶんまえに、お腹がおおきくなっているときも、
やっぱり彼女はかわらないようすではたらいていた。
メニューはお好み焼きとヤキソバだけだ。
通路をはさんで4つずつ、4人がけのテーブルがおかれている。
注文をきくと鉄板に火をつけ、
あたたまったころをみはからってテーブルにあらわれる。
あいそがないともいえる乱暴な手つきで
具をボールのなかでざっとかきまわし鉄板にうつす。
片面がやけ、そろそろひっくりかえさないと、というころになると、
ちゃんとまたテーブルにやってきて、2つのコテでうらがえす。
バラバラにならないように気をくばるわけではなく、
テキトーにひっくりかえしてるようなのに、
お好み焼きはけっしてぐちゃぐちゃにはならない。
やきかけのおこのみやきは、
絶妙なやわらかさをたもった状態でうらがえされ、
それをコテでてきとうによせて形をととのえると
お好み焼きらしい姿になっている。
そしてまた、しばらく時間をおき、
わすれられたんじゃないか、というころに女主人がやってきて、
最終的にひっくりかえして、ジャジャジャっとソースと青のりをちらす。
鉄板の火をとめ、人数分の皿とコテをテーブルおき、
「よかったらマヨネーズをつかってね」といって席をはなれる。
どんなに店がこんでいても、
注文をきき、鉄板に具をのせ、適切なときにひっくりかえし、
ということを彼女は着実にくりかえすだけだ。
このお好み焼きがなぜおいしいのかよくわからない。
ネギがはいっているわけでもないし、
トロロいもがたくさん、というわけでもない。
あんまりかきまぜないのはひとつのコツみたいだ。
キャベツがおいしいのはたしかだけど、
特別なかくし味がなにかきかせてあるわけではない(とおもう)。
その生地が、なんであんなにやわらかいけどバラバラにならずに
まとまっていくのかが、いつも不思議でならない。
不思議なのでほかのテーブルのようすもついうかがってしまう。
はじめてこの店にきたらしいお客が
女主人のいっけん乱暴なつくり方におどろき、
しかしたべはじめると納得したようすをみせるのがおもしろい。
お好み焼きもヤキソバも、
つくる側がかいがいしく手間をかける料理ではない。
えらそうにいわせてもらえば、鉄板に仕事をさせるのであり、
手をくわえるよりも「まつ」ことが仕事みたいな料理だ。
この店が、女主人ひとりでやっていけるのも、
じょうずに鉄板に仕事をさせているからであり、
女主人が配慮しなければならないのは、
どれくらいの時間でひっくりかえすかを
8つのテーブルについて適切に把握することだ。
ひとつのテーブルで鉄板に具をのせ、
別のテーブルでひっくりかえし、
もうひとつあいたテーブルにある鉄板で
ヤキソバをつくりはじめ、と
お客がまたなくてもいいように
時間を絶妙に調節しているのがうかがえる。
それをバタバタやられると、
お客としてはおちつけないが、
この女主人のペースがかわることはなく、
いそがしそうなそぶりをまったくみせない。
ゆうべみたいに花火かえりの客でいっぱいの日でも、
具をのせ・ひっくりかえし、というのをくりかえし、
そのあい間にテーブルのソースを補充したり、
ヤカンをもってあるき、あいたコップに水をつぎたしていく。
おどろくべきことに、
彼女は30年まえから、すでにこの黄金の三角運動を獲得しており、
当時からいまとおなじ淡々とした態度で
絶妙なお好み焼きをやいていた。
夕方から営業をはじめ、深夜までやっている店なので、
どんなにおそい時間にいっても
なんねんかの空白のあとにおとずれても、
彼女の店とお好み焼きはかわらずにわたしをうけいれてくれる。
音楽はまかないにラジオがかかっているだけで、
きのうは井上陽水の『夢の中へ』がかかっていた。
30年間おなじ店でお好み焼きをやきつづける人生。
彼女はなんらかの理由でそれをえらび、
自分の仕事としてこれまでつづけてきた。
わたしがときどき彼女の店にいきたくなるのは、
いつもかわらないでいてくれる店を
たしかめたいという意味あいがつよい。
わたしの学生のころをしり、
結婚し子どもができ、その子がもう親とはでかけなくなっても、
この店はかわらずにおなじ場所にたち、
女主人がわたしをむかえてくれる。
常連というわけではなく、したしくはなしたこともないけれど、
自分がすむ町にこの店があるのは
わたしにとって大切なことのひとつだ。
2013年08月04日
多伎町でのスイムランに参加する レースにむけて準備した12のこと
出雲市多伎町でおこなわれたスイムランに参加する。
スイムは田儀湾内の1周1.2キロのコース、
ランは多伎町内の山あいの道や、田んぼ脇の道路をはしる。
ショートの部がスイム1.2キロ・ラン10キロで、
ロングはそれぞれ2.4キロと21キロとなる。
全体で388名のエントリーだった。
会場にむかうとちゅう、多伎の方向に
真っ黒な雲がかかっていた。
ときどきワイパーを3段階目のスピードでうごかすほどの雨がふる。
むこうでは「経験したことのない大雨」
がふっているのではないかと心配した。
多伎湾につくと、さいわい雨はこぶりになる。
結果的にいって、35℃の猛暑のなかをはしるより、
今年はくもり空にすくわれたといえる。
それでもレースは毎回それぞれにくるしく、
今回もまたおよぎだしたときは、これからどうなるかとおもうほど
からだがうごかない。
ランのスタートもおなじで、
おそくしかはしれないのにしみじみとくるしい。
わたしがはしりだすころは、
もうショートの部の上位集団がゴールにかけこんでくる。
もうおわったひとがいるのに、
こっちはこれから21キロはしるのかとおもうと
いつもながらがっくりくる。
なんとかからだをだましだましはしりつづけるが、
