体育館のジムへトレーニングにでかける。
わたしとほぼおなじ時間にチケットをかった男性がいて、
トレーニングルームとシャワーについてうけつけでたずねている。
香川ナンバーのオートバイでこられていたので
シャワーをあびられる施設をさがしておられたのだろう。
わたしも、その男性も、おなじころに練習をおえた。
更衣室でいっしょになったので、
「ツーリングちゅうですか?」とわたしからはなしかけた。
きょうみたいに、公共施設でトレーニングしながら
ツーリングをしているのだそうだ。
「利用者がすくなくてびっくりしたでしょう?」
とたずねると、
県や市の体育館はたいていこんなかんじなのだそうだ。
器具がふるいから、あまりひとがこないのだという。
県庁所在地で、これぐらいゆったりとトレーニングができるのは
松江ぐらいなものだろうと、得意がっていたのに、
閑古鳥のなく、典型的な公共の体育施設だったのだ。
インフラはどんどん老朽化し、
それにともなってますますつかわれなくなっていく。
こうやって、地方はどんどんさびれていくのかと、
これからさきの島根や松江のことが頭をかすめる。
2040年には、島根県の人口がいまより30%へって
52万人になると、すこしまえの新聞にのっていた(現在は70万人)。
少子化は、ジワジワと実態をともなってせまってくる。
30%もへれば、いまとおなじインフラは整備できない。
行政としては、体育館なんかに
できればお金をかけたくないだろう。
運営民営化で経費をけずったつぎは、
施設じたいの存続があやうくなるかもしれない。
障害者福祉の研修では、2025年問題がよく話題になる。
あと10数年さきの2025年に、
団塊の世代が75歳をこえるというものだ。
いまでさえ介護保険料の値あがりと、
対応するサービスのすくなさが問題になっているのに、
これが倍以上の規模で確実にせまってくる。
障害者介護と介護保険は関係なさそうにみえるが、
障害者介護だけにお金がかけられることは絶対にないので、
介護保険がずっこけてしまえば一蓮托生の運命なのだ。
在宅で老後の人生をすごすといっても、
入所型の施設がいらなくなるわけではないし、
医療費・介護費はまだまだふえつづけるだろう。
いまはまだ、それほど問題になってはいない。
しかし、まちがいなくやってくる未来だ。
おおくの自治体が貧乏で、
そしてこれからもっときびしい予算になる将来をどうのりきるか。
こたえは、公共施設・サービスにたよらない、となる。
老人介護や障害者介護に必要なサービスとお金を、
ぜんぶ行政をあてにしていては予算が破綻するのが目にみえている。
これまでにないしくみをととのえて、
自分たちでやりくりをするしかない。
トレーニングでいえば、お金をだして民間のジムへいくか、
仲間うちで器具をそろえるか、
自分なりの工夫で環境をととのえるか。
松江には島根原発があり、ほかの市町村にくらべて
まだお金に余裕があるほうかもしれない。
あと何年かしたら、あのときは施設の老朽化に文句をいってたけど、
あるだけまだましだった、となつかしむようになるだろう。
人口の減少は、地方だけの問題ではなく、
都市でもおなじように人口がへり、高齢化率がたかまっていく。
2040年にどんな社会がやってくるか。
大変動のなかでのあぶなっかしい着陸ではなく、
おだやかな軟着陸をめざして、
いまのうちに想像力をたかめておいたほうがいい。