2014年01月17日

『のりたまと煙突』(星野博美) ネコずきへの一線をこえる瞬間

『のりたまと煙突』(星野博美・文藝春秋)

20代のころ、ひっこしたさきにネコが2匹いて、
さかんに星野さんの部屋にはいりたがる。
ネコに名前をつけてしまったらおしまいと、
便宜的に「しろねこ」と「のらねこ」とよび、
ネコたちにとりこまれるのをこばんでいた。
星野さんはそれまで「どちらかといえば積極的に猫が嫌いだった」
のだそうだ。

しかし、ついに「しろねこ」は子ネコをつれて星野さんの部屋にやってきた。

「『ころ、おいで。こわくないよ』
気づいたら、私は仔猫のことをすでに『ころ』と呼んでいた。
そして大急ぎで近所のコンビニエンスストアへ走り、にぼしを買った。
『さあ、しろもくろもおいで』
このとき、私は一線を踏み越えてしまったのだ。(中略)
しばらくすると、今度はくろがちっこいのを二匹連れてきた。
私がしろの仔猫を受け入れたのを見て、
くろは『機が熟した』と判断したようだった。
わたしはその二匹にも名前を付けざるを得なかった。
しかしそれはまだほんの序章に過ぎなかった。
しろのお腹が再び大きくなり始めていることに、
その時はまだ気づいていなかったのである。
こうして私の人生は転落していった」

この本は、星野さんの日常がつづられた連作エッセイで、
ネコたちがしばしば登場する。
第一章のまえに「本書に登場する猫の系図」がのっているほどだから、
主役といってもいいくらいだ。
なにしろ、庭にやってくる26匹のネコに星野さんは名前をつけてきた。
タイトルの「のりたま」も、「のり」と「たま」という兄弟ネコの名前で、
こんなふうにひらがな二文字の名前をつけるようにしていたら、
もうあたらしい名前をおもいつかなくなったそうだ。

それまで「積極的に猫が嫌いだった」ひとが
こんなにすきになるは、ネコについていうとそうめずらしくない。
この本のすばらしさは、ネコにたいして微妙な心理をだいていたひとが、
どんなふうに一線をこえるのかを、的確に記録したことにある。
わたしは、どんなきっかけでネコにとりこまれたのかおぼえてないし、
わたしの配偶者も、いまでこそはなしかけたりするけど、
まえはどちらかというと「猫が嫌いだった」ひとだ。
みんな、それぞれに一線をこえた瞬間をもっているはずだけど、
星野さんみたいにはっきり記憶しているひとは、あまりいないのではないか。

すこしまえの新聞記事に、ネコのえさ代がたりなくて
あきすをくりかえしていた男性のことがのっていた。
このひとは、自宅とかし倉庫で20匹のネコをかい、
そのほかに公園やコンビニの駐車場にあつまる100匹のネコに
えさをあたえていたという。
「ネコにほおずりするのが至福の時間だった」そうで、
えさ代が1日に2万5000円にもなっていたのだから、
新聞にのるだけの「事件」といえるだろう。

このひとなどは、何本もの線をこえてしまったかんじだ。
それでもいちばんはじめの線がどこかにあったはずで、
記事には

・ネコをかいはじめたのが1993年
・2010年5月ごろからのらネコに残飯をあたえるようになった
・2011年8月に無職になり、同居している女性のお金で
 えさをあたえていた
・2012年9月にネコが急激にふえてお金がたりなくなり
 あきすをおもいつく

と、はじめのころは「ふつう」にネコとつきあっていたのが、
きゅうな坂をころげおちるように、あきすまでつっぱしっていったのが
よくまとめられている。
同情はしないけれど、なんだかひとごとではないような事件で、
こんなふうにネコにとらわれていくことが、
あらかじめ予定されていたみたいな、自然なながれをかんじる。
つかまった男性からえさをもらえなくなったネコたちが
ぶじにこの冬をのりきれるようねがっている。

posted by カルピス at 13:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする