『もっとにぎやかな外国語の世界』(黒田龍之助・白水Uブックス)
外国語はまったく得意ではないけれど、
外国や、そこではなされていることばには関心がある。
この本をかいたのは黒田龍之助氏。
おもしろいといいけど、とかってみたものの、あまり期待はしていない。
よみはじめても、なんだかおなじような場所をぐるぐるまわっているかんじで、
なかなか本論にはいらない(じつは、本論などなかった)。
かいてある内容だって、やさしく、といいながらわたしにはじゅうぶんむつかしい。
でも、「黒田龍之助」が、ロシア語講座の黒田先生だとわかってから
うけとめる気もちがガラッとかわり、
あのひとがいうのだから、さいごまでつきあおうとおもった。
ラジオのロシア語講座をきいていると、
ロシア語のややこしさがすきでたまらないという
黒田先生のひととなりがつたわってきて、
ぜんぜんわからないなりにたのしい時間をあじわっているからだ
(カーチャさんのかわいい声にもひかれて)。
もっとも、わたしはちゃんとテキストをまえに勉強しているわけではなく、
自動車を運転しながら、15分きざみでながれてくる
いろんな外国語講座をただきいているだけだ。
ロシア語講座はそのなかのひとつであるにすぎない。
なんとなく「ことば」というぐらいはわかるスペイン語やドイツ語にくらべ、
ロシア語はとびきり複雑だ。
はなすひとの性別により名詞まで変化するし、
複数形も英語のようにただ「s」をつけるだけではなく、
ひとつなのか、ふたつなのか、それ以上なのかによってちがってくる。
発音も子音がおおく、どれもおなじように、
もしくはどれもちがうようにしかきこえない。
こんなことばは、とてもじゃないけど理解できない、
というか、そもそもことばともおもえない、と
あきれながら、ただラジオをつけている。
おしえる側の黒田龍之助先生は「大丈夫ですよ」と
いつもかわらず、やさしく、たのしそうに説明してくれる。
やさしい、といっても、生徒には基本的な知識と努力をもとめられるし、
やさしくいわれても、わからないものはわからないのだから、
ロシア語がむつかしい、という印象はかわらない。
まえおきがながくなった。
この『もっとにぎやかな外国語の世界』は、
いろいろな外国語の勉強を、かたぐるしくなく、
にぎやかにたのしんでほしい、という
黒田先生のエッセイだ。
ロシア語だけでなく、チェコ語やクロアチア語、
インドのナーガリー文字など、さまざまなことばが話題にのぼる。
黒田先生は、外国語とその文字を勉強するのが
すきでたまらない。
言語学だから学問になるけど、
ちがう分野だったらオタクといわれそうな
マイナーでふかい世界をたのしんでおられる。
留学せずにロシア語をまなんだとかいてあるけど、
ロシア語講座でのカーチャさんとのやりとりをきいていると、
現地での体験がないひとにはとてもおもえない。
ことばに関することはぜんぶ吸収してしまうのだろう。
それぞれの章のあいだにコラムがはさんであり、
やわらかい話題で休憩しながらよみすすめる。
ローマ数字について、
「アレクサンドルV世」はローマ数字なのに、
「ルパン三世」はそうではない、と指摘してあって、
いわれてみれば不思議になってくる
(なぜかはけっきょくわからない)。
また、ローマ数字がいまはあまりつかわれないのは、
ゼロをあらわせないからだそうで、
こういう、どうでもいいけどおもしろいはなしをしると、
ことばについての興味がわいてくる。
ひとつ気になったのは、エスペラント語について、
「平等という発想は立派である。
だが国際共通語一つだけで
みんながコミュニケーションできる世の中が
果たして幸せなのだろうか」
とかいてあるところだ。
エスペラント語はひとつだけの国際共通語をめざしたものではなく、
母語と、もうひとつエスペラント語さえ身につけていたら、
世界中のひととコミュニケーションできる、
という国際補助語としての運動ではなかったか。
黒田先生は
「(エスペラント語は)やさしいといわれているが、
あまりそういう気がしない。(中略)
英語やフランス語などをすでに知っている人にはいいかもしれないが、
そうでなければ覚える手間は同じではないだろうか」
といわれる。
エスペラント語の入門書をほんのすこしかじった経験からいわせてもらえば、
ぜんぜん「同じ」ではない。客観的にいって圧倒的にやさしい。
なにしろ、文法に例外がなく、
たとえば現在形は語尾に「as」がつくとおぼえてしまえば、
すべての単語にその規則がいかされる。人称による変化もない。
例外がいっさいないということが、どれほど気をらくにしてくれることか。
「覚える手間は同じ」なんてとてもおもえない。
エスペラント語は、黒田先生にとってかんたんすぎるのだ。
「例外がない文法なんて、なんだかつまらない」といわれる。
ロシア語の複雑さをまえにおどろくしかないわたしにとって、
エスペラント語の規則のすくなさはとても魅力的なのに。
ことばを身につけることにかけて、天才はたしかにいて、
そうしたひとは一般人にくらべ
ほんのわずかな労力で外国語を習得してしまう。
黒田さんがなんの努力もしていない、なんていうつもりはないけれど、
それでも数おおくのことばを勉強し、
それがたのしくてしかたがないという黒田さんは、
特別な才能をもっているというべきだろう。
なにしろ、留学しなかった理由のひとつに
「日本にいれば、いくつもの外国語とにぎやかにつき合える」
なんていうのだ。
「どこの国、どこの街にいても、そこにはない言語を、
しかも二つも三つも求めてしまう」のだそうだ。
にぎやかな外国語の世界への案内、
というのがこの本の趣旨であり、
ラジオでの黒田先生のひとがらをしっていたおかげもあって、
「言語学」からくる、かたぐるしそうなイメージにおびえないでよむことができた。
あとは、自分でどうその世界をひろげるかで、
英語にかたよりがちな意識をどうにかしないと、
つぎのことばになかなかすすめない。
この本の基本的な精神である、ことばについての平等主義が
よんでいて気もちがよかった。
黒田先生は、英語なんかを特別あつかいしてなくて、
ピジンやクレオールにもちゃんと敬意をはらっている。
黒田先生がこれほどおもしろそうに外国語についてかいてくれたのだから、
ラジオ講座の受講生としても、なにかうごきをつくりたいところだ。
黒田先生がすすめている「言葉のしくみシリーズ」は
「いろんな言語をすこしずつ覗いてみたいという人向きの、
気軽な案内書」
ということだから、わたしにむいてそうな気がする。
習得をめざすのではなく、「すこしずつ覗く」とう方針で
外国語の世界をひろげてみたい。