あと5キロ、というところできゅうに足がおもくなった。
これがおわったらもうはしらなくていい、と
そればっかりを頭でこねくりまわし、なんとかゴールする。
正確なタイムはわからないが、
いつもとおなじようなパッとしない3時間15分程度だとおもう。
はしっているときは、2キロごとにおかれているエイドに
たくさんの小学生がボランティアでまちうけてくれ、
スポンジやのみものをわたしてくれる。
沿道でも家のまえにイスをだして、
町内の方がさかんに声援をおくってくれる。
選手はたいへんとはいえ、自分のやりたいことをしているわけで、
そんなわたしたちを、あついなか(今年は雨もふったのに)
ささえてくれる関係者の方やボランティアの方の協力が
ほんとうにありがたい。
ゴールしたあとは、「おもてなし」として
ソーメン・イカやき・サザエ・スイカなどが無料でふるまわれる。
いつもいつもさえないタイムしかだせないのに、
それでも毎年参加する気になるのは、
このレースのやわらかな雰囲気にひかれるからだ。
なんとか無事にはしりおえ、
今年いちばんの行事がおわったことにホッとする。
このレースをめざして何ヶ月もまえから細々と準備してきたし、
ガリガリ君をたべるのをひかえたりもした。
きょうですべて解禁ということで、
しばらく羽をのばしてくつろごうとおもう。
レースにむけて準備した12のこと、というわけで、
ことし特別にとりくんだことは
・まえの日にマッサージにいく
つぎの日にレースがある、といったせいか、
90分もかけてていねいにマッサージしてもらえた。
おされると、からだのあちこちがいたく、
そうとうつかれがたまっているのをかんじた。
・胸毛をそる
水の抵抗をへらすためではなく、
いま話題の「ツルスベ」を体験しようとおもった。
といってもすね毛までやるとたいへんなので、胸毛だけだ。
カミソリをあてること、そしてその結果あらわれる白い肌は
「へんなかんじ」としかいいようがない。
胸毛のないわたしの胸はじゅうぶんにうつくしく、
ときどき鏡でながめてはナルシスしている。
・朝ごはんに納豆いり卵かけごはんをたべる
とにかく炭水化物をたくさんとろうとおもった。
・バナナをたべる
ゼリー状の栄養補助食品はなんとなく抵抗があり、バナナにした。
レースまえの1週間は、食後のバナナをメニューにくわえた。
・前日のお酒をひかえる
ほんとうはのまないほうがいいけど、
それだとねむれないので、ジン・トニックを1杯だけにする。
・練習量は週40キロ程度
10キロの日が2回、週末に20キロを1回はしる、というもの。
ロングの部にでるのなら、もっとはしりこまないとだめなのに、
毎年この程度の練習でお茶をにごしている。
こんな練習量では、結果がどうのこうのいえるわけがない。
・水泳をはじめたのは5月下旬から
年間をつうじておよげばいいけど、
このごろは秋になるとプールへいかなくなる。
ひさしぶりにおよぐと、ながい距離がつづかなくなっていて、
1500メートルをおよげるようになるまでに1ヶ月ちかくかかってしまった。
しかもすごくおそい。
水泳を年間スケジュールにいれないと、
ますますみじめなタイムになりそうだ。
・アディダスのシューズをかう
いつもはたいていナイキだけど、
わたしの足にはアディダスのほうがしっくりくるような気がしてきた。
でも、かったシューズは足幅が2Eのもので、
わたしのデカ足にははばがせますぎた。
・ウェットスーツはきない
年1回のレースのためにスーツをかうまでもないだろうと、
ずっと水泳パンツだけでやっている。
参加者全体では8割くらいのひとがスーツをきている。
せっかく9まできたので、むりしてあと3つをかんがえる。
・LSDとのであいがよかったのか、わるかったのか
24歳のときに佐々木功さんがかかれた
『ゆっくり走ればはやくなる』にであう。
それからはゆっくりはしったり、
およいだりばかりの練習になってしまった。
きっと佐々木さんの本には、LSDでからだをつくっておいて、
そのうえにスピードをのっける、
という手順がかいてあったはずだ。
わたしは自分の都合のいいところばかりをとりいれて、
とにかくゆっくりばかりをつづけた。
その結果、どうにも回転のあがらないからだができあがった。
からだは、この程度のスピードでうごかせばいいということを
決定的につよくまなんでしまったようだ。
いまさらどうしようもないので、
けっきょくそのままゆっくりだけの練習をつづけている。
・(これは準備とはなんの関係もないけど)
スイムでは半分ちかく平泳ぎでおよぐ
わたしはむかし競泳で平泳ぎの選手だった。
クロールがへたくそ、ということと、
平泳ぎがいまでもわりにはやい、ということで、
レースでもついつい平泳ぎがおおくなる。
平泳ぎのキックでけられるひとにはひんしゅくだろうが、
胸のなかであやまりながら平泳ぎをつづけている。
・(これも準備とは全然関係ないけど)個人での参加である
レースには男女混合のグループでやってきて
おおきなテントをたてるチームがすくなくない。
わたしのひがみかもしれないが、
男性だけ、女性だけ、というよりも
仲のよさそうなチームメイトというかんじで
男女混合型がおおい。
わたしはいつもひとりで会場にでかけ、
むこうでしりあい(男性)と合流する。
そのひととおしゃべりをしつつ、
まわりのたのしそうなテントのようすが気になりがちだ。
スイムは田儀湾内の1周1.2キロのコース、
ランは多伎町内の山あいの道や、田んぼ脇の道路をはしる。
ショートの部がスイム1.2キロ・ラン10キロで、
ロングはそれぞれ2.4キロと21キロとなる。
全体で388名のエントリーだった。
会場にむかうとちゅう、多伎の方向に
真っ黒な雲がかかっていた。
ときどきワイパーを3段階目のスピードでうごかすほどの雨がふる。
むこうでは「経験したことのない大雨」
がふっているのではないかと心配した。
多伎湾につくと、さいわい雨はこぶりになる。
結果的にいって、35℃の猛暑のなかをはしるより、
今年はくもり空にすくわれたといえる。
それでもレースは毎回それぞれにくるしく、
今回もまたおよぎだしたときは、これからどうなるかとおもうほど
からだがうごかない。
ランのスタートもおなじで、
おそくしかはしれないのにしみじみとくるしい。
わたしがはしりだすころは、
もうショートの部の上位集団がゴールにかけこんでくる。
もうおわったひとがいるのに、
こっちはこれから21キロはしるのかとおもうと
いつもながらがっくりくる。
なんとかからだをだましだましはしりつづけるが、
あと5キロ、というところできゅうに足がおもくなった。
これがおわったらもうはしらなくていい、と
そればっかりを頭でこねくりまわし、なんとかゴールする。
正確なタイムはわからないが、
いつもとおなじようなパッとしない3時間15分程度だとおもう。
はしっているときは、2キロごとにおかれているエイドに
たくさんの小学生がボランティアでまちうけてくれ、
スポンジやのみものをわたしてくれる。
沿道でも家のまえにイスをだして、
町内の方がさかんに声援をおくってくれる。
選手はたいへんとはいえ、自分のやりたいことをしているわけで、
そんなわたしたちを、あついなか(今年は雨もふったのに)
ささえてくれる関係者の方やボランティアの方の協力が
ほんとうにありがたい。
ゴールしたあとは、「おもてなし」として
ソーメン・イカやき・サザエ・スイカなどが無料でふるまわれる。
いつもいつもさえないタイムしかだせないのに、
それでも毎年参加する気になるのは、
このレースのやわらかな雰囲気にひかれるからだ。
なんとか無事にはしりおえ、
今年いちばんの行事がおわったことにホッとする。
このレースをめざして何ヶ月もまえから細々と準備してきたし、
ガリガリ君をたべるのをひかえたりもした。
きょうですべて解禁ということで、
しばらく羽をのばしてくつろごうとおもう。
レースにむけて準備した12のこと、というわけで、
ことし特別にとりくんだことは
・まえの日にマッサージにいく
つぎの日にレースがある、といったせいか、
90分もかけてていねいにマッサージしてもらえた。
おされると、からだのあちこちがいたく、
そうとうつかれがたまっているのをかんじた。
・胸毛をそる
水の抵抗をへらすためではなく、
いま話題の「ツルスベ」を体験しようとおもった。
といってもすね毛までやるとたいへんなので、胸毛だけだ。
カミソリをあてること、そしてその結果あらわれる白い肌は
「へんなかんじ」としかいいようがない。
胸毛のないわたしの胸はじゅうぶんにうつくしく、
ときどき鏡でながめてはナルシスしている。
・朝ごはんに納豆いり卵かけごはんをたべる
とにかく炭水化物をたくさんとろうとおもった。
・バナナをたべる
ゼリー状の栄養補助食品はなんとなく抵抗があり、バナナにした。
レースまえの1週間は、食後のバナナをメニューにくわえた。
・前日のお酒をひかえる
ほんとうはのまないほうがいいけど、
それだとねむれないので、ジン・トニックを1杯だけにする。
・練習量は週40キロ程度
10キロの日が2回、週末に20キロを1回はしる、というもの。
ロングの部にでるのなら、もっとはしりこまないとだめなのに、
毎年この程度の練習でお茶をにごしている。
こんな練習量では、結果がどうのこうのいえるわけがない。
・水泳をはじめたのは5月下旬から
年間をつうじておよげばいいけど、
このごろは秋になるとプールへいかなくなる。
ひさしぶりにおよぐと、ながい距離がつづかなくなっていて、
1500メートルをおよげるようになるまでに1ヶ月ちかくかかってしまった。
しかもすごくおそい。
水泳を年間スケジュールにいれないと、
ますますみじめなタイムになりそうだ。
・アディダスのシューズをかう
いつもはたいていナイキだけど、
わたしの足にはアディダスのほうがしっくりくるような気がしてきた。
でも、かったシューズは足幅が2Eのもので、
わたしのデカ足にははばがせますぎた。
・ウェットスーツはきない
年1回のレースのためにスーツをかうまでもないだろうと、
ずっと水泳パンツだけでやっている。
参加者全体では8割くらいのひとがスーツをきている。
せっかく9まできたので、むりしてあと3つをかんがえる。
・LSDとのであいがよかったのか、わるかったのか
24歳のときに佐々木功さんがかかれた
『ゆっくり走ればはやくなる』にであう。
それからはゆっくりはしったり、
およいだりばかりの練習になってしまった。
きっと佐々木さんの本には、LSDでからだをつくっておいて、
そのうえにスピードをのっける、
という手順がかいてあったはずだ。
わたしは自分の都合のいいところばかりをとりいれて、
とにかくゆっくりばかりをつづけた。
その結果、どうにも回転のあがらないからだができあがった。
からだは、この程度のスピードでうごかせばいいということを
決定的につよくまなんでしまったようだ。
いまさらどうしようもないので、
けっきょくそのままゆっくりだけの練習をつづけている。
・(これは準備とはなんの関係もないけど)
スイムでは半分ちかく平泳ぎでおよぐ
わたしはむかし競泳で平泳ぎの選手だった。
クロールがへたくそ、ということと、
平泳ぎがいまでもわりにはやい、ということで、
レースでもついつい平泳ぎがおおくなる。
平泳ぎのキックでけられるひとにはひんしゅくだろうが、
胸のなかであやまりながら平泳ぎをつづけている。
・(これも準備とは全然関係ないけど)個人での参加である
レースには男女混合のグループでやってきて
おおきなテントをたてるチームがすくなくない。
わたしのひがみかもしれないが、
男性だけ、女性だけ、というよりも
仲のよさそうなチームメイトというかんじで
男女混合型がおおい。
わたしはいつもひとりで会場にでかけ、
むこうでしりあい(男性)と合流する。
そのひととおしゃべりをしつつ、
まわりのたのしそうなテントのようすが気になりがちだ。
2013年08月03日
『バースデイ・ガール』(村上春樹)二十歳のとき、ひとはなにをねがうか
村上春樹の短篇集『めくらやなぎと眠る女』におさめられている
『バースデイ・ガール』について。
二十歳の誕生日をむかえる女性が、
アルバイトさきのイタリア料理店で
誕生日の日にも仕事にでることになる。
もうひとりのアルバイトの女の子が
カゼをこじらせたと連絡してきたためだ。
誕生日の夜をいっしょにすごすはずだったボーイフレンドと、
数日まえにケンカしたこともあり、
それほどがっかりするしらせではなかった。
「彼女が働いていたのはそこそこに名のしれた
六本木のイタリア料理店だった。
60年代半ばからやっている店で、
出てくる料理には先端的な鋭さはなかったが、
味自体はしごくまっとうなもので、
食べ飽きがしなかった。
店の雰囲気にもおしつけがましいところがなく、
穏やかな落ちつきがった」
店には、ウェイトレスとして、
彼女ともうひとりのアルバイトの女の子、
フロア・マネージャーがひとり、
レジに痩せた中年の女性。
本文にはかかれていないが、
もちろん料理を担当するスタッフもいるだろう。
サービス業としてお客さんにきてもらう仕事は、
どれもにたような役割分担になるみたいで、
わたしの職場であるデイサービスも、
このレストランとおなじようなものだ。
ウェイトレスは、日がわりでローテーションをくんでいる非常勤の職員で、
フロア・マネージャーは現場の責任者としての主任指導員だ。
わたしが担当してるのは、レジみたいなものだろうか。
重要なのはフロア・マネージャーで、実質的なサービスのよしあしは、
このポジションが機能しているかどうかできまる。
レジはまあおまけみたいなもので、
雰囲気をこわさないよう、ひっそりとすわっていればいい。
そしてもうひとり。この店には不思議なオーナーがいる。
レジよりも、こんなオーナーになりたいとおもった。
オーナーは店のあるビルの6階に自分の部屋をもっており、
そこに毎晩夕食をとどけさせている。
お店には絶対に顔をださず、
オーナーにあえるのはフロア・マネージャーだけなので、
ほかの従業員はオーナーの顔をみたことがなかった。
彼女の誕生日であるこの夜、
フロア・マネージャーがきゅうに体調をくずし、
彼女がオーナーの部屋へ食事をとどけることになる。
「八時になってオーナーの食事が整うと、
彼女はワゴンを押してエレベーターに乗り込み、
六階に上がった。コルク栓が抜かれた赤ワインの小瓶、
コーヒーポット、チキン料理(オーナーはいつもチキンをたべた)、
温野菜の付け合わせ、バターを添えたパン」
このオーナーのいっぷうかわった存在感にわたしはひかれた。
現場にはでないけれど、毎晩料理をとどけさせることで
ある程度チェック機能をはたせるだろうし、
そのときにフロア・マネージャーからはなしもきける。
いるかいないかわからないようなひっそりとした存在なので、
めだたずひとからも無視されやすいわたしにぴったりではないか。
彼女がオーナーの部屋をおとずれ、
フロア・マネージャーが体調をくずしたので
自分がかわりに夕食をとどけにきたことを説明する。
彼女とのみじかい会話から、
オーナーは今夜が彼女の二十歳の誕生日であることをしる。
「私としては、お嬢さん、
君に何か誕生日のプレゼントをあげたいと思う。
二十歳の誕生日みたいなとくべつな日には、
とくべつな記念品が必要なんだよ、なんといっても」(中略)
「つまり、私としては君の願いをかなえてあげたいんだよ、
かわいい妖精のお嬢さん。
君の望むことをかなえてあげたい。
なんでもいい。どんな望みでもかまわない。
もちろんもし君に願いごとがあるならということだけれど」
「願いごと?」と彼女は乾いた声で言った。
「こうなればいいという願いだよ。お嬢さん、君の望むことだ。
もし願いごとがあれば、ひとつだけかなえてあげよう。
それが私のあげられるお誕生日のプレゼントだ。
しかしたったひとつだから、
よくよく考えた方がいいよ」
老人は空中に指を一本あげた。
「ひとつだけ。あとになって思い直してひっこめることはできないからね」
そして彼女は自分のねがいをオーナーにつたえ、
ほんとうにそれでいいのかと確認されたのちに、
オーナーは魔法をかけるみたいな手のうごきをして
彼女のねがいをかなえた。
何年かたって、「僕」は彼女からこのときの誕生日についてはなしをきく。
彼女がどんなねがいを希望したのかはあかされていない。
「君はそれを願いごととして選んだことを後悔していないか?」(中略)
「私は今、三歳年上の公認会計士と結婚していて、
子どもが二人いる」と彼女は言う。
「男の子と女の子。アイリッシュ・セッターが一匹。
アウディに乗って、週に2回女友だちとテニスをしている。
それが今の私の人生」
「それほど悪くなさそうだけど」と僕は言う。
「アウディのバンパーにふたつばかりへこみがあっても?」
「だってバンパーはへこむためについているんだよ」
「そういうステッカーがあるといいわね」と彼女は言う。
「『バンパーはへこむためにある』」
僕は彼女の口もとを見ている。
「私が言いたいのは」と彼女は静かに言う。
そして耳たぶを掻く。きれいなかたちをした耳たぶだ。
「人間というのは、何をのぞんだところで、どこまでいったところで、
自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」
彼女は「僕」に
「もしあなたが私の立場にいたら、
どんなことを願ったと思う?」
とたずねる。
「何も思いつかないよ」という「僕」に、
「あなたはきっともう願ってしまったのよ」と彼女は言う。
二十歳のときのねがい、というのが特別な意味をもっている。
二十歳のとき、ひとはどんなことをねがうのだろう。
彼女がねがいをオーナーにつたえたとき、
「君のような年頃の女の子にしては、
一風変わった願いのように思える」という感想を口にしている。
彼女のねがいは
「もっと美人になりたいとか、賢くなりたいとか、
お金持ちになりたいとか」そいうたぐいのものではなかった。
オーナーの雰囲気にひかれながらも、
彼女のねがいがなんだったのか気になるところだ。
わたしだったらなにをねがっただろう。
もう30年以上もまえのわたしは、
ずいぶんおろかだったけれど、
ピュアでもあったかもしれない。
二十歳という限定的な条件のとき、
ひとはなにをねがうのだろう。
『バースデイ・ガール』は、
村上春樹の短編らしいリアリティのある世界での、
不思議なものがたりだ。
『バースデイ・ガール』について。
二十歳の誕生日をむかえる女性が、
アルバイトさきのイタリア料理店で
誕生日の日にも仕事にでることになる。
もうひとりのアルバイトの女の子が
カゼをこじらせたと連絡してきたためだ。
誕生日の夜をいっしょにすごすはずだったボーイフレンドと、
数日まえにケンカしたこともあり、
それほどがっかりするしらせではなかった。
「彼女が働いていたのはそこそこに名のしれた
六本木のイタリア料理店だった。
60年代半ばからやっている店で、
出てくる料理には先端的な鋭さはなかったが、
味自体はしごくまっとうなもので、
食べ飽きがしなかった。
店の雰囲気にもおしつけがましいところがなく、
穏やかな落ちつきがった」
店には、ウェイトレスとして、
彼女ともうひとりのアルバイトの女の子、
フロア・マネージャーがひとり、
レジに痩せた中年の女性。
本文にはかかれていないが、
もちろん料理を担当するスタッフもいるだろう。
サービス業としてお客さんにきてもらう仕事は、
どれもにたような役割分担になるみたいで、
わたしの職場であるデイサービスも、
このレストランとおなじようなものだ。
ウェイトレスは、日がわりでローテーションをくんでいる非常勤の職員で、
フロア・マネージャーは現場の責任者としての主任指導員だ。
わたしが担当してるのは、レジみたいなものだろうか。
重要なのはフロア・マネージャーで、実質的なサービスのよしあしは、
このポジションが機能しているかどうかできまる。
レジはまあおまけみたいなもので、
雰囲気をこわさないよう、ひっそりとすわっていればいい。
そしてもうひとり。この店には不思議なオーナーがいる。
レジよりも、こんなオーナーになりたいとおもった。
オーナーは店のあるビルの6階に自分の部屋をもっており、
そこに毎晩夕食をとどけさせている。
お店には絶対に顔をださず、
オーナーにあえるのはフロア・マネージャーだけなので、
ほかの従業員はオーナーの顔をみたことがなかった。
彼女の誕生日であるこの夜、
フロア・マネージャーがきゅうに体調をくずし、
彼女がオーナーの部屋へ食事をとどけることになる。
「八時になってオーナーの食事が整うと、
彼女はワゴンを押してエレベーターに乗り込み、
六階に上がった。コルク栓が抜かれた赤ワインの小瓶、
コーヒーポット、チキン料理(オーナーはいつもチキンをたべた)、
温野菜の付け合わせ、バターを添えたパン」
このオーナーのいっぷうかわった存在感にわたしはひかれた。
現場にはでないけれど、毎晩料理をとどけさせることで
ある程度チェック機能をはたせるだろうし、
そのときにフロア・マネージャーからはなしもきける。
いるかいないかわからないようなひっそりとした存在なので、
めだたずひとからも無視されやすいわたしにぴったりではないか。
彼女がオーナーの部屋をおとずれ、
フロア・マネージャーが体調をくずしたので
自分がかわりに夕食をとどけにきたことを説明する。
彼女とのみじかい会話から、
オーナーは今夜が彼女の二十歳の誕生日であることをしる。
「私としては、お嬢さん、
君に何か誕生日のプレゼントをあげたいと思う。
二十歳の誕生日みたいなとくべつな日には、
とくべつな記念品が必要なんだよ、なんといっても」(中略)
「つまり、私としては君の願いをかなえてあげたいんだよ、
かわいい妖精のお嬢さん。
君の望むことをかなえてあげたい。
なんでもいい。どんな望みでもかまわない。
もちろんもし君に願いごとがあるならということだけれど」
「願いごと?」と彼女は乾いた声で言った。
「こうなればいいという願いだよ。お嬢さん、君の望むことだ。
もし願いごとがあれば、ひとつだけかなえてあげよう。
それが私のあげられるお誕生日のプレゼントだ。
しかしたったひとつだから、
よくよく考えた方がいいよ」
老人は空中に指を一本あげた。
「ひとつだけ。あとになって思い直してひっこめることはできないからね」
そして彼女は自分のねがいをオーナーにつたえ、
ほんとうにそれでいいのかと確認されたのちに、
オーナーは魔法をかけるみたいな手のうごきをして
彼女のねがいをかなえた。
何年かたって、「僕」は彼女からこのときの誕生日についてはなしをきく。
