『風に吹かれて』(鈴木敏夫 聞き手:渋谷陽一・中央公論新社)
ジブリのプロデューサー、鈴木敏夫さんに、
『Cut』の渋谷陽一さんがインタビューする。
ジブリの作品をとおしてだけではなく、
鈴木敏夫はどうつくられてきたかを
おいたちからふりかえる。
渋谷さんはすぐれたきき手であり、
これまでよんだインタビューは
どれもたくみに相手の本質をひきだしている。
本書でも、鈴木さんのはなしたいことをきくだけでなく、
ときには誘導尋問のようにたたみかけて、
本人の無意識をおもてにひっぱりだし、
それがジブリの作品づくりにどうからんできたかをあきらかにしている。
渋谷さんは、鈴木敏夫さんを「アニメの神様の代弁者」
ととらえている。
鈴木さんは宮崎さん・高畑さんのおおくの作品にかかわり、
ほかにもジブリの若手監督をデビューさせてきた。
宮崎・高畑という2人の天才に映画をつくらせるに、
鈴木さんはさまざまな手をうって完成にむかわせている。
それは、鈴木さん個人がどうこうではなく、
アニメの神様が鈴木さんにさせたことであり、
だからこそだれも鈴木さんの意向にはそむけなかった、
というのが渋谷説だ。
「鈴木さんは、高畑勲、宮崎駿と出会ったことによって、
自分とも出会ったわけですよね」(渋谷)
ふたりとであうことで、鈴木敏夫は鈴木敏夫となった。
高畑勲さんの作品がいつもかならず、
どうしてもおくれるはなしがおもしろかった。
そもそも高畑さんは1作目の『太陽の王子ホルスの大冒険』をつくるとき、
1年というところを3年かけてしまい、
東映動画をめちゃくちゃにしたひとだ。
作品の質はたかかったが、お客のいりはものすごくわるかった。
『火垂るの墓』だってけっきょく公開日までに完成させることができず、
未完のまま上映されている。
今回『かぐや姫』をつくるにあたり、
鈴木敏夫さんは用心して9年も用意している。
それでもまだできあがらない
(ほんらいは『風立ちぬ』と同時に、夏に公開する予定だった)。
「九年前にね、西村義明っていうジブリの若手、
この男をね、まあどうなるかと思いつつ担当にして。
高畑さんと徹底的に付き合わせようと。
当時彼がね、二十六だったわけですよ。
現在三十五歳(笑)」(鈴木)
高畑さんはいったいどういう時間感覚のなかで
生きているひとなのか。
前作の『となりの山田くん』から14年たち、
9年かけてもまだ次作ができあがらない。
ドッグイヤーとかいって、寿命にあわせたサイクルを表現するけど、
高畑さんは人間ではなく、寿命が300年の妖怪タヌキなのかもしれない。
監督としてなぜ上映に間にあわせようとしないのかは
わたしの感覚ではとても理解できない。
そんなひとがいる、というおどろき。
そういうひとに映画をつくらせるのは、
鈴木さんでないとできない仕事だ。
ジブリをつくるときのはなしもおもしろかった。
どこに会社をつくろうかと、
鈴木さん・高畑さん、それにトップクラフト
(『ナウシカ』をつくったスタジオ)の
原さんという3人で不動産屋をまわっている。
わたしはまえにいた職場、そしていま仕事をしている
「ピピ」をはじめたときのことをおもいだす。
会社をつくるというのは、
けっきょくそうやって場所さがしからはじまるのだ。
そしてだんだんとひとがふえ、しがらみができ、
ぐちゃぐちゃといろんなことをかかえていくことになる。
それが仕事をする、ということなのだろう。
いまのジブリは鈴木さんがいないとまわらないことばかりで、
そのたいへんさを鈴木さんは
「めちゃくちゃおもしろい」とたのしんでいる。
そもそもジブリをたちあげたのは、
宮崎駿さんの映画をつくれるよう環境をととのえるためだ。
1作ごとにスタッフをあつめ、できあがったら解散、
というのをくりかえすのではなく、
作品をつくりつづけるために
会社としてスタッフを常時雇用するやり方をえらんだ。
「宮崎駿に映画を撮らせるためには、
スタジオを維持しなければいけない。
ということは、新しい才能(監督)を生んでいかなければいけない
(監督が宮崎さんだけでは、会社として作品をつくりつづられないから)。
ところが、宮崎駿という人は困った人で、
その才能を壊してしまうんですよ」
「そこで鈴木さんは、これをコントロールしなければいけない」(渋谷)
これまでジブリはなんにんものあたらしい監督に
作品をつくらせようとして、
そのたびに宮崎さんが強力なプレッシャーをくわえ
これをこわしてしまう。
そこで鈴木さんは唯一宮崎さんの介入にどうじないであろう
宮崎吾郎さん(宮崎さんのむすこ)をかつぎだしたし、
『アリエッティ』のときは監督の麻呂さんを
宮崎さんの目のとどかないところへ隔離して
つよすぎるプレッシャーからまもった。
宮崎さんにしても高畑さんにしても、
映画監督としては天才でありながら、
そろいもそろって一筋縄ではいかないひとばかりだ。
「人間的立派さを求めてもしょうがない。
面白いものつくるんだから」(鈴木)
鈴木さんは宮崎さん・高畑さんとであうことで
鈴木敏夫となったけれど、
宮崎さん・高畑さんもまた、
鈴木さんとであわなければ
映画をつくりつづけることはできなかった。
3人がであえた奇跡と、
この3人と同時代に生きることができたしあわせに感謝しよう。