『炭水化物が人類を滅ぼす』(夏井睦・光文社新書)
『傷はぜったい消毒するな』の作者による
糖質制限についての本だ。
「◯◯するな」みたいな断定的なタイトルはすきではないし、
本書にしても短絡的なきめつけのにおいがする。
こういうタイトルの本は、たいていはさけてとおるけど、
人類がなにをたべて進化してきたかについて、
わたしは以前から興味があった。
ながい人類の歴史のなかで、いまのように穀物をたべるようになったのは、
ごく最近のことでしかない。
それなのに、「欧米型食生活」とか
「ふくるからつたわる日本食」みたいないいかたが、
既成事実として幅をきかせている。
ほんとうのところ、人類はなにをたべてきたのだろう。
結論からいうと、この本はすごくおもしろかった。
炭水化物をとらない食事にしたところ、
著者は半年で11キロもやせたのだそうだ。
あまりにも絶大なダイエット効果があるので、
同性にはよんでほしくない、女性のためにかいた、
と冗談めかしてかいてある。
断定的ないいかたはすきではないけれど、
この作者の場合は芸の域にたっしており
いやみがない。
きびしい糖質制限でなくても、
夕ごはんだけ炭水化物をやめた食事にするだけでも効果があるといい、
ダイエットはともかく、二日よいもなくなるというからためしてみたくなる。
肉はすぐに消化されるのにくらべ、
炭水化物は胃にながくとどまるのだそうで、
ごはんやラーメンをたべなければ二日よいをしないのは、
論理的にもあきらかだという。
そういった、週刊誌の三面記事みたいなかるい話題でひきつけておいて、
やがて糖質制限がもたらす意味や、
人類が穀物をたべるようになってからの変化、
また、炭水化物は本当に人間のからだに必要なのかという、
これまであまりにも当然とおもってきた事実へのきりこみがはじまる。
穀物生産は、人類にとってパンドラの箱をあけたのかもしれないのだ。
糖質制限は、糖尿病についても効果があるという。
血糖値をあげるのは糖質だけなので、
炭水化物をとらなければ糖尿病にもならないし、
なっていたとしても、治療法として有効ということだ。
しかし、糖尿病学会など、いまのしくみでお金をえている側は、
当然ながら糖質制限に反対する。
糖尿病というと、まずカロリーをおさえる食事療法で、
それでだめなら内服薬にすすみ、そしてインシュリンへ、
というのが標準的な治療法になっている。
糖質制限という治療法では薬もインシュリンもうれないし、
自分たちのありがたみがないので、
既存の権威がだまっていない、という構造的な障害が指摘されている。
つぎに、糖質、つまり炭水化物を、地球の水や食糧という、
資源の面からみたらどんなことがいえるだろう。
人類は、乾燥した大平原に地下から水をくみあげて小麦をそだてている。
その水はけして無尽蔵ではないし、塩害も深刻になってきている。
また、食糧がたりないといいながらも、
畑でそだてたトウモロコシなどを、牛や豚に飼料としてあたえている。
こうした非効率が、いつまでゆるされるだろうか、という問題が、
これから現実になってくるというのだ。
人間の脳に穀物があたえた影響も興味ぶかい。
「おそらく動物にとって、食とは『楽しみ』とは無縁のもの」
という指摘から、動物と人類との「食」のちがいに気づかされる。
ペリカンやオットセイが魚をまるのみにしているとき、
おそらく「おいしい」とはおもっていないだろう。
彼らにとっての食は、純粋にエネルギーをえるための活動だ。
しかし、人類は「食」に「楽しみ」という価値をみいだすようになった。
これは、脳がおおきくなったことで、「おいしい」「たのしい」に
価値をおくようになったことと関係があるのだろう。
人類は脳の進化により、ある時点で
動物とは決定的にべつの道をあゆむことになった。
さとうや穀物のあまさを、快楽としてうけとめるようになった人類が、
それまでの数百万年というながい歴史をすて、
たかだか1万数千年というわずかな間にここまで変化したのは、
脳の発達による必然というべきだろう。
人類にとって、穀物生産とはなんであったか。
「私たちは、穀物のおかげで豊かで健康的に暮らしていると信じてきた。
だからこそ、多くの民族や文化では、穀物を神の座にまつりあげた。
だがその神は、絶対服従と奉仕を要求する貪欲な神だった」
「穀物という神は、確かに1万年前の人類を飢えから救い、
腹を満たしてくれた。
その意味では神そのものだった。
しかしそれは現代社会に、肥満と糖尿病、睡眠障害と抑うつ、
アルツハイマー病、歯周病、アトピー性皮膚炎を含む
さまざまな皮膚疾患などをもたらした。
現代人が悩む多くのものは、大量の穀物と砂糖の摂取が原因だった。
人類が神だと思って招き入れたのは、実は悪魔だったのである」
糖質制限が人類のすすむべき道、というかんがえ方は、
地下水利用による穀物の大量生産が、
そろそろ限界という状況を前提としている。
もしほんとうに水が危機的な状況にあるのであれば、
穀物にたよらない食生活をかんがえなくてはならない。
しかし、著者が案としてあげた、豆やハエでたんぱく質を確保するのは、
計算上は可能でも、現実的にはうけいれられないだろう。
いちど穀物のあまさにひかれた脳が、
それなしに我慢できるとはおもえない。
発達してしまった人類の脳は、
あまさという食の快楽をもとめつづけるのではないか。
穀物栽培という生産革命が、人口をふやし、脳の活動を活発にしたのとひきかえに、
さまざまな問題もひきつれてきた、という視点がとてもおもしろかった。
穀物が人類にとって悪魔だったなんて、
これまでだれも指摘しなかった位置づけではないか。
わたしのすきなたべものは、
おにぎり・スパゲッティ・さつまいも・パン・うどんと、
ほぼすべてが炭水化物であり、肉にひかれることはあまりない。
著者がすすめる野菜いためとやき魚という夕ごはんでは、
とても満足できないだろう。
穀物という悪魔にすでにからめとられてしまい、
もうどうにも身うごきがとれない状態だ。