2014年02月23日

いまのわかいひとは手紙をかくのか

ラジオをきいていたら

「何回もかきなおした手紙は
いまもぼくのポケットのなか」

という歌詞がながれてきた。
槇原敬之の「ラブレター」という曲らしい。
この手紙はパソコンでかいたものだろうか。
曲をきいていると、紙にかいたようにおもえるけど、
いまのわかいひとは、ペンと紙で手紙をかくのだろうか。

歌詞をしらべてみると、
「徹夜で作ったテープ」ということばもでてくる。
たぶんCDからお気にいりの曲をあつめて
カセットテープにまとめたのだろう。
まだパソコンが一般的でない時代のようだから、
この手紙は直筆によるもの、とみたほうがいいのだろう。

歌詞のなかににでてくる品々によって、時代が限定される曲は、
当時の風俗がしのばれて貴重なデーターともいえるけど、
それだけきく側の条件を限定してしまう。
スマホということばをつかえば、いまは一般的な状況でも、
あと10年もすれば「スマホ?」という時代になっているだろう。
ビートルズの曲がいつまでもしたしまれるのは、
普遍的なことばをえらんでかかれているからではないか。
村上春樹の本も、昭和うまれでないとわからないような情報はつかわれていない。

このラブレターという曲は、
自分がわかかったころのおもいをうたったものであり、
状況を当時に限定してもさしつかえない場面なのかもしれない。
槇原さんはそんなことはわかったうえでつくっただろうから、
よけいなお世話とはいえ、
歌詞にでてくる日用品によって
曲の賞味期限がきまってくるのはもったいないようにおもう。

最初の疑問にもどって、
いまの若者は手紙、とくにラブレターをかくのだろうか。
かくとしたら、どんな内容なのかに興味がわいてくる。
相手へのおもいをつたえるときに、
ツイッターやフェイスブックのときみたいな
みじかくてぶつぎりのことばでは味けない。
そもそもラブレターとデジタル機器とは
あまりいい相性ではないような気がする。
そのうち(じつはすでに)ラブレターは死語となり、
手紙というコミュニケーション手段もきえていきそうだ。
かくして恋愛は、縄文時代のように
ちょくせつ相手へのおもいをあらわすものへとかわっていく。

posted by カルピス at 10:21 | Comment(0) | TrackBack(1) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする