2013年08月21日

『里山資本主義』(藻谷浩介 NHK広島取材班)けっきょく晴耕雨読でいいみたい

『里山資本主義』(藻谷浩介 NHK広島取材班・角川oneテーマ21)

「『里山資本主義』とは、
お金の循環がすべてを決するという前提で構築された
『マネー資本主義』の経済システムの横に、
お金に依存しないサブシステムも再構築しておこうというものだ」(p138)

お金にたよらないで生きるには、
できるだけお金をつかわない生活をする必要がある。
中国地方の過疎の町でおきているあたらしいうごきを紹介し、
いままでいちばんダメな地域とおもって(おもわされて)きた自分たちの町が、
発想をかえると、世界の最先端をはしっていた、というおもしろさ。

広島県の庄原市にすむ和田さんと、その仲間たちが開発した
「エコストーブ」は、木の枝を数本あつめるだけで
おいしいご飯がたけるという。
『ぼくはお金を使わずに生きることにした』のマーク=ボイルも
おなじようなストーブをつかっていた。
燃料の木の枝が、そこらじゅうにおちているのだから、
たしかにそれをつかわない手はない。

わたしがわかいころ農業の研修をうけていたときは、
仲間たちが交代でご飯をつくり、マキでお風呂をわかしていた。
わたしみたいな新参者は、ちゃんとしたマキでないと
なかなか火をつけることができなかったけど、
もうながいことそこでくらしている女性は、
わざわざきちんとしたマキを準備しなくても、
仕事のかえりに道ばたにおちている木をもってかえって
それでお風呂をわかしていた。
その自由さがすごくかっこよかった。

『里山資本主義』をよむと、けっきょく晴耕雨読でいいのか、
とわりきれてきた。
ぜんぶ農的くらしにかえるのはたいへんだけど、
「できるだけ」とか「できることは」といった
部分的なとりくみならハードルがひくい。
ましてや、それを田舎でやるのは、
以前のくらしをとりいれるだけなので、
なおさら簡単だろう。
ただ、はやくしないと人的・物的資源がとぎれてしまい、
手おくれになるおそれがある。

わたしがもっているわずかな資質のなかで、
もしかしたら畑仕事がすきで、
マキでお風呂をわかしたがるようなこのみが
これから生きていくうえで、いちばんやくにたつかもしれない。
お金よりもモノが、たとえばドラム缶にいっぱいの灯油があるとか、
納屋にマキがたくさんつんであるといった状況がすきなので、
冬の準備としてマキづくりに精をだすだろうし、
ケチなのでガス代をはらうよりも
エコストーブでご飯をつくることが苦にならないとおもう。
お腹をへらさないためには、お米やイモをつくりたくなるだろうし、
安心してくらせるためにある程度の備蓄をこころがけるだろう。
わたしはけしてはたらきものではないが、
こうした目的のためにからだをうごかすことに抵抗はない。
これはすぐれた資質といっていいだろう。
この本をよんでいると、これからやることがたくさんありそうで
ワクワクしてきた。
年金をあてにしようとするスケベ心があると、
そこにつけこまれて自由さを手ばなしてしまう。
朝から晩まできちんとはたらくサラリーマンとしては適応できなくても、
お金をなるべくつかわない晴耕雨読の生活なら
勤勉な生活者としてみとめてもらえそうな気がする。

配偶者の実家では、いまでもマキがきれないように
納屋のうらにつみあげてある。
義理の父はもう82歳と高齢なので、
マキにする木の場所や、マキのつくり方など
はやいうちにおそわっておかないと技術がとぎれてしまう。
なんだか、いつまでも会社員でいるよりも、
はやいとこ里山資本主義の実践をはじめたくなってきた。
まなじりをけっしての「挑戦」ではなく、
ま、ちょっとテキトーに、という
かるいノリでもできそうだから。

あたらしい生き方へと、背中をおしてくれるものの、
「NHK広島取材班」の文体はいささか鼻についた。

「毎日ウキウキと小型のバンに乗り込む」P192
「(野菜づくりの)まったくの初心者も多い。
その分、感動も大きい。
実がなったと大騒ぎ、という光景が
あちこちで見られるようになった」P195
「熊原さんの挑戦は、まだまだ続く」P216

この手の本は、いつもいつもこういった文体でかかれている。
調子よすぎて、よんでいてはずかしくなってきた。
いいことばかりがあるわけないのに、
まるで桃源郷がここにあった、みたいに、
おおげさにおどろいてみせる。
内容はいいのだから、自分たちのことばで、
おちついてかけばいいのに。

posted by カルピス at 22:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする