『とらちゃん的日常』(中島らも・文春文庫)
あるときらもさんは子ネコを2匹ひろい、仕事部屋でかうことにした。
しかし、子ネコたちは近所の「ネコおばさん」のものだったことが翌朝わかり、
残念ながらかえさなければならなかった。
ネコのいなくなった部屋にらもさんがもどってみると、
たまらなく「しん」とかんじられる。
◯(まる)ちゃんと✕(ぺけ)ちゃんと名前までつけた子ネコたちが
たった一晩のことなのに、「ざっくりと深い爪跡を残している」
ことにらもさんは気づく。
というわけで、らもさんはきゅうにネコをかいたくなり、
ペットショップでみつけてきたのが「とらちゃん」だ。
ネコ族の子どもほどかわいいものはない、と
たしかジョイ=アダムソンさんがいっていた。
なにもアダムソンさんの名前なんかもちださなくても、
ほんとうにネコのあかちゃんはたまらなくかわいい。
本書には、もらわれてきたばかりのとらちゃんが、
しだいに成長していく写真がのっており、
どのとらちゃんもネコずきにはたまらない「いけず」な表情だ。
この本にはかくれたテーマがある。
らもさんのおかしてきた悪行の数々が、
とらちゃんによって浄化されるか、というのがそれだ。
「あんまり猫可愛がりはしない。
なぜなら猫というのは孤高で神聖な生き物だと思うからだ。
おれは猫を飼うに値しない人間だ。
来し方の悪行を考えるとそう思う」
らもさんは、殺人とレイプ以外のすべての悪行に手をそめてきたそうで、
「これら降り積もった黒い雪を、
猫の高貴さが洗い清めてくれるような、そんな気がするのだ」
本書はとらちゃんのことばかりがかかれているわけではなく、
らもさんの仕事ぶりもみえてきてたのしい。
各章の基本的な構成は
・とらちゃんの近況
・らもさんの仕事
・とらちゃんの近況
となっている。
分量としては、らもさんの仕事のほうがおおいぐらいだ。
あるときは8日間のカンヅメになり、
90枚をめざしてかきはじめるものの、
なかなか筆がすすまない。
1〜3日はゲラをチェックする程度、
4日目にやっと4枚かける。5日目には10枚。
しかし、6日目はまたかけず、7日目が9枚と、
合計で23枚という成果しかのこせない。
「(担当の)Kさんがコーヒーをもってやってきた。
わたせるほどの分量が描けなかった、と伝えると
Kさんは悲しそうな顔をした。
こちらだって断腸の思いである」
という赤裸々な「報告」のあとに、
「(マネージャーの)ソドムの情報によると、
とらちゃんはエリザベス・カラーが取れたそうだ」
と、章のおわりはとらちゃんのようすが
近況にあわせて紹介されている。
らもさんは執筆や、講演・舞台・ライブなどにちからをそそぐ。
とらちゃんは、そんならもさんのことはおかまいなしに
ネコとしての成長をとげていく。
避妊手術をし、大家さんの家にいりびたり、
やがてしんいりのネコが家にやってきたりといろいろありながら、
とらちゃんはげんきにくらしている。
最期のページにある写真は、
もうりっぱなおとなになったとらちゃんの姿だ。
病気のチャコを看病する身としては、
とらちゃんのギラギラした生命力がまぶしくみえる。
らもさんがおかしてきた悪行を
とらちゃんがきよめてくれたのかどうかは
けっきょくふれられていない。
この本は2001年に出版されており、
この年からなくなった2004年までの
らもさんの晩年をふりかえってみると、
とらちゃん効果はあまりなかったとみるのが
常識的な判断といえるだろう。
「おれの無口なペン先では
とても描写できないほどとらちゃんは愛らしい。
彼女がおれの罪を洗い流してくれるかもしれない。
そんな予感めいたものも、ちらりとだがある」
そんなにかわいいのなら、もっととらちゃんを
ネコかわいがりすればよかったのに、ともおもうし、
らもさんがいうように、ネコは「孤高で神聖」というとらえかたも
またただしいような気がする。
どのようにとらちゃんとせっするかではなく、
とらちゃんの姿をみまもりつづけることに、
らもさんは浄化作用をほんのすこしだけ期待したのだろう。
らもさんにそうおもわせるだけ、
とらちゃんは圧倒的にかわいかったのだ、きっと。