2014年01月06日

『一分間だけ』(原田マハ)

『一分間だけ』(原田マハ・宝島社)

いっしょにくらしていたリラ(ゴールデンリトリバー)のようすが
きゅうにおかしくなる。
いやな予感がした藍はリラを病院につれていくと、
癌がかなり進行した段階で、手のうちようがない、という診断をうける。

藍は女性誌の記者をしており、ふだんから不規則でいそがしい生活なのに、
編集企画会議や校正のまえなどは
さらにながい時間を職場に拘束される。
朝5時半におき、どんなに段どりに気をくばっても、
リラのまつ家にかえるのが10時すぎになってしまう。
それでもなんとかリラとのくらしをつづけてきたが、
「リラさえいなければ」というおもいが
どうしてもときどき頭をかすめる。
リラさえいなければ、もっと仕事にうちこめるのに、
リラさえいなければ、もっと自由に恋愛ができるのに。

ものがたりは、

「神さま。
どうかお願いです。一時間だけ、時間をください。
一年とか一ヶ月とか、そんな贅沢は言いません。
一週間、いえ、一日なんてのぞみません。
せめて、一時間だけ。
そしたら私、あの子に、リラにいろんなことをしてあげられるんです。
私たちは散歩に出かけます。
いつもの散歩道を、一緒に歩いて行く」

という藍の切実なねがいからはじまる。
そんなふうにもし一時間をえることができたら、
あたりまえにおもっていた日常を、もういちどかみしめられるのに。
毎日の散歩のときにリラがおしえてくれた「くだらないものたち」は、
こんなにもかけがえのない世界だったのか。

大切な会議のある日、リラの容態がきゅうにわるくなる。
いったんは家にもどることをあきらめたものの、
上司の特別なはからいで、藍の発表はあすに延期された。
冷徹で仕事の鬼としてえがかれていたこの上司(女性)もまた、
藍とおなじ体験をもっていたのだ。
なんとかさいごのわかれにたちあいたいと
藍は職場からおおいそぎで家にかけつける。

死に目にたちあいたい、ひとりでいかせたくない、と
家族をみとるときにおおくのひとがねがう。
相手が動物であっても、関係がつよいほど、このおもいは切実であり、
いっぽうで、家族とのわかれでありながらも、
形づくりにマクラもとにかけつけることもおおい。
ひとりでいかせたくない、というねがいのつよさは、
そのままわかれのかなしみのふかさをあらわしている。

藍は、自分のことをいつもすきでいてくれたリラに、
最期だけはどうしてもさみしいおもいをさせたくなかった。
わたしたちにできるのは、ただそばにいることだけでしかない。
そばにいて、これまでいっしょにすごしてきた時間を
もういちど笑顔でふりかえること。

藍が神さまにねがったのは
「一時間だけ、時間をください」だった。
では、タイトルにある「一分間だけ」は
だれがねがったことなのか。
この『一分間だけ』という作品は、藍とリラとの関係にくわえ、
リラの存在が、藍とまわりにいるひとたちを
どのようにむすびつけたかというものがたりでもある。

posted by カルピス at 23:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする