2013年08月13日

『ドーバーばばぁ』(中島久枝)生きるために挑戦した女性たち

『ドーバーばばぁ』(中島久枝・新潮文庫)

54歳から67歳という、6人の女性からなる「チーム織姫」が
ドーバー海峡をリレーで横断した記録。
著者の中島さんは映画監督で、
この挑戦を「ドーバーばばぁ 織姫たちの挑戦」という映画にしており、
この本はそれを書籍化したものだ。

わたしは以前、日本人ではじめてドーバー海峡横断を成功させた
大貫暎子さんの本『ドーバー海峡およいじゃった』をよんだことがある。
ドーバー海峡は、夏でも水温が16℃前後とものすごくつめたい。
34キロの距離よりも、このつめたさと、
潮のながれのきつさがおおきな関門となっている。
大貫さんは成功させた当時(1982年)大学生で、
高校生までつづけていた水泳はインターハイにもうすこし、
というたかいレベルの一流泳者だった。

「チーム織姫」のメンバーは、トライアスロンの選手だったり
熱心な市民スイマーだったりではあるけれど、
40歳から水泳をはじめたようなひとが主流のチームだ。
そんなメンバーでも、その気になれば
こんなすばらしい挑戦ができるというすぐれた記録となった。

『ドーバーばばぁ』をよんでかんじるのは、
「チーム織姫」に参加したメンバーたちの真剣さだ。
中高年の女性6名というということから、
和気あいあいの仲よしチームをイメージしたけれど、
そんなあまいものではなく、実態は大学の体育会系運動部にちかい。
どのメンバーも家族や職場から条件をかちとっての参加であり、
ドーバーへの挑戦にかけるおもいは切実だ。

わたしからすると、あまりにもあそびごころのない「チーム織姫」の挑戦は
きゅうくつにおもえてくる。
しかし、彼女たちは人生をかけ、真剣にとりくんでいるのであり、
そういう意味ではオリンピック入賞をねらう
シンクロの代表チームみたいなものといえる。
きびしさとつよさをメンバーどうしが要求しあってチーム力をたかめる。
ドーバーをめざすにあたり、信頼関係が万全でなければ
チームとして機能しない。
おたがいに不信感をかかえていては、
ギリギリの状況においこまれたときに破綻してしまうだろう。

あるメンバーが、自分の判断だけで脊椎の手術をきめ、
実施したことから違和感がうまれたことがあり、
けっきょくこのひとは(ほかのケガも影響したにせよ)
参加をみおくる判断をした。

リーダーの大河原さんは

「手術をして、自分なりにリハビリがんばって、
自分のチャレンジをがんばれるかもしれないけど、
じゃあこちらの残った五人のチャレンジはどうなるの?」(中略)
私たちを自身も家族を犠牲にして、いろんなことを犠牲にして、
それでも夢を持ってやってるわけだから、そのあたり、
心にちょっとギシギシっとしたものが生まれちゃったんですよ」

と、自分たちがかんじた不信感をはっきりと相手につたえている。
そこまでしないと成功にたどりつけないきびしさがドーバーにはある。

ドーバー海峡横断は、チームでいどむとしても
たかいハードルをいくつもクリアーしなければならない。
夏のかぎられた時期しか挑戦することができず、
気象条件やほかの参加者とのかねあいがうまくいかないと、
スタートすらできないで挑戦がおわることもある。
あるレベル以上の泳力がなければ、
潮のながれにおしもどされてすすむことができない。
時間をかければ成功するというものではなく、
スピードで潮をのりきるちからがもとめられる。
といって、いくら泳力があっても
水先案内人としてのパイロットと伴走船にもめぐまれなければ完泳できなし、
年齢的にも「あとがない」ひともいる。
運もまた、どうしても必要な条件としてあげなければならない。

水温16℃がどれだけつめたいかというと、
ふつう競泳がおこなわれるプールは25℃前後で、
この水温だとゆっくりおよいでいてはさむさがつのってくる。
それよりも10℃水温がひくいと、
ふつうの意味では水泳ができる環境ではなく、
低体温症をまねきかねない危険なコンディションだ。
さむさにからだがいうことをきかなくなると、
いくら気もちがあってもおよぎつづけるのは不可能となる。

わたしが競泳をしていたころ、
5月の連休あけからそとのプールでおよぐのが一般的で、
そのときの水温はたいてい20℃をきっていた。
いい天気がつづいたあとで20℃をうわまわると、
「さすがに20℃をこえるとちがうもんだ」、と
ひどく感心したことをおぼえている。
やせっぽちのわたしは、シーズンはじめのつめたい水が
ほんとうに苦手だった。
まともな思考はできなくなるし、水からあがってもしばらくは
からだがうごかない。
からだがかたまってしまい、靴下をはくことさえできなくなる。

こうしたつらさに6人の女性が挑戦しようときめたのは、
それぞれの事情があるにせよ
ひとまとめにしていうと、「挑戦することが生きること」だったからだ。
ドーバー海峡横断をやらずに、ただ生きるのではなんの人生か、
というひとたちだったからこそ、この挑戦が計画・実行され、
みごとに成功させることができた。
ドーバーをおよぎきったからといって、
とうぜんのことながら、なにかが確実にかわるわけではない。
それでも自分でこの挑戦をきめ、練習にとりくみ
夢を実現させた「チーム織姫」の健闘をたかく評価する。

余談ながら、メンバーのなんにんかは
ドーバーへの挑戦を家族(おおくは配偶者)から
「承諾」してもらうのに苦労している。
自分がきめたことを自分の責任においてやるのに、
なんで配偶者がああだこうだいうのだろう。
著者はメンバーの家族にあまりにもページをさきすぎている。
家族がどう反応したかよりも、
じっさいにおよぐ彼女たちのかんがえを
もっとしりたいとおもった。

posted by カルピス at 21:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする