宮崎駿さんの引退記者会見がおこなわれた。
すばらしい作品をつくってくれた表現者としてだけでなく、
宮崎駿さんはわたしにたくさんのことをおしえてくれた。
縄文時代から日本は農業をしていたという照葉樹林文化論。
米や麦を不耕起・無農薬でつくる福岡正信さんの自然農法。
ロバート=ウェストールの作品など、児童文学をよむこと。
環境をまもろうと、ひとりの市民として川のそうじをつづける地道な行動力。
(ナウシカはつくられたけど、まだそれほど名をしられてなかったころ、
知床の森をまもる運動にかけつけた宮崎さんが
一般参加者としてテレビのインタビューにこたえていた)。
アニメーション作品をつくるうえでの仕事論だけでなく、
宮崎さんがはなす人生観にもとても刺激的だった。
わかいころよんだ宮崎さんのインタビューに、
「自分が長生きするために減塩療法もジョギングもやる気はない」
というはなしがでてくる。
「僕は、自分が長生きしたいんじゃないんですよ。
僕は自分が長生きするために減塩療法もジョギングもやる気はないんです。
このまま生きて、死ぬときが来たら死にたいと思ってる。
つまり、自然を大事にするのは人間のためじゃなくて、
自然は損ねちゃいけないものだからです。
自分の中に宗教というよりも、
一種のアニミズムがあるんだなと感ずるんですね」
(カレンバック氏との対談で)
からだにいいことばかりをしようと
ジョギングをしたり玄米をたべていたわたしは
宮跡さんのこの価値観におどろいた。
健康に関する情報がもてはやされ、
なんとかながいきしたいとおおくのひとがのぞんでいるときに、
「死ぬときがきたら死ねばいい」というかんがえ方は
とても新鮮だった。
宮崎さんはしょっちゅうタバコをふかしてるし、
カップヌードルもずるずるやっている
(かとおもえば、マクドナルドのハンバーガーが100円にねさがりしたときに
たくさんかいこんだわかいスタッフを非難してた)。
「自然を損ねない」というかんがえ方は、
人間の煩悩をどうあつかうかという問題につながってくる。
「長生きしたい、貧乏もしたくない、
お腹いっぱい食べたい、その結果、こういう状況にきた。
やり方を間違えたからじゃなく、
文明に本質の中に、
こういう事態を起こす原因があったんだと思うからなんです」(宮崎)
人間の煩悩をおいもとめた結果、
世界中の環境がめちゃくちゃになった。
ながいきをしたいというねがいを当然の欲求として追求すれば
人類はふえすぎた人口問題に直面することになる。
「もし人間が自然界と暮らそうというのであれば、
ちゃんと自然にサイクルがあるように、人間も一定の寿命を受け入れよう。
それは、老衰で眠るがごとく死ねるだけじゃなく、
癌やこれらで死んだりするかもしれないけど、
それも自然のサイクルなんだという考え方を
受け入れられるかどうかという問題になると僕は思ってるんです」(宮崎)
マンガとして連載されたナウシカには、
森のなかで火をつかわずに生きるひとたちが登場する。
自然とひとが共存するためには、
火をつかうようになったことが
そもそものまちがいだったのかもしれない。
火もそうだけど、内燃機関の発明も自然環境にとって致命的だった。
チェーンソーさえなければ、
いくらがんばってノコギリで木をきったところで
世界の森が破壊されることはなかったのに。
イギリスに産業革命がおこらなければ、
なんて、ありえない世界を想像したくなる。
もっとも、それがどれだけくらしにくく、貧乏で、
寿命もみじかい世界かをかんがえると、
わたしにはとてもそれをうけいれられそうにない。
わたしにとっての宮崎さんは、
ながいきのために減塩療法やジョギングをしない、とか
火をつかわない生き方もあった、という
根源的なかんがえ方をおしえてくれたひとだ。
引退インタビューで宮崎さんは
「この世は生きるに値する」を
子どもたちにつたえたかったとはなしている。
『未来少年コナン』で宮崎さんからのそのメッセージをうけとり
(無意識としては『長靴をはいた猫』や『ルパン三世』も)、
以来30年、宮崎さんの作品をたのしんできた。
宮崎さんの仕事に感謝するとともに、
これからの自由な時間をたのしまれることをねがっている。