『プロフェッショナル 仕事の流儀』で宮崎駿さんを特集していた。
『風立ちぬ』の制作にとりくむ宮崎さんを
1000日かけて取材したものだ。
これまでの作品とはちがい、戦争をとりあげること、
兵器をつくった人間が主人公であることを、
どうまわりに説明し、自分を納得させるかで
宮崎さんはくるしんでいる。
きびしい要求をつきつけ、スタッフを恫喝し、
自分をもふるいたたせるのはいつものこととはいえ、
『風立ちぬ』の時代背景と、堀越二郎という実在した人物をえがくことが
さいごまで宮崎さんをなやませる。
作品で関東大震災をえがくのは、ちょうど製作中におきた
東日本大震災とおなじ惨状をあつかうことであり、
スタッフのなかにはつよい拒否反応をしめすひとがでてくる。
震災で冷静さをうしないがちなスタッフをしかりつけながら、
宮崎さんは自分でも気もちの整理がうまくできない。
大切な場面であるという位置づけを徹底させ、
おおくの群衆がうごめくシーンでは、
わずか4秒に1年3ヶ月という膨大な時間がかけられている。
ジブリの作品がつくられるたびに、
この番組のような特集がいつもくまれる。
しかしこれだけ宮崎さんがおもてにでてきたのは
『もののけ姫』以来ではないか。
宮崎さんは作品の方向性に確信をもてなくて、
制作にとりかかってからもいらだちをみせる。
こういう作品をつくる意味があるのか、
という根本のところで宮崎さんはなやみつづける。
宮崎さんのお父さんは戦時中、軍需工場の責任者であり、
空襲でにげまどう人々をみた記憶と、
戦争によって金もうけをした父親という、ふたつの記憶が
宮崎さんの思考に影響をあたえてきた。
そうしたおさないころの体験がありながら、
宮崎さんの兵器ずきは有名で、
飛行機だけでなく、あらゆる時代のすべての兵器についてくわしい。
いっぽうで反戦主義者でもあり、
番組でいう「戦闘機への愛着と戦争への憎悪」という矛盾を
宮崎さんはかかえている。
『風立ちぬ』という作品をつくるには、
その矛盾に自分でも納得できる論理でこたえる必要があった。
「こんな作品をつくっても、
(たいくつした)子どもが通路をはしるだろうな」
という宮崎さんのひとりごとは、
これまでの作品のようには
子どもたちにうけいれられないであろう、という
宮崎さんのおそれが率直にあらわれている。
宮崎さんにとって、たいくつした子どもたちが通路をはしるのは
最大の屈辱だ。
なぜなら作品は子どもたちにむけてつくられたものだから。
しかしこの作品はどう位置づけるのか。
「だから客なんかはいらなくていいかというと、
ちょっとまってくださいという、
臆病な自分もちゃんといる」
というのも「世界の宮崎駿」ではなく、
人間らしくていいことばだ。
「やってることの意味なんかわかんないの、つくってるときには」
宮崎さんは「精一杯生き」ることに
この作品をつくる意味をもたせようとする。
「日々をどれだけ濃密に生きようとしているか」
零戦のことは番組でほとんどかたられない。
戦闘シーンや兵器そのものをえがくことが目的にならないよう
宮崎さんは以前から配慮してきた。
映画のなかでも「かっこいい零戦」としては登場しない。
宮崎さんが絵コンテをかくときには、
3Bのえんぴつでかるく紙をなでる。
顔だったり背景だったりに
ちょこちょこっと手をいれるだけにみえるのに、
線がはいったそばから、絵がいきいきとしてくる。
宮崎さんは演出家であるとともに、すぐれたアニメーターなのだ。
堀越二郎が想像でデザインした飛行機の
なんといううつくしい曲線。
宮崎さんは「めんどくさい」をくちぐせのようにくりかえす。
ほんとうにめんどくさがりやのひとは、
めんどくさいことはしないので
こういうセリフをはかない。
ちゃんとやろうとすると大変なことを
宮崎さんはよくしっているからこそ
「めんどくさい」を連発するのだ。
「めんどくさい」といいつづけながら
めんどくさいことからにげずにとりくむ。
そうやってこれまで映画だけでも11作品をつくってきた。
72歳とはいえ、宮崎さんはまだこれからも仕事をつづけるだろう。
作品にその時代の空気を反映させてきた宮崎さんは、
げんきをなくしていくといわれるこれからの日本について、
どんなメッセージを作品にこめるのか。
宮崎さんが作品をつくりつづけてくれるのは、
むかしもいまも、わたしにとってとてもありがたいことだ。