『腰ぬけ愛国談義』(半藤一利・宮崎駿 文春ジブリ文庫)
宮崎駿さんと半藤一利さんによる対談を本にしたものだ。
対談は、半藤さんが『風立ちぬ』をみるまえと
みてからの2回にわけ7時間かけておこなわれたという。
『風立ちぬ』の公開は7月20日だから、
半藤氏が本の「おわりに」で指摘されているように、
8月10日に出版されたこの本は、
ものすごいスピードでつくられたことになる。
対談は、おふたりが共通してすきな
夏目漱石のはなしではじまり、
日露戦争やその当時の日本の軍隊、
そして零戦を設計した堀越二郎など、
日本史をおさらいするみたいに、
おおくのことがかたられている。
とにかく、兵器に関する宮崎さんの知識がすごい。
時速何キロというスピードを、暗算でノットになおしてしまう。
宮崎「そうすると、10ノット弱。すごいスピードですね」
半藤「宮崎さんこそすごい。ノット換算がすぐにできるとは」
半藤氏が『太平洋戦争 日本航空戦記』という雑誌をつくったとき、
零戦は風防のところだけかかれていたのに、
本がでたとたん抗議が殺到したのだという。
その風防は52型のもので、真珠湾には
零戦の52型はいってない、というのだ。
そのはなしに宮崎さんは
「確かにそうですね。真珠湾に行ったのは21型でした。
でも風防はおなじはずだと思いますが」
とすぐに自分のかんがえをのべている。
2回目の対談のときに、半藤氏がその雑誌をもってきて宮崎さんにみせている。
半藤「どうです?連中が言ったように、
やっぱり52型ですか、これ?」
宮崎「あ、これは違いますね。・・・52型でもないです。
この風防はアメリカ軍機のカーブです」
絵にかかれた風防をみただけで、「あ、これは違いますね」
なんてすぐさまこたえられるひとがどれだけいるだろう。
それだけ兵器についての関心がつよいのに、
「じつはいま(2013年8月31日まで)
所沢の「所沢航空発祥記念館」にアメリカ人所有の零戦が展示されています。
所沢市が『おまえ、零戦好きだろう。見に来い』と言うんです。
『見に来たらコクピットに座らせてやるぞ』などと甘言を弄しましてね(笑)。
だけど、ぼくは行かないんです。
北米インディアンの斧、トマホークを集めた白人主催の展覧会に、
インディアンが見に行くか、と言いたい」
すきなことになら、身もこころもうりわたすのではなく、
こうやってゆずれないところをもつ宮崎さんがすてきだ。
半藤氏は、映画にほんの瞬間でてきた戦艦をみて、
それが長門だとみぬいている。
長門の煙突は特徴があり、しかもそれがあいつぐ改装で
2本のうちの1本がまげられたりはずされたりしているという。
「映画にでてきた『長門』の煙突は
ちゃんと二本で一本は曲がっていた。
ですから時代考証もバッチリでした」
と半藤さんがほめると、
宮崎さんもちゃんとそのことをしっていた。
「いや、そこらへんはだれも気づいてくれないのではないかと
思ったりもしましたが(笑)」
といからすごい会話だ。
この本の題名「腰ぬけ愛国談義」は、
半藤「いずれにしても日本が、この先、
世界史の主役に立つことはないんですよ。
宮崎「ないですね。ないと思います」
半藤「また、そんな気を起こしちゃならんのです。
日本は脇役でいいんです。小国主義でいいんです。(中略)
宮崎「ぼくは情けないほが、勇ましくないほうがいいと思いますよ」
というかんがえ方からつけられている。
だからといって日本がほろびてしまうわけではなく、
ただみんながいまよりも貧乏になるだけのはなしだ。
「ぼくなんかもよく『この国はどうなるでしょうか』
と聞かれるんですよ。
若い人たちはやたら『不安だ、不安だ』と言うんですが、
ぼくは『健康で働く気があれば大丈夫。それしかないだろう』
と言い返しています」(宮崎)
たべるものがなくなれば、農業をすればいい。
いまとおなじ生活ではなくなるだろうが、
へんにいさましいことをいって
戦争になるよりずっとましだ。
この本でいちばん印象にのこるのは、
「ひとがどうつくられるのか」、ということについて
宮崎さんがかたったことばだ。
半藤氏は14歳のときに東京大空襲を体験している。
「ほんとに地獄のような惨憺たる景色を見てしまった。
でも半藤さんの東京大空襲はそれだけではありませんでした。
命からがら避難した中川で、小舟の上から落ちて、
溺れ死ぬ寸前に別の船に乗っていた人に助け上げられた。(中略)
そして、その翌朝に、見ず知らずの人が
半藤少年に靴を一足渡してくれたんですよね」(宮崎)
「あんな、想像もできないほどの酷い状況でも、
舟の上に助け上げてくれた人がいた。
通りがかりの少年に靴をくれた人がいた。
ぼく、そのことが、半藤さんをつくっているんだと思います」(宮崎)
体験についての宮崎さんのこうしたとらえかたが、
宮崎さんのかんがえ方の基礎となり、それが作品にあらわれている。
だからわたしは宮崎さんの作品がすきなのだろう。