2014年02月08日

『きっと、うまくいく』(2009年・インド映画)みおわったあとの爽快感がすごい

『きっと、うまくいく』(ラージクマール=ヒラーニ監督・2009年・インド)

きょねんみたインド映画の『恋する輪廻』が
すごくおもしろかったのでたのしみにしていた。
はじめはすんなりはいりこめず、
こまったなーとおもっていたら、まんなかへんからどんどんもりあがっていく。
すばらしい作品。後半のおもしろさは圧倒的だ。
まえむきのエネルギーにみち、わたしをしあわせにしてくれた。
インド映画はこれまで数本しかみていないけれど、
そのどれもがおもしろく、みおわったときの爽快感が共通している。

伏線のはり方がうまく、はじめのほうでおこったこと、かたられたことが、
あとになってぜんぶ関係づけられていく。
なにをかいてもネタばれになってしまうので、
ひとつだけ紹介すると、
おなかのなかにいる赤ちゃんが主人公のランチョーのいう
「うまーく いーく」ということばに反応して
げんきにおなかをける、というほほえましいシーンがある。
妊婦さんはうれしくなって、「あ、またけった」と、
まわりのひとにうれしそうにつたえる。
なんということのない「いいはなし」かとおもっていたら、
出産まじかになって破水し、大水のため医者にもいけず、
停電した家のなかで、なんとか赤ちゃんをとりだそうという、
絶体絶命の場面で、この設定がいきてくる。
出産をめぐり、たくさんの仲間が協力し、
ランチョーが彼ならではの即興的な知恵をしぼり、
さいごは、きらわれ役の学長がなかせるセリフできめる。
これらもぜんぶ、あらかじめはられた伏線がきいている。

学長をたたえるヒンディー語によるスピーチをガリ勉くんがすることになる。
ウガンダ出身のガリ勉くんは、ヒンディー語がよめないので、
主役の3人組が、その原稿にかかれた内容をすりかえて、
めちゃくちゃな演説にしてしまう。
「奇跡」をぜんぶ「強姦」におきかえたので、
場内は爆笑となり、という場面だけど、
きょうの会場ではほとんどわらい声がおきなかった。
「乳頭」の連発もあったけど、これもうけなかった。
日本人がなにもしらないでみてたら、品のないただのしもネタでしかないけど、
ヒンディー語ではなにかべつの意味をくみとれるのだろうか。

まあ、とにかくそのときにコケにされたガリ勉くんが、
卒業してからどれだけ社会的に成功したかがほんとうの勝負だ、と
10年後におなじ場所にあつまることを、3人グループにもちかける。

10年たった。3人はそんなことはすっかりわすれていたのに、
ガリ勉くんだけしっかりおぼえており、
自分の成功したようすを得意そうに2人にみせる。
グループの中心人物だったランチョーだけはその場にあらわれない。
3人はランチョーをさがしにでかけ、
ランチョーの実家や、いまの職場をたずねるうちに、
ランチョーの秘密があきらかになっていく。

大学生時代と、それから10年たって、という2つの時代が平行してすすむ。
個人的なことをいうと、3人組がぜんぶわたしのしりあいにそっくりで、
インド映画をみている気がしなかった。
インド人にもいろんなタイプの顔があるものだ。
10年後の姿が、いかにも自然に歳をとったかんじだったので、
うまく歳をとったなーと感心していたら、
じつはもともと40代や30代の俳優たちだったそうだ。
うまく歳をとったのではなく、うまく若づくりしていたのだ。

ラストのオチもきまって、最高の大団円であり、
ごきげんな気分で会場をあとにした。
2回目の上映もみたかったけど、予定があったので
残念ながら1回だけにとどめる。
こういう作品をみると、ハリウッド映画の大げさな演技や、
お金をこれでもかとつかったスリルとサスペンスというのが
しらじらしくおもえてくる。
『きっと、うまくいく』は、そんなにお金をかけてつくってあるようにみえない。
こんなに気もちよくものがたりにひたれ、
その展開に満足できたのは、脚本がよほどすぐれたできなのだろう。
映画は制作費だけがたいせつではないことが、
この作品をみているとよくわかる。
ハリウッドの大作路線は危機感をもったほうがいい。
いまおおくのひとがもとめているしあわせは、
ハリウッド作品ではなく、インド映画にあるのではないか。

posted by カルピス at 21:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする