2013年08月10日

圧倒的にゴージャスで、一流のエンタメ『恋する輪廻』 

『恋する輪廻』(2007年・インド・ファラー=カーン監督)

たのしみにしていたボリウッドの話題作。
2時間50分という上映時間がぜんぜんながくかんじられない。
圧倒的にゴージャスで、とにかくおもしろかった。
これがポリウッド作品の一般論なできとしたらおそるべき水準だ。
もしまよっておられるひとがいたら、
ぜひみられることをおすすめする。

インド映画はストーリーよりおどりだ、なんていう評価を
よく耳にするけど、
この作品は輪廻をストーリーにうまくとりくみ、
ラストもひとひねりがきいていた。
予想外の展開から、最高のハッピーエンドとなる。
前世と、それから30年後の後世という設定が効果的にいかされており、
あとの時代では30年分すこし世の中がゆたかになり、
英語がやたらとふえていたのがリアルだった。
輪廻なんていうと、いちおう仏教徒ながら
わたしはあまり本気でかんがえたことがないが、
ヒンドゥー教では大切な根本的な思想ときいたことがある。
それだけに輪廻をとりあつかった映画はおおいそうで、
この『恋する輪廻』の完成度のたかさは、
そうした蓄積がいきているせいだろうか。

インド映画らしく、なにかというとみんながおどりだす。
どれもよくできたおどりで、音楽も印象的だ。
映画がおわってしばらくは、独特なリズムが耳からはなれない。
よくできたラストを用意し、気もちよくおわってくれたので、
エンディングでは、みんなでおどる「Dhoom Taana」をもういちどみたかった。

主役のオームを演じるシャー=ルク=カーンさんは、
あんまりインド的な顔だちではなく、わたしにはなじみやすかった。
しがない脇役をえんじても、後世でスーパースターになったときも、
あこがれるシャンティに一生懸命つくそうとする姿にいやみがない。
そしてそのシャンティの完璧な美貌。
この世にあんなひかりかがやくひとがいるなんて。
オームがシャンティに夢中になるのも、彼女のほほえみをみると納得できる。
完璧なうつくしさの、ひとつの到達点であり、完成品におもえた。
シャンティの魅力がなければ、この作品はリアリティをうしない、
なりたたなかっただろう。
どうでもいいような女優にオームが恋するのでは、
みていてぜんぜん説得力がないから。

役者さんたちはとにかくよくおどる。
げんきいっぱいにからだをうごかして、
いかにもたのしそうだ。
老いも若きも、みんなまあよくあんなにからだがうごくものだ。
のりがよく、洗練されたふりつけなので、みていてあきない。
おもわずこちらまでからだをうごかしたくなってくる。
これは日本には絶対にない文化だときめつけていたら、
ちょうどこの日のニュースで高知市でおこなわれる
「よさこいまつり」がとりあげられていた。
いろんなおどりをアレンジしてチームとしてのできをきそう。
そのおどりが、『恋する輪廻』でのダンスを連想させた。
ふるいものをまもるだけではなく、
あたらしいうごきをとりいれて、
平気で姿をかえていく自由さが両者には共通している。
インドのおどり文化と、日本のおまつり文化は
似たようなそだち方をしたのかもしれない。
あるいは、ただ単に、だれでもああやってからだをうごかして
よろこびやかなしみを表現したいという
欲求をもっているというだけのはなしなのだろうか。

などということを、ああだこうだいうよりも、
あーおもしろかった、という感想でじゅうぶんな作品だ。
ふかみがないという意味ではなく、
一流のエンタテインメントにしあがっているからだ。
みおわったあと気もちが開放され、
あっけにとられながらたのしい気分でかえることができた。
インドのひとだけでなく、
どこの国のひとがみてもたのしめるほど、完成度がたかい。
インド映画がこんなにおもしろいのなら、
ハリウッド作品ばかりをありがたがる必要はぜんぜんない。

posted by カルピス at 23:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする