聴覚過敏のひとはあんがいおおく、養護学校へおむかえにいくと、
自分で耳をおさえて刺激をへらそうとしている子をよくみかける。
どれくらい音が気になるかはひとそれぞれで、
赤ちゃんの声がだめなひともいれば、
大人がつぶやくひとりごとでも我慢できないひともいる。
聴覚過敏は発達障害の障害特性のひとつであり、
我慢するうちになれるというものではない。
それなのに、たとえば卒業して地域にでたときに、
刺激が適切にコントロールされた空間があるかというと、
そんなところはなかなかないわけで、
とかく「なれる」ことを目ざした対応になりがちだ。
なかには音だけでなく、そのかんがえをさらにすすめて、
スケジュールや構造化なしでうごけるように、
という方針をきくこともあり、おどろかされる。
ピピにもちいさな子のかんだかい声が苦手な利用者がいて、
はじめはできるだけほかの子たちと
いっしょになる時間がかさならないようなうごきを工夫していた。
その子がおやつをおえるまで、
ほかの子たちはおでかけをする、という具合だ。
そのうち利用者がふえてくると、
なかなか活動を完全にずらすのがむつかしくなり、
ほかの事業所のあいた部屋をかしてもらったりもした。
ピピの敷地にあいたスペースがあるので、
そこにプレハブのはなれをおいたら、というのをおもいついた。
ネットで会社をさがして連絡してみると、
5.5帖の部屋が50万円といわれる。
どこかにあたらしく部屋をかりるよりもやすいし、
なにより「はなれ」なんておもしろそうなので、
この線ではなしをすすめることにした。
ちなみにプレハブとユニットハウスとはちがうのだそうで、
今回注文するのはくみたてられた部屋をトラックではこび、
クレーンでつるして設置するので、ユニットハウスというそうだ。
ひとりでゆっくりすごすことが、
いいことばかりではないかもしれないけど、
「なれる」「がまんする」を子どもたちにもとめるよりも、
環境をその子にあわせたいとおもった。
来週にはとりつけがおわりそうなので、
音の環境調整だけでなく、子どもたちから
おもいがけないつかい方が提案されないか
たのしみにしている。