『テルマエ・ロマエ』(ヤマザキマリ・エンターブレイン)
ヤマザキマリさんの『男性論』をよんだら、
自然ななりゆきとして『テルマエ・ロマエ』へながれたくなった。
これまで1巻しかよんでなかったので、2〜5巻をかってくる。
「浴場の中で心安らげるかどうかは
共に浸かっている人間の様子に
かかる部分が大きい・・・
湯に対して全身全霊を捧げる平たい顔族は
一緒に風呂に入るには
最高の人種ではないか?」
ごぞんじのように、単行本の『テルマエ・ロマエ』はマンガの1話ごとに、
そのはなしにまつわるみじかいエッセイがはさまれており、
絵と文の両方をたのしむことができる。
先日よんだ『男性論』の感想に、ヤマザキさんの文章がすばらしいとかいたけれど、
単行本についているエッセイ「ローマ&風呂、わが愛」を注意ぶかくよんでいたら、
ヤマザキさんのローマと風呂への愛が
ただならぬものであることに気づいていたはずだ。
ローマの浴場と日本のお風呂文化をくっつけただけの、
奇をてらったマンガときめつけていたことがはずかしい。
過去にしても未来にしても、みたことがない世界を絵にするのは
どれだけたいへんなことだろうか。
2巻のエッセイに
「日本のお風呂の浴槽は『洗う為』に入るのではなく
『寛ぐ為』にはいる」
という指摘があり、ふかく納得したのだった。
イタリア人のおばさんに、
「フロに入るって、日本人にとってはつまり”ゼン”なのね」
といわれたはなしが紹介されており、
日本のお風呂がきわめて精神的な行為であることをおしえられる。
『テルマエ・ロマエ』にでてくるローマの浴場を
わたしはどこかでみたことがあるような気がする。
記憶をさぐっていたら、モロッコのハマムとおなじだ、
ということをおもいだした。
わたしはいぜんモロッコとアルジェリアのハマムへいったことがあり、
そこの雰囲気がローマの浴場とよくにているのだ。
お湯につかるのではなく、湯船はお湯をためておくところで、
お客たちはそのまわりでからだをあらったり、ねっころがったりしていた。
お金を追加すれば、アカすりとマッサージをしてもらえる。
全裸ではなく、パンツ一丁が基本で、
そなえつけのガウンをはおるところもあった。
マグリブだけにかぎらず、イスラム圏ではハマムとよばれる浴場が
ひろくしたしまれている。
ウィキペディアでは、ハマムが「ローマ文明の継承」として紹介されていた。
梅棹さんの本をひっぱりだすと、
ローマ文明は、地中海全域にひろがっていた、という記述にであった。
「ローマ帝国というと、わたしたちはすぐに
イタリア半島中部にある都市ローマを中心にする国家とおもいがちである。
たしかに、ローマはローマ帝国の首都であり、中心であったことはまちがいないが、
ローマ帝国そのものは、イタリア半島などに極限されるものではなく、
広大な地中海の全域にひろがるものであった。(中略)
ローマ帝国は全地中海を支配して、
その各地に都市を建設した。これがローマ帝国の実態であったのだ。
紀元前二世紀のカルタゴの滅亡は、
地中海におけるローマの覇権の確立を意味するものであった。(中略)
わたしたちは、ローマの文明はまぎれもなく
地中海文明そのものであったことをわすれるわけにはゆかない」
(梅棹忠夫著作集第4巻「地中海文明論」)
『テルマエ・ロマエ』にも、ハドリアヌス皇帝が
エジプトへ遠征したときのはなしがのっている。
史実にそいながらも、ゆたかな想像力によってえがかれてこのマンガは、
わたしの好奇心を刺激する。
かつてのローマ文明が、スペインからマグリブをふくめた、
ひろく地中海世界全体にひろがっていったようすをおもいえがく。
わたしがはいったモロッコのハマムが、
ローマ文明によってもたらされていたなんて。
平な顔族もあなどりがたいけれど、
ローマ帝国だってなかなかやる。