ほんとうのことをいうと、ブログにかく記事のほとんどは
ひとことで内容を説明できることがおおい。
それを、かく側の満足のためになんだかんだと
よけいな説明をくりかえしているだけともいえる。
今回の記事がまさしくそうだ。
「小保方さんのかわいさにおどろいてしまった」
これにつきる。
だれがなんといおうと、
「STAP細胞」の新発見がもてはやされたのは、
その内容の斬新さにおどろいたことよりも
小保方さんのかわいさに世間がもうびっくりしてしまったのだ。
あとはつけたしのようなもので、
研究にとりくむ一途な姿勢とか、
キャラクターデザインをたのしむユニークさとか、
割烹着にみる古風な面とか、
デートのときにも研究のことをかんがえていたとかは、
小保方さんのかわいさにおどろいた取材側が、
記事の体裁をつくろうためにあわててかきあつめた「話題」にすぎない。
本来なら、発見の内容をわかりやすく解説すればいいだけのはなしなのに、
小保方さんの「かわいさ」にはふれないで、外側をひっかこうとする。
これらの記事がいいたいのはそんなことではなくて、
「小保方さんはかわいい」でしかないわけで、
「かわいい」とストレートにはかかれていないけれど、
その気もちが行間からあふれでている不思議な記事だ。
わたしは小保方さんのひととなりをぜんぜんしらないし、
声もきいたことがないけれど、
彼女がものすごくかわいいことはわかる。
そのうえに研究者であり、そして世紀の大発見だ。
メディアがさわがないわけがない。
でも、きっと小保方さんはこれまでずっと
「かわいい」といわれつづけてきただろうから、
そうした世間の反応への対応はなれたものだろう。
なにしろ科学者なのだ。
科学的に、シンプルな方程式によって、さらっと処理されるにちがいない。
女性の容姿についてかくのは、
あまりにもデリケートな部分であり、
なぜ女ばかりにそんなことをかくのか、男はどうなんだ、
みたいな正論にどうしてもたちうちできないし、
女性から支持をえる発言とはなりにくい。
でもまあ、小保方さんぐらい議論の余地のない
圧倒的な「かわいさ」のまえには、
男だろうと女だろうと、
「こんなすてきなひとがたいへんな発見をした」と
素直におどろくしかないのではないか。
小保方さんの写真がウェブ上にでたときから、
こりゃおおさわぎになるだろうなーとおもっていたら、
ほんとうにそうなった。
これぐらい予想がはずれたことはないけれど、
予想がはずれるわけのない、あまりにもゆるぎないかわいさだったのだ。
科学雑誌「ネイチャー」に論文を投稿したさいに、
「『あなたは、過去何百年にわたる細胞生物学の歴史を愚弄(ぐろう)している』
というふうに返事をいただきました」
というエピソードが、いまとなっては新発見を評価する、最高の宣伝コピーだ。
小保方さんのかわいさについては、
これからなにか決定的なコピーがうまれるだろうか。
「カワイイ」しかないとわたしはおもうけど。