彼女がどんなねがいを希望したのかはあかされていない。
「君はそれを願いごととして選んだことを後悔していないか?」(中略)
「私は今、三歳年上の公認会計士と結婚していて、
子どもが二人いる」と彼女は言う。
「男の子と女の子。アイリッシュ・セッターが一匹。
アウディに乗って、週に2回女友だちとテニスをしている。
それが今の私の人生」
「それほど悪くなさそうだけど」と僕は言う。
「アウディのバンパーにふたつばかりへこみがあっても?」
「だってバンパーはへこむためについているんだよ」
「そういうステッカーがあるといいわね」と彼女は言う。
「『バンパーはへこむためにある』」
僕は彼女の口もとを見ている。
「私が言いたいのは」と彼女は静かに言う。
そして耳たぶを掻く。きれいなかたちをした耳たぶだ。
「人間というのは、何をのぞんだところで、どこまでいったところで、
自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」
彼女は「僕」に
「もしあなたが私の立場にいたら、
どんなことを願ったと思う?」
とたずねる。
「何も思いつかないよ」という「僕」に、
「あなたはきっともう願ってしまったのよ」と彼女は言う。
二十歳のときのねがい、というのが特別な意味をもっている。
二十歳のとき、ひとはどんなことをねがうのだろう。
彼女がねがいをオーナーにつたえたとき、
「君のような年頃の女の子にしては、
一風変わった願いのように思える」という感想を口にしている。
彼女のねがいは
「もっと美人になりたいとか、賢くなりたいとか、
お金持ちになりたいとか」そいうたぐいのものではなかった。
オーナーの雰囲気にひかれながらも、
彼女のねがいがなんだったのか気になるところだ。
わたしだったらなにをねがっただろう。
もう30年以上もまえのわたしは、
ずいぶんおろかだったけれど、
ピュアでもあったかもしれない。
二十歳という限定的な条件のとき、
ひとはなにをねがうのだろう。
『バースデイ・ガール』は、
村上春樹の短編らしいリアリティのある世界での、
不思議なものがたりだ。
2013年08月02日
オーラがどうしたというのだ
朝日新聞紙上で、元メジャーリーガーの松井秀喜さんが
「語る」という連載をはじめた。
メジャーリーグでのおもいでをかたったもので、
8月1日にのった3回目の記事は、
とくにヤンキースについてのおもいでが中心だ。
「03年のメンバーは、みんなオーラを感じた。(中略)
(ジータは)7年間一緒にプレーして、
最後までオーラはきえなかった。
ユニホームを着てグランドに出ると、
他の選手には無いオーラを放つ」
あの松井選手にしてそうなのか。
わたしはこの「オーラ」というやつがきらいで、
なんでそんなにオーラがありがたがられるのか
不思議におもっている。
芸能人やスポーツ選手などにあうと、
「すごいオーラをかんじました」、と
ほんとうにうれしそうにいうひとがおおい。
オーラはそんなにえらいものなのか。
あっち側の世界のひとのかがやきを、
「オーラがすごかった」とありがたそうに
いうひとの気がしれない。
芸能人同士がおたがいのオーラについてはなしたり、
(まちをあるくときなどに)
あのひとはオーラを自在にけしさることができる、なんて
まことしやかにいうのをきいていると、
「はいはい、どうぞごかってに」と
興ざめしてしまう。
意地のわるいいい方をすれば、
だれもオーラなんかみたことがないはずなのに、
共通の体験として認識されているのはおかしくないか。
「鳥肌がたった」もきらいだけど、
これはじっさいに「鳥肌」になるわけで、
視覚的な変化がわかりやすい。
でも、オーラはちがう。
オーラをみた、というひとは、
それを絵にかいてわたしにみせてほしいとおもう。
芸能界にくらいわたしが
もしかりにAKB48のだれかにであったとしても、
わかくてきれいな子、ぐらいにしかおもわないはずだ。
オーラをつくりだすのは、本人ではなくて、
まわりのひと、というのがわたしの仮説である。
うけてがかってにオーラをかんじてしまうだけなのではないのか。
そこらへんは色気とにていて、
だれもにうけいれられる色気はないし、
どんなに色気をただよわせていても、
うけとる側がそれをかぎつけなければならない。
ただ、オーラは色気とちがってエネルギーのむきが一方通行で、
つよいオーラをみとめたからといって、
あたらしいなにかがうまれるわけではない。
「すごいオーラだった」とただおどろくしかないのが、
オーラと、オーラをみたひととの関係である。
オーラがよくかたられるようになったのは、
そんなにふるいことではなく、
「鳥肌」もおなじころからよく耳にするようになった気がする。
相手の特別さをありがたがるというよりも、
それをかんじとった自分の感性によろこんでいて
へきえきさせられる。
野球一筋に何十年もやってきたひとは、
体格や身のこなしが一般人とちがうところもでるかもしれない。
でもそれは林業一筋30年のひとだっておなじはずで、
生活がつくりだす「ひととなり」なわけだから、
そうした特殊性がつくりだす「ちがい」を
むやみに評価する必要はない。
オーラはほんとうに存在するエネルギーなのだろう。
でも、そんなにおおさわぎしてもちあげないで、
半分あっちの世界のものとして、
もうすこしそっとしておいたほうが、
オーラとしてもただしいかがやきをはなつとわたしはおもう。
「語る」という連載をはじめた。
メジャーリーグでのおもいでをかたったもので、
8月1日にのった3回目の記事は、
とくにヤンキースについてのおもいでが中心だ。
「03年のメンバーは、みんなオーラを感じた。(中略)
(ジータは)7年間一緒にプレーして、
最後までオーラはきえなかった。
ユニホームを着てグランドに出ると、
他の選手には無いオーラを放つ」
あの松井選手にしてそうなのか。
わたしはこの「オーラ」というやつがきらいで、
なんでそんなにオーラがありがたがられるのか
不思議におもっている。
芸能人やスポーツ選手などにあうと、
「すごいオーラをかんじました」、と
ほんとうにうれしそうにいうひとがおおい。
オーラはそんなにえらいものなのか。
あっち側の世界のひとのかがやきを、
「オーラがすごかった」とありがたそうに
いうひとの気がしれない。
芸能人同士がおたがいのオーラについてはなしたり、
(まちをあるくときなどに)
あのひとはオーラを自在にけしさることができる、なんて
まことしやかにいうのをきいていると、
「はいはい、どうぞごかってに」と
興ざめしてしまう。
意地のわるいいい方をすれば、
だれもオーラなんかみたことがないはずなのに、
共通の体験として認識されているのはおかしくないか。
「鳥肌がたった」もきらいだけど、
これはじっさいに「鳥肌」になるわけで、
視覚的な変化がわかりやすい。
でも、オーラはちがう。
オーラをみた、というひとは、
それを絵にかいてわたしにみせてほしいとおもう。
芸能界にくらいわたしが
もしかりにAKB48のだれかにであったとしても、
わかくてきれいな子、ぐらいにしかおもわないはずだ。
オーラをつくりだすのは、本人ではなくて、
まわりのひと、というのがわたしの仮説である。
うけてがかってにオーラをかんじてしまうだけなのではないのか。
そこらへんは色気とにていて、
だれもにうけいれられる色気はないし、
どんなに色気をただよわせていても、
うけとる側がそれをかぎつけなければならない。
ただ、オーラは色気とちがってエネルギーのむきが一方通行で、
つよいオーラをみとめたからといって、
あたらしいなにかがうまれるわけではない。
「すごいオーラだった」とただおどろくしかないのが、
オーラと、オーラをみたひととの関係である。
オーラがよくかたられるようになったのは、
そんなにふるいことではなく、
「鳥肌」もおなじころからよく耳にするようになった気がする。
相手の特別さをありがたがるというよりも、
それをかんじとった自分の感性によろこんでいて
へきえきさせられる。
野球一筋に何十年もやってきたひとは、
体格や身のこなしが一般人とちがうところもでるかもしれない。
でもそれは林業一筋30年のひとだっておなじはずで、
生活がつくりだす「ひととなり」なわけだから、
そうした特殊性がつくりだす「ちがい」を
むやみに評価する必要はない。
オーラはほんとうに存在するエネルギーなのだろう。
でも、そんなにおおさわぎしてもちあげないで、
半分あっちの世界のものとして、
もうすこしそっとしておいたほうが、
オーラとしてもただしいかがやきをはなつとわたしはおもう。
2013年08月01日
『みどりの月』ズルズル感がうまい角田光代
『みどりの月』(角田光代・集英社文庫)
つきあっている男、キタザワのマンションに南がひっこしたら、
そこには同居人がいた。
同居人がいることはキタザワからあらかじめしらされていた。
ひとりはキタザワの妻、マリコで(めんどくさいので離婚届をだしてない)、
もうひとりはマリコがどこかでであってつれこんできた
20歳のわかいおとこ、サトシだ。
彼らはキタザワのマンションにいそうろうしながら
部屋をめちゃくちゃにちらかしてくらしていた。
自分でゴミをかたづけるというかんがえがなく、
だしっぱなし、よごしっぱなし、つかいっぱなしを、
キタザワもふくめて3人が当然のようにつづけてきた。
「『ごみは捨てたい人が捨てるのよ』マリコが言った。
『ごみ捨てもご飯も、そのほかのことも全部、
やりたい人がやるのよ』」
「家の中はどこもかしこもひどい状態だった。
それを三人が三人とも平気で暮らしてきたらしい。
食事をするときや雑誌を広げるとき、
スペースが必要になるとキタザワはものをしまうことをせずただよける。
つぶれたビールの空き缶や脱ぎ捨てられたTシャツやマリコのシュミーズ、
濡れたタオルやレコード・ジャケットや古新聞古雑誌、
色とりどりに重なりあったおびただしい数のそれらはだから、
必要に応じて右へ左へ移動し続ける。(中略)
食器棚になぜか真新しいストッキングがつっこまれていたり、
下手をするとリビングに靴が脱ぎ捨てられていたりする。
洗濯物はベランダに近い床で山を作り、
風呂に入るときはみんなそこからタオルを持っていった。
使い終えたタオルもまたそうして床に放っておく」
南はあまりにも異常な状況におどろき、(当然だ)
彼らをおいだそうとするが、
かんたんにでていくようなひとたちではない。
ズルズルと部屋にいすわりつづけ
南がかたづけるはしからまたよごし、ちらかしていく。
この、ズルズル感が角田光代はうまい。
ひとの部屋にすみつき、よごし、
それをあたりまえのようにつづけるひとたちの世界が、
だんだんとどうしようもない既成事実におもえてくる。
あきらかに異常なのに、もうどうにもうごかしようがない。
ある日、マリコが外国へでかせぎにいくといいだす。
日本の演歌がはやっているから
のみやでピアノをひいてうたえば仕事がある、
と外国人のホステスにいわれたという。
マリコがそうやって外国へいって
仕事をさがそうとするのはわかるけど、
キタザワやサトシまでもいっしょについていこうとする。
キタザワは南にもいっしょにいこうと声をかける。
いったいキタザワはなにをかんがえているのか。
「どうしていつまでもあの人たちと一緒なの?」
「べつに意味はないよ
一人より二人、二人より四人のほうが
安いし楽しんじゃん」
「どこかほかの国で働くって、
手続きとかどうなってるんですか」
「さあ、知らない。べつにいいんじゃないの、
このあたりだって外国の人いっぱい働いてるし。
まあなんとかなるわよ。南ちゃんも行くでしょ?」
日本でやっていたようなくらしを、
ズルズルとどこかの国のどこかの町でもつづける気だ。
それほど世間はあまくなくて、3人はひどい目にあうのか、
それともへんに執着心がないぶん
外国のひとにうけいれられて
日本よりかえってのびのびとくらせるのか。
かたづけをしないのはだらしないことではあるけれど、
そんなひとたちはどこの社会にもいくらでもいるだろうし、
南みたいなきれいずきが
仲間にはいろうなどという気をおこさなければ、
彼らは自分がすきなようにきたない部屋にすみつづけるだけだ。
そのことでだれもこまりはしない。
生活力がまったくない彼らも、
お金さえある程度あれば
外国でもなんとか生きていけるかもしれない。
この小説のテーマは、「かたずけられないひと」のグループが、
外国でどうくらしていくか、であるはずがないのに、
わたしの関心はそっちにかたむいてしまった。
自分で責任をとったことがないひとが3人あつまったら、
どんな集団になるだろう。
きっと、なにもかわらない。
キタザワは1ヶ月くらい、なんて
気やすいことをいうけど、
けっきょくズルズルとマリコたちとすごすことになるのだ。
それもまあいいか、と、このごろはいつも
おなじ結論にいたる。
つきあっている男、キタザワのマンションに南がひっこしたら、
そこには同居人がいた。
同居人がいることはキタザワからあらかじめしらされていた。
ひとりはキタザワの妻、マリコで(めんどくさいので離婚届をだしてない)、
もうひとりはマリコがどこかでであってつれこんできた
20歳のわかいおとこ、サトシだ。
彼らはキタザワのマンションにいそうろうしながら
部屋をめちゃくちゃにちらかしてくらしていた。
自分でゴミをかたづけるというかんがえがなく、
だしっぱなし、よごしっぱなし、つかいっぱなしを、
キタザワもふくめて3人が当然のようにつづけてきた。
「『ごみは捨てたい人が捨てるのよ』マリコが言った。
『ごみ捨てもご飯も、そのほかのことも全部、
やりたい人がやるのよ』」
「家の中はどこもかしこもひどい状態だった。
それを三人が三人とも平気で暮らしてきたらしい。
食事をするときや雑誌を広げるとき、
スペースが必要になるとキタザワはものをしまうことをせずただよける。
つぶれたビールの空き缶や脱ぎ捨てられたTシャツやマリコのシュミーズ、
濡れたタオルやレコード・ジャケットや古新聞古雑誌、
色とりどりに重なりあったおびただしい数のそれらはだから、
必要に応じて右へ左へ移動し続ける。(中略)
食器棚になぜか真新しいストッキングがつっこまれていたり、
下手をするとリビングに靴が脱ぎ捨てられていたりする。
洗濯物はベランダに近い床で山を作り、
風呂に入るときはみんなそこからタオルを持っていった。
使い終えたタオルもまたそうして床に放っておく」
南はあまりにも異常な状況におどろき、(当然だ)
彼らをおいだそうとするが、
かんたんにでていくようなひとたちではない。
ズルズルと部屋にいすわりつづけ
南がかたづけるはしからまたよごし、ちらかしていく。
この、ズルズル感が角田光代はうまい。
ひとの部屋にすみつき、よごし、
それをあたりまえのようにつづけるひとたちの世界が、
だんだんとどうしようもない既成事実におもえてくる。
あきらかに異常なのに、もうどうにもうごかしようがない。
ある日、マリコが外国へでかせぎにいくといいだす。
日本の演歌がはやっているから
のみやでピアノをひいてうたえば仕事がある、
と外国人のホステスにいわれたという。
マリコがそうやって外国へいって
仕事をさがそうとするのはわかるけど、
キタザワやサトシまでもいっしょについていこうとする。
キタザワは南にもいっしょにいこうと声をかける。
いったいキタザワはなにをかんがえているのか。
「どうしていつまでもあの人たちと一緒なの?」
「べつに意味はないよ
一人より二人、二人より四人のほうが
安いし楽しんじゃん」
「どこかほかの国で働くって、
手続きとかどうなってるんですか」
「さあ、知らない。べつにいいんじゃないの、
このあたりだって外国の人いっぱい働いてるし。
まあなんとかなるわよ。南ちゃんも行くでしょ?」
日本でやっていたようなくらしを、
ズルズルとどこかの国のどこかの町でもつづける気だ。
それほど世間はあまくなくて、3人はひどい目にあうのか、
それともへんに執着心がないぶん
外国のひとにうけいれられて
日本よりかえってのびのびとくらせるのか。
かたづけをしないのはだらしないことではあるけれど、
そんなひとたちはどこの社会にもいくらでもいるだろうし、
南みたいなきれいずきが
仲間にはいろうなどという気をおこさなければ、
彼らは自分がすきなようにきたない部屋にすみつづけるだけだ。
そのことでだれもこまりはしない。
生活力がまったくない彼らも、
お金さえある程度あれば
外国でもなんとか生きていけるかもしれない。
この小説のテーマは、「かたずけられないひと」のグループが、
外国でどうくらしていくか、であるはずがないのに、
わたしの関心はそっちにかたむいてしまった。
自分で責任をとったことがないひとが3人あつまったら、
どんな集団になるだろう。
きっと、なにもかわらない。
キタザワは1ヶ月くらい、なんて
気やすいことをいうけど、
けっきょくズルズルとマリコたちとすごすことになるのだ。
それもまあいいか、と、このごろはいつも
おなじ結論にいたる。