2013年09月19日

にぎり寿司のたべ方

いそがしい夏やすみをぶじおえることができ、
そのおいわいとして、スタッフでうちあげの会をもつ。
お寿司屋さんがやっている居酒屋みたいなお店にでかけ、
ヤキトリやサラダのほかに、並のにぎり寿司も注文した。

にぎり寿司のたべ方が、ひとによっていろいろなのにおどろいてしまった。
ネタをシャリからはがして醤油につけ、
それをまたシャリのうえにもどしてたべているひとがいる。
「かわったたべ方ですね」とひかえめに感想をいうと、
「これがただしいとテレビでいっていた」のだそうだ。
子どもっぽいたべかたでもうしわけない、
という反応を予想してたので、
彼女の強気な返答が意外だった。
決定的に「ただしい」たべ方がきまっていない以上、
どんなたべ方でもいいわけだから、その意味において
彼女はただしい。しかし・・・。

にぎり寿司のただしいたべ方が気になって
ネットをさがしてみた。

ただしいたべ方はなく、気らくにたべればよい、といいながら
かならずただしいたべ方がつづいてかいてあるところは、
まるでグルメの世界みたいだ。
「わたしはグルメではない。しかし・・・」
自分がいかにグルメではないかを力説しておいて、
でも、そのあとにかならずおすすめする店や料理が紹介される。
にぎり寿司もいっしょで、こうでなくてはならない、
というきまったたべ方はない、
としながらも、それぞれが自説をのべている。
そもそも、はしをつかうか、手でたべるかから
たべ方がわかれていて、醤油のつけ方になると
ショウガをつかえだの、うえから醤油をかける手もある、だの
さまざまな「ただしいたべ方」がのっている
(ピピのスタッフには醤油をつけないひともいた)。
すしをひっくりかえしてネタの部分を醤油につける、
というものがよく紹介されており、
ネタだけをはがして醤油をつける、というのは、
さすがに否定した論調のものがおおかった。

国民食とも、世界じゅうにひろがった
日本食の代表ともいえるにぎり寿司について、
こんなにたべ方がきまってないとはおもわなかった。
たとえば外国の回転すしで、日本人客のたべ方は
ただしいお手本として期待されているはずで、
日本人客はどんなたべ方を披露しているのだろうか。
あるいは、なんでもありだから
これほどまでにうけいれられた、ともいえるかもしれない。
ネタをはがして醤油につけようが、寿司のうえから醤油をかけようが、
完全にたべるひとの自由です、というのはたしかに楽だ。


わたしのたべ方は、高校のときの国語の教科書にのっていたものだ。
国語でにぎり寿司のたべ方をならった、というわけではなく、
だれかの随筆にかいてあったのが記憶にのこっていた。
文章のかき方としてはなにも身につかなかったのに、
寿司をたべるときの実用書として国語の教科書が役にたったのは
おもしろい経験だった。
その随筆にあったのは、

手で寿司をつまんだら、それを横にたおして
(90度ひっくりかえして)小皿の醤油につける。

というもので、
こうすると、醤油の小皿にシャリがのこらないので
きれいにたべられる、という。
たしかにこれで不自由したことはなく、
いちどだけほめられた経験がある。
ネタとシャリの両方に醤油がなじむし、
ネタがはがれることもない。
わたしとしてはおすすめするけれど、
もちろんにぎり寿司のたべ方は自由でいいとおもう。
目のまえのひとをギョッとさせるものでなければ。

posted by カルピス at 09:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする