録画しておいた「ゆがみリセット」についての番組をみる。
おおくのひとが自分のからだはゆがんでいるという自覚をもっており、
そしてそれはただしい。
ただ、番組によると骨がゆがんでいるわけではなく、
インナーマッスルのバランスがくずれているためということだ。
そのことが原因でひざがいたくなったり冷え性がきつかったりという
症状があらわれるという。
わたしもからだがゆがんでいることについて、つよい自信がある。
姿勢のわるさをよく指摘されるし、
全身をかがみにうつすと、左右対称でないことがすぐにわかる。
ランニングをすると、ひだりうでをふることができず、
片手はダランとぶらさげて、みぎうでだけをふるという
へんなフォームになってしまう。
この番組をみることで、劇的になにかが改善されるのではないかと
かなり期待していた。
しかし、残念ながら内容はたいしたことなく、
参考になる技を会得するまでにはいたらなかった。
けっきょくはインナーマッスルをととのえなさい、ということであり、
そんなのはいまさらいわれなくてもわかっている。
ナレーションがさかんに
「◯◯ということです」と、一般的にいわれていることを
紹介するかたちをとっているのも迫力にかける。
なにか画期的なテクニックをあみだして、
それを自信をもっていいきった表現で視聴者にうったえてほしい。
どこかできいたことがあるようなはなしを
スタジオにもってきただけなので、
そんなのを大発見みたいにいわれると違和感がある。
針小棒大とはこのことか、とおもった。
録画なのではやおくりができるが、そうでなかったら
かなりイライラさせられただろう。
筋肉のバランスのくずれを
簡単にみわける方法というのをためしてみたら、
わたしはその動作がふつうにできた。
ランニングのときうでをふれないのは、
なにかほかに原因があるのかもしれない。
先日のレースではしっているとき、
自転車にのりながらランナーの前後をいったりきたりして
サポートしているひとが
「うでは大丈夫ですか」とわたしにきいてこられた。
ほとんどの時間、ひだりうでをダランとぶらさげたままはしっていたため、
なにかうでにトラブルをかかえてのことかと心配されたのだ。
「ケガをされたのですか?」とかさねてたずねられる。
大丈夫です、からだがゆがんでるせいだとおもいます、
とこたえ、できるだけ両腕をふってはしり、
その方を安心させようとした。
このように、だれがどうみても、わたしのフォームはへんなのだ。
ときどきわたしとおなじように
片腕だけをぶらさげてはしっているひとをみかけることがある。
同士としてエールをおくりながら、
おなじ症状になやむひとがすくなからずいることを確認することになる。
ゆがみやバランスのわるさが原因でないとしたら
なにがわるくてうでをふれないのだろう。
何年かまえに、はじめてストレッチポールの体験コースに参加したとき、
その直後は気もちよく両腕をふってはしることができた。
なにかが劇的に矯正されたのだ。
ただ、それがながくはつづかず、
その日だけのことでおわってしまった。
それ以降は、いくらストレッチポールをしても
まえのようにはうでをふれない。
こんなことをながながとかくのは、
なにかほんのちょっとしたことをきっかけにして、
わたしのはしりが劇的によくなりはしないかと期待しているからだ。
肩甲骨か、わきばらの筋肉のかたさか、
もしかしたら骨盤のゆがみか、
なにが原因かわからないけれど、
ちょっとした修正でまったく別の世界がひらかれることを
ずいぶんまえからまちのぞんでいる。
「期待」とか「まつ」というのがよくないのだろう。
もっと積極的にいろんなことをためしてみて、
片腕「だけ」ランニングの原因をつかめれば、
おなじ症状になやまされているランナーにとっても
朗報となるだろう。
らくをして最大限の結果をだしたいのなら、
満足にうごいてくれない片腕をどうにかするしかない。
番組への失望は、ひとにたよらず自分でなんとかしろ、
というメッセージなのかもしれない。
内容はたいしたことなかったけど、
この番組はスイッチをいれる役をはたしてくれた。