外国の町のなまえをきいて、なにがしかイメージする。
わたしの場合、10分の1くらいに
規模をちいさくした場所をおもいうかべることがおおい。
じっさいにその町をおとずれると、おもったよりおおきいので
なんだかがっかりしてしまう、というのがいつものパターンだ。
たとえば今朝の新聞に、インドネシアのメダンがのっていた。
まだいったことがないけど、人口3万人くらいの田舎町を想像し、
そこの食堂で土地の料理をたべている自分をおもいえがく。
でもきっと、わたしのすむ町より、はるかにおおきな町なのだろう。
ついたら、こんなはずじゃあなかった、ということはよくある。
風光明媚な田舎町、なんてガイドブックで説明してあっても、
じっさいにおとずれると、わたしがすんでいる町よりはるかにおおきく、
ゆったりした気もちにはとてもなれない、なんて場合だ。
現実とイメージのズレは、いったいなにが原因なのか。
ひとは、いったいなにをもとにイメージするのだろうか。
わたしは、無意識のうちにちいさな町をのぞんでいるみたいだ。
ちいさな町とおもいこんでしまうのは、
ちいさければそれだけくみしやすい、
ちいさくあってほしい、という心理だろう。
田舎そだちのわたしは、はじめから大都会をおもいえがくと、
そのおおきさにビビってしまうので、
脳がちいさくおきかえるという処理をしてくれるのかもしれない。
香港へいったときは、あんまり近代的な町なのにおどろいてしまった。
わたしはジャッキー=チェンの映画にでてくる
ふるい中国の町をイメージしていたからだ。
なんでまたそんなかんちがいをしたのかわからないけど、
もしかしたら、脳がわたしがビビらないように気をつかってくれたのかもしれない。
わたしがはじめておとずれた外国の町はバンコクで、
そこがあまりにもおおきかったので、
わるい記憶としてのこったのかもしれない。
そのあとにいったチェンマイは、
よく京都みたいなおちついた町、といわれるけど、
わたしがいったときは もうじゅうぶんおおきな地方都市だった。
「京都」からしずけさを想像し、しずかな町はちいさいと連想したのに、
おもっていた10倍ぐらいおおきかった。
脳がおきかえてくれるおかげか、
もしわたしがニューヨークへいくことになっても、
あんまり心配しないような気がする。
ベルリンだろうがローマだろうが、
まだいったことのない町も、10分の1にちいさくみつもれたら
あんまり心配しないですむ。
想像力がいちばんこわいのだそうで、
どうせちいさな町なんだ、とおもいこめたら心配せずにすむ。
こういうのは、心配のうらがえしで、
おおきな町にどれだけ苦手意識をもっているか、ということなのだろう。
2014年04月30日
2014年04月29日
『サッカー批評67』「外国でプレーする日本人選手に言葉はどこまで必要か」
『サッカー批評67』に
「外国でプレーする日本人選手に言葉はどこまで必要か」という記事がのった。
「サッカーに言葉はいらない」といわれることもあり、
いったい日本人選手にとって、外国でプレーするときにどの程度の言語力が必要なのだろう。
記事をよむと、なんにんかの選手がとりあげられていて、
ことばができたからどうだった、
できなかったからどうだったという例が紹介されている。
ただ、こういうことはそのチームと選手の関係など、
よほどふかく取材しなければ実情はみえてこないだろう。
記事は、状況をさらっと紹介しただけにとどまり、
とくに有意義な分析がしてあるわけではない。
なによりも、ことばができなければチームでやっていけないのは
あたりまえのことなのだ。
監督やチームメイトのいうことを理解できなければ
練習や試合に影響があるのだから、
もちろんその国のことばが理解できたほうがいいにきまっている。
そうでなくても通用するのは、マラドーナやメッシのように特別な選手だけで、
日本人選手はだれもこの枠にはあてはまらない。
外国で成功しなかった日本人選手のおおくは、
コミュニケーションに問題をかかえていたのではないか。
ことばの壁をかんがえずに、あるいはないものとして
外国へでかけようとするほうが無理なのだ。
本田選手がACミランにはいったときは、
通訳をいれず、英語で記者会見をおこなった。
中学生レベルの英語などと、ひどいこともいわれていたけど、
おおくの報道陣をまえに、ひとりでやりとりした気もちのつよさを
わたしはすばらしいとおもう。
本田選手があの場に通訳をまじえずいどんだのは、
質問にこたえる内容だけがだいじだったのでなく、
そうやって自分ひとりですべてにむきあうという、
つよいメッセージをはっするためだった。
このときは英語をつかっての対応だったけど、
きっと本田選手はイタリア語を勉強し、
すくなくともサッカーをするのに必要なレベルをめざすことだろう。
そういう気もちがないのに外国のチームでプレーしようというのは、
つまりいつまでも通訳にたよろうとするのは、
よほど自分の技術に自信があるひとにおもえる。
選手にはキャラクターのちがいがあり、
まわりととけこみやすいひとと、
自分をわかってもらうために積極的にはなしていくひとなど、
いろいろなタイプがあるだろう。
あまり外国語ができなくても、要領よく
相手のいっていることを理解するひともいるかもしれない。
そいうことすべてをふくめてのコミュニケーション力であり、
サッカーに支障のないレベルで
監督やチームメイトとやりとりするちからがもとめられる。
「外国でプレーする日本人選手に言葉はどこまで必要か」という企画が
わたしには「いまさら」なものにおもえる。
こうした記事がのる事態が、日本人のコミュニケーションべたをあらわしているのだろう。
「外国でプレーする日本人選手に言葉はどこまで必要か」という記事がのった。
「サッカーに言葉はいらない」といわれることもあり、
いったい日本人選手にとって、外国でプレーするときにどの程度の言語力が必要なのだろう。
記事をよむと、なんにんかの選手がとりあげられていて、
ことばができたからどうだった、
できなかったからどうだったという例が紹介されている。
ただ、こういうことはそのチームと選手の関係など、
よほどふかく取材しなければ実情はみえてこないだろう。
記事は、状況をさらっと紹介しただけにとどまり、
とくに有意義な分析がしてあるわけではない。
なによりも、ことばができなければチームでやっていけないのは
あたりまえのことなのだ。
監督やチームメイトのいうことを理解できなければ
練習や試合に影響があるのだから、
もちろんその国のことばが理解できたほうがいいにきまっている。
そうでなくても通用するのは、マラドーナやメッシのように特別な選手だけで、
日本人選手はだれもこの枠にはあてはまらない。
外国で成功しなかった日本人選手のおおくは、
コミュニケーションに問題をかかえていたのではないか。
ことばの壁をかんがえずに、あるいはないものとして
外国へでかけようとするほうが無理なのだ。
本田選手がACミランにはいったときは、
通訳をいれず、英語で記者会見をおこなった。
中学生レベルの英語などと、ひどいこともいわれていたけど、
おおくの報道陣をまえに、ひとりでやりとりした気もちのつよさを
わたしはすばらしいとおもう。
本田選手があの場に通訳をまじえずいどんだのは、
質問にこたえる内容だけがだいじだったのでなく、
そうやって自分ひとりですべてにむきあうという、
つよいメッセージをはっするためだった。
このときは英語をつかっての対応だったけど、
きっと本田選手はイタリア語を勉強し、
すくなくともサッカーをするのに必要なレベルをめざすことだろう。
そういう気もちがないのに外国のチームでプレーしようというのは、
つまりいつまでも通訳にたよろうとするのは、
よほど自分の技術に自信があるひとにおもえる。
選手にはキャラクターのちがいがあり、
まわりととけこみやすいひとと、
自分をわかってもらうために積極的にはなしていくひとなど、
いろいろなタイプがあるだろう。
あまり外国語ができなくても、要領よく
相手のいっていることを理解するひともいるかもしれない。
そいうことすべてをふくめてのコミュニケーション力であり、
サッカーに支障のないレベルで
監督やチームメイトとやりとりするちからがもとめられる。
「外国でプレーする日本人選手に言葉はどこまで必要か」という企画が
わたしには「いまさら」なものにおもえる。
こうした記事がのる事態が、日本人のコミュニケーションべたをあらわしているのだろう。
2014年04月28日
『カップリング・ノー・チューニング』(角田光代)B級トホホ作品の傑作
『カップリング・ノー・チューニング』(角田光代・河出書房新社)
かったばかりの中古のシビックにのりたくて、
「ぼく」は友だちの家をたずねてまわる。
かっこつけたくて、きめたくて、それしか頭にない
どこにでもいそうなかるい男の子だ。
シビックをみせびらかせたかったのだけど、
「ぼく」のはなしにつきあってくれるほどひまなやつはいない。
かんがえてみれば、中古のシビックなんて
ひとに自慢できるような車ではない。
高校1,2年のときおなじクラスだった春香の家をたずねる。
春香みたいにふにゃふにゃした女はすきではなかったけど、
ほかにはなしをきいてくれる友だちがいないからしかたなかった。
春香は車をみるだけでは気がすまず、のせてほしいといいだす。
おりろといわれたらどこでもおりるから、
一日だけでものせてほしいという。
一日だけ、といったくせに、
春香はおおきなボストンバッグをさげて車にのりこんでくる。
どこに、なにしにいくのか、あてがあるわけではない「旅」がはじまる。
車のなかで春香は、高校のときみたいに、
あいかわらずふにゃふにゃしたはなし方をする。
高校のときの、中学校のときの、どうでもいいはなしを延々とつづける。
ラブホテルにはいっても、なんだかんだいってやらせてくれない。
なんでこんな女をのせてしまったのか、「ぼく」はだんだんうんざりしてくる。
ようするに、これはトホホ感いっぱいのロードムービー小説なのだ。
おなじ著者の『キッドナップ・ツアー』は、
ロードムービーという枠ぐみはいっしょだし、
トホホなお父さんがでてきたけど、もうすこしピリッとしていた。
お父さんがへんなぶんだけ、女の子はまともなにそだっていた。
この『カップリング・ノー・チューニング』はそうではない。
どこまでもしまらないはなしだ。
角田光代の作品として、あまりいいできとはおもわない。
でも、わたしはこういうトホホ作品がだいすきなのだ。
知的な青少年もいいけれど、この作品にでてくる「ぼく」みたいな
等身大主人公にもすくわれる。
高校生のときによんでたら、きっとおおよろこびしていただろう。
なんていうことのないこういうB級作品でも、さいごまでよませるから
角田光代はたいしたものだともいえる。
春香のあと「ぼく」は2人の女性をシビックにのせることになる。
ひとりはつきあっていた男からにげている。
もうひとりは、沖縄にいくのにヒッチハイクをしている女性。
「ぼく」はかるいけど、わるいやつではない。
2人目にシビックにのせた女性は
すきな映画が『スモーク』といってるのに、
「ぼく」は『小さな恋のメロディ』なんていいだす。
小学生のときみて感動し、それから10回もみてるのだそうだ。
たしかに『小さな恋のメロディ』はタイトルから想像されるような、
チャラチャラした作品ではない。
当時のイギリス社会のいきづまったかんじがよくあらわれている
すてきな映画だ。
でも、ここではそんなこと関係ない。20歳の男の子は、
とくに女性のまえで『小さな恋のメロディ』がすき、なんていってはいけないのだ。
それに、「ぼく」は15万円の中古シビックに
「ネモ号」なんて名前をつけてしまう。
いくらかっこいいスニーカーできめようとしても、
おぼっちゃん性をけせないぐらいいいやつなのだ。
ダサいことをおそれるどこにでもいそうな男の子。
シビックにのせた3人の女性は、
それぞれ「ぼく」がおもいえがいている世界と
ちがうところで生きている。
「ぼく」は、ささやかな体験をつむうちに、
いったいなにがかっこいいことなのかわからなくなってくる。
世界はへんなやつばっかりなのだ。
3人目にのせた女の子は、沖縄へいく、といって
「ぼく」のさそいをことわり、ひとりで車からはなれていった。
サービスエリアにあったゴミ箱に、それまではいていたビーチサンダルをおしこむ。そんなふうに、それまで大切にしていたものをかんたんにすてる女の子をみて、
「ぼく」もまた自由にすきなところへいけるようになりたいとおもう。
だれかとはなしたくなって、電話ボックスからしりあいの番号にかける。
いそいでいたせいか、番号をまちがえたみたいで、
電話にでたのはききおぼえのない ちいさな女の子の声だった。
「どこだかわからない場所で、
だれだかわからない相手としゃべっている自分がおかしくて、
ガキの声に答えながらふきだしそうになる。(中略)
もしどこかに行きたくなったら、行き先なんてわからなくても、
何ひとつ目的がなくても、とりあえずどこかへ行きたくなったら、
となりに乗せてあげるよ、と言いたくてたまらなくなる」
いきさきなんか、どこでもいいし、
目的なんかなくてもいい。
どこかへいきたくなることが大切なのだ。
電話ボックスをでたときに「ぼく」は
「ずいぶん涼しくなったもんだ、と、独り言を言った」
それまでの「ぼく」は、ひとりごとをいうような人間ではなかった。
ひとりでのりこえるつよさを身につけたから、
ひとりごとがいえるようになったのだ。
いまではひとをたよらずに、自分をはなしあいてにして、
ひとりでやっていける。
ショボい「旅」だったし、なにかをなしとげたわけではないけど、
「ぼく」はふかい充実感とともに「ネモ号」にもどった。
トホホだけど、そんなにわるくないはなしだ。
カフカくんほどかしこい男の子ではないけれど、
「ぼく」のみじかい旅だって、おわってみれば一皮むける体験となっている。
こんな無防備な旅は、わかいときにしかできない。
(本書は、2006年に河出書房新社から文庫として出版されたとき
『ぼくとネモ号と彼女たち』というタイトルにかわっている。
『カップリング・ノー・チューニング』じゃあ、
たしかにぜんぜん意味がわからない。
かといって、あたらしいタイトルもそんなにいいとはおもわないけど)
かったばかりの中古のシビックにのりたくて、
「ぼく」は友だちの家をたずねてまわる。
かっこつけたくて、きめたくて、それしか頭にない
どこにでもいそうなかるい男の子だ。
シビックをみせびらかせたかったのだけど、
「ぼく」のはなしにつきあってくれるほどひまなやつはいない。
かんがえてみれば、中古のシビックなんて
ひとに自慢できるような車ではない。
高校1,2年のときおなじクラスだった春香の家をたずねる。
春香みたいにふにゃふにゃした女はすきではなかったけど、
ほかにはなしをきいてくれる友だちがいないからしかたなかった。
春香は車をみるだけでは気がすまず、のせてほしいといいだす。
おりろといわれたらどこでもおりるから、
一日だけでものせてほしいという。
一日だけ、といったくせに、
春香はおおきなボストンバッグをさげて車にのりこんでくる。
どこに、なにしにいくのか、あてがあるわけではない「旅」がはじまる。
車のなかで春香は、高校のときみたいに、
あいかわらずふにゃふにゃしたはなし方をする。
高校のときの、中学校のときの、どうでもいいはなしを延々とつづける。
ラブホテルにはいっても、なんだかんだいってやらせてくれない。
なんでこんな女をのせてしまったのか、「ぼく」はだんだんうんざりしてくる。
ようするに、これはトホホ感いっぱいのロードムービー小説なのだ。
おなじ著者の『キッドナップ・ツアー』は、
ロードムービーという枠ぐみはいっしょだし、
トホホなお父さんがでてきたけど、もうすこしピリッとしていた。
お父さんがへんなぶんだけ、女の子はまともなにそだっていた。
この『カップリング・ノー・チューニング』はそうではない。
どこまでもしまらないはなしだ。
角田光代の作品として、あまりいいできとはおもわない。
でも、わたしはこういうトホホ作品がだいすきなのだ。
知的な青少年もいいけれど、この作品にでてくる「ぼく」みたいな
等身大主人公にもすくわれる。
高校生のときによんでたら、きっとおおよろこびしていただろう。
なんていうことのないこういうB級作品でも、さいごまでよませるから
角田光代はたいしたものだともいえる。
春香のあと「ぼく」は2人の女性をシビックにのせることになる。
ひとりはつきあっていた男からにげている。
もうひとりは、沖縄にいくのにヒッチハイクをしている女性。
「ぼく」はかるいけど、わるいやつではない。
2人目にシビックにのせた女性は
すきな映画が『スモーク』といってるのに、
「ぼく」は『小さな恋のメロディ』なんていいだす。
小学生のときみて感動し、それから10回もみてるのだそうだ。
たしかに『小さな恋のメロディ』はタイトルから想像されるような、
チャラチャラした作品ではない。
当時のイギリス社会のいきづまったかんじがよくあらわれている
すてきな映画だ。
でも、ここではそんなこと関係ない。20歳の男の子は、
とくに女性のまえで『小さな恋のメロディ』がすき、なんていってはいけないのだ。
それに、「ぼく」は15万円の中古シビックに
「ネモ号」なんて名前をつけてしまう。
いくらかっこいいスニーカーできめようとしても、
おぼっちゃん性をけせないぐらいいいやつなのだ。
ダサいことをおそれるどこにでもいそうな男の子。
シビックにのせた3人の女性は、
それぞれ「ぼく」がおもいえがいている世界と
ちがうところで生きている。
「ぼく」は、ささやかな体験をつむうちに、
いったいなにがかっこいいことなのかわからなくなってくる。
世界はへんなやつばっかりなのだ。
3人目にのせた女の子は、沖縄へいく、といって
「ぼく」のさそいをことわり、ひとりで車からはなれていった。
サービスエリアにあったゴミ箱に、それまではいていたビーチサンダルをおしこむ。そんなふうに、それまで大切にしていたものをかんたんにすてる女の子をみて、
「ぼく」もまた自由にすきなところへいけるようになりたいとおもう。
だれかとはなしたくなって、電話ボックスからしりあいの番号にかける。
いそいでいたせいか、番号をまちがえたみたいで、
電話にでたのはききおぼえのない ちいさな女の子の声だった。
「どこだかわからない場所で、
だれだかわからない相手としゃべっている自分がおかしくて、
ガキの声に答えながらふきだしそうになる。(中略)
もしどこかに行きたくなったら、行き先なんてわからなくても、
何ひとつ目的がなくても、とりあえずどこかへ行きたくなったら、
となりに乗せてあげるよ、と言いたくてたまらなくなる」
いきさきなんか、どこでもいいし、
目的なんかなくてもいい。
どこかへいきたくなることが大切なのだ。
電話ボックスをでたときに「ぼく」は
「ずいぶん涼しくなったもんだ、と、独り言を言った」
それまでの「ぼく」は、ひとりごとをいうような人間ではなかった。
ひとりでのりこえるつよさを身につけたから、
ひとりごとがいえるようになったのだ。
いまではひとをたよらずに、自分をはなしあいてにして、
ひとりでやっていける。
ショボい「旅」だったし、なにかをなしとげたわけではないけど、
「ぼく」はふかい充実感とともに「ネモ号」にもどった。
トホホだけど、そんなにわるくないはなしだ。
カフカくんほどかしこい男の子ではないけれど、
「ぼく」のみじかい旅だって、おわってみれば一皮むける体験となっている。
こんな無防備な旅は、わかいときにしかできない。
(本書は、2006年に河出書房新社から文庫として出版されたとき
『ぼくとネモ号と彼女たち』というタイトルにかわっている。
『カップリング・ノー・チューニング』じゃあ、
たしかにぜんぜん意味がわからない。
かといって、あたらしいタイトルもそんなにいいとはおもわないけど)
2014年04月27日
「島根のこんなところに外国人」企画は成立するか
「こんなところに日本人」みたいな番組をよくみかける。
世界じゅうの、まさかこんなところで、という場所にも日本人がいて、
そういうひとをリポーターがたずねる、という企画だ。
意外性がおもしろがられるのだろう。
わたしの体験でも、その国の首都をはなれ、
はるばる田舎をまわっているつもりなのに、
そんなところでも日本人にあっておどろくことがある。
旅行者ではなく、いったいなにをしているのかわからないひとがおおい。
でもまあ客観的にみれば、わたしにとって「はるばる」なだけで、
その地域でくらすひとにとっては
ごくあたりまえの日常生活にすぎないわけだから、
「こんなところで」というのはわたしのかってな感慨だ。
意外な場所で日本人にであったと、
おどろくわたしの感覚のほうがずれているのだろう。
「こんなところに日本人」にあやかって
「島根のこんなところに外国人」はどうだろうか。
文字どおり、島根のこんな辺境にも外国人がいる、という企画だ。
隠岐諸島の島のひとつ、知夫島へ「はるばる」でかけ、
雑貨屋さんで外国人をみかけたときは、
「こんなところで」とさすがにおもった。
行政か教育関係の協力員として、島にこられたのではないかと想像する。
そのひとにとっても、日本にいくとはいったけど、
まさかこんなへんぴなところへつれていかれるとは おもわなかっただろう。
島根県民のわたしがそうおもってしまうぐらい、かなりの辺境なのだ。
「島根県の外国人住民登録人口」(2013年)をみると、
知夫島にも2人の外国人がすんでいる。
どんなところにも日本人がいるように、
どんなところ、たとえ島根でも、外国人がいる。
市内をはしるバスにのっていたとき、
コロンビアからきた女性とはなしたことがある。
そのひとは、バスのルートを確認しようと
じょうずな日本語でわたしにはなしかけてきた。
なにかの勉強(内容はわすれた)でこの町にきている、とおしえてくれる。
いろんなひとが、いろんな理由で 自分の生まれた国、すんでいる町をはなれ、
わざわざ島根にきてくれているのだ。
さすがに島根だけあって「ご縁があった」と出雲大社に感謝するよりも、
いまはそういう時代だとおもったほうがいいだろう。
そして、ほんとうは「いま」にかぎらず、人類の歴史とは
ずっとそうだったのかもしれない。
「島根のこんなところに外国人」とおどろいてみせる企画は、
全地球的な意識で人類が共存しようという時代に
いささかまとをはずしているかもしれない。
なにしろ島根は そのむかし小泉八雲がこのんだ由緒ある土地であるし、
さらにいえば、小泉八雲のように日本各地でくらした外国人は
明治というむかしからたくさんいたのだ。
どこにだれがくらしていても、外国人だからといっておどろく時代ではない。
島根では、よくあることなのだ。
世界じゅうの、まさかこんなところで、という場所にも日本人がいて、
そういうひとをリポーターがたずねる、という企画だ。
意外性がおもしろがられるのだろう。
わたしの体験でも、その国の首都をはなれ、
はるばる田舎をまわっているつもりなのに、
そんなところでも日本人にあっておどろくことがある。
旅行者ではなく、いったいなにをしているのかわからないひとがおおい。
でもまあ客観的にみれば、わたしにとって「はるばる」なだけで、
その地域でくらすひとにとっては
ごくあたりまえの日常生活にすぎないわけだから、
「こんなところで」というのはわたしのかってな感慨だ。
意外な場所で日本人にであったと、
おどろくわたしの感覚のほうがずれているのだろう。
「こんなところに日本人」にあやかって
「島根のこんなところに外国人」はどうだろうか。
文字どおり、島根のこんな辺境にも外国人がいる、という企画だ。
隠岐諸島の島のひとつ、知夫島へ「はるばる」でかけ、
雑貨屋さんで外国人をみかけたときは、
「こんなところで」とさすがにおもった。
行政か教育関係の協力員として、島にこられたのではないかと想像する。
そのひとにとっても、日本にいくとはいったけど、
まさかこんなへんぴなところへつれていかれるとは おもわなかっただろう。
島根県民のわたしがそうおもってしまうぐらい、かなりの辺境なのだ。
「島根県の外国人住民登録人口」(2013年)をみると、
知夫島にも2人の外国人がすんでいる。
どんなところにも日本人がいるように、
どんなところ、たとえ島根でも、外国人がいる。
市内をはしるバスにのっていたとき、
コロンビアからきた女性とはなしたことがある。
そのひとは、バスのルートを確認しようと
じょうずな日本語でわたしにはなしかけてきた。
なにかの勉強(内容はわすれた)でこの町にきている、とおしえてくれる。
いろんなひとが、いろんな理由で 自分の生まれた国、すんでいる町をはなれ、
わざわざ島根にきてくれているのだ。
さすがに島根だけあって「ご縁があった」と出雲大社に感謝するよりも、
いまはそういう時代だとおもったほうがいいだろう。
そして、ほんとうは「いま」にかぎらず、人類の歴史とは
ずっとそうだったのかもしれない。
「島根のこんなところに外国人」とおどろいてみせる企画は、
全地球的な意識で人類が共存しようという時代に
いささかまとをはずしているかもしれない。
なにしろ島根は そのむかし小泉八雲がこのんだ由緒ある土地であるし、
さらにいえば、小泉八雲のように日本各地でくらした外国人は
明治というむかしからたくさんいたのだ。
どこにだれがくらしていても、外国人だからといっておどろく時代ではない。
島根では、よくあることなのだ。
2014年04月26日
『こころ』(夏目漱石)100年にいちどの偶然をいかした読書
『こころ』(夏目漱石・青空文庫)
地区の自治会総会に出席する。
よくいわれるように、職場と家庭だけを大切にするのではなく、
すんでいる地域への貢献をわすれてはならないからだ。
などと殊勝なことをすこしはおもったけれど、
どうしても義務感のほうがさきにたち、
なんとか退屈せずにすごそうと
カバンにキンドル・ペーパーホワイトをしのばせる。
本をよむのは挑発的な行為になりかねないし、
キンドルがおおくの会でヒマつぶしに有効なことは、
研修会で体験ずみだ。
総会は、司会者をきめ、前年度の会計報告や事業報告、
それに新旧役員の紹介と 粛々とすすんでいく。
わたしは資料のうえにキンドルをおいて
『こころ』をよみはじめた。
この作品は、キンドルをかったときに
ためしにと青空文庫からダウンロードしたものだ。
こんな機会でもなければ『こころ』をよむことはないだろうと、
この超有名な古典をえらぶ。
むかしふうのことばづかいが妙に新鮮で、内容もとくにむつかしくはない。
ものがたりとしてじゅうぶんおもしろくよめる。
おもっていたより読書がはかどり、
会がおわるまでに雑司ヶ谷への墓まいりまですすんだ。
古典だからといって敬遠してきたけど、
とりついてみればおもしろいものだ。
ただ、そのさきを一気によもうという熱意まではなく、
どうしようかといったんよむのをとめていたら、
朝日新聞で『こころ』の再連載がはじまったことをしった。
1914年に連載された作品なので、
ことしがちょうど100周年記念なのだそうだ。
なんだかこのごろ漱石の名前をよく目にするとおもっていたら、
わたしが『こころ』をよみはじめたのとおなじ日から
連載がはじまっていたのだった。
偶然におどろきながら、妙なことになったともおもった。
せっかくよみはじめた『こころ』なのに、
新聞での連載がキンドルでの読書のさきをいかれるのはおもしろくない。
こんな機会は100年にいちどしかないので、
そのままキンドルでの『こころ』をよみすすめることにする。
キンドルがおしえてくれる「よみおえるまでの時間」によると、
5時間ちょっとかかる作品だ。
総会のあとは、毎晩ねるまえのお酒とともによみすすめ、
ちょうど1週間後に終了する。
これまではみじかいビジネス書ばかりだったので、
キンドルではじめて体験するふつうの読書となった。
これくらい超有名な作品になると、
いまさらわたしがもっともらしいことをかくわけにはいかない。
雑感としては、むかしのゆったりとしたくらしぶりが印象にのこった。
冒頭の、鎌倉での避暑からして、何週間もすごしているようにみえる。
そして、東京にかえってから「私」が先生をたずねるのにもまた
ずいぶんさきのこととなる。
くらしていくいえで、時間のながれが圧倒的にゆっくりだ。
いちにちやふつかでことをいそぐのではなく、
なにかが頭にひっかかると、それについてかんがえるうちに
あっという間になんにちも日がすぎていく。
そもそも「先生」はなにも仕事をしていないのに、
奥さんがいて、お手つだいさんもいて、という家にすむ。
そういう人間の存在を、平気でゆるしてくれる世相を
おもしろいとおもった。
キンドルでよんでいながらこんなことをいうのはなんだけど、
IT断食はむりとしても、IT禁欲ぐらいはしたほうがいいのでは、
という気になった。
わたしはネットにそんなに依存していないつもりでも、
じっさいはあわただしく、しょっちゅうネット情報にふれようとしていることを、
とくに『こころ』なんかをよんでいると意識せざるをえない。
内面はどうあれ、外見は「先生」のようなくらしぶりを わたしは理想とする。
「先生」はいったいなにをおもってくらしていたのか
(それが本のなかに、ずっとかいてあるとはいえ)。
さいわい新聞の連載よりさきによみおえたので、
これからは余裕をもって新聞での『こころ』をよみかえすことになる。
100周年の企画として連載されたのとおなじ日に
おなじ作品をキンドルでよみはじめるという偶然は
これからもっと漱石をよめ、ということなのだろうか。
『こころ』があじあわせてくれたのは、
ネット社会において、むかしのくらしぶりにふれるここちよさだ。
地区の自治会総会に出席する。
よくいわれるように、職場と家庭だけを大切にするのではなく、
すんでいる地域への貢献をわすれてはならないからだ。
などと殊勝なことをすこしはおもったけれど、
どうしても義務感のほうがさきにたち、
なんとか退屈せずにすごそうと
カバンにキンドル・ペーパーホワイトをしのばせる。
本をよむのは挑発的な行為になりかねないし、
キンドルがおおくの会でヒマつぶしに有効なことは、
研修会で体験ずみだ。
総会は、司会者をきめ、前年度の会計報告や事業報告、
それに新旧役員の紹介と 粛々とすすんでいく。
わたしは資料のうえにキンドルをおいて
『こころ』をよみはじめた。
この作品は、キンドルをかったときに
ためしにと青空文庫からダウンロードしたものだ。
こんな機会でもなければ『こころ』をよむことはないだろうと、
この超有名な古典をえらぶ。
むかしふうのことばづかいが妙に新鮮で、内容もとくにむつかしくはない。
ものがたりとしてじゅうぶんおもしろくよめる。
おもっていたより読書がはかどり、
会がおわるまでに雑司ヶ谷への墓まいりまですすんだ。
古典だからといって敬遠してきたけど、
とりついてみればおもしろいものだ。
ただ、そのさきを一気によもうという熱意まではなく、
どうしようかといったんよむのをとめていたら、
朝日新聞で『こころ』の再連載がはじまったことをしった。
1914年に連載された作品なので、
ことしがちょうど100周年記念なのだそうだ。
なんだかこのごろ漱石の名前をよく目にするとおもっていたら、
わたしが『こころ』をよみはじめたのとおなじ日から
連載がはじまっていたのだった。
偶然におどろきながら、妙なことになったともおもった。
せっかくよみはじめた『こころ』なのに、
新聞での連載がキンドルでの読書のさきをいかれるのはおもしろくない。
こんな機会は100年にいちどしかないので、
そのままキンドルでの『こころ』をよみすすめることにする。
キンドルがおしえてくれる「よみおえるまでの時間」によると、
5時間ちょっとかかる作品だ。
総会のあとは、毎晩ねるまえのお酒とともによみすすめ、
ちょうど1週間後に終了する。
これまではみじかいビジネス書ばかりだったので、
キンドルではじめて体験するふつうの読書となった。
これくらい超有名な作品になると、
いまさらわたしがもっともらしいことをかくわけにはいかない。
雑感としては、むかしのゆったりとしたくらしぶりが印象にのこった。
冒頭の、鎌倉での避暑からして、何週間もすごしているようにみえる。
そして、東京にかえってから「私」が先生をたずねるのにもまた
ずいぶんさきのこととなる。
くらしていくいえで、時間のながれが圧倒的にゆっくりだ。
いちにちやふつかでことをいそぐのではなく、
なにかが頭にひっかかると、それについてかんがえるうちに
あっという間になんにちも日がすぎていく。
そもそも「先生」はなにも仕事をしていないのに、
奥さんがいて、お手つだいさんもいて、という家にすむ。
そういう人間の存在を、平気でゆるしてくれる世相を
おもしろいとおもった。
キンドルでよんでいながらこんなことをいうのはなんだけど、
IT断食はむりとしても、IT禁欲ぐらいはしたほうがいいのでは、
という気になった。
わたしはネットにそんなに依存していないつもりでも、
じっさいはあわただしく、しょっちゅうネット情報にふれようとしていることを、
とくに『こころ』なんかをよんでいると意識せざるをえない。
内面はどうあれ、外見は「先生」のようなくらしぶりを わたしは理想とする。
「先生」はいったいなにをおもってくらしていたのか
(それが本のなかに、ずっとかいてあるとはいえ)。
さいわい新聞の連載よりさきによみおえたので、
これからは余裕をもって新聞での『こころ』をよみかえすことになる。
100周年の企画として連載されたのとおなじ日に
おなじ作品をキンドルでよみはじめるという偶然は
これからもっと漱石をよめ、ということなのだろうか。
『こころ』があじあわせてくれたのは、
ネット社会において、むかしのくらしぶりにふれるここちよさだ。
2014年04月25日
いつだってその時代の最先端
遣唐使のことをときどきかんがえる。
おおむかしに中国へでかけ、むこうの文化を勉強し、
それをまた日本にもってかえったうごきをしると、
たいへんなとりくみだったろうと想像する。
いまの留学とはぜんぜんちがうだろうし、
夏目漱石のころにイギリスへでかけたのとも、くらべられそうにない。
何月何日に出発して、何年の何月にかえってくるのかなんて、
予定はなかなかたたなかったはずだ。
お金はどういうかたちでもっていくのか。
身の安全はたしかだったのだろうか。
中国語をどうやってまなんだのか。
どういうメンバーでゆき、どんな分担で
なにを吸収しようとしたのか。
きっと、当時の総力をあげての大事業だったのだろう。
でも、その時代にはその時代なりの最高技術があり、
必然のシステムがあったはずだ。
きっと、いまの時代を生きるわれわれが、
最先端の技術をまなぶために外国へいくのとおなじように、
当時のひともあんがいあたりまえのこととして
中国へわたっていたのではないか。
どこで船を調達し、むこうについたらどうやって勉強するのかも、
当時なりのシステムがととのっていたにちがいない。
いまという時代に、おおむかしをふりかえると、
当時のとぼしい情報と、おとった技術でなんとかやりくりし、
よちよちあるきの活動しかできなかったようにおもってしまうけど、
いつだって、そのときはその時代の最先端だったわけで、
そのときの最高のやり方でとりくんだはずだ。
いま世界でおきていることにたいして、
どの国もそれぞれに一生懸命対応をかんがえている。
それは、いまという時代にとることのできる最高・最善の対応だ。
100年たって、2014年のできごとをふりかえったとき、
ずいぶんおくれたかんがえ方しかできていないことを
未来の人間はあきれるだろうか。
むかしにしてはいい対応だったと感心するだろうか。
むかしの技術をひくいレベルときめつけるのは、
いまがそれだけすすんでいるという意識のうらがえしだ。
ほんとうにそうなのだろうか。
当時において最高レベルの技術だったように、
いまの最高レベルは100年後からみるとおとってみえるだろう。
そして、むかしもいまも、そして100年後も、
たかいところからみれば、目くそが鼻くそをわれっている程度の差なのかもしれない。
法隆寺を当時の技術でどうやってたてることができたのか
よく不思議がられるけど、
おおきな木をつかった建築があたりまえだった時代には、
そのなりのすすんだ技術が発達していたはずだ。
ピラミッドだって、モアイ像だって、
当時の技術をいまよりもひくくみるから むつかしい事業におもえるのであり、
石をあつかうシステムについては、
いまではうしなわれてしまったかもしれない
たかいレベルの技術があったのだろう。
むかしの技術がおとっていたとおもうのは
現代人のおもいあがりだ。
いまの技術は、人類史上最高のものかもしれないけど、
それは、いつの時代でもおなじことがいえる。
最先端だといくらりきんでみても、
未来からみればたいしたことないかもしれない。
むかしのはなしをきいたり よんだりすると、
ついいまよりもおくれていた時代ときめつけてしまうけど、
いつだって、その時代においては最先端だったことをわすれないでいたい。
当時のシステムをおとったものとみくだしてはならないし、
いまの技術が絶対だとおもいこまないほうがいい。
おおむかしに中国へでかけ、むこうの文化を勉強し、
それをまた日本にもってかえったうごきをしると、
たいへんなとりくみだったろうと想像する。
いまの留学とはぜんぜんちがうだろうし、
夏目漱石のころにイギリスへでかけたのとも、くらべられそうにない。
何月何日に出発して、何年の何月にかえってくるのかなんて、
予定はなかなかたたなかったはずだ。
お金はどういうかたちでもっていくのか。
身の安全はたしかだったのだろうか。
中国語をどうやってまなんだのか。
どういうメンバーでゆき、どんな分担で
なにを吸収しようとしたのか。
きっと、当時の総力をあげての大事業だったのだろう。
でも、その時代にはその時代なりの最高技術があり、
必然のシステムがあったはずだ。
きっと、いまの時代を生きるわれわれが、
