2014年02月19日

『謝謝!チャイニーズ』(星野博美)でかんがえる中国のゴミ問題

星野博美さんの『謝謝!チャイニーズ』をよんでいたら、
ゴミにかんする中国人のふるまいについてかいてあった。
汽車で中国を旅行中、星野さんはたべおえたりんごの芯を
うしろめたくおもいながら、まわりのひとたちのまねをして
窓のそとにすてた。
中国人の乗客は、りんごの芯ならまだしも、
お弁当がはいっていた発泡スチロール製の容器も
ためらいなくそとになげすてる。
星野さんは、さすがにそれはできないので、
車両のはしにあるゴミ箱まで容器をもっていく。
でも、車掌さんがそのゴミ箱をどうするのかというと、
えいっと、いきおいよく中身を窓のそとになげたのだそうだ。

中国の町にもゴミ収集車がはしっているけれど、
ゴミ箱にゴミをすてる習慣がないため、
ゴミは路上にちらかりっぱなしになっている。
テーブルのうえのゴミは床へ、床のゴミは道路へ。
星野さんが、たとえばホテルの部屋にあるゴミ箱にゴミをすてても、
そのゴミはけっきょく路上にぶちまけられることになる。
フェリーにのっていてもおなじことがおこる。
乗客は、たべおえた容器を
みごとにぜんぶ海になげすてて「かたづけた」ことになる。

すごいなーとおどろきながら、
そうだろうともおもう。
1993年にかかれた本なので、いまはすこしでも
状況がかわっていることに期待したいけど、
きっとおなじことがつづけられている。

「自分が心底そのゴミの行く末に対して責任を感じるなら、
私は旅の間に出たすべてのゴミを日本に持ち帰り、
分別してすてなければならない」

と星野さんはとほうにくれる。
そんなことはとてもできないし、かりにそうしたとしても、
それで問題が解決するだろうか、と
といかけるのが星野さんらしいところだ。
日本でゴミを分別すると、たしかに自治体が回収して
一般市民としては責任をはたした気になれる。
しかし、ゴミは地上からきえたわけではなく、
ただ移動しただけともいえるし、
もし自治体がゴミをあつめなくなったら
自分はどうするだろう、というといかけだ。

日本のあらゆる海岸が、ながれついてくるゴミでよごされていると
テレビの番組でとりあげられていた。
ゴミのおおくは外国からのもので、
とってもとっても嵐がくるたびに
またゴミでうまってしまうのだそうだ。
ゴミをすてることにたいして、
まったくためらいをもたない中国や韓国のひとたちにとって、
ゴミをすてるな、というよびかけはなんの効果ももたないだろう。
バンコクからの飛行機が韓国の仁川空港についたとき、
韓国人のマナーのひどさにおどろいたことがある。
通路が毛布やよみおえた新聞・雑誌などでうまっていたのだ。
それはもう徹底的な風景で、
かたつけとかゴミの処理についての感覚が
日本人とはまったくちがうことにうんざりさせられた。
彼らには、ゴミをすてるのはよくないことだという意識がまったくない。
機内とおなじことが地球的な規模でおこなわれているのだろう。

「彼らの罪悪感のなさは、多くのことを知りすぎて、
何をするにも後ろめたさから逃れられない自分には、
不謹慎かもしれないが少しだけ羨ましかった。
しかし・・・だ。
これが中国全土で日々行われているのかと思うと、
やはり空恐ろしくなる。
私は中国の環境問題がとっても心配だ」

星野さんの心配は、そのまま現実となり、
中国からのゴミは日本の海岸や空をよごしている。
日本でおこなわれているゴミの分別をしった中国のひとが、
そのすばらしさをネットで紹介していた。
自分はやれるけど、まわりにひろがるのはむつかしそう、という感想だ。
中国だけで13億人という人口のおおさをかんがえると、
ゴミ問題のゆくさきはたしかにおそろしい。

星野さんのいうように、中国だけを非難してすむことではない。
ゴミ収集日のたびに袋にいっぱいのゴミをだしている生活や、
原発で汚染された水のたれながしなど、
わたしもまた加担している側であることからのがれられない。
日本では、公害問題がおわったことになっているけれど、
ほかの国に場所をうつしているだけなら、かえってひどいともいえる。
宮ア駿さんは、毎朝近所のゴミひろいをしておられるそうだ。
理屈ばっかりいってないで、そんなふうに
自分にできることをしているひとがいちばんえらい。

posted by カルピス at 19:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする