先日のテレビ番組で、アルツハイマー病をとりあげていた。
認知症の7割をアルツハイマー病がしめており、
日本では30年後に1000万人にたっするともいわれる。
日ごろから短期記憶に自信のないわたしとしては、まったくひとごとではない。
発症する25年まえからアルツハイマー病の原因物質といわれるアミロイドβが蓄積されるといい、
これにより記憶をつかさどる海馬の萎縮がはじまる。
なんだかもう自分の脳にもずいぶんとこの物質がたまってきている気がしてきた。
まったくひとごとではない。
対応策として、2つのかんがえ方がこころみられている。
ひとつは、阻害物質であるアミロイドβやタウが
脳のなかでふえないようにする薬の開発であり、
もうひとつは海馬そのものをつよくして、
阻害物質による影響をおさえようとするものだ。
これには、頭をつかいながら運動するのが効果的なのだそうで、
たとえばあるきながら100ひく7の計算をする、などが
アルツハイマー病予防の健康教室でおこなわれていた。
複雑なステップをふんだり、2人まえのひとがいったことをおぼえるしりとりなど、
わたしにはできそうにない運動プログラムだ。
あのなかにまじってぎこちなくからだをうごかし、
頭のなかがまっしろになっている自分を想像してくらくなる。
もっとも、わたしはわかいころから、この手の記憶はきわめてよわかった。
ある数字をよみあげられたのち、どれだけおぼえられたかという「ゲーム」では、
まったくなさけない結果しかのこせない。
認知症の検査で、よく3つの名前(たとえば「ネコ」「電車」「さくら」)
をおぼえておき、つぎに100ひく7の計算をやったあとで、
「さてさっきあげた3つの名前は?」なんて、みているだけでひやあせがでる。
まえからできなかったから、安心していいのか、
事態はもっと深刻なのか、おそろしくてとてもしらべる気になれない。
番組では、運動プログラムに参加したひとが、
1年後にいちじるしい改善がみられたという結果をつたえている。
たしかに、あれだけきびしいトレーニングをつめば
頭にわるいわけがなく、参加したひとも満足そうだった。
でも、記憶の低下をおそれることがあまりにも生活の中心になると、
それはまたそれでたのしくない状況にもおもえてくる。
きのうは「ためしてガッテン」で大腸がんをとりあげており、
早期発見のための検診をすすめていた。
検便など、からだに負担のすくない方法でも、
回数をふやすことで確実性がたかまるらしく、
年に4回やれば発見率◯%、とかいっている。
もちろん健康はだいじだけれど、
頭のなかにずっと「がん」がいすわっているのもまたたいへんそうだ。
アルツハイマー病を予防する運動プログラムにのめりこんだり、
がんへの心配から検診をうけつづけるのは、わたしの美意識が抵抗する。
アルツハイマー病はこわい。がんもこわい。
それらを自分全体のどこらへんに位置づけて、つきあっていけばいいのか。
美意識なんていってるうちは、まだまだ危機感がたりないのだろう。
わたしは数年まえから健康診断をうけていない。
まえの職場にいたときも、胃カメラや肺のレントゲン、
それに大腸がんの検査はことわってきた。
年にいちど、血液検査をしているので、
それでわかる範囲でいいや、とおもっている。
どんなかたちでアルツハイマー病とがん、
そして死をうけいれることになるのだろう。