最先端の技術をまなぶために外国へいくのとおなじように、
当時のひともあんがいあたりまえのこととして
中国へわたっていたのではないか。
どこで船を調達し、むこうについたらどうやって勉強するのかも、
当時なりのシステムがととのっていたにちがいない。
いまという時代に、おおむかしをふりかえると、
当時のとぼしい情報と、おとった技術でなんとかやりくりし、
よちよちあるきの活動しかできなかったようにおもってしまうけど、
いつだって、そのときはその時代の最先端だったわけで、
そのときの最高のやり方でとりくんだはずだ。
いま世界でおきていることにたいして、
どの国もそれぞれに一生懸命対応をかんがえている。
それは、いまという時代にとることのできる最高・最善の対応だ。
100年たって、2014年のできごとをふりかえったとき、
ずいぶんおくれたかんがえ方しかできていないことを
未来の人間はあきれるだろうか。
むかしにしてはいい対応だったと感心するだろうか。
むかしの技術をひくいレベルときめつけるのは、
いまがそれだけすすんでいるという意識のうらがえしだ。
ほんとうにそうなのだろうか。
当時において最高レベルの技術だったように、
いまの最高レベルは100年後からみるとおとってみえるだろう。
そして、むかしもいまも、そして100年後も、
たかいところからみれば、目くそが鼻くそをわれっている程度の差なのかもしれない。
法隆寺を当時の技術でどうやってたてることができたのか
よく不思議がられるけど、
おおきな木をつかった建築があたりまえだった時代には、
そのなりのすすんだ技術が発達していたはずだ。
ピラミッドだって、モアイ像だって、
当時の技術をいまよりもひくくみるから むつかしい事業におもえるのであり、
石をあつかうシステムについては、
いまではうしなわれてしまったかもしれない
たかいレベルの技術があったのだろう。
むかしの技術がおとっていたとおもうのは
現代人のおもいあがりだ。
いまの技術は、人類史上最高のものかもしれないけど、
それは、いつの時代でもおなじことがいえる。
最先端だといくらりきんでみても、
未来からみればたいしたことないかもしれない。
むかしのはなしをきいたり よんだりすると、
ついいまよりもおくれていた時代ときめつけてしまうけど、
いつだって、その時代においては最先端だったことをわすれないでいたい。
当時のシステムをおとったものとみくだしてはならないし、
いまの技術が絶対だとおもいこまないほうがいい。
2014年04月24日
『アイビー・ハウス』(原田ひ香)原田ひ香の無常小説
『アイビー・ハウス』(原田ひ香・講談社文庫)
2組の夫婦が、1軒の2世帯住宅をシェアしてくらしている。
仕事やお金にとらわれず、自由で気ままに生きようとはじめた共同生活なのに、
だんだんと4人のおもいがずれていき、
以前みたいにはたのしく くらせなくなっていく。
4人がすむ家は、赤レンガづくりでツタがおいしげっている。
だから、アイビー・ハウス。
4人の関係には、この家の存在が、ずっとカゲをおとしている。
2組の夫婦とも、おたがいの関係、そしてもういっぽうの夫婦との関係が、
まえほどすっきりしたものではなくなってきた。
すこしずつ、気づいたときには決定的に、というのがこわいところで、
身につまされるおもいでよむ。
ルース=レンデルの作品をおもいだした。
家の魔力に4人がしばられて、だんだんとおたがいの気もちがずれていく。
作品にひきこまれながら、夫婦・友人という
関係がずれていくときのこわさにときどきゾクッとする。
おもな登場人物は2組の夫婦、つまり4人しかいない。
でもわたしは名前と仕事がなかなかおぼえられず、
なんどもまえの記述をよみかえした。
ついにはロシアの小説をよむときみたいに、
とびらにちかい空欄に 4人のひととなりをかきこんで、
なんども確認しながらよんだ。
正社員・派遣・アルバイト・フリーと、4人のスタイルはそれぞれだ。
でも、そんなことはよくあることなのに、
たった4人がおぼえらえないのは、
原田ひ香が確信的なたくらみでややこしくしているのか、
わたしの記憶力に問題があるのか。
4人の関係は、やがてつくろえないほど変化し、
それぞれがバラバラにわかれてくらすことになる。
こわれたというより、またスタートにもどったかんじだ。
「経済も結婚も企業も社会も節約も子供も、
なんだか、すべてがばかばかしい。
いったい自分たちはこれまで何をしてきたんだろう」
夫とわかれ、アパートへひっこすことになった薫は、
すべてがふっきれたように、こうかんじた。
これは、わたしの人生観にちかい。
だから原田ひ香の小説にひかれるのだろう。
原田ひ香の作品は、どれも独特な味があるなかで、
この本はいっけんするとふつうの小説だ。
しかし、無常感が底にただよっており、
どうでもいいし、なんでもあり、という
かわいた気もちにさせてくれる。
「お金にとらわれないようにって、言えば言うほど、
人はとらわれて行くのよ。誰でもそうなの」
なにかにとらわれることから
ひとはなかなか自由になれない。
深刻にかんがえたところで、ひとのやることはどうせ
たかがしれている。
いろんなことに意味をもとめないで、気らくに生きていけたらいいのに。
2組の夫婦が、1軒の2世帯住宅をシェアしてくらしている。
仕事やお金にとらわれず、自由で気ままに生きようとはじめた共同生活なのに、
だんだんと4人のおもいがずれていき、
以前みたいにはたのしく くらせなくなっていく。
4人がすむ家は、赤レンガづくりでツタがおいしげっている。
だから、アイビー・ハウス。
4人の関係には、この家の存在が、ずっとカゲをおとしている。
2組の夫婦とも、おたがいの関係、そしてもういっぽうの夫婦との関係が、
まえほどすっきりしたものではなくなってきた。
すこしずつ、気づいたときには決定的に、というのがこわいところで、
身につまされるおもいでよむ。
ルース=レンデルの作品をおもいだした。
家の魔力に4人がしばられて、だんだんとおたがいの気もちがずれていく。
作品にひきこまれながら、夫婦・友人という
関係がずれていくときのこわさにときどきゾクッとする。
おもな登場人物は2組の夫婦、つまり4人しかいない。
でもわたしは名前と仕事がなかなかおぼえられず、
なんどもまえの記述をよみかえした。
ついにはロシアの小説をよむときみたいに、
とびらにちかい空欄に 4人のひととなりをかきこんで、
なんども確認しながらよんだ。
正社員・派遣・アルバイト・フリーと、4人のスタイルはそれぞれだ。
でも、そんなことはよくあることなのに、
たった4人がおぼえらえないのは、
原田ひ香が確信的なたくらみでややこしくしているのか、
わたしの記憶力に問題があるのか。
4人の関係は、やがてつくろえないほど変化し、
それぞれがバラバラにわかれてくらすことになる。
こわれたというより、またスタートにもどったかんじだ。
「経済も結婚も企業も社会も節約も子供も、
なんだか、すべてがばかばかしい。
いったい自分たちはこれまで何をしてきたんだろう」
夫とわかれ、アパートへひっこすことになった薫は、
すべてがふっきれたように、こうかんじた。
これは、わたしの人生観にちかい。
だから原田ひ香の小説にひかれるのだろう。
原田ひ香の作品は、どれも独特な味があるなかで、
この本はいっけんするとふつうの小説だ。
しかし、無常感が底にただよっており、
どうでもいいし、なんでもあり、という
かわいた気もちにさせてくれる。
「お金にとらわれないようにって、言えば言うほど、
人はとらわれて行くのよ。誰でもそうなの」
なにかにとらわれることから
ひとはなかなか自由になれない。
深刻にかんがえたところで、ひとのやることはどうせ
たかがしれている。
いろんなことに意味をもとめないで、気らくに生きていけたらいいのに。
2014年04月23日
日々の活動記録をどうかんがえるか
毎日の活動のようすをどう記録し、保護者におしらせするか。
まえにはたらいていた事業所では、夕方の送迎のまえに、
いちにちのようすを「サービス提供記録」というA5の用紙にかき、
保護者にわたしていた。
カーボン紙をはさんでコピーをとり、事業所用に保存する。
こういう方法をとっている事業所はおおいとおもうし、
便利なやり方ではあるけれど、
記録をかくときに、職員の目が利用者からはなれてしまうことと、
せっかくとった記録が、あとでデーターとしていかせないという欠点がある。
いちど紙にかいた記録を、あらためてパソコンに入力するのは2ど手間だ。
かえるまえのいそがしいときに記録をかくのは、
とても大変なことなのに、そのデーターをあとからいかせられないのでは、
なんのための記録かわからない。
ということで、ピピではサービスがおわってからパソコンに記録を入力し、
それを1ヶ月分まとめて保護者にわたしていた。
いちにちごとに記録を印刷し、夕方の送迎にまにあわすのは大変なので、
1ヶ月まとめておわたしすることを、契約のときに了承してもらう。
でも、保護からは、1ヶ月分をまとめてわたされても、
よんでみたいとおもわない、といわれるようになった。
どんなおやつをたべ、トイレに何時にいった、というデーターではなく、
どんなようすですごしていたのかがしりたいわけで、
1ヶ月後にまとめてわたされても情報としての新鮮さがない。
ピピでつける記録をどうしたらいいのかが、あらたな課題となった。
こうした活動記録はきまったひな形があるわけではなく、
保育園でも老人のデイサービスでも
それぞれの事業所が、それぞれのやり方でつけている。
記録する時間をどう確保するかや、
その記録をどうサービスにむすびつけるかで、
どこも頭をいためておられるのではないか。
労力がかかるのに、データーとしていかせないのではもったいないし、
でも、ただの記録では保護者の方がもとめるものにはならない。
事業所は、支援計画にそってサービスを提供するけれど、
その計画と毎日の記録とを関連づけることも じつはむつかしい。
日々の蓄積により、3ヶ月で成果をあげることがあっても、
いちにちでみると目にみえる変化がそうあるものではない。
ピピの職員ではなしあい、
その日の活動のようすを写真でおくったら、という案がでる。
文章でようすをつたえるより、写真のほうがずっとよくわかる。
しかし、それはそれでしっかりした方法をかんがえておかないと、
写真をとりわすれたり、それをおくるときの手間もばかにならない。
事務量は、ほっておくといくらでもふえていくのだそうだ。
やればいいことはいくらでもあるし、
それらをどこまでもこまかく分析できる。
必要なデーターをきめ、どうあつめるのかは事業所の判断だ。
保護者からの要求と、事業所として
どれだけのエネルギーをかけられるかのおりあいは
どこでつけたらいいのか。
エバーノートやメモ、そしてこのサービス提供記録でも、
どういうふうに情報をあつめ、それをどう生かしていくかは
永遠のテーマともいえる。
データーをあつめるのには相応の労力が必要で、いざあつめても
うまくいかせなければ労力がむだになる。
支援の目標は支援計画にあるからといて、
そこにデーターの焦点をあてるだけでは
いまの記録とそうたいしてかわるものにならない。
せっかくつける記録なのだから、
ただ監査対策としてではなく、あとでやくにたつものにしたい。
いい方向に再スタートをきれるよう、
もうすこし検討をつづけることになった。
まえにはたらいていた事業所では、夕方の送迎のまえに、
いちにちのようすを「サービス提供記録」というA5の用紙にかき、
保護者にわたしていた。
カーボン紙をはさんでコピーをとり、事業所用に保存する。
こういう方法をとっている事業所はおおいとおもうし、
便利なやり方ではあるけれど、
記録をかくときに、職員の目が利用者からはなれてしまうことと、
せっかくとった記録が、あとでデーターとしていかせないという欠点がある。
いちど紙にかいた記録を、あらためてパソコンに入力するのは2ど手間だ。
かえるまえのいそがしいときに記録をかくのは、
とても大変なことなのに、そのデーターをあとからいかせられないのでは、
なんのための記録かわからない。
ということで、ピピではサービスがおわってからパソコンに記録を入力し、
それを1ヶ月分まとめて保護者にわたしていた。
いちにちごとに記録を印刷し、夕方の送迎にまにあわすのは大変なので、
1ヶ月まとめておわたしすることを、契約のときに了承してもらう。
でも、保護からは、1ヶ月分をまとめてわたされても、
よんでみたいとおもわない、といわれるようになった。
どんなおやつをたべ、トイレに何時にいった、というデーターではなく、
どんなようすですごしていたのかがしりたいわけで、
1ヶ月後にまとめてわたされても情報としての新鮮さがない。
ピピでつける記録をどうしたらいいのかが、あらたな課題となった。
こうした活動記録はきまったひな形があるわけではなく、
保育園でも老人のデイサービスでも
それぞれの事業所が、それぞれのやり方でつけている。
記録する時間をどう確保するかや、
その記録をどうサービスにむすびつけるかで、
どこも頭をいためておられるのではないか。
労力がかかるのに、データーとしていかせないのではもったいないし、
でも、ただの記録では保護者の方がもとめるものにはならない。
事業所は、支援計画にそってサービスを提供するけれど、
その計画と毎日の記録とを関連づけることも じつはむつかしい。
日々の蓄積により、3ヶ月で成果をあげることがあっても、
いちにちでみると目にみえる変化がそうあるものではない。
ピピの職員ではなしあい、
その日の活動のようすを写真でおくったら、という案がでる。
文章でようすをつたえるより、写真のほうがずっとよくわかる。
しかし、それはそれでしっかりした方法をかんがえておかないと、
写真をとりわすれたり、それをおくるときの手間もばかにならない。
事務量は、ほっておくといくらでもふえていくのだそうだ。
やればいいことはいくらでもあるし、
それらをどこまでもこまかく分析できる。
必要なデーターをきめ、どうあつめるのかは事業所の判断だ。
保護者からの要求と、事業所として
どれだけのエネルギーをかけられるかのおりあいは
どこでつけたらいいのか。
エバーノートやメモ、そしてこのサービス提供記録でも、
どういうふうに情報をあつめ、それをどう生かしていくかは
永遠のテーマともいえる。
データーをあつめるのには相応の労力が必要で、いざあつめても
うまくいかせなければ労力がむだになる。
支援の目標は支援計画にあるからといて、
そこにデーターの焦点をあてるだけでは
いまの記録とそうたいしてかわるものにならない。
せっかくつける記録なのだから、
ただ監査対策としてではなく、あとでやくにたつものにしたい。
いい方向に再スタートをきれるよう、
もうすこし検討をつづけることになった。
2014年04月22日
『地震と独身』(酒井順子) 酒井さんならではのすぐれたルポ
『地震と独身』(酒井順子・新潮社)
東日本大震災から1年たったとき、
酒井順子さんは政府主催でおこなわれていた
「東日本大震災周年追悼式」の中継をテレビでみていた。
遺族のことばをきいたり、家族のものがたりに耳をかたむけながら、
「独身の人達は、一体・・・?」というおもいがわいてきたという。
たしかに、独身者がどううごいたかについては
あまりニュースでみかけなかったようにおもう。
酒井さんのこれまでの仕事から、
震災における独身者のうごきに関心をむけるのはきわめて自然だし、
なおかつ、独身者についてずっとふかい観察をかさねてきた
酒井さんならではの仕事といえる。
ライフワークというか、これまでの延長線上というか、
酒井さんは自分が「独身」であることをきっかけに、
身ぢかなようで、じつはよくしらない世界をさぐり、紹介してくれる。
章だてがうまい。
・独身は働いた
・独身はつないだ
・独身は守った
・独身は助けた
・独身は戻った
・独身は向かった
・独身は始めた
・独身は結婚した
ときて、最後は
・無常と独身
でしめる。
震災にあった独身者への おおくの取材をかさね、
彼らがなにをかんがえ・どううごいたかをききだしていく。
必然的に この本は、すぐれたルポルタージュとなった。
つらい体験をはなしてくれる独身者たちに、
酒井さんはすこしずつはなしをすすめていく。
本の内容が震災だけに、いかに酒井さんといえども
「負け犬」とは冗談でもいえず、
取材の対象はつねに「独身者」とよばれている。
酒井さんの文章に特徴的な「わらい」「かるさ」はない。
取材のおわりには、つねに相手をおもいやるひとことがのべられる。
もちろん本心からのことばだけれど、
いつもの酒井順子をしるものには「よいこのサカイ」でありつづけるのが
すこしおかしい。
だからつまらないかというと、そうではなく、
相手からおもったこと・おもっていることをじょうずにききだすのは、
酒井さんが得意とする分野だ。
それぞれのひとがうけたおもい体験は
だれにでもはなせるものではなく、
きいているもののふかい理解と共感があってはじめて
くちにすることができる。
福島市の病院ではたらく女性は、
原発の事故で避難してきたおばあさんについてはなす。
「『オラのベコ、置いてきてしまった・・・』
って、ベコを置いてきてしまったことを、すごく悔いているんですよ。(中略)
子供は、避難して新しい土地に行ったら、大変だとは思うけれど、
いずれ適応していくことができるし、未来もある。
でもじいちゃん、ばあちゃん達は、住み慣れた土地で、
これから人生の仕上げをしなくちゃいけなかったんですよ。
家畜も一緒にいた、思い出のたくさん詰まっている場所から
離れさせられてしまうお年寄りを見るのが、一番切ない・・・。
あんな善良なおばあちゃんに、人生の最期に、
そういう悲しい言葉を言わせてしまったということが、
看護をする人間として、やりきれなかったです。
おばあちゃんにそんなことを思わせてしまうことは、
絶対に間違っている、って強くおもいました」
ひとりのわかい女性が、どんなおもいをだいて仕事にあたったのか。
いかりだったり使命感だったり、必然だったり。
震災という非常事態に、ひとはなにをかんじるのか、
はなされる特別な体験が、よむ側につよくつたわってくる。
福島の原発事故については、取材をうけたひとも慎重にはなしているし、
酒井さんもそのとりあつかいに気をくばっている。
放射能にどう反応するかは、ほんとうにそれぞれのおかれた状況によってかわる。
にげたひとにも、とどまったひとへも、酒井さんは
そのひとがなにをおもい、どううごいたかだけにふれている。
わたしは、
「おばあちゃんにそんなことを思わせてしまうことは、
絶対に間違っている」
という女性のつよいいかりにむねをいためるだけだ。
震災で結婚をかんがえるようになったひと、
震災にあっても結婚をかんがえなかったひと。
「人間は、常に変わらぬ幸せを得るため、
愛する人とつがいをつくって結婚し、
家族という集団を形成するわけですが、
『常』などというものはこの世に無いこと、
すなわち『無情』という言葉の意味を、震災は見せつけました」
「どうしても答えの出ない大きなもの、
その答えを探すために」僧侶としての道へ、
旅だった男性が紹介されている。
酒井さんもまた、無情の道をあるきつづけるようだ。
この本の印税は、全額が義捐金として寄付されるという。
酒井さんのすばらしい仕事をたかく評価したい。
東日本大震災から1年たったとき、
酒井順子さんは政府主催でおこなわれていた
「東日本大震災周年追悼式」の中継をテレビでみていた。
遺族のことばをきいたり、家族のものがたりに耳をかたむけながら、
「独身の人達は、一体・・・?」というおもいがわいてきたという。
たしかに、独身者がどううごいたかについては
あまりニュースでみかけなかったようにおもう。
酒井さんのこれまでの仕事から、
震災における独身者のうごきに関心をむけるのはきわめて自然だし、
なおかつ、独身者についてずっとふかい観察をかさねてきた
酒井さんならではの仕事といえる。
ライフワークというか、これまでの延長線上というか、
酒井さんは自分が「独身」であることをきっかけに、
身ぢかなようで、じつはよくしらない世界をさぐり、紹介してくれる。
章だてがうまい。
・独身は働いた
・独身はつないだ
・独身は守った
・独身は助けた
・独身は戻った
・独身は向かった
・独身は始めた
・独身は結婚した
ときて、最後は
・無常と独身
でしめる。
震災にあった独身者への おおくの取材をかさね、
彼らがなにをかんがえ・どううごいたかをききだしていく。
必然的に この本は、すぐれたルポルタージュとなった。
つらい体験をはなしてくれる独身者たちに、
酒井さんはすこしずつはなしをすすめていく。
本の内容が震災だけに、いかに酒井さんといえども
「負け犬」とは冗談でもいえず、
取材の対象はつねに「独身者」とよばれている。
酒井さんの文章に特徴的な「わらい」「かるさ」はない。
取材のおわりには、つねに相手をおもいやるひとことがのべられる。
もちろん本心からのことばだけれど、
いつもの酒井順子をしるものには「よいこのサカイ」でありつづけるのが
すこしおかしい。
だからつまらないかというと、そうではなく、
相手からおもったこと・おもっていることをじょうずにききだすのは、
酒井さんが得意とする分野だ。
それぞれのひとがうけたおもい体験は
だれにでもはなせるものではなく、
きいているもののふかい理解と共感があってはじめて
くちにすることができる。
福島市の病院ではたらく女性は、
原発の事故で避難してきたおばあさんについてはなす。
「『オラのベコ、置いてきてしまった・・・』
って、ベコを置いてきてしまったことを、すごく悔いているんですよ。(中略)
子供は、避難して新しい土地に行ったら、大変だとは思うけれど、
いずれ適応していくことができるし、未来もある。
でもじいちゃん、ばあちゃん達は、住み慣れた土地で、
これから人生の仕上げをしなくちゃいけなかったんですよ。
家畜も一緒にいた、思い出のたくさん詰まっている場所から
離れさせられてしまうお年寄りを見るのが、一番切ない・・・。
あんな善良なおばあちゃんに、人生の最期に、
そういう悲しい言葉を言わせてしまったということが、
看護をする人間として、やりきれなかったです。
おばあちゃんにそんなことを思わせてしまうことは、
絶対に間違っている、って強くおもいました」
ひとりのわかい女性が、どんなおもいをだいて仕事にあたったのか。
いかりだったり使命感だったり、必然だったり。
震災という非常事態に、ひとはなにをかんじるのか、
はなされる特別な体験が、よむ側につよくつたわってくる。
福島の原発事故については、取材をうけたひとも慎重にはなしているし、
酒井さんもそのとりあつかいに気をくばっている。
放射能にどう反応するかは、ほんとうにそれぞれのおかれた状況によってかわる。
にげたひとにも、とどまったひとへも、酒井さんは
そのひとがなにをおもい、どううごいたかだけにふれている。
わたしは、
「おばあちゃんにそんなことを思わせてしまうことは、
絶対に間違っている」
という女性のつよいいかりにむねをいためるだけだ。
震災で結婚をかんがえるようになったひと、
震災にあっても結婚をかんがえなかったひと。
「人間は、常に変わらぬ幸せを得るため、
愛する人とつがいをつくって結婚し、
家族という集団を形成するわけですが、
『常』などというものはこの世に無いこと、
すなわち『無情』という言葉の意味を、震災は見せつけました」
「どうしても答えの出ない大きなもの、
その答えを探すために」僧侶としての道へ、
旅だった男性が紹介されている。
酒井さんもまた、無情の道をあるきつづけるようだ。
この本の印税は、全額が義捐金として寄付されるという。
酒井さんのすばらしい仕事をたかく評価したい。
2014年04月21日
「クール・ジャパン」新宿のよさを外国人におしえられる
きょうの「クール・ジャパン」は新宿をとりあげている。
新宿はクールなのか。
外国人に人気のスポットとして
・ディスカウントストア
・ロボットショーのレストラン
・家電量販店
・都庁の展望台
が紹介される。
どの店も、外国からきたお客さんがたくさんいる。
ディスカウントストアでは、タイからきたひとが、
化粧品やお菓子をおみやげにかっている。
ロボットショーのレストランは、
ロボットとコスプレの女の子がいりみだれてライブをやっている。
いったいなんなのか、わたしには説明できないけど、
とにかくこれがいまの日本なのだ、というかんじ。
べつのコーナーでは、ゲストの女性が
新宿ゴールデン街の魅力をリポートしている。
店がちいさくていごこちがよく、
店のひとと、あるいはお客どうしがなかよくなれる。
そういう店は、外国にはないのだそうで、
「スーバークール!」だといってすごくほめていた。
ふるくて、すでにさびれてしまったとおもっていたのに、
まさか外国人の女性にゴールデン街を気にいってもらえるなんて。
ほかにも、新宿と渋谷のちがいとか、原宿や秋葉原の特徴とか、
ゲストの外国人たちは東京の町をよくしっている。
わたしにはまずかんじることのできない新宿のよさを、
それぞれがあつくかたっており、
新宿って、外国人からみるとすごくおもしろい町みたいだ。
たとえば、新宿御苑が人気スポットの2位になっている。
さわがしい新宿にありながら、そこだけ手つかずの自然なのだそうだ。
パリやニューヨークにも公園はあるけれど、
それらはとても人工的にかんじられるのにたいし、
新宿御苑は自然そのものなのだという。
こういうのも、外国人にいわれないと、あんがい気づかない。
20年まえに、わたしは成田から東京までの電車のなかで
ネパールからきたひとりの男性としりあった。
そのひとはニューギニアでヘリコプターの仕事をしており、
ビザの関係で日本にきたという。
エア・インディアやネパール大使館などに案内して、
滞在の目的をはたせるよう すこしお手つだいした。
わたしは東京の穴場を紹介できるほど
東京にくわしくなかったけど、
歌舞伎町という場所があるのはしっていたので、
そのひとといっしょに歌舞伎町をあるいた。
といっても、ほんとに「あるいた」だけで、
おっかないからどの店にもはいっていない。
そのひとは、風俗の町である歌舞伎町につよい関心をしめし、
つぎの日にはひとりでまた歌舞伎町にむかった。
その当時には「クール・ジャパン」的な現象はなかったとおもう。
せっかく日本にきてくれた外国のひとに、
喫茶店やラーメン屋さんばかり案内してもうしわけないことをした。
それでもそのネパールからきたひとは、
まちがとても清潔で、ひとも親切だと、
日本のことを気にいってくれた。
いま日本にくる外国人は、クールなジャパンをよくしっているので、
日本人の観光客よりもたのしんでいるみたいだ。
ベスト5のスポットにはあがらなかったけど、
たとえばネコカフェもまた、人気の場所なのだそうだ。
日本の田舎から東京へ観光にいくひとは、
どんなところをみてまわるのだろう。
われわれも、外国人がもつガイドブックを参考にしたほうが いいのかもしれない。
ところで、「クール・ジャパン」という番組はクールなのか。
ゲストの外国人がはなすことは 興味ぶかくきける。
自分の国と比較して、気づいたこと・おもいついたことを
熱心につたえてくれるので、感心することがおおい。
でも、コメンテーターがなにかをいうと、それが結論みたいに
みんながだまってききいれてしまうのがハナにつく。
コメンテーターに反論してもいいだろうし、
そもそもコメンテーターなんていなくてもいい番組なのに。
いちいち「◯◯はクールですか?」というのも
ためしてガッテンじゃあるまいし、へんなかんじだ。
材料はクールなのに、料理じたいはおいしくないという
残念な番組のような気がしてきた。
それもまた、日本的なクールなのかもしれない。
新宿はクールなのか。
外国人に人気のスポットとして
・ディスカウントストア
・ロボットショーのレストラン
・家電量販店
・都庁の展望台
が紹介される。
どの店も、外国からきたお客さんがたくさんいる。
ディスカウントストアでは、タイからきたひとが、
化粧品やお菓子をおみやげにかっている。
ロボットショーのレストランは、
ロボットとコスプレの女の子がいりみだれてライブをやっている。
いったいなんなのか、わたしには説明できないけど、
とにかくこれがいまの日本なのだ、というかんじ。
べつのコーナーでは、ゲストの女性が
新宿ゴールデン街の魅力をリポートしている。
店がちいさくていごこちがよく、
店のひとと、あるいはお客どうしがなかよくなれる。
そういう店は、外国にはないのだそうで、
「スーバークール!」だといってすごくほめていた。
ふるくて、すでにさびれてしまったとおもっていたのに、
まさか外国人の女性にゴールデン街を気にいってもらえるなんて。
ほかにも、新宿と渋谷のちがいとか、原宿や秋葉原の特徴とか、
ゲストの外国人たちは東京の町をよくしっている。
わたしにはまずかんじることのできない新宿のよさを、
それぞれがあつくかたっており、
新宿って、外国人からみるとすごくおもしろい町みたいだ。
たとえば、新宿御苑が人気スポットの2位になっている。
さわがしい新宿にありながら、そこだけ手つかずの自然なのだそうだ。
パリやニューヨークにも公園はあるけれど、
それらはとても人工的にかんじられるのにたいし、
新宿御苑は自然そのものなのだという。
こういうのも、外国人にいわれないと、あんがい気づかない。
20年まえに、わたしは成田から東京までの電車のなかで
ネパールからきたひとりの男性としりあった。
そのひとはニューギニアでヘリコプターの仕事をしており、
ビザの関係で日本にきたという。
エア・インディアやネパール大使館などに案内して、
滞在の目的をはたせるよう すこしお手つだいした。
わたしは東京の穴場を紹介できるほど
東京にくわしくなかったけど、
歌舞伎町という場所があるのはしっていたので、
そのひとといっしょに歌舞伎町をあるいた。
といっても、ほんとに「あるいた」だけで、
おっかないからどの店にもはいっていない。
そのひとは、風俗の町である歌舞伎町につよい関心をしめし、
つぎの日にはひとりでまた歌舞伎町にむかった。
その当時には「クール・ジャパン」的な現象はなかったとおもう。
せっかく日本にきてくれた外国のひとに、
喫茶店やラーメン屋さんばかり案内してもうしわけないことをした。
それでもそのネパールからきたひとは、
まちがとても清潔で、ひとも親切だと、
日本のことを気にいってくれた。
いま日本にくる外国人は、クールなジャパンをよくしっているので、
日本人の観光客よりもたのしんでいるみたいだ。
ベスト5のスポットにはあがらなかったけど、
たとえばネコカフェもまた、人気の場所なのだそうだ。
日本の田舎から東京へ観光にいくひとは、
どんなところをみてまわるのだろう。
われわれも、外国人がもつガイドブックを参考にしたほうが いいのかもしれない。
ところで、「クール・ジャパン」という番組はクールなのか。
ゲストの外国人がはなすことは 興味ぶかくきける。
自分の国と比較して、気づいたこと・おもいついたことを
熱心につたえてくれるので、感心することがおおい。
でも、コメンテーターがなにかをいうと、それが結論みたいに
みんながだまってききいれてしまうのがハナにつく。
コメンテーターに反論してもいいだろうし、
そもそもコメンテーターなんていなくてもいい番組なのに。
いちいち「◯◯はクールですか?」というのも
ためしてガッテンじゃあるまいし、へんなかんじだ。
材料はクールなのに、料理じたいはおいしくないという
残念な番組のような気がしてきた。
それもまた、日本的なクールなのかもしれない。
2014年04月20日
手づくり料理をむすこにのこされたわたしは
椎名誠さんの本にのっていたスパゲッティをときどきつくる。
「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」みたいななまえだったとおもう。
ゆでたてのスパゲッティに、かつおぶしとショーユ、それにマヨネーズをかけて
すばやくまぜる、という、ただそれだけの「料理」で、
ただそれだけなのに ひじょうにおいしい。
きのうのおひるごはんとして、高校生のむすこに
この「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」をつくると、
あろうことか半分以上ものこされてしまった。
いつもながら「ほんとにおいしいなー」と感心しながらわたしはたべたのに、
むすこはいっしょにつくったチャーハンばかりに手をだし、
けっきょく「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」をのこしたまま
「ごちそうさま」とつぶやいた。
たべもににたいするこのみがゆるやかで、
わたしがつくるへんな料理でも
(味つけもだけど、メンとごはんというくみあわせにおいても)、
文句をいわずたべてくれることが
かずすくないむすこのいいところだったのに。
そういえば、このまえは博多の「棒ラーメン」ものこしている。
むすこは棒ラーメンのよさがわからないようで、
袋いりのインスタントラーメンのほうがいいといっていた。
いよいよむすこも、思春期特有の、むつかしい時期をむかえたのだろうか。
わたしはこれまで「ほんもの」をたべさせようと、
カレー・ピザ・タジン・クスクス・フォーなど、
外国の料理をわれながら精密に再現して
料理当番としてのつとめをはたしてきた。
たとえばカレーは、よく男がひとりよがりでつくる
ややこしいカリーなどではなく、
ほんとにインドでたべられているのとおなじ(とおもう)カレーだ。
もちろんカレー粉などはつかわずに、スパイスだけでつくる。
べつにむすこのためをおもってのことではなく、
自分がたべたいからつくっただけにしろ、
むすこの舌はかなりの程度 国際化がすすんでいるとおもっていた。
「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」にしても、
そこらへんのレストランでだすいかがわしい料理よりも、
ずっとスパゲッティの本質をとらえた逸品として評価できるもの(のはず)だ。
わたしは「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」をすこしアレンジして、
かつおぶしではなくバターをいれている。
バターとかつおぶしとにまったく関連はなく、
ただわたしがバターがすきだからだけど、ショーユともよくあう。
きょう「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」をのこしたむすこのひとことは
「あぶらがきつくて」だった。
もしかしたら、これはむすこの舌がただしいのであり、
バターとマヨネーズをたっぷりいれてかきまぜる、
わたしのアレンジに無理があるのだろうか。
なんにでもすききらいをいわないことがとりえだったむすこに、
たてつづけで得意料理をのこされてしまったわたしはすこしキズつき、
料理当番としての自信をうしなってしまった。
「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」みたいななまえだったとおもう。
ゆでたてのスパゲッティに、かつおぶしとショーユ、それにマヨネーズをかけて
すばやくまぜる、という、ただそれだけの「料理」で、
ただそれだけなのに ひじょうにおいしい。
きのうのおひるごはんとして、高校生のむすこに
この「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」をつくると、
あろうことか半分以上ものこされてしまった。
いつもながら「ほんとにおいしいなー」と感心しながらわたしはたべたのに、
むすこはいっしょにつくったチャーハンばかりに手をだし、
けっきょく「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」をのこしたまま
「ごちそうさま」とつぶやいた。
たべもににたいするこのみがゆるやかで、
わたしがつくるへんな料理でも
(味つけもだけど、メンとごはんというくみあわせにおいても)、
文句をいわずたべてくれることが
かずすくないむすこのいいところだったのに。
そういえば、このまえは博多の「棒ラーメン」ものこしている。
むすこは棒ラーメンのよさがわからないようで、
袋いりのインスタントラーメンのほうがいいといっていた。
いよいよむすこも、思春期特有の、むつかしい時期をむかえたのだろうか。
わたしはこれまで「ほんもの」をたべさせようと、
カレー・ピザ・タジン・クスクス・フォーなど、
外国の料理をわれながら精密に再現して
料理当番としてのつとめをはたしてきた。
たとえばカレーは、よく男がひとりよがりでつくる
ややこしいカリーなどではなく、
ほんとにインドでたべられているのとおなじ(とおもう)カレーだ。
もちろんカレー粉などはつかわずに、スパイスだけでつくる。
べつにむすこのためをおもってのことではなく、
自分がたべたいからつくっただけにしろ、
むすこの舌はかなりの程度 国際化がすすんでいるとおもっていた。
「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」にしても、
そこらへんのレストランでだすいかがわしい料理よりも、
ずっとスパゲッティの本質をとらえた逸品として評価できるもの(のはず)だ。
わたしは「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」をすこしアレンジして、
かつおぶしではなくバターをいれている。
バターとかつおぶしとにまったく関連はなく、
ただわたしがバターがすきだからだけど、ショーユともよくあう。
きょう「スパゲッティ・ア・ラ・マヨ」をのこしたむすこのひとことは
「あぶらがきつくて」だった。
もしかしたら、これはむすこの舌がただしいのであり、
バターとマヨネーズをたっぷりいれてかきまぜる、
わたしのアレンジに無理があるのだろうか。
なんにでもすききらいをいわないことがとりえだったむすこに、
たてつづけで得意料理をのこされてしまったわたしはすこしキズつき、
料理当番としての自信をうしなってしまった。
2014年04月19日
お金はだれのものか
このまえよんだ鈴木孝夫さんの『人にはどれだけの物が必要か』には、
地球がぜんぶ自分のものだとおもえば、
その地球に負担をかけないようするし、
ゴミひろいも苦ではない、ということがかいてあった。
わたしは、自分のものとおもうと、かえってケチになってしまうところがある。
たとえば、スーパーでかいものをするときに、
自分だけのためにはお金をつかいたくないのに、
家族みんなでたべる食材については、
あまりケチなことをかんがえない。
季節はずれのたかいものなどはかわないが、
必要なものにはあまりためらわずにカゴにいれていく。
必要なんだから、と。
職場についてもそうで、会社のお金だと、
必要であればたかくてもかうのにためらいはない。
自分用にはMac版のエクセルなんてかわないけど、
会社でつかうとなれば、すぐに電気屋さんへいく。
ネオオフィスですますより、エクセルのほうがつかいやすいのだから、
けっきょくはそうしたほうが効率的で会社のためだろう。
お金は、自分のものだとおもうからケチケチしてしまう。
お金はみんなのもの、とおもったほうが、
わたしにはお金の価値を正統に評価できるようだ。
そのへんの感覚がさえているひとは、
自分のお金でも必要なことにはどんどん投資できるのだろう。
旅行をしたり美術館をたずねたりたかいレストランへいったり。
インプットがなければアウトプットもできない。
アウトプットもちろん大切だけど、
そもそものインプットはどうしても必要な自分への投資だ。
わたしは、本についてはかなり寛大な気もちでつきあうことができる。
自分でよむものでも、気にいった本をひとにプレゼントするにも
あまりもったいないとはおもわない(ある程度は)。
それ以外については、お金の価値をじょうずにいかせない。
ネコのチャコを毎日病院へつれていったとき、
自分のサイフからそのつどしはらうのは、心理的にいくぶん抵抗があったので、
貯金をおろし、特別枠の会計として別のサイフにいれた。
そうすると、自分のお金であっても、
すこしたかいところから客観的にみることができる。
かわいいチャコのためなのだから、
3000円ぐらいスパッとはらえたらいいけど、
毎日となればこうした頭のきりかえがわたしには有効だった。
もちろんチャコへの出費がおしいわけではないけど、
それはそれ、これはこれ、だ。
こういう、特別枠としてあつかうと、お金と適切な距離をたもちやすい。
お金の価値を、客観的にみれるようになるのではないか。
自分にたいして必要な投資をするときに、
ためらわずにお金を手ばなすには、
自分のものとおもわないであつかえたほうがいい。
とはいえ、会社のように年度ごとの特別枠予算をたてて、
自分への必要な投資を確保するのはいかにもめんどくさい。
ふだんからものの価値を正統にみとめ、
必要なことにはためらわずにつかえたほうがいい。
そういうひとを粋というのだろう。
そのためには、わたしはお金を自分のものとおもわないほうがいいみたいだ。
地球がぜんぶ自分のものだとおもえば、
その地球に負担をかけないようするし、
ゴミひろいも苦ではない、ということがかいてあった。
わたしは、自分のものとおもうと、かえってケチになってしまうところがある。
たとえば、スーパーでかいものをするときに、
自分だけのためにはお金をつかいたくないのに、
家族みんなでたべる食材については、
あまりケチなことをかんがえない。
季節はずれのたかいものなどはかわないが、
必要なものにはあまりためらわずにカゴにいれていく。
必要なんだから、と。
職場についてもそうで、会社のお金だと、
必要であればたかくてもかうのにためらいはない。
自分用にはMac版のエクセルなんてかわないけど、
会社でつかうとなれば、すぐに電気屋さんへいく。
ネオオフィスですますより、エクセルのほうがつかいやすいのだから、
けっきょくはそうしたほうが効率的で会社のためだろう。
お金は、自分のものだとおもうからケチケチしてしまう。
お金はみんなのもの、とおもったほうが、
わたしにはお金の価値を正統に評価できるようだ。
そのへんの感覚がさえているひとは、
自分のお金でも必要なことにはどんどん投資できるのだろう。
旅行をしたり美術館をたずねたりたかいレストランへいったり。
インプットがなければアウトプットもできない。
アウトプットもちろん大切だけど、
そもそものインプットはどうしても必要な自分への投資だ。
わたしは、本についてはかなり寛大な気もちでつきあうことができる。
自分でよむものでも、気にいった本をひとにプレゼントするにも
あまりもったいないとはおもわない(ある程度は)。
それ以外については、お金の価値をじょうずにいかせない。
ネコのチャコを毎日病院へつれていったとき、
自分のサイフからそのつどしはらうのは、心理的にいくぶん抵抗があったので、
貯金をおろし、特別枠の会計として別のサイフにいれた。
そうすると、自分のお金であっても、
すこしたかいところから客観的にみることができる。
かわいいチャコのためなのだから、
3000円ぐらいスパッとはらえたらいいけど、
毎日となればこうした頭のきりかえがわたしには有効だった。
もちろんチャコへの出費がおしいわけではないけど、
それはそれ、これはこれ、だ。
こういう、特別枠としてあつかうと、お金と適切な距離をたもちやすい。
お金の価値を、客観的にみれるようになるのではないか。
自分にたいして必要な投資をするときに、
ためらわずにお金を手ばなすには、
自分のものとおもわないであつかえたほうがいい。
とはいえ、会社のように年度ごとの特別枠予算をたてて、
自分への必要な投資を確保するのはいかにもめんどくさい。
ふだんからものの価値を正統にみとめ、
必要なことにはためらわずにつかえたほうがいい。
そういうひとを粋というのだろう。
そのためには、わたしはお金を自分のものとおもわないほうがいいみたいだ。
2014年04月18日
旅行者のようなこのごろの日常
このまえいつマッサージにいっかたをしらべるため、
パソコンでつけている日記をひらいて検索にかけた。
5年から10年まえの自分がどんな時間をすごしていたかよくわかる。
なつかしさから、むかしの日記をよみかえすことになった。
日記には、ほとんど記憶にないくらい勤勉なわたしがいる。
マッサージへいったおなじ日に、
かつての自分はいろんなうごきをしている。
子どもがまだちいさかったせいもあり、
自分の都合だけでは自由時間を確保できないので、
うごけるときにできるだけ用事をすませていたのだろう。
マッサージにいって、映画にいって、図書館へ、とか、
本屋さんにいって散髪へいって、夕ごはんにギョーザをつくるとか、
すごく元気にうごきまわっている。
ジョギングをしたおなじ日の夕方にプールでおよいでいたりもする。
自分の日記であることをしらなければ、
かいたひとのげんきさを本心からうらやましがるところだ。
いまは、まったくそうではない。
このまえは、マッサージにいく日に有給をとった。
マッサージをうけたあとに仕事をしたくなかったからだ。
マッサージのあとにはたらくなんて、いまのわたしはぜったいにかんがえない。
いまは、いちにちにひとつのことしかできなくなっているのか。
これを老化というのか。
蔵前仁一さんの旅行本に、いちにちにひとつのことをして
満足している旅行者がでてくる。
そのひとが特別にグータラな旅行者というわけではなく、
バックパッカーのおおくがおなじような体験をもっているはずだ。
それだけ非効率にしかうごけない土地がおおく、
旅行とは、そういうものだったのだ。
郵便局で手紙をだす。駅で切符をかう。銀行で両替する。
いちにちに、その用事をひとつすますことができれば、
もうその日は充実したすごし方をしたようにおもえてしまう。
なにもせずに宿でゴロゴロしてるのもいいけど、
あんまりそんな日がつづくと、さすがにダメな人間になったような気がしてくる。
精神的に健康な日常をすごすには、
いちにちにすませた用事が ゼロではよくないのだ。
ゼロはいくらつみあげてもゼロだけど、
たったひとつのことでも、「1」は確実に実績となってのこっていく。
着実にひとつの用事をすませたことが充実感につながっていく。
せっけんをかいにいく程度の、ささやかな用事でも
ぶじにすすめばおめでたいのだ。
このごろのわたしは、旅行者の日常のように、
いちにちにひとつはなんとかすませよう、という
たいへんひくい目標の日がおおい
(仕事以外のはなしです、念のため)。
なにしろ午後から仕事にいけばいいので、
時間におわれることがすくなくなった。
ひとつでも前進すれば、あまりにも怠惰だ、とはおもわないで、
あんがい機嫌よく いちにちのおわりをむかえられる。
ゼロでないのがすくいで、それだけがとりえだ。
タスクとか時間の管理などは、興味があるもののまだふみきれない。
なくてもさしさわりがないのだから、優雅な生活なのだろう。
やっと自分にあったはたらき方を 手にいれたのかもしれない。
パソコンでつけている日記をひらいて検索にかけた。
5年から10年まえの自分がどんな時間をすごしていたかよくわかる。
なつかしさから、むかしの日記をよみかえすことになった。
日記には、ほとんど記憶にないくらい勤勉なわたしがいる。
マッサージへいったおなじ日に、
かつての自分はいろんなうごきをしている。
子どもがまだちいさかったせいもあり、
自分の都合だけでは自由時間を確保できないので、
うごけるときにできるだけ用事をすませていたのだろう。
マッサージにいって、映画にいって、図書館へ、とか、
本屋さんにいって散髪へいって、夕ごはんにギョーザをつくるとか、
すごく元気にうごきまわっている。
ジョギングをしたおなじ日の夕方にプールでおよいでいたりもする。
自分の日記であることをしらなければ、
かいたひとのげんきさを本心からうらやましがるところだ。
いまは、まったくそうではない。
このまえは、マッサージにいく日に有給をとった。
マッサージをうけたあとに仕事をしたくなかったからだ。
マッサージのあとにはたらくなんて、いまのわたしはぜったいにかんがえない。
いまは、いちにちにひとつのことしかできなくなっているのか。
これを老化というのか。
蔵前仁一さんの旅行本に、いちにちにひとつのことをして
満足している旅行者がでてくる。
そのひとが特別にグータラな旅行者というわけではなく、
バックパッカーのおおくがおなじような体験をもっているはずだ。
それだけ非効率にしかうごけない土地がおおく、
旅行とは、そういうものだったのだ。
郵便局で手紙をだす。駅で切符をかう。銀行で両替する。
いちにちに、その用事をひとつすますことができれば、
もうその日は充実したすごし方をしたようにおもえてしまう。
なにもせずに宿でゴロゴロしてるのもいいけど、
あんまりそんな日がつづくと、さすがにダメな人間になったような気がしてくる。
精神的に健康な日常をすごすには、
いちにちにすませた用事が ゼロではよくないのだ。
ゼロはいくらつみあげてもゼロだけど、
たったひとつのことでも、「1」は確実に実績となってのこっていく。
着実にひとつの用事をすませたことが充実感につながっていく。
せっけんをかいにいく程度の、ささやかな用事でも
ぶじにすすめばおめでたいのだ。
このごろのわたしは、旅行者の日常のように、
いちにちにひとつはなんとかすませよう、という
たいへんひくい目標の日がおおい
(仕事以外のはなしです、念のため)。
なにしろ午後から仕事にいけばいいので、
時間におわれることがすくなくなった。
ひとつでも前進すれば、あまりにも怠惰だ、とはおもわないで、
あんがい機嫌よく いちにちのおわりをむかえられる。
ゼロでないのがすくいで、それだけがとりえだ。
タスクとか時間の管理などは、興味があるもののまだふみきれない。
なくてもさしさわりがないのだから、優雅な生活なのだろう。
やっと自分にあったはたらき方を 手にいれたのかもしれない。
2014年04月17日
『本の雑誌5月号』宮田さんはなぜベッドのうえ用のテーブルをかったか
『本の雑誌5月号』は宮田珠己さんの記事がおもしろかった。
雪がつもったはなしと、ベッドのうえにおく、
おりたたみ式のテーブルをかったはなしだ。
2週連続でつもった雪に 近所のひとがおおあわてしているとき、
宮田さんは家のまえにすべり台をつくっていたそうだ。
「車の出し入れの邪魔になる」と奥さんはおこっていたが、
・こんな雪の中、車でどこに行くというのか
・だいていチェーンもスタッドレスも待ってないじゃないか
・今すべり台を作らないで、いつ作るんだ
ということで無視する。
「妻という生き物は、どうしてそんな一見正論のようで、
その実ものすごくつまらないことを言うのだろうか」
宮田さんの3つの理由は、それはそれでちゃんとした理屈におもえるのに、
奥さんに「邪魔になる」といわれると、
アブクのようによわよわしい「いいわけ」におもえてくる。
「一見正論のようで、すごくつまらないこと」は
男と女の役割分担みたいなもので、
男が現実からはなれたことをいうと、
女はすぐに正論をつっこんでくる。
世のなかただしいことばかりがのぞまれているわけではないのに、
男はたいていくやしいおもいをする。
「翌日から腰痛で動けず、
雪かきを妻に任せることになって、また怒られる」
というのがすべり台の結末だ。宮田さんの人生の必然をおもわせる。
ベッドのうえにおくテーブルをかったのは、
ベッドのうえで仕事をするからで、
なぜベッドのうえかというと、机がうもれてしまったからだ。
「読みかけの本はもちろんのこと、資料やらノートやら、
筆記道具やら電卓やらがパソコンの前を占領し、
さらに年賀状の束やら、CDやら、一眼レフに至っては
2台も机上にのっかっている。
ひとつは300ミリの望遠レンズ付きだ。それとあと、石。
もやは自分の机で仕事をすることは不可能になりつつある」
雪がつもったからすべり台をつくる → 腰がいたくなって奥さんにしかられる
パソコンのまえにものをおく → 机がつかえなくなる
ぜんぜんちがったことをしてるのに、
兄弟みたいによくにた結果をうんでいる。
これが宮田さんの魅力なのだろう。
さいわいベッドのうえでの仕事はよくはかどっているそうだ。
奥さんがどんな正論をのべられたかはかいてない。
もうひとつかんがえさせられたのが
「80歳になったら」という青山南さんの記事だ。
ポール=オースターが、80歳になったときの自分を
どうイメージしていたかについて、青山さんの想像がかかれている。
その内容というより、「80歳になったら」というタイトルをみて、
わたしは自分が80歳になったときのことのイメージを、
まったくもっていないことにはじめて気づいた。
あと30年もたつと、生きているかぎり80歳になるわけで、
そのときの自分がどんなコンディションになっているか。
痴呆がでているかもしれない。オムツをしているかもしれない。
スタスタあるけなくなって、車いすにのっているかもしれない。
だれかの介護をうけているかもしれない。
いれ歯ばかりでよくものをかめなくなっているかもしれない。
歳をとればかならずついてくる「老化現象」を、
自分のこととしてかんがえたことがなかった。
80歳になったとき、気のあう友だちはいるだろうか。
すこしぐらいはおこづかいをもっているだろうか。
80歳から逆算していまの生活をくみたてるなんて とてもできないけど、
たのしい生活をおくれないようでは なんのためのなが生きかわからない。
すこしぐらいは自分の老後をイメージしておいたほうがよさそうだ。
雪がつもったはなしと、ベッドのうえにおく、
おりたたみ式のテーブルをかったはなしだ。
2週連続でつもった雪に 近所のひとがおおあわてしているとき、
宮田さんは家のまえにすべり台をつくっていたそうだ。
「車の出し入れの邪魔になる」と奥さんはおこっていたが、
・こんな雪の中、車でどこに行くというのか
・だいていチェーンもスタッドレスも待ってないじゃないか
・今すべり台を作らないで、いつ作るんだ
ということで無視する。
「妻という生き物は、どうしてそんな一見正論のようで、
その実ものすごくつまらないことを言うのだろうか」
宮田さんの3つの理由は、それはそれでちゃんとした理屈におもえるのに、
奥さんに「邪魔になる」といわれると、
アブクのようによわよわしい「いいわけ」におもえてくる。
「一見正論のようで、すごくつまらないこと」は
男と女の役割分担みたいなもので、
男が現実からはなれたことをいうと、
女はすぐに正論をつっこんでくる。
世のなかただしいことばかりがのぞまれているわけではないのに、
男はたいていくやしいおもいをする。
「翌日から腰痛で動けず、
雪かきを妻に任せることになって、また怒られる」
というのがすべり台の結末だ。宮田さんの人生の必然をおもわせる。
ベッドのうえにおくテーブルをかったのは、
ベッドのうえで仕事をするからで、
なぜベッドのうえかというと、机がうもれてしまったからだ。
「読みかけの本はもちろんのこと、資料やらノートやら、
筆記道具やら電卓やらがパソコンの前を占領し、
さらに年賀状の束やら、CDやら、一眼レフに至っては
2台も机上にのっかっている。
ひとつは300ミリの望遠レンズ付きだ。それとあと、石。
もやは自分の机で仕事をすることは不可能になりつつある」
雪がつもったからすべり台をつくる → 腰がいたくなって奥さんにしかられる
パソコンのまえにものをおく → 机がつかえなくなる
ぜんぜんちがったことをしてるのに、
兄弟みたいによくにた結果をうんでいる。
これが宮田さんの魅力なのだろう。
さいわいベッドのうえでの仕事はよくはかどっているそうだ。
奥さんがどんな正論をのべられたかはかいてない。
もうひとつかんがえさせられたのが
「80歳になったら」という青山南さんの記事だ。
ポール=オースターが、80歳になったときの自分を
どうイメージしていたかについて、青山さんの想像がかかれている。
その内容というより、「80歳になったら」というタイトルをみて、
わたしは自分が80歳になったときのことのイメージを、
まったくもっていないことにはじめて気づいた。
あと30年もたつと、生きているかぎり80歳になるわけで、
そのときの自分がどんなコンディションになっているか。
痴呆がでているかもしれない。オムツをしているかもしれない。
スタスタあるけなくなって、車いすにのっているかもしれない。
だれかの介護をうけているかもしれない。
いれ歯ばかりでよくものをかめなくなっているかもしれない。
歳をとればかならずついてくる「老化現象」を、
自分のこととしてかんがえたことがなかった。
80歳になったとき、気のあう友だちはいるだろうか。
すこしぐらいはおこづかいをもっているだろうか。
