いまさらながら『あまちゃん』だ。
たかい評判をしりながら、みそびれていた。
12月30日に10時間の総集編が放映されたものを録画し、
年末年始の4日にわけて「あまちゃん」にひたることができた。
紅白での「あまちゃん」も、ユーチューブでみた。
(すぐけされてしまうので、タイミングがあんがいむつかしい)。
かけこみでの、ギリギリセーフといおうか。
紅白では、スナック「梨明日」のようすが中継され、
いつものメンバーがテキトーにさわいでいる。
吉田副駅長が、田舎の駅員そのままを演じていたので、
ほんとうに駅やスナックにカメラがもちこまれたみたいだ。
これからユイがかけつけても紅白にはまにあわない、
ついたころには「ゆく年くる年」の時間で、
「さだまさしがダラダラしゃべってるころだべ」
がおかしかった。
そして「第157話・おら紅白出るど」がはじまった。
オープニングの風景にあわせてユイちゃんが紅白にかけつける。
アキと「潮騒のメモリー」をドラマのようにふたりでうたう。
そのあとは、春子と鈴鹿ひろ美へとひきつがれ、
最期は出演者全員での「地元へかえろう」。
最高の演出であり、最終話だった。
芸名ではなく、「あまちゃん」の役の名前で、
という出演をおもいついたひとはえらい。
能年玲奈や小泉今日子という個人ではなく、
あくまでも「あまちゃん」という作品まるごとが紅白に参加したのであり、
この形なら「えー、『あまちゃん』に15分も?」と文句がいえない。
20分を「あまちゃん」に占領された紅白は
NHKの大英断だった。
「あまちゃん」だから当然なんだけど。
脚本のよさをおおくのひとがとりあげている。
登場人物のもちあじを、最大限にいかした構成。
世界がまるで150人の村でできているみたいに、
都合よくいろんなひとがいろんなところで「偶然に」であう。
いいのだ、「あまちゃん」だから。
わるいひとがいなかったなー。
みんなさいごにはアキちゃんの笑顔にとりこまれている。
復興のものがたりでもあった。
「おら、日本一の天野アキになります」
が、どれだけの意味をもったセリフなのか。
アキのいくことろはどこでも、
みんながたのしそうにわらっている。
「いつまでたっても被災地」(夏)
にならないために、たくさんのひとがアキの存在をもとめている。
そして、なにかにがんばったことがむくわれる世界だ。
かといって、優等生すぎていろんなものをしょいこんだりしない。
親がするのうちに、先輩とさっさとやっちゃおうとする
わかさにまかせたアキちゃんもだいすきだ。
「あまちゃん」の浄化作用は強力だ。
あの笑顔によって、どんなことでもすっきりさせられる。
みおわったあとで、「あまちゃん」にすくわれたとわたしはおもった。
ひとりで生きてもつもらない。
あーだこーだいいながら、仲間とガサゴソやってこそたのしいのだと、
「あまちゃん」の世界はおしえてくれる。
わたしには総集編の10時間でじゅうぶんだった。
もし毎日みていたら、「あまちゃん」とのおわかれは、
ずいぶんわたしをくるしめただろう。
ちょっとネコ背でリュックの肩ひもをにぎるアキ、
海女の衣装みたいなドレスでうたうアキ、
いつもおおきな目であいてをみつめながらはなすアキ。
なにかにつけてアキちゃんの姿がちらついてくるし、
頭のなかは、年末からずっと
「潮騒のメモリー」がリフレインしている。
さっき本屋さんで『おら、「あまちゃん」が大好きだ!』をかってきた。
あまロスのキズをいやしてもらい、
「あまちゃん」のたのしさをもういちどかみしめよう。
わたしは「あまちゃん」がだいすきだ。