さむさに目がさめて、おしいれから寝袋をひっぱりだした。
封筒型なので、ふとんにもぐりこむのとかわりなく、
ぜんぜんきゅうくつではない。
寝袋をつかったからといって、
家のなかでねていてはさすがに「野宿」とはよばない。
でも、寝袋にはいるだけでも
おもいがけずあそびごころをくすぐられた。
実用的にもすぐれており、秋の夜にしのびよってくるさむさから
みごとにわたしの睡眠をまもってくれる。
つめたそうな雨のおとをききながら、自分は寝袋にくるまって
ぬくぬくと惰眠をむさぼるという、
ものすごくしあわせな状況を、
寝袋はかんたんに提供してくれた。
ふとんからえられる安心感とはまたちがうような気がする。
もっとも、「野宿野郎」のサイトで「羽田空港での野宿」が報告されており、
屋内でも「野宿」を強弁できなくはないようだ。
わたしはてっきり滑走路わきの野原でねたのかとおもったら
(よくみとめられたものだと感心していた)、
空港の待合室、というかとにかく空港の施設内で
寝袋をひろげた、というものだった。
それはそれで、よく警備のひとからなにもいわれなかったものだ。
わたしは以前、まち時間を楽にすごそうとして
伊丹空港で銀マットをひろげてよこになったことがある。
そのときはすぐに警備員がやってきて「なにをしているのか」
とかたい表情でといつめられたことがある。
待合室でねてなにがわるい、といえそうだけど、
床にねそべったのがよくなかったみたいだ。
とても有能な寝袋も、野外でつかうにはじつはそれほど万能ではない。
水にぬれるとすごくトホホだし、
風とさむさは寝袋にくるまっていてもけっこうシビアだ。
夏はあついし、蚊だってとんでくる。
それでもかとうちあきさんがテントをつかわずに、
寝袋だけでねる「野宿」をだいじにしているのは
そのほうがより自由だからだ。
テントがあると、たしかに風をふせいでくれるし、
さむさも、あるとないとではぜんぜんちがう。
そんなことはわかったことで、それでもあえて
寝袋だけでねようとするのはすばらしい
(ただめんどくさい、というのもありそうだけど)。
なんだかんだいって、テントは家のなかでの野宿と
そうかわらないといいはることができる。
できるだけものにたよらないこと。
寝袋とマットだけが野宿の基本だ。
ときどき空港野宿なんて奇策をうちながら、
それでも寝袋とマットを大切にする
かとうちあきさんと野宿野郎の方針を
わたしはあつく支持する。