80歳から逆算していまの生活をくみたてるなんて とてもできないけど、
たのしい生活をおくれないようでは なんのためのなが生きかわからない。
すこしぐらいは自分の老後をイメージしておいたほうがよさそうだ。
2014年04月16日
『人にはどれだけの物が必要か』(鈴木孝夫)地球をすくうため「かわずにひろう、すてずになおす」
『人にはどれだけの物が必要か』(鈴木孝夫・新潮文庫)
タイトルどおりの内容だけど、そのめざすところはふかい。
すくないものでやりくりするのは地球をすくうためで、
鈴木氏は自分のことを「地救(球)人」となのっておられる。
朝は散歩がてらにゴミをひろう。古新聞は家にもちかえって、
ある程度たまってから業者へもっていく。
自分の家にはいったものは、ぜったいにゴミにしない。
紙はレシートにいたるまで資源用にわける。
ゴミすて場をみてまわり、つかえるものはもってかえり、
自分でつかったり、なおしてひとにあげたり。
いまつかっている腕時計は、1950年に親戚からもらったものだし、
カバンはなくなったお父さんのものを修理しながらつかっている。
なにしろ、本書の帯にあるのが「買わずに拾え、捨てずに直せ」だ。
犬やネコはペット用のエサをあたえるのではなく、
残飯でそだてろという。
構内のあかりをけしてまわり、おちているアキカンを
いっしょにひろおうと学生に声をかける。
革製のハンドバッグがすててあれば、とうぜん修理してひとにあげる。
人間のためにいのちをうしなった動物にたいする感謝の気もちからだ。
かわりもののおじさん、あるいは
巨大産業文明にいどむドン・キホーテにみえる鈴木氏のおこないは、
すべて資源をむだにしないためで、
そのさきには環境破壊に加担しないというかんがえがある。
世界じゅうでおきている環境破壊が報告され、アマゾンのジャングルがきえ、
北極の氷がとけていることがつたえられるけど、
それに対応するのは科学や政府の責任とおもっているひとがおおい。
そうではなくて、ひとりひとりの価値観・生きかたをかえていかないかぎり、
これらの環境破壊はぜったいになくならないと鈴木氏はかんがえている。
「自分のやっていることが、地球に対して有害ではないか、
地球に食い込んでいはいないか、という原理を
企業も個人も考えることです。(中略)
それを無視すると、人間の乗っている地球船がひっくり返るという形の
カタストロフィが早晩起きる」
たとえば、として、そこらじゅうにおいてある自動販売機はほんとうに必要なのかと鈴木氏はいう。
ものすごくたくさんの電気をつかうことになるし、からだにもよくない。
つかわれている容器も問題がある。
「アルミのカンをつくるために、
南方でボーキサイトの鉱山を開発し、それを精錬し、
船で日本に運んできて、電力の缶詰と言われるぐらいに電力を使っている。
公害とかエネルギーとか梱包とか汚染とか、
ありとあらゆるものが一個のカンについている。
それをちょっと飲んで、ポイっと道に捨てる。
アルミカンの公害というのは、都市の美観を損なうなんてものじゃない。
遥かに重大な地球に対する負荷の問題なのです」
この本は、梅棹さんの『わたしの生きがい論』でいわれていた壁への衝突を、
個人レベルで対応している実践編だ。
とはいえ、人類が壁にむかってすすんでいるという危機感はおなじでも、
それを解決しようという方法はぜんぜんちがう。
『わたしの生きがい論』では、無為無能になることがすすめてあった。
鈴木氏は、価値観をかえようと、精神論にむかっている。
「とにかく、日本は勿論、世界的に経済のレベルを下げるべきだ。
どこまで下げればいいのか。『ハダシになれ。ハダカになれ』というのは駄目です。
だけど、そこまで下げても、慣れれば何ともないという
10パーセントか20パーセントかは、簡単に下げられる。(中略)
啓蒙と適当な法律、適当な値上げなどで、
いまの浪費を減らすようにして、10パーセント、20パーセントは下げられる。
しかし下げたって、地球の荒廃は絶対的には止まらない。
そこで哲学者が登場して、人間というのは
どのように生きればいいのかという問題を、
国家的にも、学問的にももっと真剣に考える必要があるのです」
それができれば、とおもう。
しかし、いったん身につけた生活レベルをさげられないのが人間ではないのか。
水不足で米がみのらなかったときは、
タイからきた米にもんくをいい(たべものがあるだけありがたいはずなのに)、
地震で流通がとだえ、スーパーにものがならばなくなると、かいしめする。
アメリカ産の牛肉がはいらなくなり、
吉野家がメニューから牛丼をはずしただけでおおさわぎになった。
コーヒーやハンバーガーが100円なんて、
どうかんがえてもやすすぎる値段なのに、
いつのまにかそれをあたりまえとおもってしまう。
生活レベルを10パーセントさげようと もし日本政府がいえば、
ものすごい抵抗をうけるのではないか。
個人的な試練はうけいれることができても、
ひとに命令され、社会全体でとりくむことがどれだけむつかしいか。
できることをやろう、という鈴木氏の提案はよくわかる。
しかし、それがひろがりをもたないのがこれまでの日本であり、世界だった。
個人レベルのとりくみが、なかなかひろがりをもたないことについて、
鈴木氏はもどかしがっておられるようにみえる。
「あとがき」には、意外なことに、
この本はスラスラかかれたわけではないとある。
自分には生きかたを論じるなんて
問題がおおきすぎ、手にあまるとおもっておられたそうだ。
いろんなかんがえをあたまにうかべても、そんなことは無理だと、
そばにいる自分がすぐさま否定する。問題が複雑すぎるのだ。
それではいつまでたってもさきへすすめないので、
ブレーン・ストーミングの方法をとりいれ、どんなアイデアについても
マイナスな点には注意をむけないという姿勢をつらぬくことにして、
ようやくまとめることができたという。
「現在の複雑きわまる社会では、一見単純に見える事柄でも、
ひとたびそれを取り上げ考え出すと、それこそ切りのないほど、
他のすべてと繋がっていることに気付かされるのである。
その時点で多くの人は、問題解決の余りの難しさを今更のように悟り、
残念だがどうにも仕様がないと諦めてしまうのだと思う」
鈴木氏は、生きていることがたのしくてしかたがないそうだ。
「『自分流の生き方のお陰で、幸福でたまりません。
毎日、朝起きて寝るまで、嬉しくてしょうがない。
雨が降っても楽しいし、風が吹いてもたのしい。
私は生きていて、本当によかった。
この地球は素晴らしい』という実感を臆面もなく言えます」
「盆暮のお中元、お歳暮はしない。
バーや焼鳥屋も行ったことがない。
赤提灯の暖簾をくぐったこともない。
いっぺん行きたいと思っていたキャバレーは、そのうちなくなってしまった。
競馬も競輪もゴルフもやったことがない。
碁も将棋もしたことがない。
その代わり、ほかの人がやっていないことだけする。
すごく楽です。金もいらない。時間は山ほどある」
鈴木氏は、地球を自分のものと とらえられている。
自分の地球だから大切にする。
こんなすばらしいひとが日本にいて、
地球をまもることを生活のなかで
ずっと実践してこられてきたことをわたしはしらなかった。
鈴木氏の生きかたをみらなうのに、才能はいらない。
ただ自分の行動が、地球の負担になっていないかを気にかければいい。
ゴミをひろったり、あたらしいものをかわなかったりと、
大学教授とはとてもおもえないような生きかたを
ずっとつづけてこられたのだから、鈴木氏のいわれていることには説得力がある。
わたしは、梅棹さんのいわれる「無為無能」を実践しているところだけれど、
鈴木氏のこの地道なとりくみにもまた、つよくひかれた。
ひととおなじでなくても、地球をまもるためなら
多少まずしくなるくらいはうけいれよう。
「あまちゃん」で有名になったことばに
「ダサイくらいなんだよ、がまんしろよ」がある。
おなじ気もちにわたしもなろう。
地球のためだ。ちょっとかっこわるいくらいなんだ、がまんしよう。
タイトルどおりの内容だけど、そのめざすところはふかい。
すくないものでやりくりするのは地球をすくうためで、
鈴木氏は自分のことを「地救(球)人」となのっておられる。
朝は散歩がてらにゴミをひろう。古新聞は家にもちかえって、
ある程度たまってから業者へもっていく。
自分の家にはいったものは、ぜったいにゴミにしない。
紙はレシートにいたるまで資源用にわける。
ゴミすて場をみてまわり、つかえるものはもってかえり、
自分でつかったり、なおしてひとにあげたり。
いまつかっている腕時計は、1950年に親戚からもらったものだし、
カバンはなくなったお父さんのものを修理しながらつかっている。
なにしろ、本書の帯にあるのが「買わずに拾え、捨てずに直せ」だ。
犬やネコはペット用のエサをあたえるのではなく、
残飯でそだてろという。
構内のあかりをけしてまわり、おちているアキカンを
いっしょにひろおうと学生に声をかける。
革製のハンドバッグがすててあれば、とうぜん修理してひとにあげる。
人間のためにいのちをうしなった動物にたいする感謝の気もちからだ。
かわりもののおじさん、あるいは
巨大産業文明にいどむドン・キホーテにみえる鈴木氏のおこないは、
すべて資源をむだにしないためで、
そのさきには環境破壊に加担しないというかんがえがある。
世界じゅうでおきている環境破壊が報告され、アマゾンのジャングルがきえ、
北極の氷がとけていることがつたえられるけど、
それに対応するのは科学や政府の責任とおもっているひとがおおい。
そうではなくて、ひとりひとりの価値観・生きかたをかえていかないかぎり、
これらの環境破壊はぜったいになくならないと鈴木氏はかんがえている。
「自分のやっていることが、地球に対して有害ではないか、
地球に食い込んでいはいないか、という原理を
企業も個人も考えることです。(中略)
それを無視すると、人間の乗っている地球船がひっくり返るという形の
カタストロフィが早晩起きる」
たとえば、として、そこらじゅうにおいてある自動販売機はほんとうに必要なのかと鈴木氏はいう。
ものすごくたくさんの電気をつかうことになるし、からだにもよくない。
つかわれている容器も問題がある。
「アルミのカンをつくるために、
南方でボーキサイトの鉱山を開発し、それを精錬し、
船で日本に運んできて、電力の缶詰と言われるぐらいに電力を使っている。
公害とかエネルギーとか梱包とか汚染とか、
ありとあらゆるものが一個のカンについている。
それをちょっと飲んで、ポイっと道に捨てる。
アルミカンの公害というのは、都市の美観を損なうなんてものじゃない。
遥かに重大な地球に対する負荷の問題なのです」
この本は、梅棹さんの『わたしの生きがい論』でいわれていた壁への衝突を、
個人レベルで対応している実践編だ。
とはいえ、人類が壁にむかってすすんでいるという危機感はおなじでも、
それを解決しようという方法はぜんぜんちがう。
『わたしの生きがい論』では、無為無能になることがすすめてあった。
鈴木氏は、価値観をかえようと、精神論にむかっている。
「とにかく、日本は勿論、世界的に経済のレベルを下げるべきだ。
どこまで下げればいいのか。『ハダシになれ。ハダカになれ』というのは駄目です。
だけど、そこまで下げても、慣れれば何ともないという
10パーセントか20パーセントかは、簡単に下げられる。(中略)
啓蒙と適当な法律、適当な値上げなどで、
いまの浪費を減らすようにして、10パーセント、20パーセントは下げられる。
しかし下げたって、地球の荒廃は絶対的には止まらない。
そこで哲学者が登場して、人間というのは
どのように生きればいいのかという問題を、
国家的にも、学問的にももっと真剣に考える必要があるのです」
それができれば、とおもう。
しかし、いったん身につけた生活レベルをさげられないのが人間ではないのか。
水不足で米がみのらなかったときは、
タイからきた米にもんくをいい(たべものがあるだけありがたいはずなのに)、
地震で流通がとだえ、スーパーにものがならばなくなると、かいしめする。
アメリカ産の牛肉がはいらなくなり、
吉野家がメニューから牛丼をはずしただけでおおさわぎになった。
コーヒーやハンバーガーが100円なんて、
どうかんがえてもやすすぎる値段なのに、
いつのまにかそれをあたりまえとおもってしまう。
生活レベルを10パーセントさげようと もし日本政府がいえば、
ものすごい抵抗をうけるのではないか。
個人的な試練はうけいれることができても、
ひとに命令され、社会全体でとりくむことがどれだけむつかしいか。
できることをやろう、という鈴木氏の提案はよくわかる。
しかし、それがひろがりをもたないのがこれまでの日本であり、世界だった。
個人レベルのとりくみが、なかなかひろがりをもたないことについて、
鈴木氏はもどかしがっておられるようにみえる。
「あとがき」には、意外なことに、
この本はスラスラかかれたわけではないとある。
自分には生きかたを論じるなんて
問題がおおきすぎ、手にあまるとおもっておられたそうだ。
いろんなかんがえをあたまにうかべても、そんなことは無理だと、
そばにいる自分がすぐさま否定する。問題が複雑すぎるのだ。
それではいつまでたってもさきへすすめないので、
ブレーン・ストーミングの方法をとりいれ、どんなアイデアについても
マイナスな点には注意をむけないという姿勢をつらぬくことにして、
ようやくまとめることができたという。
「現在の複雑きわまる社会では、一見単純に見える事柄でも、
ひとたびそれを取り上げ考え出すと、それこそ切りのないほど、
他のすべてと繋がっていることに気付かされるのである。
その時点で多くの人は、問題解決の余りの難しさを今更のように悟り、
残念だがどうにも仕様がないと諦めてしまうのだと思う」
鈴木氏は、生きていることがたのしくてしかたがないそうだ。
「『自分流の生き方のお陰で、幸福でたまりません。
毎日、朝起きて寝るまで、嬉しくてしょうがない。
雨が降っても楽しいし、風が吹いてもたのしい。
私は生きていて、本当によかった。
この地球は素晴らしい』という実感を臆面もなく言えます」
「盆暮のお中元、お歳暮はしない。
バーや焼鳥屋も行ったことがない。
赤提灯の暖簾をくぐったこともない。
いっぺん行きたいと思っていたキャバレーは、そのうちなくなってしまった。
競馬も競輪もゴルフもやったことがない。
碁も将棋もしたことがない。
その代わり、ほかの人がやっていないことだけする。
すごく楽です。金もいらない。時間は山ほどある」
鈴木氏は、地球を自分のものと とらえられている。
自分の地球だから大切にする。
こんなすばらしいひとが日本にいて、
地球をまもることを生活のなかで
ずっと実践してこられてきたことをわたしはしらなかった。
鈴木氏の生きかたをみらなうのに、才能はいらない。
ただ自分の行動が、地球の負担になっていないかを気にかければいい。
ゴミをひろったり、あたらしいものをかわなかったりと、
大学教授とはとてもおもえないような生きかたを
ずっとつづけてこられたのだから、鈴木氏のいわれていることには説得力がある。
わたしは、梅棹さんのいわれる「無為無能」を実践しているところだけれど、
鈴木氏のこの地道なとりくみにもまた、つよくひかれた。
ひととおなじでなくても、地球をまもるためなら
多少まずしくなるくらいはうけいれよう。
「あまちゃん」で有名になったことばに
「ダサイくらいなんだよ、がまんしろよ」がある。
おなじ気もちにわたしもなろう。
地球のためだ。ちょっとかっこわるいくらいなんだ、がまんしよう。
2014年04月15日
『わたしの生きがい論』(梅棹忠夫)「無為無能のすすめ」進歩で解決できるとおもうのは、あまい
『わたしの生きがい論』(梅棹忠夫・講談社)
「生きがい」についての、いくつかの講演をあつめた本だ。
はじめてよんだとき、わたしはもう、ほんとうにおどろいてしまった。
「生きがい」なんかもたないほうがいいのではないか、
がんばって仕事をしてはいけないのではないか、という内容なのだ。
「生きがい」の構造を、目的を設定し、それにむかって努力すること、
としてとらえると、
どんなことにでも「生きがい」をもてることになる。
できるけど、それでよろしいか、というのが梅棹さんのといかけだ。
企業にしてみると、目的を達成したときの成果をじょうずにしめしたら、
だれにでも生きがいをもたすことができるという おいしいはなしだ。
仕事を生きがいとして社員にはたらいてもらえば業績がのびる。
企業のいいなりでいいのか、という意味だけではない。
人類全体、全地球的な規模でかんがえたときに、
これまで進歩とおもってやってきたことが、
自分たちの首をしめてきたのではないか。
たとえば科学が発展し、医学は進歩し、ひとはなかなか死ななくなった。
その結果、人口はどんどんふえ、水も食料もたりなくなっている。
また、個人としては生きがいをもってはたらいたにすぎないのに、
その結果としておおすぎる製品がうまれ、世界じゅうの環境に影響をおよぼした。
「われわれの存在自体がわれわれの存在にとって有害なんだという、
そういう奇妙なことにさえもなりかねない」
日本やほかの先進国は、そうして発展できたから、まだいいかもしれない。
しかし、これから工業化をすすめようとしている国が、まだまだたくさんある。
中国でうまれたPM2.5が日本にも影響するように、
ひとつの問題がその国だけでおさまる状況ではもはやない。
地域をこえて、全地球的な規模で運命を共有するという段階をむかえている。
これまでは進歩することで
すべてが解決できるとおもってきたけれど、
ずっここのまま未来がひらけているとおもうのは、あまいですよ、
と梅棹さんはいう。
問題があまりにもむつかしすぎ、だれも調整ができない。
生物が生きるためには酸素がいる。
その酸素をつくりだしてくれるのは植物だけだ。
世界の森林をきりひらき、開発をすすめることと、
酸素の供給量を確保するために、森林の面積を維持することの調整は
だれにもできない。
温室効果ガスの排出量をへらそうと、
それぞれの国に目標値をわりふってもなかなかうまくいかない。
問題がむつかしすぎるのだ。
壁はもう、そこまできている。
このままアクセルをふみつづけていては、
はげしく壁にぶつかって人類がいっぺんに滅亡の危機に直面するかもしれない。
いつかは壁にぶつかるとしても、
いまわれわれにできることは、アクセルから足をはなし、
ブレーキをふむしかない。
講演がすすむについれて、会場がしずまりかえっていくようすがつたわってくる。
はじめはいろいろ質問や意見がでていたけれど、
あまりにもくらい未来にことばをなくしていく。
梅棹さんがブレーキをかける方法としてうちだすのが
「無為無能のすすめ」だ。
なにか問題がおきたとき、それを科学のちからで解決しようと
人類は知恵をしぼってきた。
しかし、そのこと自体が、さらに問題を複雑にしてしまったのではないか。
一生懸命にはたらけばうまくいくという段階ではもはやない。
一生懸命にがんばることが、よけいに状況をわるくする。
なにもしないほうがましだ。
いかにしてがんばって仕事をやるかという問題ではなくて、
いかにして仕事をしないですませるか、ということが大切になってきた。
そうはいっても、時間とエネルギーがあるわけだから、
それらをじょうずにつぶしていく必要がある。
それが本当の意味での教養かもしれないという。
「人生をつぶす」というかんがえ方で、あそぶことこそが大切になってくる。
じょうずにあそんで一生をおえる。
「ないもしないでおこう。ものをつくるなら、
なんにも役にたたないものをつくろう」
この講演がおこなわれた当時、
梅棹さんがわかものに期待したのは「創造ばなれ」だ。
「創造でしたら、だいたいいままでもやってきました。似たようなことです。
どうせ、そんなにたいしたものはでてきやしません。(中略)
わたしがもしなにかに期待しているとすれば、
それは、そんな創造なんていうようなことを
やめてしまったひとの生きかたなんです。(中略)
われわれができなかったことは、創造しないということなんです」
講演から40年がたち、「壁」はいよいよあつくそびえ、まぢかにせまってきた。
人類は、どのように壁にぶつかるのか。あるいは回避することができるのか。
わたしには、創造ばなれや「人生をつぶす」かんがえ方はまだまだ一般的でなく、
あいかわらず進歩することに価値がおかれているようにみえる。
地球にとって、また、われわれ自身にとって、
われわれの存在が有害であるとしても、
はやくほろびてしまったほうがいいとは、いいたくない。
なんとかブレーキをふみつづけ、最悪のぶつかり方をさけられないものか。
「生きがい」についての、いくつかの講演をあつめた本だ。
はじめてよんだとき、わたしはもう、ほんとうにおどろいてしまった。
「生きがい」なんかもたないほうがいいのではないか、
がんばって仕事をしてはいけないのではないか、という内容なのだ。
「生きがい」の構造を、目的を設定し、それにむかって努力すること、
としてとらえると、
どんなことにでも「生きがい」をもてることになる。
できるけど、それでよろしいか、というのが梅棹さんのといかけだ。
企業にしてみると、目的を達成したときの成果をじょうずにしめしたら、
だれにでも生きがいをもたすことができるという おいしいはなしだ。
仕事を生きがいとして社員にはたらいてもらえば業績がのびる。
企業のいいなりでいいのか、という意味だけではない。
人類全体、全地球的な規模でかんがえたときに、
これまで進歩とおもってやってきたことが、
自分たちの首をしめてきたのではないか。
たとえば科学が発展し、医学は進歩し、ひとはなかなか死ななくなった。
その結果、人口はどんどんふえ、水も食料もたりなくなっている。
また、個人としては生きがいをもってはたらいたにすぎないのに、
その結果としておおすぎる製品がうまれ、世界じゅうの環境に影響をおよぼした。
「われわれの存在自体がわれわれの存在にとって有害なんだという、
そういう奇妙なことにさえもなりかねない」
日本やほかの先進国は、そうして発展できたから、まだいいかもしれない。
しかし、これから工業化をすすめようとしている国が、まだまだたくさんある。
中国でうまれたPM2.5が日本にも影響するように、
ひとつの問題がその国だけでおさまる状況ではもはやない。
地域をこえて、全地球的な規模で運命を共有するという段階をむかえている。
これまでは進歩することで
すべてが解決できるとおもってきたけれど、
ずっここのまま未来がひらけているとおもうのは、あまいですよ、
と梅棹さんはいう。
問題があまりにもむつかしすぎ、だれも調整ができない。
生物が生きるためには酸素がいる。
その酸素をつくりだしてくれるのは植物だけだ。
世界の森林をきりひらき、開発をすすめることと、
酸素の供給量を確保するために、森林の面積を維持することの調整は
だれにもできない。
温室効果ガスの排出量をへらそうと、
それぞれの国に目標値をわりふってもなかなかうまくいかない。
問題がむつかしすぎるのだ。
壁はもう、そこまできている。
このままアクセルをふみつづけていては、
はげしく壁にぶつかって人類がいっぺんに滅亡の危機に直面するかもしれない。
いつかは壁にぶつかるとしても、
いまわれわれにできることは、アクセルから足をはなし、
ブレーキをふむしかない。
講演がすすむについれて、会場がしずまりかえっていくようすがつたわってくる。
はじめはいろいろ質問や意見がでていたけれど、
あまりにもくらい未来にことばをなくしていく。
梅棹さんがブレーキをかける方法としてうちだすのが
「無為無能のすすめ」だ。
なにか問題がおきたとき、それを科学のちからで解決しようと
人類は知恵をしぼってきた。
しかし、そのこと自体が、さらに問題を複雑にしてしまったのではないか。
一生懸命にはたらけばうまくいくという段階ではもはやない。
一生懸命にがんばることが、よけいに状況をわるくする。
なにもしないほうがましだ。
いかにしてがんばって仕事をやるかという問題ではなくて、
いかにして仕事をしないですませるか、ということが大切になってきた。
そうはいっても、時間とエネルギーがあるわけだから、
それらをじょうずにつぶしていく必要がある。
それが本当の意味での教養かもしれないという。
「人生をつぶす」というかんがえ方で、あそぶことこそが大切になってくる。
じょうずにあそんで一生をおえる。
「ないもしないでおこう。ものをつくるなら、
なんにも役にたたないものをつくろう」
この講演がおこなわれた当時、
梅棹さんがわかものに期待したのは「創造ばなれ」だ。
「創造でしたら、だいたいいままでもやってきました。似たようなことです。
どうせ、そんなにたいしたものはでてきやしません。(中略)
わたしがもしなにかに期待しているとすれば、
それは、そんな創造なんていうようなことを
やめてしまったひとの生きかたなんです。(中略)
われわれができなかったことは、創造しないということなんです」
講演から40年がたち、「壁」はいよいよあつくそびえ、まぢかにせまってきた。
人類は、どのように壁にぶつかるのか。あるいは回避することができるのか。
わたしには、創造ばなれや「人生をつぶす」かんがえ方はまだまだ一般的でなく、
あいかわらず進歩することに価値がおかれているようにみえる。
地球にとって、また、われわれ自身にとって、
われわれの存在が有害であるとしても、
はやくほろびてしまったほうがいいとは、いいたくない。
なんとかブレーキをふみつづけ、最悪のぶつかり方をさけられないものか。
2014年04月14日
よむまえの「感想」とはぜんぜんちがっていた じっさいの『驚くべき日本語』
『驚くべき日本語』(ロジャー=パルバース・集英社インターナショナル)
きのうは新聞にのった書評をよんだだけで、
本の内容を想像し、「感想」をかいた。
じっさいは、どんなことがかいてある本なのだろう。
さいわい近所の本屋さんにあったので、すぐにかってよんでみる。
残念ながら、書評から予想していたのとはほとんどちがう内容で、
わたしとしては かたすかしをくったかんじだ。
「まえがき」であっさりと
「日本語の読み書きが非常にむずかしいというのはたしかです。
日本人にとってさえ、そうでしょう。
わたしはただ、この本では基本的に『話し言葉』としての日本語について
考えてみたいと思います」
と、この本は「話し言葉」としての話題にとどまることを宣言されてしまう。
わたしが予想していた「漢字がなければ」という記述はどこにもなかった。
著者のロジャー=パルバース氏は、ながねん日本にすみ、
日本文学にしたしまれている方のようだ。
構成をみると、
第1章 言葉とは何か
第2章 日本語は曖昧でもむずかしい言語でもない
第3章 日本語ー驚くべき柔軟性をもった世界にもまれな言語
第4章 世界に誇る美しい響きの日本語とは
となっており、まるで言語学者がかいたような内容だ。
・日本語は「かな」を足すだけで、別のニュアンスを加えられる
・日本語の名詞は「てにをは」を使うだけでどんな格にもなれる
など、日本語の(はなしことばとしての)特徴がこまかくのべられている。
非常に専門的にみえるが、それがただしいのかどうかは
わたしには判断がつかない。
ただ、研究者は「世界に誇る」なんて表現はつかわない。
著者はようするに日本語がだいすきな外国人であり、
なにかにつけて日本語のすばらしさを強調している。
最後の第5章は「世界語(リンガ・フランカ)としての日本語」となっている。
「もし日本語が植民地で国際語化していたら、
日本語はどうなっていたか?」
という「もし」には興味があるところだ。
しかし、タイトルとはたいして関係ないことがかいてあり、
ここでもわたしが期待していた内容はなかった。
おわりのほうで、かろうじて かくときの日本語についてふれている。
「この本はおもに日本語の話し言葉について考えてきましたが、
もちろん書き言葉のことも考慮しなければならないでしょう」
とある。
しかし、
「たしかに書き言葉としての日本語は、
漢字に多くの読み方があることから、
日本人にとっても非日本人にとっても一筋縄ではいかないくらい
むずかしいと思います。
たとえ日本語が他の国々に広がっていったとしても、
おそらくローマ字のアルファベットか、
よりありえることとして、カナとローマ字を併用することになったかもしれません」
と、それだけにとどまっている。
わたしとしては、世界語としての日本語についてかくのであれば、
表記法をどうするのかまで ろんじてほしかった。
はなしことばだけがひろまることなど、じっさいにないわけで、
ことばをならうときには、いっしょにかきことばにも当然ふれることになる。
そのときに、どういうかたちなら、日本人でないひとが
日本語をまなびやすいかについての、現実的な提案を期待していた。
さいごに、
「日本語が非日本人にとって、学習したり使いこなしたりするのに
むずかしくない言語であることを思えば、
日本語が世界の共通言語(リンガ・フランカ)の一つとして
非常に重要な役割を果たすに違いないと思います」
とし、それには
「ある二つの条件がみたされれば」
と著者はつづけている。
そのふたつとは、いったいなにか。
ひとつ目は
「日本人が、日本語はある種の『特別な』暗号、
日本民族の意思伝達にのみ有効な暗号だという誤った考えを捨てることです」
これはわかる(そんなこと、おもったこともないけど)。
ふたつ目は
「日本人として、日本語の美しさの本質が、
日本の詩人や作家たちが創造してきた奇跡のような描写、
世界や人間の本質についての表現にあるということに気づくことです」
これはいったいなにがいいたいのだろう。
こんなふうに、著者のかく日本語は、すこしずつどこかずれている。
自分がもとめていることがかいてないからといって、
やつあたりをしてはならないだろう。
きのうのブログは我田引水がすぎたのだ。
しかし(しつこい!)、表記法にふれずにおいて、
いったいどうリンガ・フランカの可能性をいえるのか。
書評にひかれてよんでみた『驚くべき日本語』は、
とくにおどろくべき内容ではなかった。
書評氏は、なにがかいてあるのか
ほんとうに理解して紹介したのだろうか。
よんでもいないのに、書評から想像して「感想」をかくなんてするから、
へんなことになってしまった。
自分から小石に足をひっかけておいて・・・、いや、もうやめておこう。
まあ、わたしがおもっているような内容の本だったら
あたらしい本として いまさらかかれるまでもないだろうし、
わたしもまた、わざわざかう必要もない。
期待はずれで内容にも共感できなかったけど、
自分のあさはかさをいましめる一冊となった。
きのうは新聞にのった書評をよんだだけで、
本の内容を想像し、「感想」をかいた。
じっさいは、どんなことがかいてある本なのだろう。
さいわい近所の本屋さんにあったので、すぐにかってよんでみる。
残念ながら、書評から予想していたのとはほとんどちがう内容で、
わたしとしては かたすかしをくったかんじだ。
「まえがき」であっさりと
「日本語の読み書きが非常にむずかしいというのはたしかです。
日本人にとってさえ、そうでしょう。
わたしはただ、この本では基本的に『話し言葉』としての日本語について
考えてみたいと思います」
と、この本は「話し言葉」としての話題にとどまることを宣言されてしまう。
わたしが予想していた「漢字がなければ」という記述はどこにもなかった。
著者のロジャー=パルバース氏は、ながねん日本にすみ、
日本文学にしたしまれている方のようだ。
構成をみると、
第1章 言葉とは何か
第2章 日本語は曖昧でもむずかしい言語でもない
第3章 日本語ー驚くべき柔軟性をもった世界にもまれな言語
第4章 世界に誇る美しい響きの日本語とは
となっており、まるで言語学者がかいたような内容だ。
・日本語は「かな」を足すだけで、別のニュアンスを加えられる
・日本語の名詞は「てにをは」を使うだけでどんな格にもなれる
など、日本語の(はなしことばとしての)特徴がこまかくのべられている。
非常に専門的にみえるが、それがただしいのかどうかは
わたしには判断がつかない。
ただ、研究者は「世界に誇る」なんて表現はつかわない。
著者はようするに日本語がだいすきな外国人であり、
なにかにつけて日本語のすばらしさを強調している。
最後の第5章は「世界語(リンガ・フランカ)としての日本語」となっている。
「もし日本語が植民地で国際語化していたら、
日本語はどうなっていたか?」
という「もし」には興味があるところだ。
しかし、タイトルとはたいして関係ないことがかいてあり、
ここでもわたしが期待していた内容はなかった。
おわりのほうで、かろうじて かくときの日本語についてふれている。
「この本はおもに日本語の話し言葉について考えてきましたが、
もちろん書き言葉のことも考慮しなければならないでしょう」
とある。
しかし、
「たしかに書き言葉としての日本語は、
漢字に多くの読み方があることから、
日本人にとっても非日本人にとっても一筋縄ではいかないくらい
むずかしいと思います。
たとえ日本語が他の国々に広がっていったとしても、
おそらくローマ字のアルファベットか、
よりありえることとして、カナとローマ字を併用することになったかもしれません」
と、それだけにとどまっている。
わたしとしては、世界語としての日本語についてかくのであれば、
表記法をどうするのかまで ろんじてほしかった。
はなしことばだけがひろまることなど、じっさいにないわけで、
ことばをならうときには、いっしょにかきことばにも当然ふれることになる。
そのときに、どういうかたちなら、日本人でないひとが
日本語をまなびやすいかについての、現実的な提案を期待していた。
さいごに、
「日本語が非日本人にとって、学習したり使いこなしたりするのに
むずかしくない言語であることを思えば、
日本語が世界の共通言語(リンガ・フランカ)の一つとして
非常に重要な役割を果たすに違いないと思います」
とし、それには
「ある二つの条件がみたされれば」
と著者はつづけている。
そのふたつとは、いったいなにか。
ひとつ目は
「日本人が、日本語はある種の『特別な』暗号、
日本民族の意思伝達にのみ有効な暗号だという誤った考えを捨てることです」
これはわかる(そんなこと、おもったこともないけど)。
ふたつ目は
「日本人として、日本語の美しさの本質が、
日本の詩人や作家たちが創造してきた奇跡のような描写、
世界や人間の本質についての表現にあるということに気づくことです」
これはいったいなにがいいたいのだろう。
こんなふうに、著者のかく日本語は、すこしずつどこかずれている。
自分がもとめていることがかいてないからといって、
やつあたりをしてはならないだろう。
きのうのブログは我田引水がすぎたのだ。
しかし(しつこい!)、表記法にふれずにおいて、
いったいどうリンガ・フランカの可能性をいえるのか。
書評にひかれてよんでみた『驚くべき日本語』は、
とくにおどろくべき内容ではなかった。
書評氏は、なにがかいてあるのか
ほんとうに理解して紹介したのだろうか。
よんでもいないのに、書評から想像して「感想」をかくなんてするから、
へんなことになってしまった。
自分から小石に足をひっかけておいて・・・、いや、もうやめておこう。
まあ、わたしがおもっているような内容の本だったら
あたらしい本として いまさらかかれるまでもないだろうし、
わたしもまた、わざわざかう必要もない。
期待はずれで内容にも共感できなかったけど、
自分のあさはかさをいましめる一冊となった。
2014年04月13日
『驚くべき日本語』ただし、はなすことにかぎれば(漢字さえなければ)
朝日新聞の書評欄に『驚くべき日本語』(集英社インターナショナル)
という本がとりあげられていた。
著者のロジャー=パルバース氏は、4つのことばをあやつれると紹介されている。
いくつものことばをしる外国人が、
客観的に日本語をみたときの特徴がかかれているようだ。
まだよんでいないのに、本の「感想」をかくのは調子のいいはなしだけど、
この書評をよんで想像したことをかいてみる。
日本語が おどろくほどわかりやすい、というのは、
ほんとうだとおもう。
日本人は、日本語について「あいまい」とか「非論理的」とかいうけれど、
つかっているひとが「あいまい」で「非論理的」なだけで、
日本語のせいではない。
そうやって自分たちを特殊な存在としておもいたがるのは、
日本人の特徴ではあるかもしれないが、日本語の特徴ではない。
発音も、むつかしくはない。
日本人には発音できない、あるいは発音しにくい音がたくさんあるけれど、
それは、それだけ日本語の発音がシンプルであるということのうらがえしだ。
外国人にとっていいにくいのは病院と美容院のように、
ながい音をどうあつかうか、の場合がおおいようだ。
書評のコピーには「世界言語にもなりうる可能性」とある。
そうだろうとおもう。
ただし、漢字がなければ、あるいは、ローマ字をつかえば、
という条件がつくのではないかと想像する。
はなすことにかぎれば、日本語はとてもかんたんに
ふかい内容をつたえらえることばだ。
しかし、かいたりよんだりということになると、
漢字の存在が障害になる。
外圧にたよるのは不本意だけど、日本人がいうよりも、
ほかのことばとくらべたうえで、著者のような外国人が指摘したほうが、
日本人の耳にはいりやすいのではないか。
「世界言語にもなりうる可能性」のあることばなのに、
漢字がじゃまをして道をとざしているなんて
なんてもったいないことか。
英語よりもずっとかんたんな日本語が世界にひろまれば、
それによりすくわれるひとがたくさんいるだろうし、
日本人にとってもありがたいはなしなのに。
いぜんよんだ本に、村上龍さんが「解説」をかいていた。
文庫本のいちばんさいごによくある「解説」のことだ。
あろうことか、村上龍さんはその本をよまずに「解説」をかいており、
そのことをことわったうえで、どうどうと「解説」してあった。
さすがに龍さんだと、わたしはすごく感心したわけで、
なにをするにもどうどうとしていれば、
たいていのことは どうにかなるという貴重な体験となった。
というわけで、この記事は、よんでいない本の感想だ。
『驚くべき日本語』というタイトルにうれしくなりながらも、
「漢字がなければ」という ただしがきがかくされているでは、と想像してかいた。
はやく本書をよんで、内容をたしかめたい。
という本がとりあげられていた。
著者のロジャー=パルバース氏は、4つのことばをあやつれると紹介されている。
いくつものことばをしる外国人が、
客観的に日本語をみたときの特徴がかかれているようだ。
まだよんでいないのに、本の「感想」をかくのは調子のいいはなしだけど、
この書評をよんで想像したことをかいてみる。
日本語が おどろくほどわかりやすい、というのは、
ほんとうだとおもう。
日本人は、日本語について「あいまい」とか「非論理的」とかいうけれど、
つかっているひとが「あいまい」で「非論理的」なだけで、
日本語のせいではない。
そうやって自分たちを特殊な存在としておもいたがるのは、
日本人の特徴ではあるかもしれないが、日本語の特徴ではない。
発音も、むつかしくはない。
日本人には発音できない、あるいは発音しにくい音がたくさんあるけれど、
それは、それだけ日本語の発音がシンプルであるということのうらがえしだ。
外国人にとっていいにくいのは病院と美容院のように、
ながい音をどうあつかうか、の場合がおおいようだ。
書評のコピーには「世界言語にもなりうる可能性」とある。
そうだろうとおもう。
ただし、漢字がなければ、あるいは、ローマ字をつかえば、
という条件がつくのではないかと想像する。
はなすことにかぎれば、日本語はとてもかんたんに
ふかい内容をつたえらえることばだ。
しかし、かいたりよんだりということになると、
漢字の存在が障害になる。
外圧にたよるのは不本意だけど、日本人がいうよりも、
ほかのことばとくらべたうえで、著者のような外国人が指摘したほうが、
日本人の耳にはいりやすいのではないか。
「世界言語にもなりうる可能性」のあることばなのに、
漢字がじゃまをして道をとざしているなんて
なんてもったいないことか。
英語よりもずっとかんたんな日本語が世界にひろまれば、
それによりすくわれるひとがたくさんいるだろうし、
日本人にとってもありがたいはなしなのに。
いぜんよんだ本に、村上龍さんが「解説」をかいていた。
文庫本のいちばんさいごによくある「解説」のことだ。
あろうことか、村上龍さんはその本をよまずに「解説」をかいており、
そのことをことわったうえで、どうどうと「解説」してあった。
さすがに龍さんだと、わたしはすごく感心したわけで、
なにをするにもどうどうとしていれば、
たいていのことは どうにかなるという貴重な体験となった。
というわけで、この記事は、よんでいない本の感想だ。
『驚くべき日本語』というタイトルにうれしくなりながらも、
「漢字がなければ」という ただしがきがかくされているでは、と想像してかいた。
はやく本書をよんで、内容をたしかめたい。
2014年04月12日
『愛、アムール』わたしに配偶者介護が どこまでつとまるだろう
『愛、アムール』(ミヒャエル=ハネケ監督・2012年・フランス)
オープニングで、カンヌ映画祭のパルム・ドール作品ということをしり、
心配になる。
なにしろ、あの『ブンミおじさん』に金をあたえたカンヌなのだ。
超たいくつ作品だったらどうしようか。
でも、ふつうにみれるリアリズムの作品で、
いったいなにがいいたいのかわからない 神秘的な時間にはらなかった。
とはいえ、ほんとうはなにをいいたかったのだろう。
パルム・ドールというぐらいだからふかい意味があったのだろうけど、
わたしには障害者介護、そして老老介護の映画としかみれなかった。
歳おいた音楽家であるジョルジュ(夫)とアンヌ(妻)夫妻は
子どもたちがすでに家をはなれ、いまはふたりでくらしている。
コンサートからもどって夕食をとっていたとき、
アンヌのようすがおかしくなる。
医者にみてもらうと手術をすすめられ、
リスクはひくいといわれていたのに右半身にマヒがのこり、
車いすにのってアンヌは家にもどってきた。
マヒはおもく、ほとんどすべての動作にジョルジュの手だすけが必要だ。
ジョルジュもすでに高齢で、足腰がたしかなわけではない。
ベッドやいすにうつるときの補助も、
ジョルジュの腰までどうにかなりそうで、みていてあぶなっかしい。
完全に夫に依存しなくては生活できなくなってしまった自分がくやしくて、
アンヌはときどきいらだちをみせる。
そのうちに、2ど目の発作がおこり、マヒがいっきょにすすんでしまった。
はなすことも不自由になり、痴呆の症状もでてくる。
食事もとろみをつけたゼリーを、スプーンで口もとまではこばなければ
自分ではたべれない。
やがて、「いたいー」という うったえしか 声にだせなくなっていく。
ヘルパーさんにたのめばいいのに、というのは日本人の発想で、
フランスにはそういう制度がないみたいだ。
看護婦さんが週に3回と、お医者さんが2週間に1回、と
ジョルジュがむすめにはなしていた。
シャワーや髪のセットは、べつにお金をはらって
ひとをやとわなくてはならない。
むすめがときどき心配して家によってくれるけど、
それで介護の負担がかるくなるわけではない。
心配してくれても、ジョルジュがしなければならないことにかわりはない。
マヒをもつ病人を、歳おいた配偶者ひとりで世話をすることが、
いかにたいへんかがつたわってくる。
なにしろトイレにいくのにも、ベッドにうつるのにも、
ジョルジュが手をかさなければ、アンヌひとりではできないのだ。
わたしとしては、おなじような介護を配偶者にできるだろうか、という
視点でずっとみていた。
また、自分にマヒがのこり、配偶者にみてもらわなければならない状況だって、
いくらでもおこりえる。あすはわが身だ。
ジョルジュは、ときにはいらつきをみせることがあっても、
客観的にいって、とてもよくアンヌにつきそっている。
しかし、アンヌの病状がすすみ、だんだんとできないことがふえ、
人格までかわってしまうとき、
ジョルジュはだれにもたよろうとせずに、
すべてをひとりでかかえこんでしまった。
舞台はフランスだけど、日本でもおおくの歳おいた夫婦が
おなじような状況におかれているとおもう。
身うちが、ひとりで介護するのは、
おたがいにどうしても無理がでてくる。
だれかがあいだにはいるしくみがなければ、
とてもわたしにはできそうにない。
なかなかおもたいものをこころにのこす作品であり、
身につまされてみていたけれど、収穫もあった。
「三つそろってポンっ」については、
『ポルトガル、ここに誕生す』のときにかいたとおりだ。
もういちど簡単に紹介すると、
自分だけのルールで3つなにかがそろったときに
「おおーっ」とひとりで悦にいることができる。
きょもまた3つ目がそろった。(以下、ネタバレ)
パートナーにマクラをおしつけて窒息死させる映画、というお題で、
『ベティ・ブルー』・『ミリオンダラー・ベイビー』
そしてこの『愛、アムール』だ。
そういう心境になるのは、こうした状況の場合さけがたいことで、
わりと普遍的な決着のつけかたなのだろう。
わたしもやってしまいそうでこわくなるけど、
日本のマクラはさいわいそういう目的には
あまりつかいがってがよくなさそうだ。
オープニングで、カンヌ映画祭のパルム・ドール作品ということをしり、
心配になる。
なにしろ、あの『ブンミおじさん』に金をあたえたカンヌなのだ。
超たいくつ作品だったらどうしようか。
でも、ふつうにみれるリアリズムの作品で、
いったいなにがいいたいのかわからない 神秘的な時間にはらなかった。
とはいえ、ほんとうはなにをいいたかったのだろう。
パルム・ドールというぐらいだからふかい意味があったのだろうけど、
わたしには障害者介護、そして老老介護の映画としかみれなかった。
歳おいた音楽家であるジョルジュ(夫)とアンヌ(妻)夫妻は
子どもたちがすでに家をはなれ、いまはふたりでくらしている。
コンサートからもどって夕食をとっていたとき、
アンヌのようすがおかしくなる。
医者にみてもらうと手術をすすめられ、
リスクはひくいといわれていたのに右半身にマヒがのこり、
車いすにのってアンヌは家にもどってきた。
マヒはおもく、ほとんどすべての動作にジョルジュの手だすけが必要だ。
ジョルジュもすでに高齢で、足腰がたしかなわけではない。
ベッドやいすにうつるときの補助も、
ジョルジュの腰までどうにかなりそうで、みていてあぶなっかしい。
完全に夫に依存しなくては生活できなくなってしまった自分がくやしくて、
アンヌはときどきいらだちをみせる。
そのうちに、2ど目の発作がおこり、マヒがいっきょにすすんでしまった。
はなすことも不自由になり、痴呆の症状もでてくる。
食事もとろみをつけたゼリーを、スプーンで口もとまではこばなければ
自分ではたべれない。
やがて、「いたいー」という うったえしか 声にだせなくなっていく。
ヘルパーさんにたのめばいいのに、というのは日本人の発想で、
フランスにはそういう制度がないみたいだ。
看護婦さんが週に3回と、お医者さんが2週間に1回、と
ジョルジュがむすめにはなしていた。
シャワーや髪のセットは、べつにお金をはらって
ひとをやとわなくてはならない。
むすめがときどき心配して家によってくれるけど、
それで介護の負担がかるくなるわけではない。
心配してくれても、ジョルジュがしなければならないことにかわりはない。
マヒをもつ病人を、歳おいた配偶者ひとりで世話をすることが、
いかにたいへんかがつたわってくる。
なにしろトイレにいくのにも、ベッドにうつるのにも、
ジョルジュが手をかさなければ、アンヌひとりではできないのだ。
わたしとしては、おなじような介護を配偶者にできるだろうか、という
視点でずっとみていた。
また、自分にマヒがのこり、配偶者にみてもらわなければならない状況だって、
いくらでもおこりえる。あすはわが身だ。
ジョルジュは、ときにはいらつきをみせることがあっても、
客観的にいって、とてもよくアンヌにつきそっている。
しかし、アンヌの病状がすすみ、だんだんとできないことがふえ、
人格までかわってしまうとき、
ジョルジュはだれにもたよろうとせずに、
すべてをひとりでかかえこんでしまった。
舞台はフランスだけど、日本でもおおくの歳おいた夫婦が
おなじような状況におかれているとおもう。
身うちが、ひとりで介護するのは、
おたがいにどうしても無理がでてくる。
だれかがあいだにはいるしくみがなければ、
とてもわたしにはできそうにない。
なかなかおもたいものをこころにのこす作品であり、
身につまされてみていたけれど、収穫もあった。
「三つそろってポンっ」については、
『ポルトガル、ここに誕生す』のときにかいたとおりだ。
もういちど簡単に紹介すると、
自分だけのルールで3つなにかがそろったときに
「おおーっ」とひとりで悦にいることができる。
きょもまた3つ目がそろった。(以下、ネタバレ)
パートナーにマクラをおしつけて窒息死させる映画、というお題で、
『ベティ・ブルー』・『ミリオンダラー・ベイビー』
そしてこの『愛、アムール』だ。
そういう心境になるのは、こうした状況の場合さけがたいことで、
わりと普遍的な決着のつけかたなのだろう。
わたしもやってしまいそうでこわくなるけど、
日本のマクラはさいわいそういう目的には
あまりつかいがってがよくなさそうだ。
2014年04月11日
人間にたよらない運転システムが必要だとおもったこと
職場から養護学校へおむかえにいくとちゅう、
うしろをはしっている車が わたしの車に追突してきた。
すぐにちかくのコンビニの駐車場にとめて
警察や保険会社などへ連絡する。
さいわい、どちらの車にのっている人間にもケガはなく、
車も、バンパーとうしろのドアがすこしへこんだ程度ですんだ。
相手方は65歳くらいの男性で、
すぐに自分のミスでぶつけたことをみとめ、
事後対応にも協力的だった。
たまたままえをはしる車への注意がおろそかになってのことで、
65歳という年齢は、関係ないのかもしれない。
それでも、事故をもらったほうとしては、
年配の方が運転する車への 不信感をつのらせることとなった。
このごろしんじられないような運転をする車をよくみかける。
信号の色にしたがって車をうごかせなかったり、
自分ひとりで道路をはしっているような運転だったり。
イラッとさせられる運転をしているのは
年配者のドライバーであることがおおく、
これから高齢者の運転による事故がふえるのではないかと
気になっていたところだ。
バスや電車をつかっての移動だけでは 不便すぎる過疎の県なので、
歳をとったからといって、自動車の運転をやめるひとは そうおおくないだろう。
これからの道路は、ますます危険なものになっていく。
すこしまえのブログに、文章はかけなくてあたりまえ、
とかいたけれど、
運転もまた、できないのがあたりまえなほど
本来むつかしい技術を要求しているのではないか。
このごろようやくぶつかるまえに急ブレーキがかかったり、
そもそも人間が運転しなくても、目的地まで
車がかってにつれていってくれるしくみもかんがえられている。
人間に運転をまかせていては、
ぜったいに事故がなくならないからだろう。
客観的には、ブレーキの改善など、車の性能がたかまり、
事故がおこりにくい車がつくられるようになっているし、
交通事故による死者数はだんだんへってきている。
シートベルトとエアバックが標準装備となり、もしぶつかったとしても、
のっている人間が大ケガをしないように改良がすすめられてきた。
車がひとにぶつかったときにも、
車がただ頑丈であってはひとが大ケガをしてしまうので、
ショックを吸収されるようなボディがつくられるようになっている。
ただ、いくら自分で注意して運転していても、
あいてがぶつかってくるのはどうしようもない。
さいごのきりふだは、人間が運転をしないですむシステムだ。
車の運転は、自分が慎重であることと、
まわりの運転者がみんな、まともな運転をしてくれる、
という信頼のもとになりたっている。
これから高齢者による運転がふえ、
正常な判断力を期待できなくなるとしたら、
あぶなっかしくて運転ができない。
いくら車の運転は危険ととなりあわせとはいえ、
事故をもらうのを覚悟してまでのりたくはないし、
そういう道路になってほしくない。
運転者にしめる高齢者ドライバーの割合はふえていくばかりであり、
人間にたよらない運転システムの導入が、どうしても必要になってくる。
高齢化については、介護の面からみた課題がよくかたられるけど、
ほかにも根本的な改革がもとめられる分野はおおいのではないか。
自動車の運転もそのなかのひとつで、
マナーや意識改革をいくらうったえても、
事故をへらすことはできない。
人間にたよらない運転システムなど、
あまりかんがえたことがなかったけど、
高齢化社会ではどうしても必要な機能だと
自分が事故をもらってはじめておもった。
もちろん、わたしにしても不注意からの事故はいくらでもおこりえる。
高齢化がわるいのではなく、自動車という存在がそもそも未熟なものだった、
とおもったほうがいいだろう。
自動車の運転をひとまかせにするのは、あまりにもリスクがたかい。
うしろをはしっている車が わたしの車に追突してきた。
すぐにちかくのコンビニの駐車場にとめて
警察や保険会社などへ連絡する。
さいわい、どちらの車にのっている人間にもケガはなく、
車も、バンパーとうしろのドアがすこしへこんだ程度ですんだ。
相手方は65歳くらいの男性で、
すぐに自分のミスでぶつけたことをみとめ、
事後対応にも協力的だった。
たまたままえをはしる車への注意がおろそかになってのことで、
65歳という年齢は、関係ないのかもしれない。
それでも、事故をもらったほうとしては、
年配の方が運転する車への 不信感をつのらせることとなった。
このごろしんじられないような運転をする車をよくみかける。
信号の色にしたがって車をうごかせなかったり、
自分ひとりで道路をはしっているような運転だったり。
イラッとさせられる運転をしているのは
年配者のドライバーであることがおおく、
これから高齢者の運転による事故がふえるのではないかと
気になっていたところだ。
バスや電車をつかっての移動だけでは 不便すぎる過疎の県なので、
歳をとったからといって、自動車の運転をやめるひとは そうおおくないだろう。
これからの道路は、ますます危険なものになっていく。
すこしまえのブログに、文章はかけなくてあたりまえ、
とかいたけれど、
運転もまた、できないのがあたりまえなほど
本来むつかしい技術を要求しているのではないか。
このごろようやくぶつかるまえに急ブレーキがかかったり、
そもそも人間が運転しなくても、目的地まで
車がかってにつれていってくれるしくみもかんがえられている。
人間に運転をまかせていては、
ぜったいに事故がなくならないからだろう。
客観的には、ブレーキの改善など、車の性能がたかまり、
事故がおこりにくい車がつくられるようになっているし、
交通事故による死者数はだんだんへってきている。
シートベルトとエアバックが標準装備となり、もしぶつかったとしても、
のっている人間が大ケガをしないように改良がすすめられてきた。
車がひとにぶつかったときにも、
車がただ頑丈であってはひとが大ケガをしてしまうので、
ショックを吸収されるようなボディがつくられるようになっている。
ただ、いくら自分で注意して運転していても、
あいてがぶつかってくるのはどうしようもない。
さいごのきりふだは、人間が運転をしないですむシステムだ。
車の運転は、自分が慎重であることと、
まわりの運転者がみんな、まともな運転をしてくれる、
という信頼のもとになりたっている。
これから高齢者による運転がふえ、
正常な判断力を期待できなくなるとしたら、
あぶなっかしくて運転ができない。
いくら車の運転は危険ととなりあわせとはいえ、
事故をもらうのを覚悟してまでのりたくはないし、
そういう道路になってほしくない。
運転者にしめる高齢者ドライバーの割合はふえていくばかりであり、
人間にたよらない運転システムの導入が、どうしても必要になってくる。
高齢化については、介護の面からみた課題がよくかたられるけど、
ほかにも根本的な改革がもとめられる分野はおおいのではないか。
自動車の運転もそのなかのひとつで、
マナーや意識改革をいくらうったえても、
事故をへらすことはできない。
人間にたよらない運転システムなど、
あまりかんがえたことがなかったけど、
高齢化社会ではどうしても必要な機能だと
自分が事故をもらってはじめておもった。
もちろん、わたしにしても不注意からの事故はいくらでもおこりえる。
高齢化がわるいのではなく、自動車という存在がそもそも未熟なものだった、
とおもったほうがいいだろう。
自動車の運転をひとまかせにするのは、あまりにもリスクがたかい。